土偶

真花

土偶

 令和から数えて五千年前、日本は縄文時代の真っ只中にあった。竪穴式住居に住み、それは環状に並び、その中心には祭壇がある。狩猟採集を主としながら、コメなどの栽培もする。土と、草と、獣の匂いの中、縄文人は生きていた。


 夜明けと共に目が覚めた。いつもよりずっと早い。犬が鳴いた訳じゃない。家族を起こさないようにそっと家を出る。春は来ているけど少し肌寒い、でも空気の中には始まりの予感をくすぐる精が混じっている、僕は胸いっぱいにそれを吸い込んで、むせて、一人で、はは、と笑う。遠くから太陽が昇り、長い影を作る。手を挙げたり足を挙げたりする、影が全く同じ動きをする。気持ちが逸る、でもお父さんが起きなくては、朝食を済まさなくては始まらない、深呼吸をして、家に向かう。

「コウ」

 呼ばれて振り返ると、隣家の末娘のミミが立っている。まだ五歳なのにこの時間に外に出ているのはどうしてだろう。不思議さに頭を掻きながら彼女を見ると、関係ないよと言わんばかりに笑顔で駆け寄って来る。

「おはよう、コウ。今日はコウの大事な日だって思ったら目が覚めたの。そしたらコウもいたからびっくり」

「僕も同じだよ」

 じゃれつく彼女を抱きかかえる。二人で太陽を見て、目を顰める。

「コウはきっと誰よりも強くなるよ。私には分かる」

 ちょっと違う、でもミミにとってはそんなものかも知れない、彼女の髪を撫でる。朝の冷気のせいだろう、ひんやりとする。

「強い弱いじゃないよ。最高か、そうじゃないかだよ」

「もちろん、コウが最高!」

 僕は笑って、ミミを高く掲げる。「鳥みたい!」と彼女が喜ぶからぐるぐると走り回った。彼女を下ろすと僕の足にぎゅっと抱き付いて来る。

「そろそろ家に戻って、そっと息を潜めながら、来るべき瞬間を待とうよ」

「うん!」

 元気よく頷いた彼女の後ろに、彼女のお母さんが立っていた。ミミを探しに出て来ていたのだろう。ミミは「お母さんー」と走り寄り、頭を軽く叩かれながら家に入って行った。僕は伸びをうんとして、もう一度太陽を拝む。まだ準備段階だけど、今日が始まりなのは間違いない、きっと眠れないけど家に戻り、寝床に潜った。


 両親と兄弟が上が二人、下が二人の計七人家族で輪になって朝食を食べる。コメとクリ。それを入れる器。お父さんが「コウ」と僕を呼ぶ。

「お前ももう九歳だ。前にも言った通り、今日からアラさんのところで働きなさい」

 父親の命令は絶対だ。もし逆らうならこの村を出なくてはならない、それは子供がたった一人で山に海に生きることを示す、すなわち死を意味する。でも、僕はこの命令に何の抵抗もないばかりか、まさに望んだ未来がやって来た、心の内で騒ぎ出した僕の喜びを、隠してみようとも思ったけどやめて、僕はこの顔に満面の笑みを咲かせて「分かりました」と一礼した。

 他の兄弟はあまり興味がなさそうに食事に集中していたけど、一つ上の兄のヨリノだけは僕の方を向いて、「コウ、嬉しそうじゃん」と肘で突いて来たから、「嬉しい」と突き返した。

 食事が終わり、お父さんに連れられてアラさんの工房に向かう。お母さんを含めて家族はそれぞれのことを始める中、ミミだけが見送ってくれた。お父さんは何も言わずに歩いて行き、僕はそれに付き従う。村の中央の祭壇の側を抜けて、集落の反対側の端まで行く、十分とかからない距離だ。

 アラさんは地面に座って粘土を捏ねていた。僕達に気付くと手を止めて立ち上がり、大きく手を振る。僕達は歩くペースを変えずにアラさんの前まで行き、彼の前に並ぶ。お父さんが「アラさん」と彼をじっと見る。お父さんの目はいつも炎が灯っているようにギラギラとしている。

