僕がボクらしくある為の、逃亡もいとわない共謀
【壱】
ある年齢を境に人は、歳をとればとるほど時間が過ぎるのを早く感じる、という研究結果がある。
それとは別に。
僕はこの学校で過ごしたここまでの『二年』という時間が短かったのか、それとも案外長かったのかどうかの結論を決めかねていた。
多分、今思えば、思い返してみたのならば、この〈文芸部〉に入ったあの二年生の二学期からはとんでもない速さで時間が過ぎていたように思う。
それは何というか、そこまでに至る一年生と二年生の前半の記憶が余りにも薄っぺらすぎて、あんまり覚えてないぐらいには濃い時間をこの〈文芸部〉で過ごしたのだと今になって思う。
そんな思い出に想いを馳せながら、この思い出が永遠に爆ぜないよう祈りながら、僕は、最近この学校を卒業してしまった先輩が、いつも座っていた席を眺めていた。
その空席を見ると、先輩がもうこの学校にはいないという現実を改めて突き付けられるようで……。
――悲しい。
確かに悲しい。
それは間違いない。
だが。
今はそれよりも何よりも、怒りの感情の方が大きかった。
何故かというと。
別に学校で会わずとも、今はメッセージ上でのやり取りが容易い時代で、すぐに連絡が取れるはずなのに、あの先輩は――あの先輩野郎は僕が送ったメッセージをことごとく返してこないのだ。
既読すらつかない。
これはいかがなものか。
この状況に僕は、怒りを抑えられずに怒髪天を衝きそうになったが、その前にヘルメットを被ったのでギリギリセーフであった。
先輩は、僕の前にたまたまヘルメットがあった事を感謝した方がいい。
……それと、ここで一つ弁明をしておくと。
別に僕が、超メンヘラでかまってちゃんだから先輩にキレ散らかしているというわけではない。
僕は今、スピーチの原稿をおおよそ一週間後までに終わらせなければならないという、安易に無視することの許されない『使命』に追われているのだ。
先輩はあの時、「後輩君がピンチな時はいつでも言ってくれ」と言ってくれていたのに。
今、後輩が絶賛ピンチだというのに、あの先輩は既読もつけずにどこほっつき歩いているんだ。
まったく……。
まったく、役に立たない先輩だ。
……もう今は先輩でもないけれど。
とすれば僕ももう、後輩でもないということになってしまうわけだけど。
……そんなわけで、兎にも角にもすべからく、気を取り直して考える。
もう誰も来ない教室で一人考える。
一角ウサギは結論を急ぐ。
そんな生き物はいないのだけれど。
脱線したので、巻き戻して巻き戻して……。
要は、スピーチの〆切が近づいているので、先輩だった者に助けを求めたが返事が返ってこなかった――ということである。
これって、よっぽど僕の方に寄った見方をしない限りでは、いわゆる『他力本願』という一言で片付いてしまう、という悲しい現状なわけだが、この願いはハナから望み薄であったため、希望的観測的なささやかな期待であったため、この現状は想定内なのである。
想定内なら問題外。
問題無い。
ということになるので、今はスピーチの内容を練り上げることに専念しよう。集中することで時間を飛ばそうか――。
――なにも思いつかなかった。
目の前に置いてある白い紙は、30分前も同じ様に白紙であったと記憶している。
もしかしたら、僕自身が、僕の気づかない間に白いペンで書いてしまっていたのかもしれない、と思って窓から入ってくる光に紙を透かして見たり、斜めにして見たり、平行に見たりしたが、そこにはやっぱり何一つ書かれていない。
迫真の白紙である。
真っ白なので迫力もなにもあったものではないが。
こうやって、悲劇的に卑下しても何か思いつくわけでもない。
生産性の無い独り言である。
うーん、ここは空気が悪い。頭の中がもやもやしている感じがする。
なので、ここは一旦場所を変え、品を変え、気分転換でもしようと思う。
ということで、荷物を整理して机の上を綺麗にし、未だ白紙の紙とペンだけを持って僕は教室を出ることにした。
教室を出て、扉を閉じ、振り返るとそこには『文芸部』と太い文字で、でかでかと書かれた紙が雑にテープで張られている。
その文字を見て僕、
