第10話 戦の行方
滔々と涙が頬を伝っていく。
堅牢な城壁は幾所も崩れ落ち、破壊された家々の瓦礫が通りを塞いでいた。
私の帰還を喜び、裸足のまま踊る老人。
動かなくなった我が子を抱きつつ、食べ物を求めてすがりつく女性。
瓦礫の影から上目遣いに、ただ見つめる子どもたち。
誰もが薄汚れ、痩せこけていた。
「オーガーだ!まだ生きているぞ」
騎士が兵たちを連れて、かつては旅芸人たちが芸を競い合っていた中央通りを走り去る。
赤い目をした蛮族たちの生き残りが、神殿の奥や民家の地下室に潜伏し、まるで夜の到来を待つ蝙蝠のように、息を潜めていた。
嗚呼、これがアマーリエ地方の中心地、あの、人に埋もれんばかりの賑わいが通りを埋め尽くしていたハロルド城市なのか。
「アマーリエ、そこを左へ。まずは城塞へ向かいましょう」
何処がどの道やらもはや見る影もなく、まるで知らない土地に来てしまったかのようだ。
「ハロルドは、何故迎えに来ないの?」
「どうしてかな?脚を怪我でもしているのかも」
ミュラーも悲しさと不安に満ちた面持ちで、馬上に揺られる。
耳元を矢が掠めた。
後ろから射られたイレスの矢が、横合いから飛び掛かろうとしていた小鬼の喉を貫く。
嗚呼・・・。
「どうしました?気を確かに持たれよ」
「スタンリー、私が居なくなったから、こうなったの?あの時、私は辺境に向かうべきだったのかしら?自分でも、逃げたかっただけじゃないかと思う時が、今でもあるのよ」
「何を今さら申される。ハロルドにこれ以上兵が居たなら、もっと早くに飢え死にしていますぞ。兵はただ、多ければ良いのではないのです」
それはある。良将は兵站に合わせて、兵数を調節するという。ただ多ければ勝つ、というわけではないのだ。だが、しかし、私が辺境での戦いに勝利し、宴をあげている間にも、ハロルドの民は常に戦いに晒され、常に飢えに耐えていたのだ。
忍びない。後ろめたい。自分が恥ずかしい。
伯父さん・・・どうして来ないの?迎えに来てよ・・・ハロルド、どうしたの!?
「城塞内部を徹底的に索敵しろ!三人一組で動き、蛮族を見かけたら指笛で仲間を呼べ!少人数で戦おうとするな!倒したら、首を切り落とすのを忘れるなよ!」
ギレスブイグが兵たちに指示を出す。
「アマーリエ様、私はボードワン卿たちと生存者の救護にあたります。アッシュもお借りして、よろしいでしょうか?」
ロロの申し出に、お願いと許可を出した。その後はミュラーに先導されながら、幾つもの死体が放置されたままの城塞に入る。堀に架かる橋は、一旦崩された後に木材で応急修理をされていた。蛮族退治の指揮をスタンリーに任せ、馬を降りた私は、ミュラーとギレスを連れて城塞の中心部へ向かう。そこに、ハロルド伯父さんの執務室があるはずだ。
だが、そこに生きている者はいなかった。
喉を切られた衛兵が五人、それに、初老の太り気味の男性、そして細身の黒装束・・・。
「伯父さん・・・!」
抱き起こした身体は、まだ強直しきっていなかった。喉と、心臓を貫かれていた。私が城市に入城したと知れば、ハロルド伯父さんは何を置いても真っ先に飛んで来てくれたはずだ。まんまるい頬を赤く染めながら、息を切らせてズンズンと足音を鳴らして迎えに来たはずだ。だから・・・こんな予感はしていたのだ。一歩一歩と馬が歩を進めるたびに、その予感は強まり、そして今、真実となった。
私は、大きなお腹に抱きついて泣きじゃくった。
「・・・この人は・・・まさか!」
ミュラーが黒装束の死体を抱き起こした。女性のようだった。身の回りの世話を兼ねた秘書官ならば、女性剣士を充てがう事は珍しくはない。だが・・・面隠しの布をずらして現れた顔は、何と言うことか・・・それはサンチャの死に顔だった。
「嫌よ!なんで?サンチャ!」
嫌だ!嫌だ!そんなはずはない!だって、サンチャは・・・免許皆伝だって自慢していたじゃない!?どうして、一体どうして?誰に殺られたの・・・蛮族!?それとも・・・
「無理よ、こんなの・・・」
到底、受け入れられないわ!無理だ!こんなの駄目よ!
「ボードワン!アッシュ!早く来て!ボードワン!?」
何をしているの!?まだ、間に合うかも知れない!早く、来て!
「ボードワン!ロロ!アッシュ!そうだ、イレスは!?イレスはどこ!?」
座り込みながら床に向かって叫ぶ私の肩を、ミュラーが抱き包む。
「やめて、ミュラー!早く、癒し手を呼んで来て!呼んで来なさい!」
「無理だ、死人は癒せない。もう、無理なんだ・・・」
「蘇生術があるじゃない!」
「それが実行されて、成功した、という話を僕は知らない。禁忌なんだよ・・・誰も、やり方を知らない」
引き剥がそうともがく私の身体を、ミュラーはきつく抱き締めた。それを引き剥がそうと、無言の抵抗を続けたが、やがて自分が何をしたいのか、判らなくなった。
「駄目だわ・・・もう、無理よ、ミュラー。私の親族はもう、誰もいないわ。誰も残っていないの。皆、死んだわ。その上、サンチャも消えてしまったら・・・私はもう・・・誰もいない。本当に、ひとりなのよ?」
「君の友だちなら、ここにもいるだろ?軍師もいるし、騎士たちもいる。君はまだ、ひとりじゃない!騎士団はアマーリエ、君の家族だろ」
「そんな・・・こと、言われたって・・・えぐ」
何処から、涙の水分は生まれるのだろう?どれだけ泣けば、枯れるのだろう?
どれだけ大切な者たちが死ねば、辛くならなくなるのだろう?
