【弐】


 4時30分。

 今頃は、あちらこちらの部活で仮入部の説明会が始まっている頃だろう。

 僕は教室を見まわした。

 その時、一瞬塚本と目が合ってしまって、わざとらしくウィンクをされたが無視をした。

 そして、残念ながら目が合ったのは前述の通り塚本一人だけだった。

「はぁ……予想はしていたが、実際に目の当たりにすると結構悲しいものだな」

「そお? ボクは一年生が来なくてちょっと安心したかも」

「どうして?」

「だってボク、人に何かを教えるのとかちょっと苦手だし、作業とか一人で集中してやりたいタイプだからさ」

 それも一つの正解だと思う。

 あまりにも人がいなくて特に人気もあるとは言えないこの部活だし、何より期待されなさ過ぎて顧問の先生が一度たりとも顔を出していないのだからな。

 というか、顧問の先生っているのかなぁ……。

「まぁ、でも究極、僕もそれには賛成だな。実際、教室に少人数でいた方が落ち着くし集中もしやすい」

「いーねー! 分かってるぅ!」

 なるべくこの状況を客観視してはいけない。

 だって、そんなことしたらただ悲しくなるだけだって知っているから。

 惨めな慰め合いだってたまには必要さ。

「……ん?」

 不意に、どこかから視線を感じる。

 後ろを振り返っても、廊下を見ても、窓から外を見たって誰もいない。

「どうしたの、七不思議?」

 不思議そうに訪ねてくる塚本。

 すると、視界の中で小さく動く影が見えたのですかさずそこを見る。

 この教室から廊下を挟んで向こう側の窓から見える、一般棟の同じ階。

 その教室に女子生徒数人いるのが見えた。

 一人は窓を開けてそこから少し体を乗り出しながら笑っていて、他の生徒は椅子に座っていたり壁に寄りかかっていたり、黒板に落書きしていたり……と如何にも高校生の放課後らしい皆が想像する青春の一ページみたいな風景がそこにあった。

「あれ、あの教室って確か一年生の教室か」

「じとーっと、女子高校生をガン見ている人がいる……」

「誤解されそうな言い方は止めてくれ……今はただでさえ、他人からの評価が厳しいんだ。そんなの言いふらされたらトドメだよ。ト・ド・メ」

「他人からの評価ねぇ……そんなもん気にしない! 気にしない!」

 そう思えたらどれだけ楽だろうな、なんて口に出すのもはばかられるような言葉がのどまで出かかって、ギリギリこらえて止まった。

「……ありがとう」

「なんか今日、やけに素直だなぁ七不思議……なんかいいことあった?」

「いやまぁ、なんだろう。取り敢えずそれに乗って返すとするならば、人は一人で勝手に助かるだけなんだろうなって思っただけだ、とでも言っておこう」

 こういう、パロディを交えたおふざけをやれる奴が友達で本当に良かったと心から思った。

 一息して、僕はもう一度一年生の教室を見る。

 すると、さっきまでいたはずの一年生達はいなくなっていた。

 あれは放課後の学校が見せた、青春の蜃気楼だったのだろうか。

 いや、あれは心の隙間を埋めるただの幻覚だったのだろう。僕はそう思った。



 4時44分。

 ……ふと時計を見た時、ゾロ目だったらなんかうれしいけど、4が並んでいたらどことなく不安になるのは何故だろう。

 忌み数。

 4は死を連想し、13は死神を連想し、666は悪魔を連想するという忌み嫌われる数字の数々。

 一の位が4になるのを避けるホテルやマンション、4時44分に鏡の前で目を瞑ると異世界に引きずり込まれるという怪談があったり。

 でも、これはただの数字であり、気にする人は気にするぐらいの些細なもの。

 深く考えて、自分から気分を下げるぐらいなら気にしないのが懸命だと僕は思う。

 ――尿意は突然に。

 僕は席を立ち、部室のドアに手をかけた。

 そして、横に引いて開けた。


「わっ!」


 驚きの声が前方から聞こえてきた。

 だけど、どこを見ても姿が見当たらなかった。

 なので、恐る恐る部室から少し体を出して覗いてみると、ドアのすぐ横の壁にもたれて尻もちをついている女の子と目が合ってしまった。


「いや、あの、そのー……まだ仮入部受け付けてます、か?」


「えっ」

 カリニュウブヲウケツケテイマスカ?

