第11話 生きた証
東からの初夏の風が、両陣営に立ち並ぶ紋章旗をなびかせる。
もう数週間もすれば、風は南からに変わり、日差しも厳しさを増すだろう。
緩やかな丘陵地に布陣した皇帝軍は、重装歩兵を中心に、両側に軽装歩兵、さらに両翼に軽装騎兵を展開した。本体は中央後方、本陣に籠らず、皇帝自らの参戦だ。
数の差を最初から活かし、V字型に包囲する陣形。その数、およそ一万。
対する辺境騎士団の陣形は、密集した紡錘形だ。一点突破を旨とするが、敵の重装歩兵は甲冑を着込んだ、これ以上ない“重装“だ。きっと、どの国の軍隊にも成し得まい。もしかすると、ドワーフたちの顧客は、皇帝軍だったのかも知れない。聖戦による大公国の軍費は計り知れない。家財、家宝全てを持ちながらの戦争をする蛮族に勝利すれば、それなりの戦役はあるだろう。金銀財宝も所持しているかも知れない。だが、それも未知数に過ぎない。価値ある戦利品を約束してくれるのは、蛮族ではなく、文明と商業の発展した西方の諸侯たちだ。故に、皇帝は戦を望んでいる。いや、必要としているのだ。大盤振る舞いした軍費のツケを、アマーリエの地で賄おうとしている。
その野心の矛先とされた、当方の兵数は、今や四千にまで減っていた。
事前の書簡交換で、開戦は正午と決められていた。
間もなく、その刻だ。
皇帝が従者二名を従え、進み出る。
私もボードワン司祭とギレスブイグ男爵を連れて進み出る。
皇帝の従者は、豪華な出立を纏った近衛の長と、紋章官ロロ=ノアだった。彼女は、私を静かに見据えるだけで、口を閉ざしたまま。皇帝が言う。
「司祭殿を巻き込むとは、なんとも愚かしい。降伏するなら今だぞ。三秒だけ待ってやる」
私は無言で踵を返した。
自軍を正面に捉えた。皆、一様に不安げな表情だ。ふと、その中に、青白い顔の少年を見た。あの時の鎖帷子に身を包み、どこから持ち出したのか槍まで構えいている。亡霊ならば、もっと自己主張しても良いものだろうに、危うく見逃すところだった。口から垂れたままの血を拭えと、合図を送るが、彼は敵方向を見たまま気づく様子もない。隣にいた兵が、私ですか?という素振りを見せた。
気を取り直し、私は開戦に先立ち、自軍に最期の想いを告げる。
「この戦を、後世の者たちは愚かな行為と、揶揄するかも知れぬ。西方世界への裏切りと、断ずる者もいるかも知れぬ。だが、私の想いは、ただ一つだ。ただ一つの想いで、この戦に望む。それは、故郷への愛だ!私を産み、育んでくれたこのアマーリエの地を、私は二度と失いたくはない!二年前の心を割かれるような、あの苦しみだけは、二度と御免だ!私は平和を皆に約束した。その舌の根も乾かぬうちに、また戦かと思う者はしかと聞け!ここで私たちが兵を引けば、この地は搾取され、断裂するだろう。皇帝軍と報復を狙うパヴァーヌ軍によって、長く争いが起こり、荒廃し、そして分割される。一つの故郷と一つの民族、血族の繋がりが隔たれ、家族や仲間が敵同士として戦う日々が来るのだ!蛮族との戦争の定中にありながら、私利私欲に狂う邪悪な為政者によって!世の誹りを受けるべきは、皇帝にあり!聖戦を利用し、利権を得ようと目する皇帝の侵略行為は、まさに人族への裏切りに他ならない!青き血の高潔さを失った、皇帝の口車に惑わされるな!真の青き血は、我が軍の兵士諸君の中にこそある!これは、アマーリエ地方だけの戦争にあらず、西方世界の穢れを祓う我らが聖戦なり!我らが全世界に発する、聖なる警鐘なり!私はクラーレンシュロス家に伝わる魔剣の主人として、アマーリエの地の平和を守る責務を果たす!この地の民を失うならば、私は死を望む!誇りを胸に!家族を想え!アマーリエに永劫の平和を!」
『アマーリエに永劫の平和を!』
兵たちが三唱で返す。
この声は、皇帝にも届いているだろう。
何が、永劫の平和だ、そんなものは有り得ん。
皇帝ならば、きっとこう返すだろう。だがしかし、これが私の意志、願いだ。何の飾りも無い、心の叫びだ!