サンチャの身体に這い寄り、思い切り抱きしめた。
「どんなに苦しみが深くても、どんなに悲しみに沈んでも、残された者は営みを続けなければならない。悔恨と怒りに身を焦がしても、それでも前を向いて歩き出さねばならない。私たちは彼らの犠牲の上に生かされた。彼らの想いを背負い、次世代へと生を繋ぎ、平穏な日々を取り戻す責務を負わされたのだ。彼らが望んだのは、復讐だろうか?私は違うと思う。親族や友人たちと笑い合い、日々の糧に感謝して勤労を喜ぶ日常だったと思う。子が育つ姿を見守り、自らは年老いゆき、そして生ある限り悩み、苦しみつつもささやかな出来事に喜び、明日に希望を持ちながらその一生を全うする、そんな人並みの人生を夢見たに違いない。故に私は復讐だけを故人に誓うような事はすまい。私が誓うのは、平和である。誰もが仕事に精を出し、子を育み、未来に希望を抱ける、そんなあるべき当たり前の平和の実現のため、民たちと手を取り合って国を造ろう。その実現をもって、故人の冥福を祈るものとする」
広大な墓地と化した例の丘の上で、甲冑の上から黒いサーコートを纏った姿で、私は参集した民たちの前でそう述べた。
後に、この墓地は“平和の丘“と民たちによって名付けられた。
生き残った我々の課題は山積していた。
まずは、開墾地の再整備と作付作業。辺境諸族からの食料の買い付けと支援物資の融通。それらがひと段落すれば、街の修復と城壁の補修工事。辺境南部への援軍派遣と、諸族から借り受けていた兵たちの順次帰還。しかし、全員を帰すことは叶わず、人員補給と帰還はローテーションを組むことになった。まだ領地各所で蛮族たちの姿は確認されていたし、占領軍の残党たちが帰国せずに野盗となって根付いてもいた。さらには、パヴァーヌからの報復も念頭に置く必要もある。領土内から前線を移動させるためにも、両男爵領への侵攻を続行した。舌の根も乾かぬうちに、何が平和かと思われようが、敵の出現を防ぐには、根城を一掃せねば机上の空論に終わるのだ。だが、全面進行をするほどの兵も兵站もない。ランゴバルト、クリューニ領の半分ほどに軍を進めたところで、抵抗する組織力を確認した段階で侵攻を止めた。この侵攻で新たな砦八つを得て、二十の集落を得た。当然ながら、接収という形で物資も得られた。
五千の兵が西の前哨基地に駐屯し、ハロルド城市とクラーレンシュロス城には、三千ずつの兵が残された。他は、辺境南部に向かう応援部隊の一千と、諸族に返還する帰還兵、故郷には帰還せず、新天地で新居を得ることにした兵たちは、労働者として姿を変えた。
敵に囚われていた北砦の司令官ラバーニュ卿とその配下は、ジャンロベールを含む捕虜交換と賠償金請求を持って、無事復帰した。その北砦はクリューニ軍残党を無血開城させ、ランゴバルト軍残党に占拠されていた南砦は、ミュラーの一隊が攻め落とした。まるで薄く引き伸ばしたバターのように、少ない兵力とわずかな兵站を使い切るかのようなリスクのある全面攻勢は、しかしながらロロ=ノアの提案だった。彼女は四方八方に馬を飛ばし、一息で混乱した占領軍残党を時に武力で追い払い、時に折衝して祖国に帰還を促した。前線が遠のき、解体した兵による労働力の補填のおかげで、ハロルド市周辺の中央穀倉地帯は治安を取り戻し、二ヶ月の間に見違えるほどに再整備が進んだ。
ひと段落した現在では、騎士たちの赴任先は以下の通りだ。
西部前線指揮官ギレスブイグ男爵、副官にワルフリード卿とイレス神官。ギレスは大任であっても、普段通りの調子でいて、そのくせ安定した戦果を挙げていた。ワルフリードはパヴァーヌに近い平野の戦場での騎馬突撃に才を発揮し、副官としてのイレスは、ギレスと意外にもいいコンビのようだ。
辺境南部応援部隊イーサン卿。兵に慕われており、真面目に任をこなす彼には、長距離行軍となる応援部隊を任せた。謙虚な彼ならば、人格者のパンノニール伯と副官のフェアナンド卿とも馬が合うだろう。二百の兵のみで、周辺の豪族たちと均衡を保っていた彼らには、イーサンの応援はまさに百人力となるはずだ。
南砦指揮官ケレン卿。会戦で出番のなかった彼には、依然、治安が安定しない南部の平定に邁進してもらう。
北砦は西部に前線が拡張したため、少数の部隊に守らせる補給基地として、その役割を変更するが、休養も兼ねて古巣となるラバーニュ卿に指揮を委ねた。一度、身をもって知った者だけに、彼は熱心に砦の補修と改修に勤しんでいるようだ。
イレスの姉であるセヴリーヌ司祭とミシェル神官には、北に面するハイランド王国との国境にあたる大都市グラスゴーの守備を継続してもらう。
軍師役の紋章官ロロ=ノアと、参謀ミュラー卿、ボードワン司祭とスタンリー卿は、私と共にハロルド市周辺の守備と復興作業に従事した。クラーレンシュロス城はしばらくの間、辺境地域との中継基地としてだけ機能させる。今、私がいるべきところは、疲弊し、悲しみと苦しみに身をやつした民の傍らだ。姿を見せるだけで、見捨てられる心配だけは払拭させる事ができると、そう考えたからだ。
忘れてはならないのが、もう一名いる。皇帝の元へ送った一千の兵とオラース卿だ。彼らが今、蛮族と戦ってくれているから、防衛体制の構築と街の復興が成せるのだ。
当初二十二名で辺境へと脱出した私の騎士たちは、新参四名と捕虜奪還一名を加えても、以上の十四名にまで減っていた。
野菜の収穫が始まり、民の心が落ち着いた頃、さらに嬉しい助っ人が現れた。鍛冶職人のドワーフたちを、彼らの王“岩の斧“が送り出して来たのだ。まだ本格的な経済特区を設けられない時分だというのに、彼らは持ち前の腕力と鍛冶の腕前で街の復興に協力を申し出てくれたのだ。いわく『鉄は熱いうちに打て、恩は必要な時に高値で売れ』と。その言葉は、気兼ねなく援助を受けられるようにと、彼らなりの気遣いだと理解した。
「毛皮のおかげで、寒さに身を震わせる事もなく、威厳を持って交渉にあたることができました。結果は上々でございます。また、王は剣の宣伝にもなったと、貴軍の戦勝をお祝いしておりました旨、しかとお伝え申し上げます」
按察官という役職のドワーフが、王に代わってそう告げた。
街は、確実に活気を取り戻しつつあった。長い苦しみを経た民たちも、少しずつ心と体調を取り戻し、日々の労働に意欲を持って臨めるようになったと見受けられる。
