第7話 生還者
私は、自らを私と呼ぶべきであろうか。
自分、我、儂、わたくし、俺、僕・・・自分自身を表す言葉だけでも、数多存在する。私はそれらの言葉と意味を知っている。だが、どれも正解のように思われる場合、一体どれを選択すれば良いのだろうか。自分であり、我であり、儂でもあるわたくしの・・・と続けることが不正解であることくらい、私の宿主の記憶を有するところの私でも、理解する事はできた。よって、最適解であるかどうか不明ではあるが、 仮に私とする事にする。
私はこの場にいる誰よりも、年長であった。そして同時に、赤子のようなものでもあった。私が自らを死に追いやった生命体に寄生し、その記憶するところを取得した事は、ただの偶然だ。その宿主が死に、自らもまた同時に死を予感した時、私はその者の体内に寄生し、身体の存続を図ったのも、また、それが可能であったことも偶然の結果だ。今まで、動物の体液の代わりとなろうとなど、露ほどにも考えた事は無い。だが、その結果延命した命も、かりそめのものでしかなかった。私の身体では、元々この身体に流れていた赤い液体の代わりにはなれないようで、各所で身体の機能が衰え、停止し、次々に毒素を生み出し始め、その修復の目処は立たないでいる。私は間もなく死に絶える。それがどれほどの時間なのかは判らない、時間の概念は宿主の記憶で理解はしているが、これまで時の意味を知らずに生きてきた私には、今さらそれを認識することは難しい。
私は、自らの身体の生き残りに繋がろうと、意識の波を放つ。かつてならば、大地の奥底に広がる私の無数の分身は一つにまとまり、手足の如く一つの思考で繋がっていた。だが、比喩では無い現物の手足があっても、この身体の中の私は孤立無縁で、どこにあるかも解らないトモガラが送る、僅かな思念派を受信できる程度だ。分裂した身体は、確かに何処かに存在している。だが、情報を交換するには、もっと接近する必要があるのかも知れない。
ただこのまま横たわって朽ちる事は、私の生存本能が許さなかった。この予想だにしなかった状況から、抜け出さねばならない。初めは四つ脚で這い進み、やがて、それが本来のこの生物の移動方法ではない事を記憶から理解し、そして立ち上がって二本の脚で歩いた。身体の傾きを器官が検出し、補正するように電気信号を送ってくる。なんとも不思議な経験だった。この身体が予め覚えている動きを、私は初めての経験として会得してゆく。感覚器官の有効範囲はとても狭く、限定的で不自由だが、映像として認識できる瞳という器官は素晴らしく画期的で、心底感動を覚えた。やがて、音を聞き、匂いを感じ、肌感覚を会得した。この身体の仕組みは徐々に理解したが、ところどころに破損の形跡があった。記憶を頼りに、本来ある形に修復してゆく。修復が完了すると、私の身体はこの体組織の中に収容され、周囲の情報収集は器官に頼らざるを得なくなった。いっその事、外に出て本来の姿で移動しようかとも考えたが、いざ慣れてくれば、この身体の方が効率が良いことに気が付いた。少ない量の私は移動速度が遅い。それにこの身体の内部ならば、乾燥から逃れられ、養分も得られる。私は出口を求めて彷徨った。この宿主の持つ記憶に脱出のヒントがあるかも知れない。私は彷徨いつつ、幾度も記憶に繋がり、思考を混乱させ、感情の残滓に触れるたび吐瀉物を地面に放出した。この宿主の情報交換手段が思念ではなく、喉から空気を振動させて発する音声である事、音声は何種類もの言語によって体系されている事、個体毎に分離して行動し、別々の思考をする生き物である事、そのため個体を識別する名称があることなどを知った。
私の宿主の名は、カラスというらしい。
そこまで理解した時に、不意に構造物が意思を持って変容した。永遠の闇の空間だったものが、明かりが灯り、道が開けたのだ。どうやら、この構造物は私にここからの退場を促しているらしいことを察した。私はギクシャクとした動きを滑らかにできるよう補正しながら、そこを歩き、やがて・・・外へ出た。