「……後で書き直しておくか」
狐憑きは人間の夢を見る。
これは僕が廊下を歩いている時に、誰もいない階段の下で正座して、一人で何かを語っていた女子生徒を目撃してしまったことによって生まれた、小説のタイトル的な何かである。
――というか、あんな光景を見たらもうあれは学校の七不思議か、何らかの怪談の類かなにかだと思うのが普通だろう。
もしかしたら、怪談を語っていたかもしれない。
階段の下で。
やっぱり、それこそ怪談な気がしないでもないが、過ぎたことはあまり気にしないことにしよう。
スマホから流した音楽とともにステップを踏む女子生徒を横切って、色眼鏡をかけてつんけんしている痛い男子生徒を横切って、油を売っている不良生徒を慎重に……横切って、僕はいまだ開かれることのない大地――屋上へと足を踏み入れた。
「――屋上へと足を踏み入れた……じゃないよ! ボクを無視してトコトコ先に進まないで!」
さて……誰だろう。
今から僕は、季節が春へと変わってきたこの風景と情景と匂いと感覚を、きめ細やかで美しい描写を使って、舌の肥えた読者に向けて感動を与えなければいけないんだ。
忙しいからまた後にしてくれないか。
遺憾なことに、大事な使命を邪魔してくれたその人物を確かめんと振り返ると、そこには
おおっと、どういうことだろう。
現代にとってアホ毛というものは、さして珍しくないのかもしれないが、国産のアホ毛をこの目で見るのはやはりテンションが上がるものだ。
なんて、さも気にしない様子で、ともすれば茶化すような目でじっと観察する仕草をした。
「おい、こっちを見ろ!」
その声に仕方なくというか、形式的にというか、茶番に従ってというか、で見てみるとそこには背の低い狸みたいなたれ目の女子生徒が腕を組んで立っていた。
そして、腕を組んだせいか、華奢な体に反して大きく豊かに育った胸部が強調されて、白シャツに素晴らしい陰影としわのアクセントが添えられた。
「
「何を言う!
わざとらしくほっぺを膨らませる仕草をした塚本。
それを見た僕の感想は、「リスなのか狸なのかはっきりしてくれ」だった。
「それよりも、だ。この前、
「別に被ってない。七不思議は男で僕と言い、ボクは女でボクと言う。これは十分に差別化できていると思わないかい?」
そう言われて、納得できるかと言われれば――それは「できる」の一言に尽きてしまうのが、僕の僕たる所以だった。
「それで、何用だ。まさか何の理由もなく後を付いてきたって言うわけじゃないだろうな。だって、お前は僕が屋上に入るという秘密を目撃したんだ。ただじゃ返さんぞ」
「そんな怖い顔してそんなこと言わないでよ。ボクたちの仲じゃないか!」
ボクたちの仲、と言われれば何か深い関係があると勘違いされそうだが、別にそんなことはない。
ある角度から見たら隣同士の関係と言えるのかもしれない。
また、別の角度から見たら前後の関係かもしれないし、もしかしたら
詰まる所、どんな関係なのかと問われれば、入学初日から三年生になった今の今までずっと同じクラスであり、ずっと席が近くになり続けているということである。
これを運命と掲げて走り回る、野次馬根性溢れる人はこのまま退室していただきます。
……それでは、僕は続きを話します。
要は、二年近くずっと近くにいたということである。
ということは、だ。
偶発的にお互いの性格とか、人間関係とかが嫌でも目に入ってくるわけで、だとすれば、この『階段下で一人喋っている塚本』を見た後に無視をする、という行動をするに至った経緯についての曖昧な説明がつくと思うのだがどうだろうか。
――自業自得じゃないだろうか。
十分条件の変人なんじゃないだろうか。
自他ともに認めてほしいぐらいには変じゃないだろうか。
「おいおい、ちょっとそれは聞き捨てならないね。七不思議君」
「聞き捨てならない? 何が」
「ボクは落研の部長で、君も文芸部の部長だ。そして、君もボクもたった一人の部員であり、来年には消滅するであろう部活を持っているという運命を背負った者同士じゃないか」
「別に僕はなりたくて部長になったわけじゃない。僕以外に部員がいなかったから必然的になっただけだ」