少しずつ、事態は好転の兆しを見せている。
急転直下の事件が起きたのは、まさにそんな時期での事だった。
野伏隊のレオノールから情報を得たロロ=ノアは、城壁工事を視察中の私の元へ現れ、こう告げた。
「皇帝自ら、軍を率いて北東より南下中との事です。明後日には、我らが領界に差し掛かります。対応を考えねばなりません」
「何を馬鹿な事を・・・蛮族の集団はハイランドの東にあるはず。南下する理由も、いとまもないはずよ。東の平原は広大だわ。分散割拠し、神出鬼没に移動する蛮族たちを相手に、こちらに兵を割く余力なんてないわ」
「万難を排しても、南下する理由が先方にはあるのでしょう」
足場を伝って、ロロの隣に降りる。
服の汚れをパンと払い、修復途中の城壁と、その欠けた部分から覗く青い空を見上げた。まだまだ、工事は終わらない。あと一ヶ月といったところか。
「いいえ、思い出したわ」
理由ならば、一つしか考えられない。
それは、ミュラーが懸念した事だ。
皇帝軍は、予想よりもゆっくりと進軍し、報告から四日後に到来した。アマーリエ地方は、雪に辛酸を舐めさせられた大山脈が北西を塞ぎ、北から西にかけては森と山岳地帯で塞がれている。北と南に砦があるが、主にパヴァーヌ方面へ繋がる平原と丘陵地帯を監視するのが役目だ。それは、北からの侵入が楽な道で無い事を意味する。しかし、一度抜けたらば、緩やかな丘陵地があるのみで、ハロルド市とクレーレンシュロス城へは半日の距離しかない。私は、街の復旧作業に勤しむハロルドの兵たちに再武装を命じておき、三百の騎兵のみで皇帝軍を出迎えに行った。
道中、ミュラーが私に語りかける。
「知らせを寄越したのだから、やはりすぐに戦闘を始めるつもりはないと思う」
会議は復旧工事を終えた夜半に、連日実施された。しかし、今彼が改めて口にするように、不毛な想像だけで結論には至っていない。各方面の部隊は討伐を中断し、出撃準備のまま待機させる。下手に相手を刺激せぬようにできる配慮はそこまでだった。
「伯爵の帰還と復権を祝し、挨拶に参る。聖戦発令時に、そんな用件で軍を引き連れてくるなんて、納得がいかないわ。きっととんでもない理由よ。一難去って、また一難」
はぁ・・・。
「かといって、皇帝陛下が宣戦布告も無しに襲ってくるなんて、ないだろう」
「その宣戦布告のために来たのかも」
その為に、騎兵だけの一隊にしたのだ。この丘陵地は道なりに進めば快走できるが、丘を登ってショートカットしようとすれば、草に隠れた岩場に足を取られて転倒しかねない。地の利を活かして城市まで撤退することはできるだろう。問題は、その後だ。比較的軽微な損害の城と違い、ハロルド市の城壁の破損は著しい。本格的な攻撃に晒されれば、どれほど持ち堪えられるものか・・・かといって、私は市民を再び置き去りにして城に立て篭もるつもりはさらさら無かった。
「蛮族の件で言いがかりをつける線が、やはり濃厚だと僕は思う。頼むから、軽はずみな返答は避けてくれよ」
「ご忠言に感謝いたします」
舌戦となれば、多少の自負はある。ハインリヒ三世は男性君主だ。理屈論から脱することが出来れば、女の私にも勝機はあるはずだ。如何に、男性的な論点ではなく、女性的な感情論で争うかが、勝負の鍵なのだ。抽象的な感情論の繰り返しに、男性の心は耐え難く、折れやすい。
おし。負けてなるものか!
「ロロ、いざとなったらお願い」
男装の麗人たる軍師は、承りましたと大仰なお辞儀で返す。いつもの事だが、本当に真剣に捉えているのだろうか、不安になる。
「見事だ・・・」
スタンリーがうめいた。
丘の影から姿を表した皇帝軍は、壮麗の一言に尽きた。装備は統一され、軽装歩兵すら鎖帷子を着込んでいる。どの国でも、立派な重装歩兵の扱いとなる装備だ。では、重装歩兵はというと、まるで騎士のように甲冑を着込んでいた。行軍速度が遅いのは、このためのようだ。ハルバードが綺麗に立ち並び、騎馬兵の馬具はどれも煌びやかだ。何より、縦列が素晴らしい。綺麗に並んでいるため、奥まで草原が見通せる。それにより、兵の数が把握できない。少なく見積もっても、五千以上か。
横一列陣形を作り、速歩で距離を詰める。五十メートルの距離を置いて、停止させた。
正面には、テンの毛皮で縁取られたビロードの外套を羽織る騎士の姿。磨かれた白銀の甲冑は、昼の日差しをキラキラと反射させている。背の高い白馬は、外套と同じように豪華な作りの馬具が施され、力強く落ち着いた歩調の並足で進み出た。両側に騎士二人だけを従えて。
ごくり。唾を呑み込むのに苦労した。北の大国たるシュバインシルト大公国の君主。ハインリヒ三世、大公にして君主会議より皇帝の任を託されし、西方世界の軍事面での旗頭。対蛮族の戦闘において、西方を束ねて采配を振るう責務を帯びた為政者との面会だ。聖戦が発布された現時点において、聖教国教皇すら、彼の行軍には道を譲らねば成らない。武力、財力、産業、そして権威において、私とはまるで比較の対象にもならないほどの人物を相手に、緊張しない方がどうかしている。
皇帝は貴族の礼に則り、名乗りを挙げて来訪の目的を告げた。私も風習に習い馬を降りて礼を返す。だが、馬上のままの皇帝ハインリヒ三世はすぐに強硬な態度を明確に示してきた。その口調からして、事前通知のような友好的な来訪目的では無い事が知れた。
「我がここに現れた理由に心当たりがあろう、申してみよ」
「蛮族との最前線はハイランドの東の野と聞き及んでおります。何故、このような辺境のほとりの地に、この時期においでなのかと、私のような非才の身は不可思議でおりました」
「卑下するでない。そういう小芝居を我は好かぬ。聖戦の布告は聞き及んでおろう?なぜ、この地にはこれほどの兵がおり、前線にそれを送らぬのか、その理由を申せ」
「それは、仇討ちの最中だったからです」
「ほぅ、仇討ちか。して、どのような次第か?」
「私の父、叔父、そして多くの騎士と領民の仇討ちでございます。その為に兵を起こし、苦節二年の末、つい先日の会戦にて念願の仇を打ったところにございます」
「今まさに、といった具合だと申したいのか?仇討ちと言えば、特例となると、そう申し開きたいのか」
「ただ、事実でございます。生殺与奪、領地の通過、同盟関係の凍結、伯爵家の正当な継承者たる私には、仇討ちに保障される特例が適用されるものと心得ております」
