【伍】


 『新聞部』と書かれた紙が貼ってある扉の前に立つ。

 そして、その扉の横にある掲示板には、この前見たばかりの学内新聞が貼ってある。

「ふぅ……」

 こんな物申しに行くなんてこと今までしたことないないので、緊張から心拍が早くなっているのを感じる。

「七不思議、我々は今から我々の為に抗議をするんだ。緊張するのは分かるが、外面だけでも堂々とするんだ。それが張りぼてでも十分役に立つからね」

 塚本は落ち着き払った様子でそう言った。

 さすがはあの名演目をしただけあるなぁ。今だけは凄く頼もしい。

「今だけ、とは失礼な!」

「はいはい、いつも頼もしいです。塚本さん」

 その一言のおかげでちょっと和んだ。

 コンコンコン。

「失礼します」

 ガラガラガラ。

 扉を開けると、そこには数人の男女がホワイトボードを前にしてうんうん唸っている光景がそこにあった。

「はいはい、どうしましたか?」

 部長である九段下が駆け寄ってくる。

「部長さん、ちょっとお話があるんですけど、ここじゃあなんなので、ご同行願えませんでしょうか?」

「は? なんで?」

 高い声で生意気にそう言った。

「いや、あなたたちの新聞の影響で僕ら部室の周りに、知らない生徒が数人うろうろしてるんですよ」

「それで? それが何だっていうのさ」

 動じない、ね。

「僕達はそれを解決したいのですが、手伝っていただけないでしょうかというお話です」

 それを聞いて、九段下は少しだけ表情が動いた。

「へぇ~どうやって?」

「おぉ! 興味を持ってもらえて何よりです。それでなのですが……部長さんは、探偵小説というものをご存知でしょうか」

「なに突然……」

「僕達は今、それをテーマにしたレクリエーション、学校全体を巻き込んだ事件を巻き起こしたいと思っているのです」

「……ほう。それはもしかしたら、一考する価値があるかもしれないなぁ……」

「それについての細かい計画を話すためにもお願いしたいのですが……どうでしょうか」

「即決はない。それは、間違いない、でも……一応、話だけでも聞かせてもらおうかな」

「ありがとうございます。それでは、会議室へとご同行をお願いします」

 まずは相手を土俵へと招くことができた。

 そして、ここから僕達の持っている力を相手方にどれだけ伝えられるかが大事だろう。

 そんな決意を胸にして、我々は会議室へと口数少なく向かうのであった。



 因みに。

 この作戦の計画と立案をしたのは僕……ではない。

 残念ながら。

 誠に気恥ずかしながら、僕の手柄は一切ない。

 ついでと言っては何だが、三白夜さんも手柄なしだった。

 なんてことを言うと、部長先輩!? 私のことは今どうでもいいですよね! ねぇ? と詰められそうなので言わないけれど。

 そんな僕たちの様子を知ってか知らずか。

 文芸部ではないにもかかわらず、妙案を出してくれた塚本には感謝を言っても言い切れない。

 そんなとっておきの案を引っさげて、僕達は今、新聞部部長、九段下杏子と対面していた。

「それではまず……聞いておかないと行かないことがあります。あなたは今回のこの新聞を見てどう思ったのか、当然、部長として完成した物を見てそれでゴーサインを出したはずなので、その時の心境を聞かせて下さい」

 僕はまず、新聞部全体というより部長の九段下がどういう思いでこの内容を感じ取ったかが知りたかった。

「どうって……ふーんって感じだったかな」

 九段下は、どうでもいいことだったとでもいうような感じでそう言った。

「ふーん……って、あなたは部長でしょう? 何か考えがあってこの新聞を出したんじゃ……」

「ぜんっぜん? 私の考えなんか一ミリたりとも含まれてない。だってただ事実をほぼそのままの状態で出してるんだもの……そうじゃない?」

 はっきりとした口調でそう言った。

「それに、私が好きなのは情報収集と検証だから、新聞の出来とか誰かがどう思うとかそんなのどうでもいいし。そこらへんは部員たちが勝手にやってるよ」

 …………。

「ありがとう。その言葉を聞けて良かった」

 僕はわざとらしく口を三日月形に開く。

 いつもの塚本みたいに。

「九段下さん、あなたには今から、ただその事実を独占公開します。ですので、そこに僕達の考えた味付けを少々させていただいて、明日すぐに号外として掲載してほしいのです。――勿論タダでとは言いません。我々が手伝えることがあれば、是非とも引き受けますので言って下されば」