そう。
これは単なる消去法――というより、余り物といった方がしっくりくる。
勝手に括りつけられた部活動の運命を、恨むわけでもなくただ受け入れた者が、正しく行き着いた果ての今である。
有り余る情熱もなければ、きっぱりと切り離すという勇気もない、中途半端で目に余る奴。
余りものの凝縮品。
もはや、余りものに付いてくる副賞の『福』を貰い過ぎなのかもしれない。
……近況を振り返ってみても、さして福音を感じた出来事に身に覚えはないが。
それか、もう誰かが福をもう内に入れてしまったのかもしれない。
となると、外にいたら鬼が来るのかも……? とか考えて、塚山の顔を見る。
「……?」
アホ毛と思っていたものが実は鬼の角でした。
……みたいな事もあるのかもしれない。
アホ毛を見てしまったが故に、いつの間にか阿保みたいなことを考えていた僕は、ふと冷静になってここへ来た理由を思い出した。
「そうだ……。そういえば、塚本はもう新入生にする部活動紹介のスピーチ、何を言うか考えたか?」
ドヤァァ!!!!
突如として現れたこのドヤ顔に擬音を付けるなら、でっかい文字でこんな効果音を付いているんだろうなって、容易に想像できるようなそんなドヤ顔だった。
「七不思議は落研部員をなめているのか? そんなもんパッと浮かんだよ! もう秒だったね」
「……憎たらしい」
「え!? 今憎たらしいって言った?」
「めっ! まったく……あぁ、塚本済まない。僕の口が粗相をしたみたいだ。僕が変わって謝ろう、すまん」
「はぁ……七不思議、君に僕以外の友達がいない理由が見え透いていてうんざりするよ。君はもっと口のチャックを固く締めた方がいい。これは友達としてのありがたい警告だ」
「……忠告ありがとう。でももう、それは知ってる」
「……はぁ」
理解していたらこんな現状にはならないということを、だがな。
「時に七不思議、さっきの質問をしたってことは、もしかしてお主まだ部活動紹介で何言うか思いついてないということ?」
「やはりお前は察しがいい。つまりはそういうことだ。要は、スピーチ原稿を秒で創り上げることができるお前に、僕のスピーチ原稿を手伝ってほしい……ということだ」
これは当初の予定に無かったが、これぞ怪我の功名というやつか、もしくは遅れてやってきた福か何かだろう。
「じゃあ、何か見返りをよこしな」
右腕を伸ばし、手のひらを閉じて開いてグーパーする塚本。
「何が見返りだ。お前は屋上に入る極秘の方法を目撃したんだ、それの対価だと思え」
「……?」
こいつ、もしかして……。
「この学校、普通は屋上に入れないってこと……知ってるよな?」
「えぇ!? そうだったのか!」
やっぱりだった……。
この光景を見られたらやばい、ということを理解してなかったらしい。
「だから、お前も屋上にいるということで共犯者だ。しかし、お前はこれから密かに屋上を使えるという価値を得た。スピーチ台本を手伝うのはその対価だ」
「確かに。それなら納得だ」
「理解してくれて助かる。ということで、一緒にスピーチ台本を――」
目の前を見ればそこには誰もいない。
一瞬、頭が真っ白になった所で、次に自分の体がふわりと浮かぶ感覚がして、僕の頭は本格的に混乱し始める。
「よし! そうとなれば行くはファミレスだと相場が決まっている! さぁ、いくぞー!」
「おい、なにやってんだ! 降ろせ塚本!」
狐七化け、狸は八化け。
知らぬ神より馴染みの鬼。
はやる塚本に聞く耳なし。
狐みたいな狸みたいな、鬼より力持ちの塚本弾は、僕を頭に乗せて学校を飛び出していく。
キラキラの笑顔でひた走る。
やはり、こいつは変人で、狸みたいで、能天気だ。
めんどくさくて、うるさいやつだ。
でも、それなのに、僕の口端は何故か不思議と吊り上がっていた。
……学校に荷物がある事を途中で思い出して引き返すまでは。
「七不思議が七不思議たる所以は、七不思議が七不思議として生まれたからであって、七不思議が何を思うと思うまいと、それは七不思議自身が生み出したものであるがために、誰が何を言おうと七不思議である物を作らずとも……」
あーごめんなさい、今これ流れてます?