「無論だ。しかし、仇討ちには四五日という期限が設けられておる。今聞けば、お主の仇討ちは、すでに二年が経過しておるではないか?」
「僭越ながら、故人を憂う時間、刀を研ぎ、心身を鍛える準備期間は仇討ちには数えられません。準備を終え、この領土に帰還する指針を決定したその瞬間が、仇討ちの開始とするのが凡例から言って道理であるはずです」
「それから見ても、早二ヶ月よの」
皇帝は、こちらの動きを随時把握していたようだ。
「当初の仇討ち軍は解散し、現在は野盗と化した占領軍残党と、大挙して突如襲来し、今は四方へ散っている蛮族たちの掃討中でございます。それに必要な最低限の兵をなんとか維持し、対応を続けておる次第です」
「ほぅ、蛮族がまだおるのか。だが、それはお主の味方なのではないか?」
「・・・それは、どういう」
「我の前で、シラを切るとは賢明でないぞ。蛮族の一軍と共闘して、占領軍を打ち破ったであろう?」
「共闘とは、滅相もない!剣の神の意思に背きます。ここにいる兵たちの中にも、蛮族と戦い傷を負った者たちが多数おります。我らは蛮族と戦うため、呉越同舟、占領軍たちと一致団結して蛮族を殲滅せんと全力で戦いました。蛮族は、人族共通の敵だからです」
「仇討ちの相手と共闘とは、まさに剣の神の子だ。その行いには、剣の神々も祝福する事だろう。・・・だが、それらは全て、お主の自作自演なのではないのか?」
「なぜ、そのようなお話を・・・現実とあまりにかけ離れ、私には全く理解が及びません。どのような意図で申されておるのですか」
「意図か、それによっては許さぬとでも?」
皇帝の周囲の空気が、重圧感を持って私を襲うような気がした。
「まぁ、良い。我とて、理由もなしに人は疑わんよ。証人がおるのだ。黒い甲冑の騎士が、お主の援護の為に蛮族を相手にけしかけた、とな。逃走した占領軍の兵を尋問したのだよ。ここまで言わせて、シラを切り通せると思うなよ」
「黒い甲冑の騎士といえば、辺境騎士団にはギレスブイグ男爵しかおりません」
「ハルトマン、という名を聞いても思い出せんか?」
皇帝の情報収集能力には、正直舌を巻いた。恐ろしい人物だ。
「パヴァーヌの騎士が纏う甲冑は、白銀の光沢を放っておりました。黒ではありません。それに、何よりです。何より、重要な事を皇帝陛下はご存知ないご様子。彼の死の間際を私自身、この両目でしっかりと・・・見たのです」
胸が痛んだ。もうとっくに呑み下した感情だと思っていた。しかし、言葉に出すと痛みを伴った。
「司祭を含め、配下の騎士たちも、確認した事です。恐らく、他人の空似かと」
皇帝ハインリヒは、私の目を正面から見つめながら、単騎で歩み寄り始めた。
身体が、自然と逃げ場を探そうとしている事に気づく。
おじけづくな!立ち向かわねばならない相手だ!
ついに私の目の前まで達する。私は空の眩しさに耐えながら、馬上を見上げねばならなくなった。どういうつもりだ。皇帝の兵たちは、動かない。一斉に襲い掛かられても耐え凌ぐだけの自負があるのか?とても正気とは思えない!
「その男は、東の野に向かったらしい。蛮族と合流するのだろう。追手を放っておるが故、捉えたら解る。私の尋問には、例え蛮族であろうとも、耐えられぬのだから」
「どうぞ、ご随意に」
私は、皇帝の瞳、瞳孔の縁が円形に、チカチカと光った気がした。
なんだ?気のせいか?
皇帝は身をかがめ、小声で続けた。
「これは他の者に聞かれたくない話でな・・・故にこうして話しておる。我はどんな出自の者であれ、才あれば用いると聞いたことがあろう?何故、そのような判断ができるか解るか?人は状況を見て、有利なように取り繕う生き物だ。ただ、話を聞いただけで、人となりを知れると思うのは、愚者の考えだ。人は時に善人であるが、時に悪行も成す。故に、人を信ずるには賭けを伴うものだ。だが、我は違う。ただの人間と見て侮るなよ?我が魔剣には、人の言葉の真偽を見分ける力がある。よって、お主の心の動きは、手に取るように解ってしまうのだ」
血の気が引くのを止められなかった。
「素晴らしい、お力です。では、尚のこと、虚偽の無い事がお分かりのはず。むしろ、安堵いたしました」
しまった。動揺を隠すつもりで、余計な事を言ってしまったか・・・。
「汗を拭え、魔法の力なぞ無くても、お主の動揺は如実ぞ」
「あ、あまりに強力なお力故・・・正直を申して、恐怖を禁じ得ません。私にもそのような力があれば、どれほど救われた事か・・・」
「ふん。万能では無いと踏んでいるのだろう?ならば、尋問などとは言わぬ。ただの質問で良いのだからな。だが、現実の話、尋問は行う。特に、拷問に掛ければ、精度は更に増す。他の事を考える余裕がないからだ。複雑な思考をしている今のお主から、雑念を廃せば、いったい何が残るものか・・・興味があるな」
脅しだ。伯爵家の当主をそれ相応な理由も無しに、拷問には掛けられない。返答は慎重にせねば・・・下手に口を滑らせれば、揚げ足を取られかねない。
「ふん。黙っていれば防げると?それだけ、不信が増すばかりだぞ」
「蛮族との共闘については、無実無根です。先ほどもお伝えいたしました通り、我々も現在に至るまで蛮族の掃討に追われている状態です。会戦の際は、偶発的な遭遇戦に過ぎません」
「あるいは、それを見越しての事。だが、それも軍略と言えば軍略だ。懸念は拭いきれぬが、現状を鑑みるに断定もできぬ。それは先延ばしとしよう。実はな・・・これからが、本題なのだ」
初めから、蛮族との共闘疑惑は口実だった。それを皮切りに、何を迫るつもり!?胃がキュッと軋む思いがした。
「お主の軍勢二万を寄越せ」
な・・・無理だ!
「何も私へ献上せよと申しておるのではない。蛮族の掃討戦に参加せよ、と要請しておるのだ。ふん。無理だ、という顔だな。だが、現に二万の動員が可能である証拠は掴んでおる。どの国も、身を削って兵を捻出しておるのだ。我が国は五万の動員と、さらに他国の分の兵站までを負担しておる。お主が送りつけて来た千の兵の食料までも、だ。仇討ちに二万を動員したお主が、人族共通の敵から西方世界を守る戦いに千の兵だけと知れれば、我は良くても、他が許さぬ。そうは思わぬか?」
「恐れながら、申し上げます」
ロロだ!