 今この子は何と言ったんだろう。

「……僕はトイレに行ってくるから、気になることがあったらこの教室にいるお姉さんに聞いてくれ」

 そう言って僕はこの場を後にした。

 別の言い方をするならば……僕は逃げ出した。

 あまりの衝撃に尿意なんて吹き飛んだが、今はなんでもいいから一人になりたかった。



 いろいろ考えてみたが、最終的に考えるのを止めるのが正解だと気づいた僕は、素知らぬふりをして、平然と部室に戻ってきたのだが……。


三白夜さんびゃくやちゃん、これは知っているかい?」

「何ですかこれ……とっても可愛いです!」


 椅子を近づけて、一つの机で二人の女の子が仲良しこよし。

 どうやら塚本は、僕がいないちょっと間にさっきの女の子に懐柔されてしまったようだった。

「あ、先輩! さっきはごめんなさい」

 こっちに気づいたその女の子は謝ってきた。

「外から様子を見てたんですけど、中から全然声がしないからもう仮入部終わっちゃったのかと思ってて……でも終わってなくてよかったです!」

「うん、良かったね」

 実際は、始まってもいなかったから終わりようもないのだけどね。

 だけど、これで落研も新しい部員が入ってきたということになる。

 ――となると、これから僕の肩身が結構狭くなるということだが、それも、まあ……今はそれも悪くないと思えた。

 人のことなのに、少しだけ嬉しくなっている自分に驚きながら、当の本人に目をやる。

 すると、その人はこちらの視線に気づくと、鋭い目つきでキッと睨みつけるようにこちらを見てきた。

 まるで怪獣みたいな目つきで。

 何故? 僕は悔しいながらも嬉しいという、この気持ちを共有しようとお前を見たはずだが、何で睨みつけられなければいけないんだ。

「自慢げにこっちを見やがって……三白夜ちゃんがまだいい子だからよかったものを、ぐぅっ――」

「なんちゅう顔してんだお前……」

 苦虫百匹噛んだ後みたいな顔をしていた。

「三白夜……って言ったか? あんた」

「あ、はい!」

「なんで塚本がこうなったのか説明してもらっていいか?」

「えーっと……これは憶測を出ない私の勝手な考えで、当人を前にして言うのははばかられるのですけど……多分、私が文芸部に入るって言ったからじゃないでしょうか」

「ほう……って、え? ちょっと待って、今文芸部って言っ……た?」

「はい! 今日から一週間よろしくお願いします!」

「……」

 部室に戻ってきたとき、あんなに仲良くしていたものだから僕はてっきり、落研に仮入部したと思っていた。

 しかし、まさか文芸部に……。

 ここで僕の胸には一つの不安が巣を張った。

 それは、に入った事による彼女のイメージダウンについて、だ。

 もしかしたら、僕の印象が世間からあまりよく見られていない、と分かっていながらも入ってくれたのかもしれないが、無実の子を巻き込みたいとはハナから思っていないのだ。

「ふぅ……」

 ――僕は大変なことになったな、という掴みようのない大きな不安を感じ、そして、これから僕はどうするべきなのだろうかという、捉えようのない行く末をただ案じるのであった。