『・・・剣の姫!剣の姫!剣の姫!・・・』
三唱の次に、いつの間にか兵たちが別の言葉を連呼し始めた。
スタンリーが言う。
「西方諸国において、我らほど連戦連勝を重ねた軍はないでしょう。騎士として、貴方に仕ることができた事は、至福の至り。改めて、感謝いたしますぞ」
相変わらず、モーニングスターが好きなのね。紳士的な貴方には、本当に似合わないわ。
イレスが言う。
「末妹だった事を今日ほど良く思ったことはありません。後先のことを考えず、身勝手に生きてる実感ってやつです」
私には、姉妹の関係は良くわからないけれど、ずっと羨ましいと思っていたわ。できれば、貴方には生き残ってもらい、セヴリーヌとミシェルと再会して欲しい。私がそれを言うのも、本末転倒かしら。
ワルフリードが言う。
「ま、成るようにしか成らんでしょう」
貴方のその遠巻きに物事を見る態度は、誤解を生むからいずれ直した方が良いと忠告させていただくわ。心の内にある、その静かな炎を周囲の人にも見せてあげて。
ボードワンが言う。
「今の貴方のお姿を、先代御領主様が見たら、さぞや感涙するでしょうな。男親たる者が、愛する一人娘に辛く当たることは、相当な覚悟と苦悩があるものです。受け継いだ先代の想いを、是非ともお叶えください」
貴方が言うのは、また神格化の話かしら。でもまぁ、個人の目線ではなく、神に使える司祭として、貴方はいつも広きを見ていたのでしょう。貴方らしい、思いやりの言葉なのよね。
ケレンが言う。
「これと言って才なき私が、この騎士団の盟友たちと共に戦に馬を並べることができた事、心より姫に感謝いたします。何卒、天界においても戦にお連れください」
貴方がそこまで戦好きだったとは知らなかったわ。騎士にしては謙虚な貴方は、仲間をつくるのが苦手でしたね。皆、得手不得手があるもの。騎士として、貴方は立派に責務をこなしていました。目立たなくても、私はそれを見ていましたよ。
ラバーニュが言う。
「リハビリの相手が皇帝軍とは、あの陰気臭かった小娘もやるようになった!久々の草原と、せっかくの戦場だ。出し惜しみなく、やらせてもうらうぞ!」
正直、昔から砦勤務だった貴方のことは、会う機会も少なく、良く知らないのだけれど、二年も牢獄に入れられた後のこの戦いは、申し訳が無い気がしています。細かいことは言わないので、どうぞ、気がすむままに暴れて頂戴。
ギレスブイグが言う。
「長い苦しみも、きっとこれが最期だ。最期まで、俺を見捨てるなよ」
貴方の言葉は、いつも重苦しいわ。父の元に士官したのは、確か私が八歳の頃だと思ったけれど、時折、貴方がもっと前から私の側にいたように感じるのは何故かしら。それにしても、見捨てるなよ、とか似合わないわ。もしかして、デレたの?
ミュラーが言う。
「僕たちの戦いの歴史は、きっと後世にも語り継がれるよ。でも、そうは思っても実感がないな」
きっと、偉大な先人たちも同じなのでしょう。どこまでやれば、どうなるのか、それが分からないから、皆死ぬまで奮闘を続けるのよ。早々に楽隠居した偉人がいないのは、きっとその所為ね。貴方には、長い間とても世話になったわ。いや、ほとんど世話した方だけれど。弟を選べるとしたら、きっと貴方を指名していたわ。これまで、本当にありがとう。
貴方たちとこの一戦に臨めることは、人生最大の栄誉です。
アマーリエの名を冠するものとして、私はこの地に、私が生きた証を印ます。
戦の刻がきた。
戦法は互いに知れている。
中央の道は速度を出しやすく、周囲の丘は見た目よりも歩きづらい。この僅かな進軍速度に、全てがかかっている。皇帝軍が包囲を完成させるのが先か、あるいは・・・。
辺境騎士団に、中央一点突破の合図を出す!
家紋の旗を掲げた従者たちを従え、先鋒の騎士たちがランスを構え、軍馬が蹄で土を巻き上げ突撃する。
なだらかな丘陵の道を、風を切って疾る騎士たち。
それに続く従者を追い越す騎兵群。
歩兵たちもそれに遅れまいと、必死に追い縋る。
騎士たちが、ハルバードの穂先の列に馬ごと激突した。
私も敵の穂先を上に弾きながら、その胸元にランスを突き立てる。
ランスが中程で折れ、馬が敵の列に激突した。
剣を抜き、槍を払い、馬が敵兵に噛み付き、首を振って押し退ける。
抜けない!
たちまち、先鋒は立ち塞ぐ敵兵と、後方より押し寄せる自軍に挟まれ、身動きが取れなくなってしまった。
敵兵もハルバードは持っているのがやっと、剣を抜いても手先で振るうことしか出来ない有様。
泥試合だ。だが、ここでスペースを生むことができれば、一気に重装歩兵を抜くことが出来る!
「ギレス!魔法を!」
「そんな余裕はない」
敵兵が周囲から押し寄せていた。後続たちも包囲の只中にある。
天空に、数本の光の筋が疾った。
大きく弧を描き、自軍の中央に落ちて来る。
敵の魔術攻撃だ!
轟音と衝撃が戦場に轟く。
しかし、密集体形の中央を狙った魔術の爆撃はドーム状の光の膜で妨げられた。
ギレスが防いでいるのだと直感した。
敵の攻撃はそれでも止む気配は無い。次から次へと光の炸裂光と爆裂音が轟く。まるでドラムロールのようだ。周りから兵で囲み込み、中央に魔術攻撃をして一気に殲滅するのが、敵の狙いだ。
こんな形の菓子があったが、何という名だったか。
「ボードワン!ワルフリードを治療して!」
「ケレンがやられた!」
「癒やし手、ケレンの元へ!ワルフリード、手を上げろ!どこだ!」
敵兵がまともな攻撃ができずに蠢いている中、馬上の私たちは有利な位置から兜を叩いて回った。ここまで来ると、沸いた害虫を叩き潰しているような感覚だ。しかし、依然として状況は膠着したまま、いくら叩いても叩いても、敵兵は数を減らさない。そこに、不意に同じ目線から剣が迫った!
いつの間にか近接していた敵騎馬からの剣戟を、下から斜めに打ち上げようと剣先を送る。だが、その軌道は躱され、甲冑で受け止められた。私の剣先に触れずに反転した柄頭が、私のアーメットの正面を襲う!すんでのところで屈んで交わすと、すれ違い様に後頭部を襲う二の太刀が来襲する。私は身を乗り出して、相手の腕を捕まえた。
「あー!」
力ずくで伸び切った相手の腕を引き付ける。側頭部に打撃を喰らう。左手で殴って来たのだ。私は腕を離し、相手の手綱を掴んだ。剣が使えれば、剣を使いたくなるものだ。相手は自由になった右手を大きく振りかぶり、私の甲冑の上から有効打を与えるべく、力いっぱい振り下ろした。
「さよなら」
私が手綱を力一杯、上に引き上げると、相手の馬はたまらず身を捻りながら後ろ立ちになった。後頭部から落馬した相手は、そのまま起き上がらない。剣を一旦納め、ずれたアーメットを直す。
それも束の間、別の敵が後ろからせっかく直したアーメットを掴み、私の顔を仰け反らした。露出した首元に剣が回される。頭を掴んだ相手の左腕を右手で固定し、左手で相手の刀身を掴むと、それを奪い取る。角度とタイミングで成せる技だ。奪った剣はすぐに捨て、掴んだ相手の左腕を両手で持って、関節を外した。
アーメットの中から、くぐもったうめき声が聞こえた。
味方を掻き分けて、敵騎兵はゆっくりと遠のいてゆく。
その豪勢な出立は、敵の近衛のものだ。
本隊が近くなっている!