皇帝は私の反応を見てから、割って入ったエルフの女性をぬめつけた。
「軍師を務めるロロ=ノアと申します。その役務上、この場での発言権をお認めいただきたく、御承認をお願い申し上げます」
「良いだろう、お主の名を知らぬ私ではない。認める」
「恐縮です。我が主人は民と共に労働の日々であり、現在の兵の動員について詳細にお答えすることが難しいため、私から代弁させていただきます。領地内に蔓延る占領軍残党による略奪とゲリラ行為、および蛮族掃討のため、五千の兵を動員中です。これは、兵を養う食糧が不足しているため、削りに削った、必要最低限の数でございます。辺境においては南部で紛争が起きているため、その鎮圧に千二百を向けており、こちらは聖戦による停戦交渉に入っている次第でございます。さらにはグラスゴーにて三千を有し、そしてこのハロルドにおいても同様に三千を保持しております。よって、現状維持できている総兵数は一万二千二百でありますが・・・」
「どうした、続けよ」
「それはあくまで机上の計算です。実質的には食糧確保と街の復興のため、ハロルドの兵員は剣を持ついとまもありません。現実問題として、どの国の君主殿も、国内を空にはしておりません。その理由は、今さら述べるまでも無い事。それは我が伯領も同じ事。新たに兵を徴収する事を前提としても、五千が限界でございます」
「伯領だけで八千はおるのにか?もはや辺境までも領有を主張する、中堅君主たるクラーレンシュロス伯としては、実に謙虚な数字よの。到底、承服できん!」
「恐れながら、聖戦は東の野だけの事態ではございません。この伯領もまた、現在聖戦の真っ只中なのです。私は、今まであれほどの蛮族の集団を見たことがありませんでした。蛮族らは常に、部族ごとに行動し、強力なリーダーが現れた際にも、その体質は変わることはありませんでした。さらに、この地に残る蛮族は一度殺しても息を吹き返す変異種です。我が軍は乏しい食糧に飢え、耐え忍びながら、西方世界の尖兵として今まさに戦っているのです。我らがこれの殲滅に撃ち漏らしがあれば、いずれ変異種たちは諸国に散り、数年後にはその数を爆発的に増大させることでしょう。まさに、この地が西方世界千年の繁栄を堅守する水際なのです」
「エルフの渡世人無勢が、聖戦を騙るとは恐れを知らぬと見える」
ロロは、大仰にお辞儀をして敬服してみせた。
「・・・して、どうすれば、滅ぼせる?」
「首を切り落とすのです」
あ、そんなに簡単に・・・。
「ふん。教わるまでも無いのう」
私は、二人のやり取りを見守るしか出来ない。彼女は、少し早口ではあるが、それ以外、普段の様子と全く変わらず皇帝と対峙していた。まさに恐れ知らず。
皇帝は手を振って臣下を呼びつけ、何かを小声でやり取りする。指示を受け取った臣下は、走って軍列の中に消えていった。皇帝は向き直り、先ほどとは打って変わり、まるで興味薄れたかのような態度で話を続けた。
「仇討ちと言ってみたり、聖戦などと騙ってみたり、まるで要領を得ぬ。だが、伯の置かれた状況は相応に理解した。故に決断する。この地の戦いが聖戦とあらば、それは須らく私の責務である。先程の言葉通り、お主らは五千の兵を東の野へ送れ!この地の掃討戦は、私の軍が受け持とう」
え・・・なんと?
「心配するな。残党軍もついでに平らげよう。それとも、伯が懸念しておるのは、兵站の事か?それも案ずるな。私自身が用意し、この地を略奪するような事はせぬ」
駄目だ。それだけは・・・。
『如何なる理由があろうと、他国の軍勢を領内に置き留めてはならん。領有の既成事実を与える事になる。結果、戦闘による勝敗しか解決の道は無くなるだろう』
父の言葉が、蘇った。何としても、これは断らねばならない!ロロは何も言わない。そうだ、これは私が決める事だ。
「自らの領土の事に采配を振るうのは、領主たる者の責務です。逆を返せば、それは誰にも肩代わりできぬ理です。如何に皇帝であらせようと、それは承知できません。私の命に代えても、この地の平和は私が守ると誓っております故、どうかご再考を」
「お主の責務と、このハインリヒ三世の皇帝としての責務と、どちらが上と思うのか?」
負けてはならない!
「そも、聖戦とは言葉の綾。軍師が皇帝陛下のお心に響くであろう言葉を用いたに過ぎません。この地はどうにか、私どもで解決させてみせます。陛下は、さらに激戦繰り広げられる東の戦場にご注力くださいますよう、重ねて、お願い申し上げます」
言いながら、私はすでに追い詰めれていることを知った。聖戦の発布は、皇帝が行うものだ・・・この地に大量の蛮族がいる以上、とどのつまりは皇帝の胸先一つではないか!
「軍師の発言に、過言があったようだな。名高い紋章官ともあろう者が、軽はずみな過ちを犯したものよ」
ロロはそれでも平然と黙したまま。
「時に、伯よ。お主は騎士の奉公に規定があるのを存じておるか?」
なんだ、突然に。領主としての資質と見識を問おうというのか?
「存じております」
「だろうな。仇討ちと同じ日数、四十五日の参戦義務だ。この間は、補給や褒美を得られずとも、従わねばならない掟だ。騎士としての栄誉と信頼、領土と徴税の権利を与えられた事への恩返しというわけだな。だが、お主はすでに二年もの間、騎士たちを連れ回しておると聞く。どれほどの褒美を与えたのだ?割譲した地は、如何程だ?」
「先に申し上げました通り、仇討ちの後は蛮族どもの討伐と、連戦の日々でございます。必要な資金は提供しております故、その上の褒美は、事態が収集した後に。これは皆、納得済みでございます」
「果たして、そうかな?オラースは、そうでは無かったようだぞ。良いか、お主のその振る舞いは、他の国の騎士たちの立場を悪くするのだ。クラーレンシュロス伯の騎士たちは立派だ、連戦連勝の快進撃を続けながら、ろくに褒美も要求しない、皆、見習うべきだ、とな」
知ったことか!
「我々は、納得済みです。私は、時には愚痴を言う権利も含めて、騎士たちを尊重しております故」
「本当に、そうかな?では、聞くぞ?ロロ=ノアよ、其方はその優秀な働きに見合った、高額な報酬でも有名だ。すでに報酬は受け取ったのか?あるいは、その一部でも?」
「いえ、未だ無給奉仕でございます」
ロロ!?
「では、我の元へ来い。さすれば、先程の失言の責も負うことは無い。約束された報酬以上を支払おうぞ」
「有難きお言葉に感謝いたします。では、そのように」
・・・その・・・ように?え?え?
「待って、金額すら決まってないじゃない?それに出世払いの約束よ?」
「それは、出世するならば、という話だろう?お主には、これ以上望むべき余地は無い、彼女はそう判断したのだ。安心せい。これまでの払いは、我が肩代わりしてやるぞ」
何?何かの、策略なの?敵中に埋伏する毒のように、潜入が目的?