「今日から息子のコウを弟子にして頂きます。よろしくお願いします」

 アラさんはお父さんを見て、僕を見て、またお父さんを見る。そしてもう一度僕を見る。

「うん。これからは毎日通って貰うよ。狩りのとき以外はここにいるんだ」

 僕は頷く。

「きっとアラさんみたいになります」

「ああ。キヨムの息子だ。きっといい腕になる」

 お父さんもやっていたのだろうか。でも継いでないってことは、違う筈。僕が不思議そうにしているのを見てアラさんは小さく笑う。お父さんも同じ顔をした。でも二人とも何も教えてはくれない。それに不満はない。過去とはそれを保持する人だけの大切なもので、易々やすやすと漏らすべきものじゃない、人間なら誰もが共有していること。

「それでは」

 お父さんは踵を返していなくなった。アラさんは座り、手招きをして横に座れと示す。僕は言われた通りに座って、彼の言葉を待った。空が広くて、遠くの方にだけ控え目な雲が蠢いていて、鳥の声が聞こえる。いつもよりも強く土の匂いがする。

「見習いからだが」

 アラさんは両手を広げて僕に見せる。僕はその手をじっと、じっと見る。これがアラさんの手。彼は続ける。

「今日からお前の手も、俺と同じ陶工の手だ」

「陶工の手」

「そうだ。他にも技術はあるけど、結局のところ俺達の存在意義は、手にあるんだ。だから手を守れ。手を育てろ。後のことはいくらでも教える。でも、手を大事にすることだけは自分でしか出来ない。いいな?」

 僕は自らの手を広げて見詰める。今日から僕は陶工。この村の全ての器を作る。

「分かりました。手を守り、育てます」

「よし。じゃあ最初は見て覚えるんだ。今丁度やってたのが平皿だ。一番簡単な奴だ」

 それからアラさんは黙って、粘土を捏ねて皿を作る。同じ形の皿が何枚も出来る。

「触ってみろ」

 渡された一枚はしっとりと固くて、このままでも使えそうだ。

「これは完成じゃない。この後乾燥させて、火で焼く。力を入れてみろ」

 言われた通りに、グッと押すと、せっかくアラさんが作った皿は半分に折れた。僕はそれをさらに捏ねて、丸い玉にする。

「その通り、柔らかい。この土は山から取って来た奴だ。それを運ぶのも俺達の仕事だ」

「分かりました」

「ん。じゃあ、後は見てろ。ただし、手はずっとその粘土をいじってろ。水気が足りなくなったら足して」

「はい」

 アラさんは次から次に皿を作る。同じ大きさ同じ厚さの皿が並んでいく。僕は言われた通りにずっと粘土を手で捏ねる。丸くしたり、引き伸ばしたり、分けてみたり、水を足したら柔らかいけどベチョベチョになって、それが時間と共にまた乾いていって、練りやすい水の量は確かにある。爪の間に土が入って、最初は違和感があったけどすぐに気にならなくなった。僕の手が今覚えていることこそが陶工になる最初の一歩なのだ。僕は見よう見まねで平皿を作る。でも中空では上手く形にならない。

「アラさん」

「今日からは師匠だ」

「師匠、僕も台が欲しいです。手に持ったままじゃ形が決まらないです」

「いいところに気付いたな。家の中に俺が使っているのと同じのがもう一つあるから、それを取って来い」

 返事をしたらすぐ近くの家に向かう。僕達の家と同じ作りだ。

「あ!」

 中に入ると寝所もスペースもない。そこは人の住む空間ではなかった。代わりに置かれているのは、皿や壺、数え切れないくらいの数がある。その数だけアラさんは作ったのだ。立ち上る迫力に圧倒されて、入り口から動けない。

 ドサッと音がした。足元からだ。

 見れば僕が手で捏ねていた粘土が地面に落ちている。そうだ、この一つ一つが、全てが、こうやって粘土から生まれたんだ。粘土は粘土でしかない。だけど陶工の手によって形を得る。これが陶工の仕事、アラさんの仕事。いずれ僕が担う仕事だ。