空から響く爆音が止んだ。
「敵を呪えば、穴二つだ!」
ギレスが、反撃を放った。
敵中で、等間隔に次から次へと爆発が起こる。
魔法を放っている訳ではなかった。ギレスはいつも、触媒という小瓶やら何やらを用いていたが、今度は違う。爆発しているのは、敵の魔術師の身体だった。
「はははっ!見たか、青二歳どもよ!」
癖の強い黒髪を靡かせて、不敵な笑みで啖呵を切る姿は、末恐ろしいほど板についてた。
敵の戦法はこれで封じた!
私は敵兵の穂先の合間から、馬に乗る集団を視認した。
その中に、彼らはいた。男装の麗人、古エルフのロロ=ノアと、その隣には・・・バイザーを跳ね上げたままの皇帝ハインリヒ三世の姿!私は叫んだ!
「イレス!皇帝だ!」
私の兜を掠めるように水平に飛翔した必殺の矢が、皇帝の顔面を射抜く、まさにその直前、何者かの腕が高速の矢を掴んだ。
その騎士を私は見つめた。
私を狙おうとした敵兵すら、私の様子を見て戸惑った。
穂先の林が左右に分かれ、一筋の道が生まれてゆく。
私の周りから戦いが止み、それが隣の兵たちへと伝播し、喧騒はゆっくりと遠のいていく。
皇帝はバイザーを下ろしながら、配下の騎士に相手をするよう命じた。
「随分と芸達者じゃない。私の元にいた時は、手を抜いていたのかしら?」
バイザーを上げて、甲冑の男を冷えた目で睨みつけた。
「・・・前に俺が倒した化け物だがな・・・俺はてっきり魚と蛇のあいの子だと思っていたが、実は水竜という竜族の成れの果てらしい。お前のために竜をも殺した俺に対して、その言い草はあんまりなんじゃないか?」
ガントレットの止め紐を締め直しながら、騎士クルト・フォン・ヴィルドランゲは馬を進めて歩み寄る。まるで、旧交を深め合う戦友のごとく雰囲気で。
「まさか、とは思っていたけれど、そういう事だったのね」
「ま、そういう事だな」
クルトの主人は、シュバインシルトの領主、大公ハインリヒ。今や不倶戴天の敵と、それに仕える騎士。
「今回ばかりは聖戦ってことで、いつになくマジらしい。悪いが、手は抜けないぞ」
私は肩をすくめて応えた。
敵も味方も、槍を立てて道を空けていた。
クルトがル=シエルからランスを受け取り、私もアッシュからランスと盾を受け取る。一瞬、アッシュの手が離れるのが遅れる。彼は、目を伏せたまま、口をキュッと噛んでいた。
いいのよ、これが私の運命なのだから。
右脇の槍受けに当てがい、姿勢を正す。
ねぇ、クルト。私が戦いなくない、と言ったら貴方は槍を下ろすかしら?
それとも、泣き喚いたら、私の味方に戻ってくれるの?
衝撃に備えて、首をほぐす。
主人の緊張を感じた馬が、前足を叩きつけて鼓舞した。
いい子ね。今まで支えてくれてありがとう。雪山にも耐えたし、貴方は軍馬の中の軍馬よ。
馬の首元をさする私の動きを待って、クルトは声をかけた。
「じゃぁ、皆さんお待ちかねだ。そろそろ始めるか?」
その言い方。貴方は、ハルトマンやスタンリーから何も学ばないの?
互いにバイザーを下ろし、対峙する。
どちらからともなく、互いに馬の腹を蹴った。
馬は徐々にスピードを上げ、二人の距離は瞬く間に接近し・・・。
瞬間、胸を突いて来るクルトの穂先を私の穂先が跳ね上げる。が、くるりと穂先を回転させて掻い潜られる。
衝撃!
私の全身から光が飛び散った。
フレクシン発光。最初に見た学者は、これを魔剣が放つ自己顕示の光と思ったらしい。だが、実のところは形状を維持するために魔力を削られる断末魔の悲鳴の光だ。
クルトの盾を捉えた自身のランスから、槍受け金具を通して、甲冑全体に打撃の反動が広がった。それと同時に左腕と胸に激しい痛みを感じ、首が根本から飛んでいってしまうかのような衝撃も受ける。
馬が歩調を緩めるのを待って、手綱を返す。
痛みで眩暈がする。
「大丈夫か?」
あ?何が、大丈夫かよ。大丈夫じゃないわよ!
「腕が折れそうだわ!」
盾を持った左手が、ぞんざいな扱いをするなと激痛で抗議している。
「あぁ、俺もだ」
それにしては、ピンピンしてるじゃない!
『奴は剣の加護を得ている。容易な相手ではないぞ』
・・・貴方から話しかけるなんて、初めてよね?
『我の魔力も無尽ではない。其方の神格化が叶う前に朽ちては敵わん』
いい加減、諦めたら?その話!
