噂お手玉
【壱】
学校で目立つことのメリットとデメリットは何だろうか。
良いこと言ったら、例えば友達ができるかもしれない? 彼女ができるかもしれない?
悪いことと言ったら、嫌われるかもしれない? 厄介ごとに巻き込まれやすくなるかもしれない?
まぁ、どっちにしろ取り敢えず、一目置かれることは間違いないだろう。
というか、今のこの承認欲求が支配する世の中じゃ、一目どころか百目ぐらいされたい人も多いんじゃないんだろうか。
じゃあ、自分の意図しない形で衆目を集めるのだったらどうだろうか。
目立ちたくなかったのに、思わぬ形で様々な人の目に晒されてその現状にうんざりしている、みたいなそんな感じでも今の人は羨ましいと思うのだろうか。
僕はまったく羨ましくないな。
どころか、自分から願い下げだ。
羨ましくないし、恨めしいぐらいだ。
だがしかし、この世の中は残酷だ。
いや、残酷というか、神様がわざとそうなるように仕向けているんじゃないか、なんてそんな風に疑ってしまう。
僕はそう思う。
というか、朝登校してきたら、こっちを見てひそひそ話し始めるこの非日常を目の前にして、僕はそう思わざるを得なかった。
「あいつじゃね?」「あ……」「……えろどーじん作家だ」
ざわめく一階の廊下をなるべく気にしないようにしながら、三年一組のある二階へとそそくさと歩いて行く。
教室の扉を開け、自分の席へと続く最短のルートを辿り席に着くと、前の席にはもう人が座っていたので一瞥する。
「よう……同人作家さん?」
そこには、からかい濃度100パーセントの表情をした
「
「
到底信用できない。
今の僕は昨日までの僕じゃないんだ。後ろから刺されるのはまっさらごめんだ。
「おー、よちよち七不思議ちゃん……悲しいことがあったんだね? ママに話してごらんなさい?」
ま、ままー……。
――っは! 危ない、危ない……あまりにも精神が疲弊していたのか、あの塚本に母性を感じるところであった。
同級生におぎゃる男子高校生……第一級戦犯高校生だろそんなの。
「変なからかい方をするな。というか、少なくともお前もこの現状の一端を担ってるだろ」
原作者に責任はないかもしれないが、同意はもらっていたし片足突っ込んでいるのは間違いないだろう。
「確かにそうかもしれない。でも、ボクだってある程度の影響はあったさ」
「なんだよ」
「朝から僕を好きと言ってくれる女の子に囲まれて凄く大変だったよ。これも立派な被害と言えるだろう?」
にやけ顔マシマシな顔してそう言った。
……一体どうしてこの差が生まれたのだろう。
男女の差? 人望の差? ジャンルの差?
「まぁ、これはもう覆しようのない才能の差ってやつかな!」
お前は黙れ。
おー怖い怖い、と言いながら前に向き直って撤退する塚本。
そう言われて悔しいと思ったということは、心の底では認めているということの裏返しなのではないかと考えて、そんなこと考えなくても分かってるわと自分に突っ込む。
キーンコーンカーンコーン。
予鈴のチャイムが鳴る。
朝読書という体を成した課題進めタイムが始まる。
今の僕にとって、授業中だけが僕の心を守ってくれるのだ。
うーん、まさか、こんなことを思う日が来るとは思わなかった……。
人の噂も七十五日……なんて言うが、およそ二か月半もの間、陰でこそこそ「エロ同人誌書いた人だ……」と思われながら学校生活を過ごさなければならないと思うと、それこそかなりきついものだ。
しかも、学校という特殊な場所で広がった噂は、なぜあなたまで? みたいなよく知らない人まで知られていることがあり、もう、それはそれは厄介で強力な拡散力をもっている。
これが怪談であった場合、名著〈物語シリーズ〉の世界観を取って考えてみると、多分、怪異が発生していただろう。
だが、それは免れた。
というか、
強引なポジティブシンキングって感じだ。
……そんな訳で、パッチワークポジティブシンキングという変な武器を片手に、どうにかこうにか放課後までやり過ごすことができた僕なのであった。
放課後になり、掃除を終えて部室に入ると、塚本が窓際の端っこの席に座って何やら作業をしているのが見えた。
どうにも、まだ塚本がこの部室にいるという光景には違和感がぬぐえない。
「あ、七不思議ー! 遅かったじゃあないか」
こっちに気づいた塚本は、机の物をガッと腕で持ち上げて、教室の前の方に座った僕の隣の席に移動してきた。