いやー、ちょうど良いというか悪いというか、いや、全然悪いんですけどとりあえずこんな場面を見て誤解はしてほしくない。
周りを見渡すと、口に手を当ててコソコソ話しながらこっちを見られているのだけど、決してこれは放送事故ではない。
日常茶飯事、というには余りにも大げさかもしれないが、こうなっても別に疑問を抱かないぐらいの出来事ではあった。
変人ここに極まれし。
いや、これこそが塚本なのかもしれない。
塚本らしい言葉で言うところの「塚本が塚本たる所以」、なのかもしれなかった。
なんて上手いこと言おうとしても、収まるところを知らない塚本マシンガンの銃口を塞がないと、そろそろこの店から出禁を食らいかねないので、隙を見て目の前に積まれているフライドポテトからおもむろに五、六本掴んで口にねじ込んだ。
「もごぁっ!?」
「一旦落ち着け」
八分休符分ぐらいの咀嚼。
お前は今何歳なんだ、と言いたくなるような色をした飲み物――もとい、ドリンクバー製カオスドリンクを律義にもストローでちゅうちゅう飲む塚本。
塚本という人間はマイペース度合いさえも極まっていたようだ。
「七不思議だって人のこと言えないだろう!」
「いや? 僕はちゃんと人の意見を聞いて――」
「シロップを半分も入れた、なんちゃってミルクティーを飲んでいて、ボクに何か言う権利はないと思うけど? というかそれ飲んで大丈夫なの? めちゃくちゃ身体に悪いそうだけど」
その質問は……どう答えても負けが見えていた。
なので、僕は話を逸らす。
塚本マシンガンの弾道を逸らす。
「……塚本はどんな感じでスピーチする予定なんだ?」
一瞬、塚本の口がニヤりと歪んだ気がするが、ここは気のせいだということにする。
「いや、スピーチとかしないよ?」
「え? 学校でスピーチの台本もうできてるって言ってなかったっけ?」
「あれは正確に言えば、『何をやるかはもう決めてある』って意味でそう言ったんだ。誰も彼もがスピーチすると思うなよ!」
……確かに。
僕が文芸部で、デモンストレーションとかそういうのができないから消去法的にスピーチをやろうと思っていたが、自分以外の部活は視覚的に、聴覚的に、嗅覚的に十分アピールできるのであった。
「自分の価値観でしか物を見てなかった……ということか」
「そうだ! 七不思議が抱えるその問題は、普遍的で誰もが抱えるものではなく、七不思議であるからして生まれた課題なのだ」
胸を張って、それはもう見るも見事で、今にも爆発しそうな凸を強調させて、本日二度目のドヤ顔をする塚本。
「で、あるからして……七不思議がこれから七不思議としての裁量を存分に発揮させるために、七不思議が七不思議然として七不思議自身から生み出される七不思議観を交えた七不思議生成物をミックスして……」
あぁ、また始まった。
――というか、これでは相談に見せかけた塚本の一人語りを聞く会ではないか。
毎回、強引な理由付けをして、毎度毎度このファミレスに拉致されて、延々と紡がれる一人語りを聞いて……。
え? 女の子一人ぐらいだったら逃げられるだろ、だって?
そんなことしたら、鬼みたいな腕力で捻り潰されちまうのが目に見えている。
すなわち、目をつけられたらもうそこで終わりなのだ。
だから、僕は心の中でこう叫ぶんだ。
誰かこの僕を助けてくれるお姫様、もしくは王子様でもいい。――いや、しゃれたことを言おうとしたがもういい。誰でもいいから助けてくれ! いやもう、最悪誰も来ないとしても、もっと分かりやすくしゃべってくれ塚本……と。
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