「いくぞ!」
クルトがランスを構えて馬を進める。
また、あの一撃を盾で受けるのかと思うと、げんなりした。
「くそっ!」
またもや相手の穂先を反らす事に失敗しつつ、クルトの溝落ちに向けた攻撃は再び盾に阻まれた。先程よりも上手く扱えいない理由が、穂先が曲がっているためだと気づいたのは後の祭りで、再び衝撃と痛みが全身を襲う。またも甲冑が白い光を発していた。
盾を構えられない。左腕に力が入らない。本当に、折れているのかも知れない。
馬を反転させようとした時には、首筋あたりがずっしりと重くなり、吐き気にも襲われた。バイザーを上げて、少しでも新鮮な空気を求める。
ランスチャージは、人族が編み出した最大威力の肉弾攻撃と言うだけはある。
馬が嫌がった。無理もない。鞍が反り返るほどの衝撃を背骨で受ける馬にとっても、大変な苦痛を伴う。馬上槍試合で馬の背骨が折れた、という話だってあるくらいだ。
どうする?次の会合でクルトを避けて、皇帝に突進する事だってできる。名誉は損なうが、こんな泥試合で足腰立たなくなっては元も子も無い。
「槍が曲がった!次は剣にしよう」
クルトはランスを投げ捨てると、剣を抜き放った。
勝手なものだ。ランスと盾を放って、魔剣を抜いた。私はランスよりも剣を得手とする為か、不思議と力がみなぎる気がした。
「やぁぁぁ!」
気合を発して馬に喝を入れ、クルトに襲い掛かる。
首元を狙い合った刀身が真っ向からかち合い、互いを弾き返した。
すぐさま二の太刀を送る。
クルトは盾で受けて、苦痛に呻いた。間一髪で私は、クルトの反撃を棒鍔で受け止める・・・が、両手で止めたのに、左手の力が足りていない。指が足らないのだ!
力押しされる!
柔に対しては剛で返し、剛に対しては柔で処す。クルトの感応速度は迅速だった。
右手一本のクルトに押し返され、馬上でバランスを崩したところを盾の一撃をバイザーに喰らった!一瞬、記憶が途絶え、次は地面を転がっている自分に気づいた。落馬の衝撃で目が覚めたのだ。不思議と落馬時の痛みは無かったが、衝撃を受けたらしい背中から熱を感じた。
剣は掴んだままだ。体重移動を利用し、なんとか立ち上がる。
『九死に一生ぞ』
信じ難いことに、息が切れていた。
なぜ、こんなに疲れる?なぜ、力押しされる?私が女だから?いや、違う。この違和感・・・腰が浮いてしまうようなこの違和感には、覚えがある!
鼻血を拭って、身構える。
クルトは馬を降りて盾を捨てたと思うや、風のように間を詰め、容赦のない斬撃を繰り出す。
反射的に剣を合わせてそれを防ぐと、間を空けて構い直した。
クルトが首を傾げる。
・・・?
私は剣を正面に構え、下方に切先を下ろしていた。
鉄門の構え!防御姿勢だ!父から教わった剣技ではない。
両腕を左脇にに引きつけて、猪の牙の構えに変更する。クルトは腕を腹に引きつけた正眼の構えをとる。
近間の構え。突きを警戒した構えだ。読まれている。
動きを警戒しつつ、切先を上へ上げ、右脇側に構え直す。
屋根の構え。クルトも私に同調する。屋根の構えからは多彩な攻撃方法があり、故に足場を確かめつつの、探りあいが続くことになる。
クルトが先に動いた。私は上段と察するや、振り下ろす両腕を切ろうと迎え打つ。が、またもクルトの反応は早い。刃の根本で受け止めると、私の切先を押し返す。てこの原理で容易く押された私の剣は、両者の身体の外側へ追いやられる。攻撃権を得たクルトの刃が、私の横腹を凪いだ!甲冑から火花のような閃光が飛び散り、あばらに激痛が走った!背中が丸まり、硬直する。
左手でアインスクリンゲの刀身を掴み、返される刃をすんでのところで受け止めた。
バインドだ。互いの刃を押し退けて、腕、首、脇、太ももへの攻撃機会を狙い合う。しかし、両者の技は拮抗し、バインドから一向に抜け出せない。
「ヴィルドランゲよ、手を抜いておるのか?」
皇帝が口を挟む。
「いや、そんな・・・つもりは、ない!・・・が、やりにくい!」
「皇帝陛下、神聖な一騎打ちです。様子を見守りましょう。彼らは互いに手の内が知れてしまうのです。決定打に欠けるのは、そのためです」
ロロ=ノアが、皇帝にやんわりと手をかけ、遠のける。
「それを知って・・・聞きしに勝る下衆よの。我は奴から恨まれることになるな・・・」
相手の刃を外へ押し退ければ、巻き返して内側に戻される。刃を握った指を狙えば、指先を開いて躱され、相手の切先側に滑らせると、すぐに根元に戻される。脚を掬おうとすれば逃れられ、体勢を入れ替えれば、半回転して再び元の位置に戻された。得意なはずのバインドからの抜け出しが、全て返され続けた。
裸体が空かない!
脇腹の痛みで、涙が沸いていた。肋骨の間には神経が集中し、そこから伝わる痛みときたら、群を抜いて激しく、身体が勝手に動きを止めて自分を労わるよう命令してくるかのようだ。悪くすれば、折れているのかも知れない。
「力が出ないのか?」
クルトが語りかけてきた。
その通りだ。
だが、力が入らない原因は、ランスチャージを受けた左腕でも、二本少ない左指の数でも、今しがたの肋骨の痛みでも無い。自覚していた。薄々気づいてはいた。そして、今はもう確信している。これは、父と真剣勝負をした時の感覚だった。どれだけ本気を出しても、真剣では父に勝つことはできなかった。木刀ならば、取れた勝負でも、真剣では腰に力が入らなくなってしまうのだ。
・・・私は、この男には勝てない!