「あ・・・ロロ、お願い。やめて・・・」
ロロ=ノアは何も言わずに、私の側を離れ、皇帝の後ろに立った。そして、くるりと身を翻して、私と対峙する。まるで今から、私はこちら側ですよ、と宣言するかのように。
眩暈がした。
「う・・・裏切るの?」
「ほほう。語るに落ちたな。本心からそのような言葉を言われては、西方世界の守り手としては、さすがに心を痛めずにはいられぬぞ」
皇帝・・・ハインリヒ!
「五千の兵を連れて、直ちに東の野へゆけ!従わぬとあれば、精兵一万で蹂躙するまで」
ようやく確信した。初めから、この一言を言うつもりだったに違いない。アマーリエ地方の領有も、増してや辺境地域の併合など、この男は認めるつもりはさらさらないのだ!圧倒的な立場の差を利用して、私からむしり取れるだけ奪う腹積りだ。こんな輩が皇帝とは・・・西方世界の守り手とは、腹で湯が沸く!
私は、宣言した。一世一代の決意で持って、恐らく、最も邪悪とされ、愚かな選択を。
「戦うわ!」
ロロは首をすくめて微笑んだ。
皇帝はこれは愉快と、天高く響くほどに豪快に笑った。
「それでこそ、クラーレンシュロス伯爵だ!二日与えよう、その間に頭を冷やして謝罪すれば不問にしよう。逆に、どれだけ兵を集めようが、何を準備しようが我は構わん。最期の時間を自由に過ごせ」
ハインリヒはロロを伴い、軍に戻った。私も馬に乗り、踵を返してハロルド市へ向かう。
ミュラーでさえも、私にかける言葉を選べなかった。
「外交とは、時間をかけて行うものだ。時にはネチネチと嫌がらせのように難題を持ちかけ、相手の綻びを誘う事も必要。即断即決だけが美学では無いぞ」
ハロルドに集結した騎士の会議で、ギレスが私を責めた。
私には返す言葉もない。しかし、今更そんな事を言って何になるのか。
皇帝軍との対立の噂は、すぐに街中に広まった。
大公としての対ハインリヒ戦ならばいざ知らず、聖戦下での皇帝と人族君主との戦など、西方世界始まって以来だ。それだけに、剣の神々の信徒たる民たちの動揺は激しかった。
「勝ち目は万に一つも無い。楽観的に見て、もしここで退けられたとしても、その先が無い。領土を掠め取られる危険があるにしても、まだ要求を受け入れる方が、その後のやりようがあるとは思わないのか?」
ミュラーは、根気強く私を説得にかかる。
「父の教えに背きます。皇帝も言いました。それでこそクラーレンシュロス伯爵だと。父ならば、私と同じ決断をしたはずです」
「どうしたんだ!?今の領主は君だ、アマーリエ。今まで、家の名だとか、お父上のご意志だとか、そんな事言った事無いじゃないか?」
「私は!・・・いつだって、父ならどうしただろうか、父と家庭教師から習った内容はどうだったかを、常に照らし合わせながら判断して来ました。むしろ、自分の判断なんて、したことが無いの!いつだって、真似事をしながら状況に合わせて、その場限りの対応をしてきたのよ。それでも・・・貴方がいて、ギレスがいて、クルトやハルトマンが助言をくれて、ロロが道筋を整えてくれた。だから、どうにかこうにかやってこれたのよ」
「ロロ=ノアの存在が大きかったのは解る。皆、彼女の繊細で緻密な立案には頼り切っていた。僕もその一人だ。だが、彼女がいないからと言って、自暴自棄になるのはやめてほしい。まだ、僕やグリゴア、その他十四人の騎士たちがいるんだ。君は僕たちを見限るつもりなのか?居ても居なくても、どうだっていい存在なのかい?」
そんな風には、思っていないわよ。
「そうじゃ無いだろ?ここで終わらせるな!ハロルド伯父さんも、サンチャも、戦死した騎士たちも君の未来に希望を抱いていたはずだ!その想いを・・・まだ終わらせないでくれ」
ハインリヒだって人の子だ。魔剣ならば、私の手にもある。なぜ、戦えば全て終わると決めつけるの?私だって、戦闘以外の事はまるでダメだったけど、こと戦闘ならば、人並み以上に活躍して来たつもりなのよ?それを否定されたら・・・私は何を誇ればいいの?
「黙ってないで、何か言ってくれ」
「ミュラー、皆の前だ。それ位にせよ」
「グリゴア男爵、君の考えはどうなんだ?」
「参謀としてか?それならば、愚の骨頂だと言わざるを得ん。しかし、最終的には、俺は姫に身を捧げると決めておる。戦に死ぬ覚悟もできている」
「私もです」
「俺だって同じだ」
「同じく」
騎士たちは口を揃えて賛同した。胸が熱くなる。皆の命を私は道連れにしようとしている。
「ミュラーが説得できなければ、我々も無理だろう。あとは、姫のご意志に従うまで」
「ボードワンまで・・・」
ミュラーは自らの非力さを痛感したように、うなだれた。
「アドルフィーナ神は、何と申されているのです?」
ボードワンは、聖印を手に祈りながら答える。
「ルイーサ姫に従うことを支持しておられます」
「その言葉に、多少、救われた気分ですな」
スタンリーが皮肉混じりにつぶやいた。それもそのはずだ。戦の前に神に啓示を求めるのは、どの宗派も同じだ。啓示の力で戦に勝つのならば、西方諸国間の争いでは、全員が勝者となってしまうだろう。
そこへ、司令官の一人が現れた。騎士たちの下に、千人毎の大隊長と、百人毎の小隊長がいる。姿を見せたのは、グラスゴー隊の残留組を指揮する大隊長だった。辺境騎士団の騎士の会議は、招集をかけられていなくても、本人の希望で大隊長、小隊長の全員にオブザーブする資格がある。
「軍議中に失礼いたします。グラスゴー隊を代表して参上いたしました。来る明後日、皇帝軍との戦となる噂が広まっております。その真偽の程を伺いたく」
「その可能性はあります。今もその件で軍議中です」
「では、まだ決定では・・・」
彼は騎士たちの顔を見て、一瞬浮かんだ明るい表情も、すぐに眉間の皺の中に消え失せた。