 僕は粘土を拾う、周囲を見回す、台を見付けてそれを持ってアラさんの横に据える。

「あそこで乾燥させるんだ。そんで焼く」

 僕は彼の手を見る。丸くした粘土がいかに皿になってゆくかを何度も何度も見て、自分の粘土でそれを真似する。陽が翳るまで続けた。

「よし、今日はここまで。出来た皿を家の中に運んだら終わりだ」

 彼の指示の元、皿を家の中に並べる、それは今日と言う一日に流した血を集めたもののように見える。

「明日も同じ頃においで。狩りのときは連絡はいらないから、終わったらおいで」

 僕の中ではもうアラさんはアラさんではなく、師匠で、それは今の僕には到底届かない技術と経験を持っている人物で、今まで同じ村の人間としか思っていなかった人が、偉大な人だと発覚した、僕は彼の元で修行出来ることを思うと、胸の中が膨らむような気持ちになる。

「また明日、よろしくお願いします」

 僕は堂々と胸を張って家に帰った。

 夕食を食べ終えて、僕はたった今使った器を手に取って、その重さを確かめた。


 毎日師匠の元に通う。見て、真似をする。ある日は土を取りに山へ行き、ある日は乾燥の具合の見方を教わる。野焼きで仕上がった器を見たとき、それはこれまで使っていた器と同じなのに、全く別のものに見えた。

「これで完成。硬くなっただろ?」

 僕に冷ました器を持たせた師匠は、大切に育てた我が子を愛でる親の顔だった。僕もこんな器が作れるようになりたい、気持ちがさらに引き締まった。器を作り続けると言うことは、同じ工程を繰り返していくこと、乾燥も野焼きも何度も立ち会った。だけど、手伝いはさせてくれても肝心のところに手を触れさせて貰えない。僕はひたすらに粘土を捏ね続けた。三ヶ月程経った頃、僕の手に変化が生まれた。見た目には何も変わらないのだけど、粘土がずっとフィットするようになって来た。それに伴って粘土を扱う感じが、もっと自在になった。

「そろそろよさそうだな」

 僕の粘土いじりを見て師匠が呟く。

「手に馴染んだだろ。陶工として最初の階段を登ったんだ。よし。平皿を俺が作るから、同じものを作ってみろ」

 それはずっと欲しかった許可で、だから僕は心の底から返事をする、師匠が平皿を作る。その手の動きはもう頭の中に入っている。「これを作れ」、言われて僕は新しい粘土を持って来る。水の量を調整して、幾度となく模倣した動き、僕は迷いなく平皿を作った。それは自分でも驚くくらいの精度で完成した。

「出来ました」

 師匠にそれを渡す。「ダメだ」と彼が首を振る。

「同じだと思います」

「じゃあ、俺のと自分の触って比べてみろ」

 僕は見た目が全く同じ二つを並べて、一つずつ手に取る。僕の手がその差異を感知する。硬さ。僕の方が柔らかい。……これは、水の量の違いだ。僕のは水が多過ぎる。

「分かっただろ? 見た目が同じだけじゃダメなんだ。水が多過ぎると乾燥のときにダメになる。分かったらもう一回」

「はい」

 師匠の平皿の水分量がどれくらいかは、触れたので感覚で分かる。あの水分量は僕の量よりも加工がしにくい。つまり、作りやすさを犠牲にしてもあれくらい搾る必要があるんだ。僕は粘土を取り、それは硬過ぎるから、ほんの少しの水を混ぜる。いや、もう少し。これくらいだ。記憶の動きと手を総動員して平皿を作る。今度のは水と硬さの具合は問題ない筈だ。

「出来ました」

 師匠が僕の作品を手に取る。ふーん、と全面を眺めて、重みを確認して、僅かに力を込める。

「まだ水が多いな。やり直し」

 僕は返事をしてまた平皿を作る。師匠の作ったものに触れて、水の量を確かめて、作る。

「今度は少な過ぎだ。まだ水の小さな量の違いを手が見分けられてないんだ。俺がいいと言うまで作り続けな」

「はい」

 それから二週間、作り続けた。徐々に師匠の言っていることが分かって来た。僕の手が検知していたのに比べて必要とされる配分の細かさは、ずっと微細だった。手はその違いを段々と見分けるようになって、僕はついに師匠の作と同じと確信出来る作品を提出した。