「あ、そうだ。七不思議先生? ……新作まだですかー?」
相も変わらず未だにこんな感じで、塚本はあれからもずっとこの調子だった。
まるで水を得た魚みたいに僕を延々といじってくる。
「お前なぁ……まぁ、でもそうやって飽きるぐらい擦りまくってくれたら、逆に鮮度がなくなっていくのが早いからいいかもな。逆にな」
おっと、まだ片手にパッチワークポジティブシンキングを持っていたままだったみたいだ。
「……?」
塚本は、目の錯覚かわからないが、アホ毛をクエスチョンマークみたいな形に変形させた。
いや、目の錯覚だよね? これ。
「誰だお前……」
「誰だって……
「あぁ、こんにちわ……じゃなくて! ボクの知ってる七不思議であればそんなこと言わないはずだと言いたいんだ! ボクは!」
「じゃあなんて言うのさ? 君の知ってる七不思議君ってやつは」
「あーっと、そうだなぁ、僕の知ってる七不思議だったらー……『おい、塚本。そんなこと言っていたら、この噂が消えるまでの七十五日間、俺を慰めるつもりでお前の体が好きに使わしてくれよ……なぁいいだろ?』……かな」
「……かな、じゃねーよ。お前、俺のことそんな風に見えていたのか?!」
「え、俺?」
「あ、いや、僕」
あまりの動揺に、一人称が塚本の創り出した変な七不思議君に引っ張られてしまった。くそ! なんか恥ずかしい!
「「……」」
訪れる気まずい沈黙。
「……まぁ、そんなことより、あれだな。今日、部活見学しに来る奴いるのかな」
気まずい空気を変えようとして、何とかそれっぽい事を言ってみた。
「あー、確かに……どうなんだろうね」
何やら巷でざわつかれている男と、大舞台で大立ち振る舞いをかまし大勢を魅了した女。
マイナスとプラス。
掛けたらマイナス、割ってもマイナス。
足したらゼロ、引いてもゼロ。
「あれ? もしかして……期待値ゼロ?」
「……その計算だとボクと君が同じ値の想定っぽいんだけど、実際はボクの方が数字大きいからね。あとそれと、一緒に計算するのってなんだか、それはまるでボクと君とが二人で一人みたいな感じで何だかなぁって……」
「……何が言いたい」
「まぁまぁ。ボクからは、
塚本はしたり顔をしながら腕を組んでそう言った。
それを聞いて僕は思う。
一見、目にもの見せられそうなそんな予感は、案外、的中しないものだと。
塚本は自分の作業へと戻っていく。
そして、その後にはシャーペンの走る音と、何処にいるかもわからない鳥の声が時々窓の外から聞こえてくるのみであったのだった。
「……ほらね?」
五十分前にも見たことがあるしたり顔が、今になっても目の前にあった。
それもまた仕方がないと思ってしまう僕は、しっかりと敗北したと心から認めたという大いなる証拠であると言えよう。
その事実を包み隠さず、頭を隠さずに尻さえも隠さずに述べるとすると、僕(文芸部)の所に見学をしに来た人はというと――ゼロではなかった。
それどころか、彼女(落語研究会)の所に来た人数よりもはるかに多い人が訪れた。
だとすると、この敗北感は一体何だというのだろう。
「それは多分、ボク達が求めていたモノが、ただ存在として――物量としての人ではなくその人、一人一人の質量が大事だったからじゃないかな」
またこいつは、物事をわざわざ難しくして話す……その才能はいつになったら活かされるものなのだろうか。
「要はどういう事だ?」
「君は何でわざわざ自分から傷つくであろう事を聞き、そして、それをボクに言わせようとするんだ……? それはただ鈍感なだけか? それとも、ボクに嫌なことを言ってほしいマゾヒストかなんかなのか?」
「僕は鈍感でもないしマゾヒストでもない。何があったかを理解しているし、言われたところでただ心が痛くなるだけだとも思っている。だとすると、多分だけど、ただ事実を自分自身で飲み込めないから、無理やり他人に押し込んでもらおうと思ってるんだと思う」
「うーん、やっぱり今日の七不思議は変だな。嫌にポジティブになったり自己分析の鬼になったり……」
訝しげにこっちを見てくる塚本。
はて、今日の僕はそんなに変だろうか。
「まあいいや。どうせ明日になったらケロッと普段通りに戻ってるだろうし……」
塚本は一呼吸置いて続ける。
「――君の下に来たのは、不特定多数のただの冷やかしで、物珍しいものを見に来ただけの見物客。そして、ボクの下に来たのは熱烈なファンが三人だった……これでいい?」
そうだ。
そうだった。