 途中から早口になっていた気もするが大丈夫だろうか。

「……うん。分かった、引き受けよう。では詳しい詳細を教えてくれるか?」

「それじゃあ、詳細を……え?」

 九段下はあまりにもすんなりと僕たちの要望を受け入れてしまった。お願いしているのはこっちだというのに。

「うん? 面白いことするんでしょ? そんなの大好物だもん。喜んでその一端を担わせてもらうさ」

「……本当にありがとう」

 大正解ではなかったかもしれない。

 だけれども、ピンチを受けてその力をうまく利用して、波に乗ることはできたんじゃないだろうか。

 でもまあ、それも明日になってみれば分かること。

 塚本は一言も喋らなかったけれど、それもまぁこの案を考え付いてくれたんだ。文句は言わない。

 後は、カミのみぞ知るってやつだ。



「号外だー! 号外だー!」


 二日連続の号外は果たして号外なのだろうか。

 日刊への移行を決意したのかと思ってしまう今日この頃。

 予想通りというか予想外というか。

 案の定、昨日、僕達が新聞部の部長に伝えたがでかでかと掲載された学内新聞が、新聞部部室横の掲示板に貼られた。


『大泥棒? 大怪盗? 各部活が驚愕した大盗難事件! そして、なんとその怪盗本人からの犯行声明付き!』


 何とも物々しいタイトルである。

 というか、こんなものが新聞部に取り上げられているのならば、先生たちの方が先に気づいていそうな内容である。

 ……なんて、分かり切っていることをさも分からないかのように言う癖は、一生涯治らないだろう。

 目に見えるものが全て真実とは限らない。

 犯人は複数人いて、この報道も犯人からの自白による劇場型犯罪である。と、犯人は供述しています。

 何をいまさらという感じだが。

 ということで、ここで独白をしよう。

 僕はあの屋上を去る前に、三白夜さんにあることを伝えた。

 それは、屋上に出るための扉の前にある荷物、主に部活動に関係あるものを全部屋上に出しておいてほしいというお願いだった。

 あの時、やたらと荷物が散乱していると思ったが、よく見たら色んな部活の様々な用具だということに気づいて本当に良かった。

 そして、多分だけどもう屋上に出ることはできなくなるだろう。

 まぁ、屋上を犠牲にして三白夜さんが助かるなら別にいいだろう。

 あと、この件について一つ言いたいことがある。

 それは、三白夜さんっぽい人、に対する噂は噂としてその域を出ることなかったことである。

 どうやらこの学校の生徒は、意外にも情報を鵜呑みにすることをしなかったらしい。

 もしも、新聞部が詳細な証拠付きで拡散したのであったなら、こんなことをするでもなく、こんなことなどする必要もないぐらいの大惨事であっただろう。

 しかし、それはただの噂で止まった。

 みんなの中で確証たるものにはならなかった。

 そして、それが噂の域を出ていないのであれば、そこに大きくてキャッチーな事件が新たに巻き起これば、人は風に飛ばされるタンポポの綿毛のように、自然とそっちへと話題は転換していく。