 師匠は重み、硬さを確かめて、うん、と頷く。

「これでいい。後はこの質をずっと保ち続けることだ」

 合格が出たことで僕は内心浮き足立って、でも師匠の前で小躍りする訳にもいかないから、口角を少しだけ緩めて、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 平皿が安定的に作れるようになるまでさらに数ヶ月を要した、でも、その頃には平皿の質には自信が持てるようになった。乾燥・野焼きの工程を経て焼き上がった僕の皿を師匠が見て、「十分な出来だ」と言ってくれたからだ。「俺のと一緒に皆に使って貰おう」と村の流通に乗せてくれたことが、及第点の作陶が出来ている証明だった。自分の家にも持って帰り、夕食で使ったときに「これは僕が作ったんだ」と言うと、ヨリノを始め兄弟達が皆「すごい」「やるな」と褒めてくれて、僕は師匠に仕事が認められたことと同じくらい興奮した。次の日、ミミが遊びに来て、どうやって知ったのか「コウの作ったお皿を使っているんだよ」と目をキラキラ輝かせてじゃれ付いて来て、「ミミはコウのお嫁さんになる!」と僕の腹に顔を埋める。僕も家族も「そうだね」と笑った。

 修行は続く。お椀や壺も少しずつ真似をしながら覚えて行く、出来るようになる度に喜びがある。乾燥・野焼きなどの工程を「やってみな」とやらせて貰う。乾燥は手直しが効くので大きな失敗はなかったが、野焼きは一番最初だけ大失敗をして、焼き過ぎと焼きムラが酷く、そのときに焼いた器を全てダメにしてしまった。もう一度師匠がやるのを見る。一度体験した後だと見えるところが全然違う。師匠はその次の機会に、「やってみな」ともう一度僕にチャンスをくれた。今度は概ね上手く行った。「後は焼きムラをもっと減らせば十分だな」そのときの焼いた器も処分となった。それまでの労力が水の泡になるのはもう十分だ、失敗は出来ない。そう臨んだ三回目にも「まだダメ」と言われ、僕はこれまでになく落胆した。でも、作陶をやめようとは思わなかった。そもそもやめるなんて選択肢はない。半べそをかきながら粘土を捏ねた。そこで、僕が作った器を使って、野焼きの練習をしたいと申し出た。

「ダメだ」

「どうしてです」

「野焼きに練習はない。これは代々言われていることだ。だから俺の器も一緒に、常に本番として焼け」

 だからひたすら作って、ひたすら焼いた。十回目についに「これでいい」と師匠に言って貰えたとき、体から力が抜けそうになった。でもそれは師匠の監督の元でで、そこから次は単独で工程を出来るようになる段階に入った。

 全工程を単独で十分なクオリティを保てるようになるのに三年かかった。

 今や、村で使われている器の半分は僕が作ったものだ。それでも、やればやる程に師匠との力の差を痛感する。出来上がった器を見るだけで僕か師匠か、作者がどちらかすぐに分かる。だから技を盗もうといつも目を光らせている。いつか、超えて見せる。


 平和で盤石な日々と思っていた。ところが夏のある日、一つ上の兄のヨリノが夜に帰って来ないと言う事件が起きた。心配だったが、夜間に探しに出ることは命の危険を伴うため探索には出ずに、僕達はヨリノが無事に帰って来ることを祈りながら床に就いた。

 頭の中でヨリノが言っていたことがリフレインされる。

『コウ、神様なんていないんだよ。崇める必要なんてないんだ』

 ヨリノはそう何度も言っていた。僕には信じられない考えだ。神様はいるのは当たり前だし、神様を裏切るような真似をしたら罰があるに決まっている。師匠だってそう言っていたし、僕達は焼き上がったら必ず神様のために器を一つ捧げて来た。

『俺は神様なんて信じない』

 ギラギラした彼の目が思い出される。きっとヨリノは神様に何かちょっかいを出して、その罰を受けているんだ。年が近かったし、子供の頃からよく一緒にいた彼がそんなことをするなんて信じたくない。だけど、歴史があるからこそ、彼はそれをしうる人間だと分かる。