「恐れながら、申し上げます。我らグラスゴーの民は、敬虔な剣の教徒です。もし、そのような事態ともなれば、皇帝には逆らえません」
「皇帝と教皇は別物よ。皇帝は単に世俗の代表者でしかありません」
「お言葉を返す無礼をどうか、お許しください。聖戦下にある現在では、皇帝に逆らうことは、蛮族に利する行為でもあります。剣の神は、蛮族の排除、決別を唱えており、故に我らも蛮族打倒を最優先と考えております」
「つまり、皇帝とは戦わずに、蛮族との戦闘に従事せよと?」
「いえ、姫騎士・・・失礼しました!伯爵様は我らにとって、剣の巫女、導き手でおられます。しかし同時に我らには、神殿に名を刻む信徒でもあるのです。どちらを立てる訳にも行かず、二律背反の状態で一つの決議に至りました」
それは、できれば聞きたくない内容に決まっている。
「・・・伺いましょう」
「・・・それは、つまりです」
大隊長は、額に汗をかき、顔を青ざめせながらも、大きく息を吸ってから話を続けた。
「グラスゴー隊は、三分の一を残し、街へ帰還させていただきたい」
「敵前逃亡だ、許されるはずもなかろう?」
ギレスが低い声で告げると、大隊長はひっと、肩をすくめた。
「いいわ、続けて。残る三分の一はどうするの?」
「残る五百の兵は、わたくしが指揮を執ります。すでに希望者は募ってあります。全て、伯爵様に命を捧げる意志の持ち主です。決死隊とご認識いただき、そのようにお扱いください!」
三分の一というのは、大方は神殿に従い、一部は未帰還という体面上の数字か。
「貴方のその勇気は、何よりも頼もしく思います。グラスゴー隊の意志は了承しました。詳細は、追ってまた明日に。軍議があるので、今日のところは下がりなさい」
「はっ!失礼いたします!」
「姫・・・歯止めが効かなくなりますぞ」
ギレスの懸念は最もだ。だが、どの道、離脱者は避けられまい。それならば、敵前逃亡とするよりも、承認の上とした方がいいに決まっている。最も、未来があれば、の話だが・・・単なる私の甘さなのだろうか。
「野伏たちは、残っていますか?」
「奴らは、紋章官に陶酔した崇拝者たち。すでに姿を消しておりました」
スタンリーが憎々しげに言い捨てる。
「ならば、斥候を飛ばして、皇帝軍の陣容を把握しておいて頂戴。では、明日の昼、再度軍議を開きます。解散」
私は私室に戻り、アッシュに甲冑の取り外しを手伝ってもらう。
心配そうな面持ちで、しかし彼は何も言わないでいてくれた。
彼に礼を言い、下がらせると壁越しに並べた甲冑の隣に魔剣を置き、私はベッドに腰を下ろして向き直った。
「私の声が聞こえる?」
『前にも伝えた通り、いつも聞いておるぞ』
そうだ、記憶から消していたが、改めてそれを聞くと恐ろしくて鳥肌が立つ。
「久しいわね、貴方に相談があるの」
『久しいか。お主の時間感覚では、そうであるのかもな。皇帝とやらの戦いにまた我を使うつもりだな』
「察しが良くて助かるわ」
『食料が無いのであろう?籠城はお勧めせんぞ。皇帝は物資にはゆとりがあるようなそぶりだったが、実のところはどうかは知れん。お主らはすぐに食料が尽き、皇帝はいざとなれば、この地の民から略奪するだろう。飢え死にするよりも、口約束を破った方が、まだマシと言うものだからな』
本当に全て聞いているのね・・・。
「皇帝軍をぐるりと囲んでしまうのはどう?中に閉じ込めるの」
『それも間にも伝えたことだ。迷宮に戻れば、人を招き入れずには済まぬ』
「地下深くにすればいいじゃない。いつぞやのように」
『それは、お主の仲間が最初に訪れた位置が、地下であったというだけの話だ』
「・・・え?どこでも良かったの?」
あの地下道を進むのは、本当に骨が折れたんだから!先に言ってよね!
「マンフリード一味が砦の内部にいたじゃない。何処でも壁に穴を開けられたと言うこと?」
『砦の構造はあくまで表向きのオブジェのようなものに過ぎん。外壁に穴を開けたとて、そこに繋がるのは迷宮の内部だ。あの者たちが迷宮の入り口を見つけられなかったのは、資格なし、と我が判断した結果だ。逆に見込みのある者は、誰であろうと招かねばならぬ』
「おかしいわね、私の記憶違いかしら?山の包囲戦の時には、随分多くクリアさせたじゃない?」
『軍師と呼ばれていた男には、見込みがあった。だが、その他大勢の人族と行動を共にしている以上、広く門扉を開ける必要があったのだ。見込みのある者以外に対しては、試練を課そうが課さまいが、我の自由だ』
つまり、屋上まで踏破した者の多くは、ショートカットができたわけか・・・。
「自由、貴方にも自由があるのね。羨ましいわ」
『どう見ても、今の我とお主では、お主の方が自由が多かろう。隣の芝生ぞ』
ことわざまで駆使してくるとは・・・。
「敵軍を囲んでも、わずかな時間しか稼げない」
恐らく、魔剣を所持する皇帝ならば、試練をクリアする可能性は高いだろう。私にできたのだから、当然だ。そうなれば、敵軍を閉じ込めた囲みは消え失せ、皇帝は新たに魔法の甲冑までをも手にすることになる。それが成されるまでに、囲みの上から矢を浴びせて全滅し得るだろうか?だが、そもそも目的は敵の全滅ではない。何しろ、皇帝軍の戦略予備は四万にも上るのだ。本国増援も踏まえれば、六万程度だろうか。まずは、皇帝をどうにかするのが優先事項だ。
「巨大な地下空洞型の迷宮になる、とか?」
『素直に落とし穴と言え。これも前に伝えたはずだ。所有者に楽をさせる事は、そもそも禁止事項なのだ。魔剣が造られた理由は、すでに理解しておろう』
魔法の砦すらも使えないとすると、いよいよ手詰まりだ。
アインスクリンゲを眺める。
「この剣も所有者に試練を与えて、神格化へ導くのが本懐なのでしょ?」
『そのようだな』
そのようだ?