実力とは別の何かが、私の心の奥底で、早々に敗北宣言を告げていた。いや、戦いそのものを私の中にある別の私が、真っ向から拒絶している。
私たちの周りには、敵味方問わず、固唾を飲む兵士たちで埋め尽くされていた。その中に、騎士たちの姿があった。従者アッシュもいた。槍を持った石工の倅も、バスタードソードを肩に担いだ辺境の僭主マンフリードも、もしかすると戦で私が殺した者たちも、この群衆に紛れているのかも知れない。私の死を祝いに、亡霊たちも勢揃いというわけだ。
「貴方の勝ちよ。もう・・・これ以上、私は戦えない・・・」
「おぃ・・・」
もぅ、いい加減、疲れたわ・・・身体中痛いし、心だって痛い。
アインスクリンゲを投げ捨ると、たちまち膝の力が抜け、膝立ちになって座り込んだ。
「何してる!立て!」
クルトが私を励ます。
もぅ、やめましょう。いつまでも、続けられる訳でもない。終わりは、いつか来るのだから。
私の腕を引き上げようとするが、もう立ち上がるつもりは私にはなかった。
ロロ=ノアが皇帝に、何か耳打ちをしているのが見えた。その内容は大方、見当が付く。
皇帝が言う。
「生かして捕らえることは許さん。西方世界への裏切り者は、この場で処刑する」
「マクシム!」
「ハインリヒ皇帝と呼べ!」
私が生きていれば、辺境は皇帝に大人しく従うまい。一部の者たちがゲリラ戦を続け、西方世界の一員となった地位を捨て分裂し、再び辺境へと還るかも知れない。皇帝は早急に事態を収集し、ハイランドの平原にとって返さねばならないのだ。軍事力に頼った、荒っぽい早期の併合を彼は望んでいる。
「ならんぞ!立つのだルイーサ!」
爆炎が横一線に広がった!
まるで炎の鞭のように、赤い閃光を引きづりながら、ギレスの剣が燃えていた。
何事か!?ギレスの形相は鬼神のそれと化していた。
雄叫びを上げて周囲の敵味方を問わず、薙ぎ倒しながら近づいて来る。ギレスの手にある燃え盛る剣は、私が見たこともない細く美しい曲刀だった。
「奴を倒して!」
ロロ=ノアが、らしくもない悲鳴を上げるが、駆け寄った兵士たちは、ただの一太刀で燃えながら崩れるカカシの群れとなった。
桁外れだ。まるで、御伽話の魔神。のっしのっしと近づく彼を、誰も止められはしまい。
その前にクルトが、立ち塞がった。
「ダメよ!クルト、魔剣だわ!」
白く光る眼光を憎々しげに激らせ、黒騎士は若きシュバインシルトの騎士を両断した。
倒れ込む彼の身体を私は抱きかかえた。
ああ!何という・・・胸の甲冑が溶けて、何やら判然としない赤黒いモノが露出していた。
「ああ!・・・あああああ!・・・ああああああああ!」
どれほど時間が経ったのだろう?
私は地面にうつ伏せていた。
草は黒く、地面に手をつくとタールを染み込ませた綿のように、どろりと黒い液体が滲む。
顔を上げ、周囲を見渡した。
空は暗く、木々はまばらで、どれも朽ちて腐った蔓が数千、数万本の繊維に解れながら、まるで黒いぼろ布のように纏わりついている。
風は無く、寒くも暑くもなく、臭いもしない。
ただ、重苦しくまとわり付くような湿気と、生ある者も無い物も、木々も岩も土もすべからく、一つ残らず、黒く腐った死の世界だった。
ここは・・・クルトはどこ?
しかし、ここは見覚えがある。
いつか一度、私はこの風景を見たことがある。
「ここは、ニグレドだ。全ての変化の終着点であり、永遠の普遍にして、末路でもある」
白い顔に癖の強い黒髪の男は、傷だらけの黒い甲冑と千切れた黒い外套を羽織り、少し離れた黒い岩に座っていた。さながら、地獄の案内人といった風情で。
「ここは、どこ?クルトはいないの?」
ギレスはまるで百年そこに根付いていた腰をようやく上げるかのように、ゆっくりとぎこちなく立ち上がると、重い足取りで私の側まで辿り着き、再び老人のように腰を降ろした。
「お似合いね。いつ着替えたの?」
彼は鼻で笑ってから言い返した。
「お前も、だな」
私は自らの姿を見る。白く輝く甲冑に身を包んでいた。袖から顔を出すレース地、新品の汚れひとつない白い絹の外套。まるで、父と共にトーナメント会場へと出立した時のようだ。あの時のように、人生に大きな挫折も無く、人生に大きな諦めもない、漠然とした不安と、未来への蒙昧故の羨望。無責任で一方的な期待感。霧に呼びかけるような、空虚さ。
「指を確かめろ」
言われて、ハッとなった。ガントレットを外すと、左手の指は全て揃っていた。
「・・・ここは、死後の世界?」
ギレスはまるで、一人取り残されて生きる事に疲れた老人のような素振りで、ゆっくりと首を振った。
「何者にも成れない世界だ」
一瞬、ギレスの顔に刻まれた深い皺が、際立つかのように感じた。
「正直、私は幻滅している。半永久機関・・・魔力が切れるまで、外部からの干渉を受け付けない理由が、コレだとは・・・我ながら愚かなものよ」
ここは、魔剣の中か・・・ギレスの腰には、あの見慣れぬ曲刀は無かった。私の腰にも、白い魔剣は無い。甲冑も、見慣れているようでいて、今まで一度も着たことの無い見知らぬ物だ。
「貴方の企みは、失敗に終わった訳、ね?」
ギレスの乾いた瞳が、私を捉えた。