 果たして、次の朝、ヨリノは祭壇の前で死んでいた。連絡を受けて駆け付けたときには既にこと切れて随分時間が経ったように見えた。目を瞠って、恐怖に顔を歪めている。彼が神様を否定していたことは僕以外知らないことだ、だから他の全ての人と同じように埋葬され、神様にその死を巫女様が報告した。

 神様は存在するのだ。

 だからヨリノは死んだ。

 恐ろしい。けど、今まで通りに大切にしていれば神罰が下されることもないだろう。そう信じるしかない。

 僕はその日も工房に行った。


 それから三年。

 僕は日々作陶に没頭し、師匠と共にこの村の陶工として自負も自信も備えるようになっていた。師匠にはまだ追い付かないけど、全ての種類の器、壺を問題なく流通に乗せられる質で作ることが出来る。

 粘土を捏ねていたら向こうから数人の人影。

「巫女様」

 手を止めて立ち上がると「よい、そのままで」と言われ、座る。

「どうしましたか?」

「お前がコウか?」

 ふわりと近付く彼女から甘い香りが鼻をくすぐる。

「僕がコウです」

 彼女が真っ黒な瞳で僕の目を覗き込むから、僕の心は吸い取られてしまう。

「お前に依頼したいことがある。この手で」

 彼女が僕の「手」に触れる。そこから電流が走ったかのような、それは脊髄まで痺れさせる、脈が速くなる。

「秋の祭礼のときに神に捧げる『何か』を作ってくれ」

「何か、ですか」

 彼女は僕の耳元に口を寄せて、呟く。

「お前の命を込めよ」

 僕はジンと痺れる。

「了解しました。作らせて頂きます」

「頼むぞ」

 そう言って巫女様とお付きの者は去って行った。僕は後ろを振り向く。

「師匠、どうしましょう」

「お前の仕事だ。お前の好きにやったらいい。助けが必要ならするよ」

 秋まではまだ時間がある。僕はまず粘土を捏ねることから始めた。

 捏ね始めて、僕の中に巫女様が思い切り入り込んでいる。これが雑念なのか心の中心の事柄なのか、それは中心に違いない。心臓がドキドキする。女性に対してこんな気持ちになったのは初めてだ。でも、巫女様だ。手を出していい相手ではない。だけど巫女様のその目が、その髪が、その手が、僕を抱き締めて離さない。手に集中する。いつもの器を作る間は巫女様のことを忘れる。でもそれが終わるとまた思い出す。神様に逆らったヨリノのことが頭を過ぎる。でも僕は逆らってはいない。彼女に想いが生まれているだけだ。

 家に帰れば僕は想いを育てることばかりに時間を費やして、帰り道に祭壇の前を通るので、そこに巫女様が出て来ないか暫く待ってみたりする。でも会えない。会いたい。僕が一緒に生きるべき相手は巫女様しかいない。

 粘土を捏ねる。器を作る。乾燥させる。野焼きをする。巫女様のことを想う。そればっかり想う。作陶の質は落ちていない。作っている間は巫女様のことを忘れるから。そこで凝縮された気持ちが仕事明けにやって来る。

「巫女様」

 吐く息すら桃色になっている。僕は命がけで巫女様を想う。

「コウ、恋もいいけど、アイデア出せよ」

「え。恋」

「丸わかりだよ。恋をするなとは言わない。現に仕事に影響は出てないしな。でも、依頼されたことはちゃんとやれ」

「分かりました」

 僕は粘土で何かを作る。それ以外は出来ないし、するつもりもない。だから、粘土で色々な形を作り始めた。最初は皿を重ねて塔のようにするもの。違う。イノシシとかクリとかを模したもの。違う。試作を繰り返しながら何日も過ぎて行く。巫女様が求めているものは何なんだろう。いや、僕の命と言っていた。僕そのものを表現したものがいいのかも知れない。