さっきまでここにあったのは、冷ややかな目を僕に向ける多数の人間と、熱烈な視線を塚本に送っていた少数の人間であった。
マイナスの数は増えれば増えるほど、大きさ的には小さくなっていく。
大きな熱量は周りを巻き込んで大きくなっていく。
要はこういうことだ。
「塵も積もれば山となる、なんて言葉があるが、虚数同士で足し合わせても、掛け合わせてもプラスにはならない」
塚本は訂正したげな表情をした。
……そう表現したら、大体の場合、その意見を飲み込んだ感じがするが、別にそんなこともなく塚本は口を開いた。
「いや、それは正確には違った。あの時、確実に一人、まったくマイナスの印象を抱いていない奴がいた。というか……七不思議、君の方が自覚しているはずだ。目が合った時に一人だけ会釈してたあの生徒だよ」
それを言われて、僕は思い出した。
人だかり――というには大袈裟な物見客の中に紛れて、手を体の前に優しく組んで、誰が見ても清楚だと分かる雰囲気を醸していた女子生徒が一人いた。
その群衆の奥の方で、友達と思しき女子生徒と会話しながら佇むその人が。
目が合った時に、一瞬お友達の方に目をやったと思ったら、軽く体を折って丁寧に会釈してきたあの大和撫子を。
「あまりの衝撃に忘れそうになっていたが確かにいた……。普遍的という皮を被った不変的な値を持った存在が……」
危うく忘れそうになっていた。
公式に組み込まれているがゆえに忘れがちの数式記号のように、僕はかの存在をみすみす頭からすっぽ抜かしてしまった。
「あの女は……危険かもしれない。これは、ボクの女としての勘がそう言っているんだ……!」
バトル漫画みたいなことをセリフを言って、威嚇する猫みたいに毛を逆立てて教室の入り口を睨む塚本。
「あれがまさしく魔性の女ってやつだ――」
もしも、あの子が塚本の言う〈魔性の女〉であるならば、それは逆に安心できるというものだろう。
――逆算的に考えて、まず魔性の女だったらこんな部活に入らないだろう。
魔性の魅力というものは、多数の人間を手玉に取ることができる力であるからして、こんなへんちきりんが一人いるだけの部活では、その力を遺憾なく発揮できないだろう。
第一、ああいうタイプの女の子はサッカー部とか野球部とか、そういう運動部のマネージャーになって、イケメンでチャラチャラした先輩に狙われて始まる、赤信号恋愛ストーリー……が始まるタイプだ。そして、たくさんの薄い本で滅茶苦茶にされるやつだ。
ぐうぅ……BSS!
いや――というか、何で僕が意識してるんだ。
……いや、そういうものなのかもしれない。
この感情はもしかすると、僕自身、ちゃんと男子高校生をできているのだということの裏返しなのかもしれない。なので、もはや安心するまである。
しかし、僕の物語に関していえばそうはならないだろう。
……この様子からすると、どうやら最近まで芽生えていたパッチワークポジティブシンキングは何処かに消えていってしまったようだ。
僕は自分の部屋の壁に掛かっている、エアコンのリモコンに表示された時計を見る。
そこには22時34と表示されていた。
僕がグッと伸びをすると、長年座ってきた勉強机の椅子がぎいぎいと音を立てる。
程なくして椅子から立ち上がり、ベッドの上に転がってスマホの画面を見るが、そこには何も映し出していなく、ただの黒であった。
「充電切れてる……」
僕はコンセントにずっと刺さっている充電器にスマホを指して充電をし、その間にお風呂に入ることにした。
今日は長風呂になりそうだ。
――三日後。
今日は仮入部初日である。
仮入部というのは、今日から一週間もの間、お試しで活動してみて、自分に合っているかいないかなど、その部活の雰囲気を掴む為の期間である。
なので、どこの部活も今日から一週間はいつもと違う風景が広がるので、みんな浮足立った雰囲気があり、引退が近いはずの三年生の教室ですらみんな朝からソワソワしていた。
そうやって言うと、まるで、「僕は違う」と主張しているようだが、僕だって例外なくソワソワしていた。
そして、目の前の奴もソワソワしていた。
「ボクは違う。――トイレ行ってくる」
……どうやら塚本は違ったらしい。
じゃあ、例外王の座は君に渡しておくとしよう。
六限の終わりを告げるチャイムが鳴り、そして、放課後になった。
もしかしたら、みんなの浮足が立ちすぎて、そのままどっかに飛んでいかないか心配だったけど、そんなことは当たり前になく比喩に留まってくれたのでそれはよかった。
