【肆】
屋上のベンチに体重を預けて、だらりと姿勢を崩して青空を仰ぐ。
脇には飲みかけのネクター缶と一枚のコピー用紙が置かれている。
息を吸って……吐く。
吐いた息は無色透明だけど、心なしか重みを感じる。
なにせ、僕はやってしまったのだから。
まるで、街中に爆弾を置いて、その場から走り去ったあとみたいな気持ちだ。
……やったことないけど。
でも、それぐらい大きくて危険なものを大衆の前に置き去りにしてしまった、という気持ちというのはやはり心身に負荷がかかるというものだ。
檸檬を絵画の束に置き去ったみたいに。
……これは言いたかっただけ。
はたして、どうして、こんなアンニュイな気分になってしまったのは、ついさっき終わったあの時間のせいだと分かっている。
さて、振り返ろうか。
そうは言っても実際のところ、そんなに言うほどのこともなかった、というのが現実だった。
塚本が見得を切って語った物語。
その実態は、この鯨波高校の第一体育館――その裏側の用具入れとステージ裏、舞台裏を舞台とした怪談を語ったものだった。
ただし、これは創作なので騙った、と言っても間違いではないのだろう。
何はともあれ。
圧巻の演技と達者な語りもって、まだ右も左も分からないような一年生達を恐怖の渦へと引きずり込んでいく様子は、はたから見たらとても面白い光景であった。
また、塚本は語り終わった後一礼をすると、何事もなかったかのように退場していったのだが、その背中に向けて一年生達は盛大な拍手を送っていた。
これこそがプロフェッショナルの仕事と言えよう。
そして、その語っている様子と物語の詳しい内容を今すぐにでも伝えたいのだが、僕の圧倒的な語彙の無さと表現力不足な故に、伝えることができないのがとても悔しい。
なので、またいつか伝えられる機会と度量と技術がついた時のお楽しみということで。
……はい! お待たせしました。
いよいよ、僕が何をしたのかを答える時が来ました。
期待に添うことができていたかどうかは、少し疑わしいところではありますが、そこも含めてのお楽しみです。
しかし、細かく詳細を話す前に僕は、一つ言わなければいけないことがある。
それはというと、僕がやったことはとってもシンプルで、手短に話終えてしまうということである。
何なら、一行で書けてしまうようなことしかしていないのである。
では、いきますよ? 覚悟はいいですね?
二枚組の原稿のコピー用紙を列ごとに配り、配っている間に部活を紹介して僕はその場を去った。
ほらね? 短いでしょ?
もしかしたら、全部活の中で最短だったのは僕だったのかもね。
まぁ、ここまできてお察しの方は多いとは思うが、僕はスピーチとかそれに似た行為を一切していない。
ただ前に出て、紙を配って片手間に部活をちょっと紹介して去っただけだ。
そうなると、だ。
一体僕が何を配ったのか――何が書かれた紙を配ったのか。
そこが重要になってくるのだが、これも頭のキレる名探偵が読んでいたのならば、お察し
……コホンと一つ咳払いを挟んで。
僕は塚本と協力した。
それは例えるなら、一つの物を半分にして、それを元の大きさになるぐらい増量するみたいなことをやった。
勝手に、合同で、黙って誰にも言わずに執り行った。
これを共謀と言わずして何と言う。
〈文化部〉が〈文化部〉としてアピールできることは何だと考えた末に僕が思いついたのは、創作物の配布もとい――二次創作の制作である。
二次創作も立派な創作であり、文学の一種だ。
そして、塚本が『商業』だとしたら、僕は『同人』ということになるのだろう。
極めつけに、今回僕が書いたものは塚本の台本、学校を舞台にした怪談、ホラージャンルを、ピンク色に染め直すということをしまったのだった。
同人は同人でもエ○同人である。
――待ってくれ、待ってくれ。
別に、ガッチガチの18禁に塗り替えたのでは無いということだけは、誤解無きように言わせてほしい。
あと、僕もまだ17歳だし。
なので、その脚色は微々たるものであり、未成年が見ても目に毒ではない表現を精一杯努めた。
誰にも文句は言わせない、どころか感謝して欲しいまである。
それはなぜかというと、もしかしたら、僕のやったこの行為はある意味で何人かの一年生を助けている可能性があるからである。
塚本の語りによってもしかしたら、足が竦んでしまった者もいるだろう。
少しばかりちびってしまった者もいるだろうし、今日帰って眠った時に、怖い夢を見る者もいるだろう。
そこでだ! 僕のお話を読んでみるとどうだろう。
そう!