「ここにいる限りは、な。だが、焦ることはない。この世界からは、物質界に何の変化も与えることは出来ない。時から隔離された世界だ。外では、ヴィルドランゲを抱いたお前がまだ、涙を流したまま、止まっておるよ」
「彼は助かるの?」
ギレスの顔に熱が戻った。
「助からぬと悟ったからルイーサ、お前はここに至ったのだ!」
私は思わず、後退りする。
「孤独を認めろ!もう誰にも縋るな!他人を当てにするな!俺だけを見ろ!」
彼は太陽すら存在しない暗い曇天を仰ぎ、両手を広げる。
「どう足掻いても、ここには俺とお前しかおらぬ」
永遠と続く黒い沼地。地平線は暗い霧に閉ざされている。私は、永劫の時をここで過ごすのか。
「ギレスと二人きりで、ここで暮らすわけ?・・・それが、貴方の望み?」
彼は力なく両手を下ろしたかと思うと、再び激しくそれを振り上げる。
「神になるのだ!忘れたのか!?自らの神命を!?」
「冗談じゃないわ。そんな目的を掲げた覚えなんて、人生に一度だって無い!それが避けられない運命であり、アマーリエと辺境に住む人たちの平穏に繋がるのならば・・・」
分かった。ようやく、私は理解した。鈍感で察しが悪く、被害者意識の強い私・・・。
「・・・ここは、父を殺した日に見た景色ね・・・」
「ようやく思い出したか。その記憶を消したのは、俺だがな・・・」
「聞かせてくれるのでしょうね?」
「無論、ここに至っては、全てを話そう。業を煮やしたオースブレイドが、盟約を破ろうとするお前の父を殺したのだ。よりによって、お前の身体を乗っ取ってな」
暴風に舞う寝台のシーツ。床で転がり回る蝋燭立て。豹変した私を見て、目を見張る父の顔。
「事は、お前が生まれる前から決まっていた。数百に及ぶ未来予測から、神格化へ至る因子を見つけ出し、分岐をより分け、ハインツ伯が産むことになる一人の娘に白羽の矢が立ったのだ。子を引き取る方法が、最も確実だった。だが、ハインツはそれを頑なに断った。彼の苦難はすでに予想が着いていた。オースブイレイドは、お前が生まれる前から、お前のために造られた剣だ。その剣はまず手始めに、母親を殺すだろう。だが、父親まではすぐには殺さぬ。父親を殺しては、覇者としてのお前の人生は生まれない事を、剣は知っていたのだ。苦難の日々となるであろうハインツの偉業を支えるため、俺も心血を注いで助力した」
家に出入りし、父とよく語り合っていたフードの男。
「オースブレイドは、フラタニティが造った魔剣・・・この剣がそうだというは、知っていたわ。この剣は、私の大事な人たちを殺すのね・・・魔神の魂から造られた魔剣・・・」
「代償だ。全ての魔術には代償が必要なのだ」
「何が、代償よ!?」
ギレスの外套を引きつけようと力任せに握ると、それはあっけなくボロボロと千切れた。
「神格化の代償だ。ハインツも理解していた」
「父が・・・嘘だわ」
「本当だ。だが、私の魔剣で今の領土と地位を築いたのは先代、彼の父だ。彼には・・・ハインツには、利子を支払う債務だけを負わされたのだ」
「貴方・・・いったい・・・?」
疲れ切ったようなため息と共に、ギレスブイグは正体を明かした。
「魔術学会の創設者は俺だ」
「馬鹿なことを・・・」
「魔術師の多いルドニア古王国で貴族の子息を集めて結成し、魔剣製造の技術を手土産にパヴァーヌ王の後援を得た。以来、数百のガラクタを生み出し、ようやく一振りの成功例に至る。それが、オースブレイド、お前の言うアインスクリンゲだ」
「貴方の馬鹿げた行為で・・・幼稚じみた馬鹿げた創作活動に、私の周りの大切な人たちは犠牲になったの?・・・全て、貴方の性で!?」
「一千年に及ぶ、人の願いの代償だ!どの魔剣も朽ちかけている!半永久機関は、永遠では無いのだ。そして神々もまた、永遠の存在では無い。西方世界の人族の未来は収束の道へと向かっている。新たな導き手が現れなければ、早晩、この世界は滅ぶのだ」
「・・・そして、またいつの世か、東から新たな人族たちが再びこの地を発見するのだわ」
ギレスブイグは目を伏せて、まるで叱られた子どものように呟いた。
「そういう未来を、必死に探した。だが、片鱗すら掴めなかった。東の地には、もはや人は存在せぬ。この世界の西の果て、この地が我らに残された最後の楽園なのだ」
再び、瞳を上げた彼の瞳には力が宿る。
「だが、蛮族たちとの抗争にも敗れ、年々と住む地を追われている事に目も向けず、王たちは互いに牽制し、利権を掠め取る事に夢中だ。皇帝ですら!大義名分を得た途端に、拡大欲に溺れ、我を忘れる始末!赤い目の悪魔が蛮族と合流すれば、統制の取れた不死の軍勢へと刷新される。人の世が終わる時が、眼前に迫っているのだ!だが、誰もそれを認めようとしない!ナイフが喉元に迫るまで、誰もが危機的状況から目を逸らしてしまう!」
「貴方が、あの燃える魔剣の力で立ち向かえばいいじゃない!多くの人を不幸に巻き込んで、他人に罪の肩代わりを強いて、貴方は世界を導いているつもりになって!」