 そうなってしまえば、もうあらゆる噂は風化していくのみである。

 三白夜さんの噂も。そして、僕の噂も。

 ……そう思っていたのだが、実のところ三白夜さんに関しては、全くと言っていいほど噂されていなかったというのが、実際の現実であった事を僕は最近になって知った。

 じゃあなんであんなに人が集まっていたのか。

 あれは、後から聞いたのだけど、塚本にサインをもらいに来た一年生達だったというらしい。

 全くもっての勘違い。

 そして、三白夜さんがただただ優しかったというのがオチである。

 それから、この事件の反響が思ったより凄くて、各教室で犯人捜しごっこ的なものが流行っているらしく、僕の変な噂(という名の事実)は、思ったよりも早く収束していった。

 なので、それがあってなのかは分からないが、三白夜さんは「誰かに聞かれたら素直に『文芸部』に入っていると答えようと思います」と言っていた。

 後はそうだな……軽い感じで新聞部に、手伝えることがあったらなんでも言ってくれ、と言ってしまったばっかりに総務部のお手伝いを斡旋させられた。

 あの表情は、扱いに困っているから押しつけてやろうって感情がこもっていた気がしたのだけど、どうなんだろうか。

 ――とにもかくにも。

 ようやく何にも怯えなくていい日常が始まったのだと――三白夜さんをここまで連れてくることができたのだと思っていいのだろうか。

 そんなことを考えながら、もう誰もいなくなった部室を眺める。

 朝から雨が降っていて少し薄暗い教室。

 窓は鍵がかかっている。忘れ物は……ない。

 よし。

 僕は部室の扉を閉めて鍵をかける。

 よし。

 後は、いつものように鍵を職員室に届けるだけ……。

 遠くの方に、薄暗い廊下をまっすぐ歩いてくる人影が見える。

 その人は、見るからに猫背で姿勢が悪く、そして、帽子を深々と被っていた。

 悪い予感がした。

 僕はその直感が当たらなければいいな、なんてと思いながら、廊下のほぼ突き当りに存在する部室の前で祈るのであった。



 触らぬ神に祟りなし。

 このことわざって、危ないものにわざわざ触れるなよって意味だと思うけど、実はこう言うこともできるのではないだろうか。

 神に触れたら祟られる。

 ……神ならば触れられるかどうかすら怪しいだろう。

 というか、神、短気過ぎない? 不敬罪的な感じだろうけど触れるのもダメなのは多分、パーソナルスペースめっちゃ広いんだと思う。

 そんな仮想、妄想は置いておいて。

 僕は今、ピンチに瀕している。

 ――正確には、これからピンチになる確率が50%ぐらいある。

 そんな事を考えている間に、帽子を目深に被った男は目の前まで来ていた。

 そして、その男は僕の横を通り過ぎ……なかった。

 それはそうだろう。

 だって、この奥はただの行き止まりしかないんだから。

 そして、その男はピタッと目の前で止まって、ただだんまりと立ち尽くしている。

 その様子は、黒いオーラというか、今の天気のようなじっとりとした雰囲気を纏っている。

「あのー……ど、どうかしましたか?」

「……」

「もしもーし?」

「……」

「あのーもう僕行きますけど……塚本先生に用があるなら、明日来てもらったらいると思いますので」

 では、と付け加えて、僕はその人の横を恐る恐る歩いて通る。

 視界の右端にまだ見えている。

 あと半分ぐらいで見えなくなる。

 そして、その影は完全に視界から外れた。

 それから僕は前を向いて、逃げるように速足で歩く――はずだった。

 しかし、その目算は急激な右肩の重みによって妨げられた。

 掴まれていた。

 その手は震えていて、でも馬鹿みたいに力強く握られていた。

 グイっと右肩が引かれるのを感じて、僕は咄嗟に抵抗する。

 されど、僕の意志と反して、僕の体は180度回転して、その男と向き合う形になったのだが、僕の目に飛び込んできたのは、その男の顔ではなく、一瞬、光を反射してきらりと光った、右手に握られているだった。

「……ぇっ」

 ――嘘だろ。

 僕は声にならない声を上げた。

 ここからでは形状が分からないが、それが何かしらの刃物であることだけは理解できた。

 そして、なんとなくこれからの未来が予想できた。

 ――できてしまった。

 ……したくはなかった。

 しかし、それを予想できたとて、それを回避する思考も、作戦も、気概も、気迫も、時間も無い――何もかもが間に合わない距離だった。

 無駄なく一直線に伸びてくる腕。

 僕は否応なく目を瞑る。

 すると、体の前面に強い衝撃が走った。

 その勢いに負けて、僕は吹き飛ばされ背中で着地した。

「――ゴホッッ」

 あまりの衝撃に息がつまって呼吸がしずらく、痛みに耐えながらどうにか呼吸を整える。

 急いで自分のお腹とか胸とかを触って確認する。

 ……あれ、特に怪我している感じはないな。

 程なくして、僕は目の前を確認して驚愕することになった。

 なぜならそこにいたのは、横たわってぐったりとなっている、さっきの目深に帽子をかぶった男――ともう一人。

 華奢で大きな丸眼鏡をかけた男子生徒がそこにいたからだ。

 そして、その男子生徒の手には、さっきまで帽子の男が持っていたのであろう大きなが握られていた。


「……んんっ、んはぁーぁああ……」

 そして……。

 そして、何故か、どこかからか、女の人の嬌声というか喘ぎ声みたいな声が小さく聞こえてくるので、音の出所を探してみるとそれはどうやら、その男子生徒の近くに落ちているワイヤレスイヤホンの片方から聞こえていたようだった。