 巫女様のことを想って、捧げ物のことを考えて、いつもの作陶もする。それで僕の全部になっていたその日、夕食時にお父さんから話があった。

「コウは隣家のミミと結婚しろ」

 父親の命令は絶対だ。だけど、僕は巫女様を。一瞬の間の後、僕は「分かりました」と返事をした。早速挨拶に行く、ミミは照れた顔をして、もう十一歳だ、僕に走り寄って来はせずに、婚約の挨拶を交わした。

 夜、寝床の中。ミミは子供の頃から知っているいい子だ。健康だし申し分ない。でもだとしたら僕のこの巫女様への想いはどうすればいいんだ。二つの決して混ざらない色が胸の中に流入したみたいに、僕は決断出来ない。決断しなくても結論はミミとの結婚なのだけど、こんな胸の内のままでいいのだろうか。ぐるぐる同じことを考え続ける。いつの間にか寝に落ちて、朝が来れば工房へ向かう。その間も同じことを考えている。

 師匠が顔を見るなり「何があった?」と笑うから、「ミミと結婚が決まりました」と答えた。師匠は、ふぅん、と僕の顔をもう一度伺う。

「お前の気持ちを粘土にぶつけてみろ」

「いいんですか?」

「いつもの器じゃないよ。奉納の奴だ」

 粘土を手に取る。いつもより多めに取る。僕は大きく深呼吸をして、両手でグッと握る。

 これは神様に納めるものだ。神様に失礼があってはいけない。だけど、僕の心の中心にあるのは巫女様への想いだ。もしそれで神罰に斃れるのならそれも止むを得ない、受け入れよう。ミミは悲しむだろうな。でも、このまま巫女様への想いがあるまま彼女と結婚したら、それもミミがかわいそうだ。

 だから、この粘土には巫女様への想いを込める。

「今日はいつもの作陶はいいから、それに集中しな」

「ありがとうございます」

 巫女様。

 巫女様。

 僕はあなたが好きです。

 その想いを手から粘土に抽出させるように、念じながら捏ねる。粘土は鳥になったり、真四角になったり、ねじれた二本の棒になったり、次々と姿を変える。でも、違う。僕の中には一つのイメージが湧いていた。でもそれは神様に不敬をするのと同じくらいに、巫女様に不遜で、だけど、それ以外の形を試しても、やはり違う。

「やってみるだけだ」

 小さく言い訳をしてから「その形」に粘土を捏ねは整えて行く。それは、巫女様の形。大まかな形状が出来たら、模様を入れて行く。全く人間と同じ形にはしたくなかった、それは強度の問題ではなく、あくまで巫女様を象った別のものでなくてはならないと考えたから。

 いずれ、手の中に人形が出来上がる。

 それを僕は見て、ため息を一つ漏らす。

「これしかない。この中に、僕の想いは乗り移った」

 胸の中にある方は作る前よりもずっと落ち着いている。これをあといくつ作れば、僕はミミを妻として愛せるだろう。……神様許して下さい、僕には他の方法がありません。

「師匠、これでどうでしょう」

「いいじゃないか。後は上手く焼けるかだな」

 僕は同じものをいくつも作り、乾燥・野焼きの二回目で上手くいった。その後も作り続け、完成品の中から五つを奉納する。

 僕と師匠は巫女様のところに出来上がった人形を運んだ。

 彼女の姿を見るとやっぱり心臓がドキドキする、でも、前程じゃない。このドキドキはむしろ作品を人に見せることで生じているのではないか。

「人形か。女の人形。なかなかいい」

「ありがとうございます」

「秋の祭りのときに神に納めよう」

 人形を全て渡して、工房に戻る。

「あれでよかったのでしょうか」

「作品は表に出した時点でもう後悔の意味はない。俺はお前の気持ちの乗ったいい作品だと思う」

 確かに決めるまでに自問自答は嫌というほどした。僕は彼女から貰った気持ちを人形に乗せて、彼女と神様に返したのだ。この「手」がその船になる人形を生み出した。

 秋の祭りの当日、人形達は祭壇の上に並んだ。評判はよく、そして神罰が即座に起きなかったことから神様もあの人形を気に入ってくれたと胸を撫で下ろした。

 そしてその日、巫女様の前で、僕とミミは結婚した。


(了)

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