「なぜ、貴方と違って、私に語りかけないの?」
『そのような性質の物でない、と伝えたはずだが?』
「それじゃ、解らないから聞いてるんじゃない。性質の違いについて、補足して頂戴」
返答にはやや間があった。魔剣に宿る“意識体“というのも、考える時間が必要なのかしら。
『お主が求める最適解を模索したのだ。用意した回答はこうだ。“魂の座位“が異なる』
ごめん・・・一ミリも解らん。
『少し回答範囲を広げよう。魔剣の動力源は、霊魂だ。分かり易く言い換えれば、生贄となるかな』
「ちょ、何、その話!?」
えー・・・引くわ。
『所有者の心情を理解し、その気高さ、清貧さ、判断力、バランス感覚、意志の持続性などの成熟ぶりを総合評価するには、やはり同じ人の心が必要だ。且つ、半永久機関として稼働させるには、魔力の消費が少ない実体を持たぬ霊魂が最適とされた』
「待って、それって“人の魂“ってことよね!?」
『無論。それも一人ではない。最終的には、千単位の同じ指数法則を持つ霊魂が必要だとされた。同じベクトルを持つ霊魂の指数は“極限“と定義され、力ある魔剣は、須らくこの極限による製法で鋳造されたものだ』
一本につき、千人の生贄・・・。
アインスクリンゲもそうなのか。
『だが、その者は違う。新しい製法によるものだ。結論から言うと、魂は一つ、そして人族のものではない』
アインスクリンゲは語らない。
一つで済むのなら、千人よりはマシ・・・と果たして言えるだろうか。
『確かに、千人からの意志を収束させる事は、困難なことだ。全員が志願者でなければ、まず成し得ない。ただ、千人の生贄を用意すれば足りる、という事ではないのだ。呪法や薬品など、さまざまな手法が試されたが、最終的には“意志“が重要とされた』
「何を言っているのか、よく解らないわ。要は、心を一つにまとめる、と言うこと?」
『言い得て妙だ。その通り。破綻のない完全な一つの意識体として、融合せねばならん』
「貴方にも、千人の魂と意思があるの?」
『繰り返すが、一つの意識体があるのみだ。生前の記憶や個人の意思は存在せぬ。それはいずれ破綻を生む要因となる。完全に一つの“意識体“でなくてはならない。だが、やはりそこが最大の難所となる。融合の成功率は高くはない。現在において、新参の魔剣に出くわさない理由は、そこなのだろう。竜神との生存競争に全てを掛けていた、かつての時代とは、やはり違うのだ』
魔剣の破壊力と、民を牽引する強力なリーダーの出現を必要としていた時代・・・蛮族との生存競争は依然続く現在だが、一方で人族同士の勢力争いも激しい。明後日に訪れる、私と皇帝との争いのように。
「気持ち悪がらずに、もっと貴方と言葉を交わすべきだったわ」
『それでも、お主の栄枯盛衰に関わるような情報は渡せんがな』
「アインスクリンゲの魂の出処は、一体何なの?」
『解らぬ。竜の霊魂と仮定すれば、一体で可能かも知れん。だが、“意識体“となれば、言語は解らずとも意思疎通は可能となる。意志疎通の出来ない、それはつまり魂の座位そのものが異なる事を意味する。要は、異質すぎて互換性が無いということだ。人並み以上、千人分の容量を持つ霊魂の生き物で、魂の座位が異なるとすれば、“異界“からの召喚とみるのが、最も慨然性が高い結論だ』
うげ・・・悪魔や魔神の類か・・・。
『確かに、触れるだけで互いに呪詛を移し合い、死に至るほど危険な存在だ。だが、それもそう遠い存在ではないぞ』
私の近くにも、存在するの?
『黒髪の魔術の源は“魔界“だ。また、お主がハルトマンと呼んでいる身体に巣食った生物も“星界“からの来訪者だ。そして、お主と別れたあのエルフもまた、もとは“精霊界“の住人だ』
「ロロが異界の住人!?」
優れた能力と知識を持ち合わせ、どんな官僚だって苦労する仕事を楽々とこなし、栄誉も知名度も有りながら、その成果に固執する事なく、転々と世界を流転し、仕える相手を変える。
そうか、私はロロ=ノアの本質をやっと理解した。
そうだ。彼女にとって、私の行く末などどうでも良いのだ。永劫の命があるのだから、どんな王国の栄枯盛衰だって、彼女にすれば、ほんのひと時の戯れにすぎない。王族や諸侯と関係を持つのだって、きっとゲーム感覚なんだ。退屈凌ぎに丁度いい、難易度の高いゲームを彼女は西方世界に求めているのだ。
なぜなら彼女は・・・ロロ=ノアは、この世界を愛してはいないのだから。
『少し開示しすぎたようだな。これより自重する』
「そう言えば、思い出したわ!貴方、ハルトマンの身体は回収できない、と確か言ったわよね?あれは、嘘だったの?」
『嘘?我が事実と異なる事を所有者に伝えるだと?有り得ん事だ。聞かれた際にはすでに、入って来た扉から外へ出ておった。その時には、まだお主の精神とは繋がっておらず、その人族の個体名など知る由も無かった、というまでだ』
「そ、まぁ今更知ったところで手遅れだけど。それはじゃぁ、いいわ。でもね、破滅が眼前に迎ったこの私に、何かもっと有効的なアドバイスがあっても良いのじゃない?そんなに、新しい主人に乗り換えたいの?」
『我に精神誘導は効かぬぞ。だが、戦略を練ることは、お主の成熟のためにも良いことだ。だが、そうだの・・・もう少し前に尋ねられたとすれば、壁を積み上げる時間があれば兵を集結させよ、と忠告したいところだった。初動の遅れが、今の劣勢に繋がっておる。戦は即応が鉄則と、お主も知っておるはずだろうに』
確かに、幼少期から散々繰り返し教え込まれた。しかし、机上で習うのと実際に身を置くのとでは、根本が異なる。はい、今この状態ですよ、と誰かが教えてくれる訳ではないのだから。肌感覚で知れとは、剣技において良く言われたものだが、こればかりは情報収集と分析が無ければ、自らが置かれた状況を知る事は難しい。今がどういう状態なのか、いつもそれが解らず、悩み続けた。何度も思うが、ロロ=ノアがそれを誘導してくれていた。彼女の助言と下支えがなければ、分岐を選択する事も怪しい。そして、今もそれは変わるところがない。
『だが、それでもお主は“行動“を起こした。それは、民と共に街を再興する、という意気込みを周囲に知らしめた事だ。それは、この状況を打開するほどの効果は無いかも知れぬ。お主が求めるほどの成果は得られぬやも知れぬ。だが、僅かであっても、その行動による変化は、確かに起きているはずだ。お主が気づかぬとも、な』
これは、励ましだろうか・・・?先日の大隊長の離脱宣言を思い出した。もしかすると、全員が離脱していたのかも知れない。悪くすると、離脱が離反になっていた可能性だってある。そう考えれば、三分の二の離脱で済んだ事は、最悪の結果とは言えなくなる。
そうか・・・私は、確かにこの世界に生きて、誰かに変化を与えているのか。
『戦に次ぐ戦の連続で、何を今更抜かすものか・・・お主は面白いな』
「そうね・・・ちょっと、感傷的になっちゃったわ。どんな立場の人も、何を成し得た人も、結局はいつまでも同じような事を考えているのかもね。きっと、暗中模索の中、始終悩みは尽きないのだわ。それに、大きな事業を興した人に限らず、人々は日々の生活の中で、世界に変化を与え続けている。私には子どもは持てそうにもないけれど、子を生み育てた親だって、確かな変化を世界に与えているのだわ」
『お主の意志を示せ。恐らくこれが、我からの最期の忠告となるだろう』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます