第5話 辺境の便り
街の広場で、兵士たちが掛け声を揃えて鍛錬を続ける。
今、俺が指導しているのは、盾で受けて突きで返す、という単純な動作の繰り返しだ。普段使っていない筋肉を育てるためだ。これを剣先がぶれなくなるまで続ける。
兵の一人に盾の構え位置を指導している時、ル=シエルが走り寄って来た。
「鳩が戻ったよ!」
彼が言っているのは、グラスゴー制覇のための拠点としていた街から、鳩が戻ったという事だ。
現在、半島の最南端となる一帯の制覇は、パンノニール伯ランメルトと、彼と馬が合うフェアナンド卿に預けられていた。彼らは街から伝書鳩を持ち出しており、緊急の連絡には伝令に持たせる書簡に先立ち、概要だけをそれを使って知らせてくる。とはいえ、グラスゴーに鳩は戻らないので隣の街から伝令が引き継いで、馬の脚で運ぶことになるが。
およそ時を同じくして、ギレスブイグ男爵からも使い魔を用いて書簡を得たとの事で、俺を含むこの街の騎士たち全員が召集されたらしい。
「分かった。後は頼んだ」
「えぇ!?僕が?」
「兵士としては、ここの市民たちより、お前の方が先輩だろ?夕刻前に解散させろ。皆、家の用事があるからな。じゃ、行ってくる」
不安げな表情の彼を尻目に、俺は城へと向かった。
騎士が参集した会議の場で、ミュラーが文を読み上げる。
「ランメルト卿からの知らせです。南端の六つの村、一つの港町に対し、住民たちと領有を誓約。これは交渉によるものである。蛮族と野盗の小集団と戦闘になるも、目立った損害はなし。港町の近郊にあるラムベリーと言う城市の豪族フラム家と交渉するも、姻戚関係を迫られ、やむを得ず拒否した次第により交渉は固着状態となる。領有した地域の詳細は、別途伝令を送る。追伸、西へ向かう船団を多数目撃す」
伝書鳩の脚に括り付けた、小さな書簡に記された文章だ。とても小さな文字で書かれているが、その情報量は限られる。足らない部分を、騎士たちは勝手に想像するしかない。
「財は乏しくても、ランメルトは伯爵家だ。それに婚姻を持ちかけるとは、身の程を知らん奴だ」
「時間稼ぎなのかも知れませんぞ。あるいは、徹底抗戦するための地均しの可能性もあります。ともあれ、何事も慎重なランメルト卿の事です、相手の意図を悟っての対応なのでしょう」
「身内や住民に、抗戦の覚悟を持たせるためか?それは考えすぎではないか」
「単に好みでは無かった、だけかも知れんぞ」
「パンノニール伯は、貴公と違って好色ではないぞ、オラース。貴族的な彼だけに、婚姻話は即断したに違いない」
「戦になるにしても、伯爵が連れ出した手勢は二百程度だ。籠城されれば、手の出しようもあるまいに。その城市の事は判らんのか」
「西方の民が最初に居を構えた地域だからな。きっと、遺跡に寄生して造られた街に違いない」
「ならば、高い城壁があってもおかしくはないな」
騎士たちが、問題定義を継ぎ目なく続ける。だが、ここから南端までは強行軍でも二週間はかかる距離だ。その地を拝んだことがある者は誰もいない。後発の詳細な報告書と伝令の口述がなければ、想像の域を脱することは難しい。
「ランメルト卿からは、援軍の要請は無いのか?」
俺の問いに、ミュラーは首を振った。
「この街は、ハイランド王国と接している。今のところ、敵でも味方でも無いが相手がその気になれば、王族殺害の汚名挽回という口実を生かして、大義名分のある宣戦布告も可能だ。この街の防衛と、アマーリエ地方の奪還、それに加えて南方への援軍は、現実的じゃないぞ」
アマーリエがここで初めて口を開いた。
「南方が戦闘状態になるとしても、遅滞戦闘に従事するよう、すでにパンノニール伯には命じてあります。追加の情報次第ですが、クルト卿の言の通り、二正面侵攻は現状の我々では不可能です。交渉の姿勢を保ち、最悪でも現状維持で時間を稼ぐことが最善と思います。紋章官の意見は?」
「同意見です。フラム家も辺境騎士団の増援がすぐには来ないことを見越して、独立維持のための交渉の糸口を模索しているのでしょう」
彼女は軽くお辞儀を返しながら返答する。
「暴君でもなければ、首を差し替えるつもりは無いという、こちらの意図を相手にも伝えるべきね」
「おおかたの暴君は、自身にその自覚が無いことが問題なのですが・・・」
ロロのぼやきに、一同が苦笑した。
「船団の話は、どう捉えたら良いものかしら」
「蛮族の船である可能性が高いでしょう。奴隷を調達と略奪が目的と思われますが、今の段階ではその程度の想像までしかできません」
西方諸国の南沿岸部では、蛮族による海賊行為は恒例行事と化している。これがまさか、後の大攻勢の前哨戦だとは、今この段階の私たちには気づくはずもない。
「そうね・・・分かったわ。ギレス、使い魔からの報告をお願い」
アマーリエが、魔術師にして騎士にして黒髪巻毛の男爵に催促をする。心なしか、声に焦りを感じる。アマーリエは、こちらの報告を早く聞きたかったのだろう。
「御意。田畑は軍馬に踏み荒らされ、集落はそこかしこが焼けて荒廃し、人々は身を隠し、道を歩く姿は皆無でした」
一同から唸り声が上がり、アマーリエは両手で顔を覆った。故郷を立ってからすでに、一年と七ヶ月が過ぎていた。アマーリエの考えでは、クリューニ、ランゴバルトの両男爵の侵攻は最終的には領有を目的としている以上、残虐な行為には出ないだろうと目していたが、兵たちも飢えれば容赦はすまい。収穫を断たれ、掠奪にあった民たちの苦境は想像に容易い。誰もが、それを想像したろう。不幸中の幸とでも言うか、唯一の望みの種がギレスブイグの口から出た時には、その反動のためか騎士たちは感嘆の声を上げた。
「ですが・・・ハロルド城市は依然、健在です」
「街の様子は、ハロルド卿はご無事でしたか?」
アマーリエの喜び様は、殊更だ。彼女に残された血縁は、今となっては叔父のハロルドただ一人なのだから。
「無論。書簡を使い魔の脚の筒に入れられたのも、ご本人です故」
「・・・よかった」
「ですが、城壁に致命的な損害はないものの、市内の物資・食糧の不足は逼迫しております。井戸が豊富にある城市故、市民の節制の努力により持ち堪えてはおりますが、逼迫はそもそも、長期の籠城に耐え得るほどの備蓄が無かった事に起因しております。こちらが、書簡です」
ミュラーが受け取り、重々しく読み上げる。
「最愛なるルイーサに老兵から申し上げる。まずはこのカラスのもたらしてくれた便りを読むにあたり、感涙のあまり読み進めるに大層苦労した。辺境の地で再起を図ろうと邁進する御身の姿は、数年前の姿しか知らぬ私には、想像もできない。どれほどに苦労を重ねたものか、老人の心はそれを思うに胸が張り裂けんばかりだ。語り尽くせぬ想いだが、それは再会の時まで棚に仕舞い、近況の報告をせねばならない。当初三ヶ月に渡り、激しい攻撃に晒されるも、市民の下支えにより弓矢が尽きることも無くこれを凌ぎ切るに、敵は攻勢を緩めて包囲を固めるばかり。毎夜の如く、罵詈雑言、脅し、扇動と手を変えて兵、市民に対し揺さぶりをかけるが、我が賢明なる民たちは、これにひたすら耐え続けた。一冬目に、手薄になった包囲を抜けて周辺より民が合流。さらにゲリラ戦術で敵兵を苦しめる勇猛なる義勇兵たちと連絡が取れ、幾許かの食料を得る事も出来た。じきにまた二度目の冬が訪れる。敵の食料も枯渇し、士気も落ちよう。敵の撤退は目前ぞ。来春の帰還を心よりお待ち申し上げ候。御身のハロルドより」
「ははは。ご老体はやはり、甥っ子には弱いらしい」
「そんなに小さい羊皮紙にそれだけ書けるのだから、まだまだ耄碌しておらんな」
「義勇兵とは、如何なる者たちであろう。どれほどの規模なのか」
騎士たちが明るく返した。まるで、努めてそうしているかのようだ。報告には、戦果報告はおろか、敵兵の数も、味方の数も、残りの糧食の日数などもまるで抜け落ちていた。
「・・・良い事だけを書いたのね」
騎士団長のつぶやき一言で、皆押し黙った。
「ギレス、他に情報は?」
使い魔というものについて、俺は詳しくは知らない。ギレスブイグが飼っている一匹のカラスの事のようだが、なんでも遠くで見て来たものを手元に戻した後に、回想できるような話をしていた。まったく、便利なものだ。元いた場所へ帰るだけの伝書鳩とは、まるで比較にならない。何より、鳩よりカラスの方が強くて賢いから、帰還率も高いはずだ。まぁ、俺ならば、隼か鷲にするのだが。
「ハロルド市を囲む敵陣は、すでに各所に要塞を設け、何重もの防御柵で取り囲んでおります。ただし、守備兵の数は少ないものでした。ざっと・・・三千といったところかと。その後、北の砦まで飛ばしましたが、砦の旗はすでにクリューニの軍旗が掛かっておりました。守備についていたラバーニュ卿の境遇は不明。義勇軍なるものの姿は、見ることはありませんでした」
「ハロルド城市について、ロロは、どう思う?」
「問題は食料です。楽観的な記述において、来春の到来を待つ、ということは実情はそれ以上に深刻かと」
ハロルドは義勇兵から得た食糧について、その量には一言も触れていない。もしかすると、食料の調達自体、無かったのかも知れない。アマーリエを気遣ってのことだろうか・・・。
「・・・すでに、尽きているのね」
「カラスの目では、人相の変化までは認識できませんが・・・」
ギレスブイグは、そこで言葉を止めた。
「動員できる兵馬の数は?」
彼女は憔悴した目で、俺を見据えながら吐き出した。
「無理だ、アマーリエ」
俺は首を振る。
「兵士の訓練は、貴方に一任しています。答えて頂戴」
すがる思いなのは、判る。俺だって、何とかおだてながら士気を徐々に高めようと努力はしている。人頭税の免除や、騎士への憧れやら、人それぞの目的で訓練は真面目に受けてはいる。兵士としての訓練過程は、総じて順調と言っていい。だが・・・グラスゴーの市民兵に遠征を強いるには、まだ早すぎる。軍隊という集団で行動を共にするできるほどには、彼らは意識も身体もまだ育っていない。何より、彼らの街に直接危機が及んでいるわけではないのだから、尚の事だ。
「動員自体は、紋章官の試算を鑑みても八千がいいとこだ。だが、彼らは奴隷ではない。義務は理解しても、訓練が行き届き、集団生活にも慣れ、戦士としての気概が生まれるまでは、まだ半年はかかる。遠征なんて、すぐには無理だ。落伍者が後を立たなくなるぞ」
「紋章官、徴兵は一万五千に設定しなさい。遠征には、その九割を連れて行きます。各地からの兵を合流させれば、三万に到達するわ。兵站の試算もそれに合わせて。スタンリー卿、軍馬の調達を急いで、あと千頭は必要よ。このままでは、両翼が形成できない。イーサン卿、鍛冶屋の出の貴方の特技と思って、武具の製造を命じているのだけれど、一向に上等品の量産体制が整わないのは何故?職人側に気遣ってばかりでは、発注者の責務が果たせないわよ。一振りの剣を二人で使わせる羽目にならないように、生産速度を上げて頂戴。セヴリーヌ司祭、戦神の教義をもっと普及させて頂戴。風土病からの解放者であり、魔剣所持者の伯爵家領主が、辺境地域全域の安寧のため、遠征を計画しているという事を伝播し、それに参加する事に誉れがある事を再認識させて。クルト卿、好きなだけ人を使っていいわ。市民兵の訓練のローテーションを縮めて、後四ヶ月で従軍できるレベルまで引き上げて頂戴、不適合者はしっかり篩にかけるのよ」
俺は頭を抱えた。ハロルドが楽観的な記述だけに控え、来春を指定したのは、勇足を諌めるためなんじゃないのか?四ヶ月後となれば、まだ冬も明けきれていない。スタンリーと目が合う。彼も困り果てていた。隣国ハイランドは険しい山岳の国だが、東方に平原地帯があり、細々とだが伝統的に軍馬の産出がある。だがしかし、辺境騎士団とハイランドは現状、表立って通商ができる関係にはない。ただでさえ、難しい軍馬の調達を冬に行うのだから、その困難さは推して図るべしだ。新参で庶民の出のイーサンは・・・まぁ、歳も若いし、今のうちから吊し上げに慣れておくのも良いだろう。
しかし、まぁ、ここまで明言された以上、この会議の場では反論を控えるべきだ。あと四ヶ月あるのだ。状況を待って、彼女の体面を傷つけないよう配慮しながら説得するべきだ。
それから、辺境各地からもたらされる報告と、裁定の決議を行い、気がつけば夕食どきになっていた。早朝は鍛錬、午前中から午後は職務、夕方からは会議をこなし、そして晩には酒盛りが始まる。これが第一曜日と第三曜日以外、週に五日あるのだ。西方世界に生きる騎士たるもの、タフでなくては生き抜けない。残りの二日はというと、仕事の後に神殿に参るのが一日、仕事はせずに午前中の祭事に参加し、午後は軽い作業程度でゆっくり過ごすのが一日だ。だが、これでは狩を楽しむ日がない。そんな時には、午前中の祭事を森で済ませるのだ。狩の獲物の魂を剣の神に捧げるという名目で。
宴もたけなわの頃、俺はイーサンに酒を注いでやってからアマーリエの隣に座った。宴が始まったあとは、上座を設けない、それが彼女の決めた騎士団のルールだった。
「呑んでるか?」
「ええ、充分に。でも、いただくわ」
彼女専用の銀の杯に、エールを注ぐ。
「口説きに来たの?」
お?なんだ、どういう意図だ?どう返す?
「あぁ・・・そんな気分なら、今そうするが・・・」
「ばか言って。どうせ、昼間の件でしょ?イーサンが可愛そうだった?」
「なんだ?なぜイーサンなんだ?」
「初めての後輩だし、歳下だからシンパシーがあるんじゃなくて?」
あぁ、なるほど。確かにそんな気がする。でも、今はそんな話しをするつもりはない。
「私なりに、この二年弱で気づいたことがあるのよ。人は結局のところ、苦労を味わって初めて心が成長するの。でも、それもなるべく早いうちに苦労をしておかないと、ダメなのよ」
「ほぉ。そんなもんか」
「大人になりきってからじゃ、愚痴ばっかりで成長しないの!頭だけ賢くなって、身体だけ逞しくなっても、心は子どもの性根がいつまでも抜けないのだわ。丁度、いい見本が目の前にいる」
俺は抗議しようとしたが、アマーリエにニッコリと微笑まれ、その気が失せた。
「永遠の子どもに・・・」
乾杯をして飲み干す。次を注ぎながら、俺は本題に切り込んだ。
「なぁ、アマーリエ。テンポを忘れたのか?がむしゃらに切り込むばかりじゃ、事態は掌握できない。マンフリードの砦で、大人数を相手にした時の様に、相手の動きを読みながら、有利な立ち位置を確保できる自分のテンポを見つけるんだ」
「四ヶ月待つと言ったのよ!?ひと昔前の私なら、すぐにでも出立していたわ!」
周りの騎士たちの目線が集中する。火中の栗を拾うような真似はよせと言わんばかりの冷たい視線だ。思わず声を荒げた事を恥じたのか、アマーリエは小声で続けた。
「この街が、予想以上に大きすぎたのよ」
「どういう意味だ?」
「どうしたって、期待しちゃうわ。でも、実際には動員できるキャパシティは大きくても、実がそれに伴わない。貴方のいう通り、身が熟すには時間がかかる。それがジレンマ」
「だが、圧政からの解放者たるお前の人気も高い。街では、三姉妹と合わせて“剣の巫女“たちと噂されるほど、お前は民心を得ている。スタート地点がここなんだ。そう悲観する状況じゃない」
「・・・そうは言っても、ね。故郷の人々は、こうしてお酒を呑むことすら叶わない、困窮した毎日なの。それを思うと・・・あぁ、嵐の乙女がもっと悪女として大物ならば良かったのに・・・」
嵐の乙女とは、前ファビエンヌ城の女城代、オレリア公アナイス・コリンヌ=コランティーヌ・ファビエンヌの事だ。
「おぃおぃ、物騒だな」
「だって、そう思わない?市民は大層迷惑そうな態度だったけれど、実のところ声の届かないところで愚痴を言う程度のレベルだわ。多くの市民の生活が困窮してしまうほどには、彼女は悪者では無かったのよ。中途半端だったのよね。美術品を売り払い、それでも足らなければ弩も売り、傭兵の数も減らす。暴君と呼ぶには、慎ましいものよ」
「バルの売り上げに貢献する程度のワルってことか」
いやしかし、いくら辺境とはいえ、行き着く集落の支配者が須く、悪虐非道の極みと言える圧政者だなんて、想像だにしたくない世の中だ。中途半端なワルがいても良しとすべしだ。まぁ、あと四ヶ月ある、と思ったばかりだ。今はこの程度の牽制で引き下がるべきだろう。
「中途半端な圧政者の話で思い出したんだが、ある土地の領主が、橋を渡る人に税金を課したらしい」
「橋を渡る者に、税金をかける話は珍しくないわ」
話の腰を一瞬で折りやがって・・・。
「まぁ、聞け。そこは、町中の小さな橋だったらしい。あまりに馬鹿らしく思った町人の一人が、徴税官に尋ねた。途中で引き返しても、税を払うのか、と」
「ふむ」
早速、興味が半減したらしいアマーリエは、切り身の鯉をオリーブオイルとハーブでカリッと焼いたアテをちまちまと摘み始めた。
「徴税官は、決まりでは橋を渡った人が払うとあるからして、渡り切らない者は払う必要なし、と答えた。これを聞いた町人たちは、荷物の受け渡しを橋の上で行うようになったそうだ」
「荷は人でなし、ってことね。いつの世でも、民は税を逃れようと頭を使うわ。税がないと領主の仕事なんて出来ないのに、ね。特に軍隊の編成と維持なんてのは、お金を惜しんでいては、一生無理だわ・・・。そうね、おかげで思いついたわ」
アマーリエが、人差し指を立てて続ける。
「今回の遠征には、税の優遇を追加しましょう。人頭税免除の他に、相続税も免除するわ」
「遠征先で死んだ場合の事を考えてか?」
「貴方も穿つわね。不安材料を一つでも払拭する事は、良いことじゃなくて?人手が足らずに維持が難しい耕作地は、一旦借り入れるわ。人を雇って、耕作を続けるのよ。食糧難にもならずに、田畑も荒れる事なく、売り上げはいただく代わりに、借地料を払うの。もし、戦地から未帰還となったら、相続税は免除、跡取りがいなければ・・・そのまま接収して運用を続ければ良いわよね?雇用は生むわけだし。希望者がいれば、売却もするわ」
なるほど。女は恐ろしい。
私は、鯉の皮がカリッと焼かれた、というか揚げられたこの料理が気に入った。
クルトのおかげで、一ついい案が思いついた。しかし、何もこのまま採用するつもりはない。草案として、ロロやミュラーたちに話せば、さらにブラッシュアップできるはずだ。
「ところで、聞いたわよ。谷で狩りをして、その獲物を街で捌いているらしいじゃない」
「あぁ、ここは、いい狩場だ。山の民の土地も良かったが、ここは射線が通るからな」
「獲物は料理させるのでしょう?貴方が自分で料理できるとは思えない。なぜ、自分で捌くの?それもやって貰えるのではなくて?」
「んー。その話の前に、まず狩の真髄を話さねばなるまいな」
「じゃ、遠慮します」
クルトの話は、男にしては長い。それに、趣味の話になると、男は口を挟まれるのも嫌がって、相手の理解など放ったらかしで話し続けるものだ。
「そう言うなって。久々だろ?こうやって二人で話せるのは」
話す“機会“の間違いでは?話すことができる、なんて言い方は語弊があると思いますが。
「狩ってのは、弓が上手いだけじゃ半人前なんだ。まずもって、獲物を視認できる状態をつくることが何より一番難しい。弓の腕前ばかり自慢する輩が多いが、俺に言わせれば作業の一部しか受け持たない技術者のようなものだ。お膳立てされた仕事だけを請け負い、さも自分だけの力で全てを成し遂げたような面をしているようなもんだ」
城門を破ったり、一番槍を競う騎士だって同じような輩なのかしら?
「犬をけしかけて、巣穴から追い出す方法は、もっとも下品な狩りだと言える。それこそ、ただの射的遊びだ」
「不意をついて狙撃するよりも、必死に逃げる動物を射抜く方が、よほど腕前が試されると思うけど?」
クルトは手を一つ叩いて、天を仰いだ。
「必死に逃げる草食動物は、ジグザクに飛びながら走る。矢が当たったても、それはまぐれだ。貴族が自慢げに話す、一矢一中なんて、ホラなのさ。実際は違う。動物は馬や人ほど、長い時間走れない。増してや犬に怯えて無我夢中だから、数秒で体力が尽きる。息が上がり、熱が溜まって動けなくなった、その瞬間を射抜いているんだ。だから、ただの射的なのさ。俺の狩りは、動物の心になって、相手に気づかれないように潜伏先を探すところから始める」
その鋭敏な共感力で、そろそろ、私の退屈な気持ちも察して欲しいものだ。
「早く、終われと思っているだろ?」
お?
「だが、終わらない。何故なら、俺の話の本題は別にあるからだ。俺は動物の心を想像して、共感できる。だが、人の心は複雑すぎて、よく解らない。だから自信は無いが、お前、何か抱えているだろ?いつも、何か心の中で考え込んでいるが、最近の様子はちょっと陰鬱すぎる。何があった?それは・・・俺に話せない事か?」
さりげなく「お前」と言った事は見逃してやるにしても・・・クルトは突如として鋭敏になるところがある。いつも、おふさげなところがあるが、意外に人の顔色を見ているのか。そう言えば、何かと些細な異変に気づく節もある。もしかして、結構・・・繊細?
「告白なら、今は絶好の機会だぞ」
私は、これ見よがしに大きく頭を下げた。一歩、いや千歩譲ってそうだとしても・・・なぜ、私から告白せねばならぬのか!?
「クルト・・・貴方、本当に・・・バカなのね」
「しみじみと言うな、傷つくだろ?」
ひとしきり笑って、空を眺めた。冬の空はどこまでも澄んで、天の高さは無限の距離を思わせた。
「久しぶりに空を見上げた気がする・・・」
「そうか・・・いつも側にあるのにな」
あ、なんかそれ、意味深。
「その気持ちの悪いニヤケ方は、俺の前だけにしとけよ」
このヤロウ・・・。
「ねぇ、もうじき、旅の目的を果たすための決戦があるわ」
「だな」
「いつまで、側にいてくれるの?」
返答には、やや間があった。今思えば、彼にも何かの予感があったのかも知れない。
「お前が許す限り、付き合うさ」
「そう・・・ありがとう」
しばらく黙って、丘陵を撫でるように走る冷たい風を頬で感じていた。
しかし、その約束は守られる事は無かった。
年明け早々の遠征を決めてから、三ヶ月を待たずして、俺の元には一通の書簡が届いた。グラスゴー駐屯の辺境騎士団クルト・フォン・ヴィルドランゲ宛と記されたその書簡の封印は、よく見知ったものだった。封を短剣で破ると、慎重に筒から書簡を取り出す。
羊皮紙よりも少し薄く張りがあり、重さを感じない程に軽いそれは、木と布の繊維から作られる高価な紙製の公式文書だった。
“我が騎士 クルト・フォン・ヴィルドランゲに告ぐ 大規模な戦乱が到来す 万難を排し至急帰還されたし 貴殿のマクシム“
頭が氷を浮かせた冷水に浸されたかのような衝撃があった。
なぜ、今なんだ。二年近くも放蕩を許しておいてくれながら、なぜ、もう少しの時間をくれない。何度も読み直す。反論を許さない、最大限の強制の意図が伝わってきた。
今にも雪がチラつきそうな鋼色の空を仰ぐ。
マクシムは、彼が幼少の頃の名前でマクシミリアンのあだ名だ。
成人した彼は家の習わしで改名し、北の広大な森と豊かな鉱山を領有する大公となり、後に君主会議から皇帝の任を仰せつかったハインリヒ三世がその人。この書状は皇帝陛下からの召喚命令だった。
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