「改めまして。今日から仮入部させていただきます、三白夜さんびゃくやみどりです。今日から一週間よろしくお願いします」

 三白夜さんは、はきはきとした口調でそう言った。

 すらっとした体格で高身長、ロングの黒髪が綺麗な女の子。一瞬、三年生だと思ってしまうぐらいの風格と品を纏っている。

 なので、胸元のリボンと靴紐が赤でなければまったくもって一年生と分からないであろう。

「よろしくお願いします。えーっと、まず文芸部とはどんな部活なのかを説明して行くけど、文芸部は主に、詩、短歌、川柳、小説など、主に物語や文章を書くということをする部活です」

 三白夜さんはご存じよろしくな感じで頷いた。

「特別ノルマがあるわけではありませんが、一応、文化祭の出し物として短編集的な物を毎年出しているので、当面はそれに向けて一つ書いてくれたらありがたいなって感じです」

「……。はい!」

 三白夜さんは挙手をした。

「はい、三白夜さん」

「あのー……部活動紹介の時に、先輩が書いた作品みたいなものでもいいんでしょうか?」

「それは、えーっと……」

 あれは、インパクト重視というか、悩んだ末に絞り出した飛び道具みたいなものだからなぁ……。


「三白夜ちゃんはあれ読んだの?」


 おっと? 今は文芸部の説明会なのに、他の部活の人が茶々を入れてきたよ? おかしいな。

「え、あの。うぇーっと……はぃ。読みました……」

 赤面しながら――所々、声を裏返しながら恥ずかしそうに答えた。

「おい塚本――」

「三白夜ちゃんはあれを読んでどう思った?」

 悪い顔した塚本さんは、にやけ顔でそう言った。

 三白夜さんはというと、こほんと小さく咳払いして呼吸を整え、少し思案した後に、恐る恐るといった様子で口を開いた。

「……とても面白いと思いました。特に塚本さんの怪談を聞いた後ということもあって、比較したときにより面白さが増していた感じがして……とてもよかったです。今までああいう二次創作? みたいな作品にあまり触れてこなかったので、すごく勉強になりましたし感動しました!」

 ……今まで生きてきて、自分の作った作品に対して何か感想を貰った経験がなかったので、いざこうやって面と向かって感想を言われるとどんな顔をすればいいのか分からなかった。

「えっと、ありがとうございま……す?」

「いえいえ、こちらこそああいった作品を作ってくださって、ありがとうございます!」

 何だかこそばゆい空気になった。

 というか、三白夜さんめっちゃいい子だな……。

「あーあ、いーなー! 落研にも三白夜ちゃんみたいな人が入ってくれたらなー!」

 塚本が大きな声で駄々をこね始める。

「そういえば、部活動見学の時に何人かの女の子が落研見に来てたけど、その子達はどうしたんだろうな」

「あー、うーん……どうしたんだろうね」

 塚本はまるで他人事みたいにそう言った。

「確か、私のクラスの女の子が落研のことを話題に出していたのを聞いたことがあるので、多分その子達だと思うんですけど……今度聞いてみましょうか?」


「――ダメッッ」


 目を見開いて、机に体を乗り出した塚本は、今まで聞いたことないような大きな声でそう言った。

 突然の出来事に固まる僕と三白夜さん。

「あ、いや……ごめん。何でもない」


 沈黙が続く教室。


「ボク、先に帰るね」

 そう言って塚本は荷物を持って出ていってしまった。


 急に二人っきりになった部室。

 この状況は流石に気まずい……。

 というか、今すぐ追いかけた方がいいか?