「罪ならば!・・・断言しよう、俺が最も多くの罪を背負っている!数千にも及ぶ奴隷の断末魔の悲鳴・・・魂の錬成による余波を受けるたび、俺の魂はその呪われた所業に恐れ平伏す。だが、俺には自らが人々を導く資格はない。何度、未来予測の術式を試しても、その未来は見えぬのだ!あるのは、ただ一つの希望は、白き乙女の神格化のみ・・・山の民が所持していた魔刀カクリヨは、敵味方問わず、破壊を尽くすだけのイカれた兵器に過ぎない。かの時代に求められた魔剣ではあるが、抹殺以外に能が無い。俺では、ダメなのだ。お前でなければならない!お前の心がそれを認めねば、未来はこの沼地のような有様になる!見ろ!この世の成れ果てを!それを避けるため、俺は魂が引きちぎられるような苦痛に満ちた延命術に、何度も何度も・・・耐えてこの日を迎えたのだ!」
ギレスは私に迫った。
「神となり、人々を導くのだ。西方世界に安寧と繁栄をもたらすのだ」
「なぜ、それを迫るの?」
目が泳いだ。
「未来を読めるのでしょう?」
「ああ、その通りだ。それには、お前の決意が必要だ」
「そうはならない未来も、見えいているのね。だから、貴方は必死なのだわ」
「そうならねば!蛮族たちの世界となる!人族を滅ぼす破壊と、その後は荒廃と共食いが跋扈する終焉の世界だ」
ギレスは額に汗を滲ませながら、私の腕を掴んで続けた。
「お前が!お前が失ったものを思い返せ!俺に、その怒りをぶつけろ!」
十七とは言え、まだまだ幼さの抜けない娘に、魔術で延命を重ねた年齢不詳の男が泣き付いた。
「私はきっと、無慈悲で薄情なのね。失ったのは、私じゃないと思っている。大切な人たちが亡くなったのは、この魔剣の力や、貴方、もしかするとロロ=ノアも関わっているのだわ。それに対しての怒りは、無いわけではない。でも、失ったのは私じゃない。失ったのは・・・死んだ人、それぞれの人生と願い、そして将来よ。彼らが、私に代闘士となれと願うのであれば、私は彼らの無念の為に、喜んで剣を取って戦うわ。でも、どうにもそうは思えない。きっと、そんな事を私に望んではいない、今は・・・そんな気がしている」
「ハロルドとサンチャを殺したのは、ロロ=ノアだ!流石の俺でも、あの侍女まで殺そうとは思い付かなんだ。増してや、雪山でフェンリルを暴走させようとは・・・あれには俺も肝を冷やしたくらいだ。奴は人の心が読める。俺の計画も当然、露見していた。きっと奴も見たかったのだ。神がこの地上に生まれる瞬間をな。だから、俺の計画に勝手に演出を加えて来たのだ。奴は多少、勘違いをしていたが、俺と奴は共犯者だ。お前が他に頼れる相手は、もうどこにも居ない」
私の頭髪が、ゾワッと襟元にかけて逆立つのを覚えた。
どうだ?とギレスの瞳が訴えていた。
私はついに、悟った。ギレスブイグが、ロロ=ノアが、アインスクリンゲが私に課していた“試練“の目するところ。
それは・・・。
「魔神の力の苗床は、孤独と怒り・・・そうでしょ?」
「何・・・を」
異世界の魔神は、きっと家族や友人、伴侶を持つことの無い種族なのだろう。もしかすると、物質すら手にすることの無い、精神体だけの無機質な生物なのかも知れない。それが生物と呼べるのかどうかは知らないが。怒り・・・感情の中で最も苛烈で、力のあるもの。そして、孤独がそれを下支えし、生存本能が怒りを育てる。
「勘違いしないで頂戴。私は、それが最終的手段と判れば、神にでもなるし、身を捧げて人々の為に尽くしもするわ。でもね、私も年相応に反抗もするのよ。最もらしく話す貴方の言葉も、実はその全てが真実では無いのかも知れないない。人の言葉を間に受けて、いちいち反応するほど幼くもないのよ。貴方や、魔剣が代償を求めるのならば、私の方だって、それを求めるくらいには強かなつもりよ」
「代償・・・それは、俺の命か?」
私はギレスの絡まった髪を撫でた。
「馬鹿ね、いい歳して。それは、私がまだ手に入れていないもの・・・よ」
ギレスは眉を八の字にして、手を広げてみせた。
「・・・愛か?」
彼は立ち上がり、この何もない世界の澱んだ空気を震撼させるほどの大声で叫んだ。
「愛ならば!この俺がくれてやる!俺だけじゃ、ないぞ!数多の人々が、愛をお前に誓うだろう!誰もが望めぬほど、誰もが成し得ないほどに、お前は溢れるほどの愛を得ることができるはずだ!」
「ギレス・・・貴方は、だから子どもなのよ。女が求める愛は、たった一つで良いものよ?」
「ば、馬鹿な。そんなはずはない!お前は魔剣の呪いで子どもも産めんはずだ。呪いは必ず!愛する者にもいずれ必ず死を招く!不幸がまた、訪れる!必ずだ!」
立ち上がって、魔剣に呼びかける。
「私を現生に戻しなさい!貴方が唯一、どんなに足掻いても手に入れられないものを教えてあげる!」
ギレスが両肩を掴んで、私を制する。
「止すのだ!魔神はその感情を解せぬ、それでは魂が乖離してしまう。一つの意識体として融合できんのだ!ルイーサよ!お前は、俺を置いていくのか!?俺を見捨てるな!お前の人生をかき乱したのは、俺の計画なのだ!俺は、そんな程度の男なのか!?俺が心底憎いはずだ!おい!俺を無視するな!」
「壁があれば破壊し、破壊した経験を糧とし、万難を廃し目的を達成するまで追求し続ける。それが、覇者の道です。ましてや、愛の為になら、如何程の事もない。いい歳なんだから、泣くのはお止めなさい。貴方の罪と苦痛に満ちた人生だって、無駄になるものなんて、何一つも無いのだから」
良いか悪いかはさておき、貴方も、私にとっては育て親の一人・・・。私に強いて来た孤独は、貴方に返上するわ。
