ただただ、白く、静寂に。
- ★★★ Excellent!!!
まるで短編のアニメ映画を観ているような気持ちでした。
と書くと、詩一さんは怒りますか? 怒らないですよね? ○○分後になんとかポイントがくるので……と、いつもみたいに蘊蓄を紹介してくれますよね?
ぼくは小説を読んでいて、たまに「アニメ映画みたいな作品」に出会うことがあります。アニメかアニメじゃないか、その違いはなんやねん? というところですが、ぼくはここに明確な応えを準備しています。それは、音、です。
本作は二つのパートから成り立っています。一つは前半のベルギー編。そしてもう一つは後半の日本編です。いずれのパートも、とにかく静かなのです。音がないのです。音がないくせに「アニメ映画」ってやんやねん……と、ツッコミも激しいところでしょうが、音がないがゆえに自然の音が聞こえてくるのですよ。鳥の鳴く声。窓を開けるときの音。ベッドのシーツのかさつき。そういった音が入ってくるんです。そこまで聞こえてきたらもう、これは現実です。小説という二次元ではなく、一つの空間、一つの生活としての三次元がそこにはあります。
そして音が消されているのはなぜだろうと考えると、本作は基本的に主人公の「わたし」視点で動いているからだろうと思います。当然、別の誰かとの会話もありますよ。でもそれをギリギリまで絞っている。なるべく「わたし」の心境と感想を描くことによって物語を進めようと心がけられている。ハッキリ言いましょう。これは一人称小説の完成形です。これこそが一人称小説です。もう、その良さがたっぷりと詰めこまれています。そのために余分な音が除外され、主人公が聞いた音だけが「文章表現を纏うことなく」われわれにつたわってくる。そういうことなのだろうと思います。
音がない世界には、せつなさがあります。
音がない世界には、よろこびとかなしさが同衾しています。
ただ定時的に刻まれる世界に、読者は「限りある未来」を覚えることでしょう。ブルージュに行ったわたし。日本に帰ってきてからのわたし。ここは対比のようでいて、しっかりと繋がっています。いずれにも、名状しがたい苦しさがある。だけど。
――。
ここに、本作最後の一文が重なってくるのです。
そして、だからこそ、――、なのです。ここに入る言葉は本文に明記されていますが、みなそれぞれの読み方で捉えてみてください。わたしは、「だけど」と「だからこそ」の逆接&順接を両方使いました。人生ってそうなのだと思います。目の前にあること。未来のこと。不安というものは、喜びよりも容易くこころの中に忍びこんできます。そのときに逆接と順接で人生を捉えること。これこそが、わたしの選びたい生き方なのです。