 僕は今まであんなに動揺した塚本を見たことがない。塚本がなぜあんなことを言ったのか分からないけど、ちょっと心配だし……。

「七不思議先輩……分からないんですけど、私って、今変なこと言ってしまったのでしょうか。だとしたら、すごく申し訳ないことをしてしまいました……」

 三白夜さんはとても心配そうな顔をしてそう言った。

「いや、三白夜さんは別に変なことなんて一切言ってなかった」

「でも、なぜ……」

 今は何も分からないということが分かっている、それだけだった。

「まぁ、僕が言うのもなんだけど、あんまり気にしなくてもいいと思う。あまり引きずるような性格でもないだろうし」

 僕は塚本の何なんだと言いたい気持ちをぐっとこらえる。

 ここで三白夜さんが変な責任を感じるのも違うからな。

「……はい。分かりました」

「じゃあ……まぁ、今日はここでお開きにしておきますか」

 これは、気まずいからというのもあるが、初日から特にすることもないだろうという判断だ。

 そういうことなので、帰る支度をする。

「じゃあ、僕は部室の鍵を閉めて職員室まで届けないといけないから……ではまた明日」

「はい、お疲れ様でした」

 三白夜さんはぺこりと一礼して、その場を後にした。

 一人教室に残った僕は、窓を閉めてロックをかけ、部室に忘れ物がないかを確認した後、部室の扉を閉めて鍵をかけた。

「これで良しっと……」

 後はこの鍵を職員室まで届ければいい。

 僕は職員室へと向かう。


 職員室に鍵を預けて昇降口まで辿り着いた僕は、近くの自販機でネクター缶を買い、階段に座ってプルタブを押し込んだ。

 プシュッ。

 ……今日という一日を振り返ると、何だか、今日は予想外の上から予想外を塗り重ねたみたいなそんな日だった気がする。


 ……せんぱーいぃ。


 何処から聞こえてきた声。

 僕はそんなに先輩と呼ばれるのが嬉しかったのだろうか。だとしたら、自分ながらにしてちょっと気持ち悪いかもしれない。


 ……せんぱい、こっちです! ――おーい!


 こりゃあ完全に浜辺で「きゃっきゃっ」「うふふ」している時の声だね。あぁ、この学校にもそんな青春が過ごせる人がいるんだろうな……。

 大変羨ましいことだ。唇を噛み千切る思いである。


「あ、あの先輩……流石にそろそろ気づいてください! 私です三白夜です! ちょっと話したいことがあるんですけど、あんまり人に見られたくないんで、付いてきてもらっていいですか?」

 僕が座っている所から程近い自販機の陰から、ひょこっと飛び出してきた三白夜さん。

 そして、ボクの返事を聞く前にグイグイと袖を引っ張ってどこかに連れていかれるが、ロクに抵抗もせず、さして何も言えないままに、ただおずおずと付いていくことしかできない臆病者――それが僕なのであった。



「ここら辺で大丈夫かな……」

 正面玄関から校舎をぐるりと回って裏側、その隅っこに存在する小さなプレハブ。

 そこは、学校のゴミ捨て場であり、掃除の時間以外にここに人が来ることはほとんどないようなそんな場所に連れてこられたわけだが……。

「三白夜さんまだ帰ってなかったんだね……」

「はい。ちょっと言っておかなきゃいけない事を思い出したので」

「言っておかなきゃいけないこと?」

「はい」


「……まだ仮入部ですけど、私が文芸部に入っていること誰にも言わないでください」


 内緒にしてもらいたいんです、と三白夜さんは、はっきりとそう言った。

「えっと、それはどうして?」

「それは……自分のためでもあり、文芸部のため、そして、先輩のために……です」

 その説明は具体的ではなかった。

 というか、抽象的過ぎてもはや、何かの言い訳にすら聞こえる。

 ……僕はまだこれを言う資格はないのかもしれないけど、何となく「三白夜さんらしくない」、そう思った。

 いや、「僕らしさ」すら自分自身で理解していないような奴がそうやって他人を決めつけるのは、馬鹿馬鹿しいかもしれない。

「そうか……分かった、誰にも言わないよ」

 とは言え、ここで断る理由なんて僕にはないし、この事を言うとしても僕はいったい誰に言うっていうんだろう。

「ありがとうございます!」

 ぱぁっと花開くみたいに破顔してそう言った。

 そして、三白夜さんは再び一礼すると、今度こそ学校を後にしたのだった。


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