恐怖が一瞬で興奮に置き換わるのだ。
この論拠として、一説によると、性的興奮は心理的恐怖心を和らげる研究結果が、あるとかないとか言われている。
これは、幽霊に直面したときにエッチな妄想をする方がいい、という俗説を後押しするもので、つまり、恐怖から生み出された恐怖の幻覚存在を打ち消すのは性的興奮であるということの理由と言えるのだ。
そして、ここから導き出される一つの答えとして、有名な心霊スポットに露出狂が行くことになっても、『布切れ一枚の奥は裸である』という興奮から全然恐怖を感じず、無敵になる、ということが言えるだろう。
つまり、僕は一年生達を恐怖のどん底から性的興奮によって救った救世主である……と言えないこともないだろうということである。
ただし、異論は認める。
……改めて。
今度は、僕が塚本の台本にどの様な加筆修正を行ったのか見ていこう。
二次創作といえどある程度の自制、及びオリジナルに対する尊重が大事だということは周知の事実であろう。
僕の場合、原作の流れ――ストーリー展開をかなり厳守して書いたので、ある見方をすると楽して書いたと捉えられかねない。
ここは確かに賛否が分かれるところであろう。
しかし、僕は事前に塚本の考えた台本を聞かせてもらって、その時にはもう気づいてた。
この作品は完璧に完成させられていて、下手に僕が手を加えると、屋根に積もった溶けかけの雪みたいに、簡単に崩れ落ちてしまうものだということを。
なので、僕は細かい要素を変えることにしたのだ。
例を挙げると、垂れ幕に付いた赤黒いシミを純白の破れということにし、天井のシミが顔に見えるというのを、そこでは大スプラッシュパーティーがあったということにした。
怖さの原因を、エッチな要因へと優しく変えてあげたのだ。
はたして、これを読んだ一年生達は何を思うだろう。
もしかしたら、下心が暴走した一年生達が集って、今第一体育館付近は人だかりができているかもしれない。
聖地巡礼、というものをやっているのかもしれない、とポジティブなことを考えてみるが、ネガティブなことの要素が頭の片隅から抜けていかなかった。
それは、もしも、これを目にしてしまった先生がいたとしたら、その先生は必ず僕を呼びだすことである。
「はぁ……」
これで僕は、この青いベンチをここまで持ち運んできた塚本に、文句を言う権利が剥奪されてしまったというわけだ。
……よし。
呼び出される時が来たら、塚本のことも道連れにしよう。
そうだー、そうしよー。
僕は飲みかけのネクターを一滴残らずに飲み干す。
そして、原稿のコピー用紙を丸め、筒状にしてズボンのポケットに突っ込んだ。
すべてが丸く収まることを願いながら、僕は屋上を後にするのだった。
「おー! 七不思議ぃ……遅かったじゃないかー!」
「おい塚本……何でお前がここにいるんだ?」
「……ん? もしかして七不思議、聞いてなかったのか?」
アホ毛をクエスチョンマークにしながら、そんなことを聞いてきた。
「あ? 聞いてなかったって、何をだよ」
「何って、落語研究会と文芸部が今年度から同じ教室に割り当てられたことだけど……」
「……は?」
「今度からよろしくな! 七不思議!」
これは何かの間違いだと言いたくなることが、連続するのが七不思議終の人生だというのなら今すぐ修正願いたい。
そんな言葉が心の中でリフレインしながら僕は頭を抱える。
悪いことをしたら回り回って、自分に降りかかるから絶対に止めた方がいい。
こんな散漫な世界だけど、変な所がよく出来すぎていると僕は思うのであった。
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