大学生のイチくんは、同年代の女子ゆりと恋人同士の関係にある。一見微笑ましく見える二人。だけど違ったのは、ゆりの身体には三人の人格が宿っており、ゆりはそのうち副人格の一人に過ぎなかったという点だ。イチくんはゆりになにを思い、ゆりはイチくんになにを思い、そして二人はどのような未来を選んで歩いていくのか――。
本作の設定をまず書かせていただきましたが、設定からして面白い。他の人格とは記憶を共有できないため、三つの人格がどのように共存しているかという点についても面白みがあります。加えて、三つの人格はそれぞれイチくんとどのような関係を構築しているかという点についても。
この物語、というかこの作者の不思議な力を挙げるとすれば、それは「共感力」です。読みながら、自分だったらどのようにゆりと向き合うだろうと考えました。また、ゆりだったらどのようにイチくんと向き合うだろうと。このあたりの心情が丁寧に書かれているものですから、読者は登場人物の一人になった気持ちで現状に臨むことができるのです。こういう「共感力」というものは小説において非常に大切な部分でして、本作では高いレベルでそれが成し遂げられているように感じられました。
短編ゆえあまり語ると読書の楽しみを縮減してしまいそうなのですが、主人格・副人格同士のコミュニケーションや、予想外の状況で別の人格が出てきた時の対処など、読んでいてたいへん楽しかったです。
この物語には全編を通じて悲しさが流れているように感じられます。どんなシーンであっても、どこか悲しいような気持ちになるのです。それはきっと、「人格が変わる」ということが人ごとではないからでしょう。
人間というものは、生まれて死ぬまで同じ人格でしょうか。三つ子の魂百まで、とは申しますが、実際のところ十七歳の時のものの考え方やアウトプットの方法と、八十歳のそれは大きく異なっていると思います。これは極端な例でしたが、一ヶ月前の自分と一ヶ月後の自分が「変わったな」ということはよくあることです。
例えば趣味が変わる。対人関係が変わる。態度が変わる。置かれている社会的環境が変わる。季節による感じ方が変わる。住所が変わる。お金の使い方が変わる。好きな音楽が変わる。言葉遣いが変わる。注力すべき時間が変わる等――私たちは常に変化の中で生きています。
だから一ヶ月前の人格と一ヶ月後の人格というのは全くの同一ではなく、言い換えれば私たちは日々、ある人格とさよならをし、ある人格と出会いながら生きているようなものなのです。
それは喜びであり、悲しさでもあります。本作ではそのうちの、悲しさの部分について丁寧に描かれているなと感じたわけです。
あなたは昨日のあなたと別れ、明日のあなたをまだ知らない。
それを受け止める心があるのなら、本作はきっとあなたの心に刺さるはずです。