「待て、どうするつもりだ!?皇帝と戦うのか?生身で魔剣の力を使えば、すぐに内包魔力を使い果たしてしまうぞ。生体では魔術回廊が開きすぎるのだ!いいか、良く聞け。奇跡の行使は、人々の祈りの加減に任せるのだ!祈祷から魔力を収集し、貯めた分だけ放出すれば、永遠に人々を救い続けることができる!自らの魔力を持って行使してはならん!行き過ぎれは、意味消失してしまう!待て!待つのだ、神格化の手順は俺が導いてやる。俺は、その為の研究を数百年、続けて来たのだ!落ち着いて考えろ、俺の力が必要なはずだ!お前は、ただの一時の為に、世界を救える力を失うつもりか!?」
いつだって、若者は親の言うことは聞かず、無鉄砲なもの。大人たちは、いつもそう言って嘆いていなかった?知らないの?失敗が目に見えていても、旅立とうとする我が子を止める手立ては、親には無いよの。
「例え、失敗しても私は本望だわ。だって、世界を救える力を全て投げ打って、愛に生きるなんて・・・ちょっと素敵じゃない?」
どんな結果で終わろうが、それが私の生きた証なのだ。
息を吸った。
瀕死のクルトの身体が、私の膝の上にある。
私は飽和状態の魔剣の魔力を、糸を引き抜くように解放してゆく。
騎士の身体の傷は修復され、溶けた甲冑は再構築されていく。
治癒では無い。これは、再構築だ。
汚染された世界から穢れを浄化し、人が住める世界へと再構築した創生の神々の力。
大地をも生まれ変わらせる、創生の御業。
辺境騎士団たちの負傷も再構築されていく。
『再生』、そして対なる『破壊』。
皇帝の目は、私を恐れていた。
「神に仕えし剣の子らの王よ。神の前にひれ伏せよ。降れば慈悲を、抗えば罰を与えん」
皇帝は、あたふたと周囲を見渡した。
「エルフめ、どこへ消えた!?神を語る不届き者を成敗せよ!何をしている!今すぐ、殺せ!」
私の頭上にハイロウが輝く。破壊の力が光線となって、皇帝軍の背後の大地を横薙ぎに吹き飛ばした。噴煙が天高く立ち上り、衝撃波が地上にいる者たちを薙ぎ倒した。
だが、皇帝は恐怖の中に活路を見出した。今の一撃で軍勢を粉砕しなかった事に、私の弱さを見抜いたのだ。
「こけ脅しだ!怯むな!突貫せよ!」
逃げ出す者も多かったが、向かってくる者もいた。彼らは、今すぐ倒さねば、今度こそ殺られると感じていた。皇帝軍の兵たちは、恐怖に蒼白になりながらも、必死の形相で迫り来る。
「我に従う英霊たちよ。尖兵となり、敵を打ちのめせ!しからば、喜びの野にて戦士としての待遇と、輪廻の門扉を開く事を褒美とせん!」
石工の倅、辺境の僭主たちが光を纏い、辺境騎士団の兵士たちの中から踊り出し、敵兵へと雪崩れ込んだ。その中には、馬に跨り槍を振る父と、その傍らに寄り添う女騎士の姿もあった。きっと、あれが・・・母の姿なのだろう。赤い悪魔の巣食う洞窟で倒れた者たちの姿もまた。ノイマン、シュルト、ボルドー、ルキウス、カルロ、オランジェの六人の騎士。マンフリード戦で力尽きたターラント、ウルバンの姿もあった。そして・・・パヴァーヌの騎士、ハルトマンの姿も。名も知らぬ兵たちが、その後に続いた。半ば透き通る、光の戦士たちを敬礼して送り出す。皇帝軍の槍は空を切り、身体を槍で貫通され、幽体の軍馬が身体を通過する度に、心を痛めつけられ、涙を流し、頭を抱えて倒れ込む。常軌を逸した戦況に慄き、皇帝軍は後退を始める。
アッシュが引いてきてくれた愛馬に跨ると、大きく手を挙げた。
「生ある勇者たちよ!我に続け!突っかーん!」
手を倒すと、角笛が轟き辺境騎士団の兵たちは鬨の声を轟かせた。
私が吹き飛ばした大地の穴に、皇帝は転がり落ちていた。
彼の兵たちは涙を流し、目と耳を塞いで蹲っている。皇帝も涙と鼻水を垂らしたまま、私を見上げた。
「あ、あああ、悪魔め・・・」
アインスクリンゲの刀身が燦然と輝くと、皇帝軍の兵たちの傷がたちまち癒えてゆく。片目を失っていた者は視界を取り戻し、腕を切り落とされた者は再びそれを手に入れた。狂気に苛まれていたものは正気を取り戻し、誰しも分け隔てなく、奇跡の恩恵を得た。意図しなかった事だが、皇帝の鼻水も綺麗に無くなっていた。
魔力の糸玉の最後の一本が抜けた。
すると、アインスクリンゲの刀身にピキリとヒビが入り、そう思うが早いか、粉々に砕け散った。
ボトリ、と刀身を失った剣の柄が、地面に沈んだ。
続いて、甲冑が消え失せ、補強の鎖帷子とレースのシャツ、綿入れの胴着、タイツに外套という姿になった。
「は、は、ははは!魔力を使い切りおった!大盤振る舞いしすぎたな!この愚かな小娘が!」
立ちあがろうとするハインリヒを蹴り倒す。
彼の背後の地面には、扉がその入り口を開いている。
試練を与える迷宮の門だ。
そこ知れぬ暗黒の闇に落ちそうになったところを、間一髪、両手両足を開いて堪えていた。
「な・・・んだ!これは!?どうしてこんなところに・・・ぐ、扉がある!?」
皇帝の剣を拾い上げ、私は言ってやった。
「許してあげてもいいけど、条件があるわ」
「な、なんだ?早く言え!」
「三秒で戻りなさい!」
腹を蹴り込む。
ハインリヒ三世は、悲鳴の尾を残しながら、底知れぬ迷宮へと落ちていった。
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