だけど、五時間目を過ぎたあたりから僕の足だけ何か変なのだ。
足があんなに浮足立っていたのに、放課後が近づくにつれて段々と重くなっていくので、その差が大きすぎて地面に足が埋まりそうだ。
これはもしかしたら、何らかの呪いか能力か、もしくはスタンドか怪異の仕業か? と思ったのだが、ここは生憎何ら変哲もない、普通の世界で普通の高校なのでそれは違うらしかった。
なので、僕は不可解に重い足取りの正体を考察しながら、しげしげと部室へと向かうのだった。
珍しく一番乗りは僕だった。
……というか、教室が落研と統合になったあの日から、一番乗りしたことなんて今までなかった。
だがしかし今日は一番乗りだった。
……気になる。
どうせしょうもない理由なんだろうけど、なんかいつもと少し違うってだけでなんか気になる。
時計を見ると今は4時20分。
仮入部生が来たとしても、先生からは「大体間を取って三十分から始めてください」と言われているのでまだ少し時間はある。
「……よし、探しに行ってみるか」
僕は荷物を部室の中に置いて、再び廊下へ出る。
こういう、しょうもない好奇心のためにやる行動こそが一番ワクワクする。
この気持ちに名称は……ないだろうからいいや。そこは深くこだわらずに行こう。
謎が僕を呼んでいる――。
あ、そうだ。今度ミステリー挑戦してみようかな……。
「あ、七不思議……今日は、やけに早いな。どうかしたのか?」
後ろから声をかけられたので、振り返ればそこには奴がいる。――アホ毛の幽霊が!
「誰がアホ毛の幽霊だよ!」
「そりゃあ、音もなく急に声かけられたら、そりゃあ勘違いもするだろう」
ああぁぁっ……マジでビックリしたあぁー……。
驚きすぎてもはや声も出なかったけど、相手が塚本だったので、これはこれで、逆にありがたいけどね。
「それで……七不思議は何で今日こんなに早く来たんだ? なんだー? もしかして緊張してるのかぁ」
「え? いや違う。お前が遅れていたから……ん?」
「はぁ? ボクは遅れてない! ちゃんと時間見ろよ!」
おかんむりの塚本。
おかしいのはそっちだろうと思いながら、スマホの電源をつける。
「えっ……」
そこに表示されていたのは、4時10分であった。
慌てて部室に入って時計を見る。
4時20分……。
あ、そういえば、今日は掃除がない日だった。
……そういうことか。
単に僕が掃除当番じゃない週に塚本が掃除当番だったってだけか。
そうか……。
何だか、真相をこうも簡単に知るとガッカリしてしまうな。
「この時計昨日までちゃんとした時間を指してたような気がするけど……」
「小さな不調が大きな惨事の始まりさ。小さなことからずれが生じるのは人間も時計も同じ。多分、電池切れが近いんだろう」
「そんなものか……」
でも確か、折紙先輩が卒業する間近に一回止まったことがあって、その時に電池を交換していたから、まだ一か月経ったか経ってないかぐらいだったような気がするけど……。
でも、自分の記憶に自信がないので留意しておくぐらいで留めておくことにした。
「ところで……いつも気になってたんだけど、お前ってちゃんと掃除場所行ってるのか? いつも先に部室にいるけど」
「あぁ……えーっと、毎回ね? 掃除場所にはちゃんと行ってるさ。こう見えてわりと掃除好きだからね。もはやちょっと楽しみだなぁって思って行ってるんだけど……、掃除場所に着いた途端、『塚本先生、掃除は私たちに任せて!』だとか『先生のお手を煩わせるわけには……』とかなんとか言われて、道具すら触る隙もなく追い返されるんだ。だから、仕方なく毎回先に部室のカギを取りに行くことになるんだ」
塚本はちょっとしょんぼりしながらそう言った。
「それって二年の頃からか?」
「いやいや……
あの日。
それが指すものは僕たちの共通認識として一つしかなく、そして、それは僕だけに不幸を振りまいて去っていった災厄だと思っていた。
しかし、違いはあれど少なからず影響はあったらしい。
「……なんかごめん」
「なんで七不思議が謝る? どっちかと言えば謝るのはボクの方だろうに……ボクは謝らないけど」
巻き込んだのは僕であることに違いがなく、それに対する罪悪感は拭えない。
せめて……せめて、塚本だけでも幸せになってくれと僕は願うのであった。
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