情報開示の完璧な制御こそがホラーの真骨頂である。つまりは本作のように。

古来、名付けとは呪であるとされる。たとえどれほどまでに恐ろしい力を持った存在であろうとも、その正体が分かってしまえば、その者に名前を与えてしまえば、必ず、恐怖というものは薄れ、そして名付けたものが優位となる。

文学におけるホラーというジャンルにおいて、これはもっとも重要で本質的な問題の一つだ。文学というものは還元してしまえばつまるところ情報の集合体であり、他人におのが言わんとすることを知ってもらわないことには文筆は成り立たないし、読書という体験も始まらない。だが、知られてしまえば、知らせてしまえば、必ず呪は薄れる。ここに、ホラー小説の抱える構造的な難しさがある。つまり、情報の開示をいかにコントロールし、読者を術中に陥れるかということが、ホラー作品のもっとも中核的要素の一つなのである。

具体的には、多くの場合、「少しずつ、少しずつ、情報が開示され、そしてじっとりと恐怖が読み手を侵食していく」という形が成功するときにホラーは成功する。終わってから粗筋を振り返り、物語構造を分析し直しても、そこから恐怖を見出すことは難しい。ただ一過性の読書体験の中で「背筋を伝った何か」、それこそがホラーの体験というものの本質であろう。

そして。

本作品ほど、巧妙を極めて情報の制御に成功し切った文学作品に、お目にかかったのはいつ以来のことであるか、私には分からない。嗚呼。久しぶりに、小説に呑まれるという経験をした。これがあるから、「よむ」という行為は止められないわけである。

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