 そして、もう片方はというと、その男子生徒の耳に付けられているのが見えた。

 ……一体お前は誰なんだ。

 そして、この状況は何なんだ。

 僕は絶体絶命から一転、訳も分からない状況に混乱していると、その男子生徒はこっちに近づいてきて手を差し出して言った。

「大丈夫ですか。怪我はありませんか?」

 彼は平坦な抑揚の声に、ぶっきらぼうな無表情でそう言った。

 僕はその手を掴んで立ち上がる。

「ありがとう、ございま……す?」

 これは一体何が起こっているのだろうかと考えながらも、僕は自分自身が薄々持っていた違和感に思い当たる節があることに気が付いた。

 そう言えば、三白夜さんのことを書いた人は誰だったのか。

 新聞部の部長は特に興味ないと言ったあとに、書くことに関しては部員に任せている……と言っていた。

 そして、仮入部期間中に届いたあの謎の手紙を送ってきた奴は誰だったのか。

 手紙の中を確認せずに捨てたので、内容が分からなかったが、あれにはいったい何が書いてあったのか。

 確かにおかしな点があったはあったが、その真相を迎える間もなく事態は収束したので考えもしなかった。

 それを無視した挙句がこうなろうとはどこの誰が思うのだろう。

 そして、目の前にいる謎の男子生徒。

「君は僕を助けてくれたって……ことでいいのかな」

「いやいや、違いますよ。たまたまそこの掃除ロッカーが心地いいなぁって思ってたら、目の前に険悪そうな人と弱そうな人が取っ組み合っていたので、勝手に体が動いていただけです」

 確かに部室の前の廊下には掃除ロッカーが置いてあるが……そんなところにたまたま人が入っていることなんてあるのか?

「あと、そのー、言いずらいんだけど……イヤホン片方外れているけど大丈夫かな?」

 僕はある意味で恐る恐るそれを伝えた。

「んっ? あー本当だ。気づきませんでした! ありがとうございます」

 その男子生徒は平然と、全く表情を変えずにイヤホンを拾って、ポケットからケースを取り出してイヤホンを仕舞った。

「それじゃあ。あ、あとそこの転がってる彼気絶してないよ。ただ黙って僕達がいなくなるのを待ってるだけだから。まぁ、もう襲ってはこないだろうけど、一応言っておきますね」

 そう言い残して行ってしまった。

 僕は一瞬、倒れている男を見た後、慌ててその場を去った。



 僕は帰ってから一応、警察と学校に連絡を入れておくことにした。

 殺されかけて、ただで済ませるのも具合が悪いから当たり前のことだろう。こちらからは厳しい処遇を望む。

 後、親にも言っておこうと思ったが、今言うと色々ややこしい事になる――というか、今疲れてて説明とかめんどくさいから言うのを後回しにしてしまった。

 ごめん母さん。

 ……あの、丸眼鏡の男子生徒の名前を聞くのを忘れてしまったが、いったい誰なのだろうか。

 決して、悪い人ではなさそうだけど……。

 というか、ちょっと待って。

 冷静に考えたんだけど、僕って刃物を持った奴とひと悶着あったんだよな……。

 これって、一番の大事件じゃないのか。

 最近のあれやこれやよりも大事だったんじゃないのか?

 だとすると。

 このことは、三白夜さんの耳に入るのだろうか。

 うーん。

 出来れば知ってほしくない――なんてわがままは、大人達に説明して理解してくれるのだろうか。

 同学年の生徒が休学とか退学になったら、話題になるだろうから詳細を伏せてもらったらあるいは。

 体と頭の緊張が今頃になって解けてきたのか、急激な睡魔が僕を襲う。

 僕はベッドに横になって目を瞑った。

 その前に自分の心配してください! という三白夜さんの声が聞こえてきた気がしたのは果たして夢の中だっただろうか。


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