外には、同じような姿の生き物たちが溢れていた。多様なルーツは持つが、その殆どが、ひとまとめに人間という種族だと、宿主の記憶が語る。私は、自らの死の原因について、人間から学ばねばならない。個体ごとに独立した思考を持ち、九分九厘まで似ていながらも、それぞれに僅かずつの違いを持つ。この宿主は、自らの生を最優先としながらも、他者の生にも関与し、種全体の生にも関心を持っていた。進んで他者に関わり、手を貸すことで、全体として利益を得ようという考えだろうか。まだ、その時の私は理解に苦しんだ。当分の間、他の生命体との接触は避けることが賢明と判断した。人間の身体に寄生した今の私と同じ存在がはっきりと認識できるまでは、私は自らの存在を人間に知られるべきではない。だが、その逆は速やかに実行すべきだ。まずは、この宿主の記憶から、人間を知ろう。対処はその後だ。
その時、私は自らを滅ぼした人間たちの姿を視認した。私は恐怖した。だが、宿主の持つ記憶から伝わる感情という総合的な評価基準は別のものだった。思考が混乱し、またも吐瀉物を吐き出そうと身体が反応したため、私はその場を去ることにした。まずは、どれほどのものかは判らないが“時間“が欲しかった。
自らの生命の終焉を知らない私だったが、この身体の寿命は迫っていた。私は私を攻撃するこの身体の器官と絶えず戦いながら、宿主の身体が死んでいくのを実感していた。だが、何よりも恐ろしかったのは、宿主が自らの寿命を知っていたことだ。いや、これは語弊があるようだ。正しくは、他の同種族の様子から、どんなに無難に過ごしても、病原体や身体の損耗に襲われないという幸運に恵まれても、おそらくこれくらいの時間経過で死に至るだろう、と漠然と認識していた事だ。私は、心底恐怖した。自らの生の期限を知るが故、人間たちは激しく、忙しなく、結託して活動するのだ。まるでそうすることで、生きた証を大地に刻もうとするが如くに。
膨大な情報は散文的で、欠如している部分が多かった。だが、それらに接続しているうちに、更なる恐怖が訪れた。それは、感情という判断基準だ。統計から得られたらしい感情という即応即断を可能にする決断回路は、私を大いに恐怖させた。この種族は、意思疎通の困難な他者との交流を有利に行う上で、より早く状況に反射する必要があったようだ。感情はテンプレートのようで、多種多様な状況対応に際しては、いささか信頼に欠けるようにも思えるが、ルートが単純なほど短時間で結論に至りやすい事は事実だ。私は、宿主の記憶を洗いざらい反復した結果、自分が人間との生存競争に敗れた原因が次にあると結論づけた。
単一の意識によって予知せぬ事象への対応を多角的に協議できない
男性と女性の区別がなく、分裂は均一であり、より強く多様性のある成果を望めない
定命を持たず、天敵にまみえなかったため、危機感が欠如していた
集合意識体は、一つであるが故、一つの死が種の全滅を意味する
自分以外の有機物は全て捕食対象としてしか認知せず、情報を得ようともしなかった
感情という判断基準がなく、思考による状況判断の末、危機に対する対処が遅れた
私はこれらを敗因と位置づけ、自らを是正する必要性がある事を理解した。
地表を彷徨い歩き、さまざまな生物たちを観測した。だが、宿主の記憶を持ってしても、それらの答えを得るには至らなかった。中でも、感情の取得については雲を掴むようで、手応えはまるで得られない。こうしている間にも、宿主の身体は徐々に朽ちてゆく。私は感情を持つであろう、人型の生命への接触を試みる決意をする。しかし、人間への接触はまだ敬遠すべきだと思えた。そこで狙いは、人間が敵視する種族、蛮族と言われる野生的な人型種族に定めた。
初めは散々だった。近づくだけで、敵視され攻撃を受けた。これが感情というものなのだろう。どのような生き物か観察したり、攻撃してくる気配などを察知する前に、近づいただけで攻撃をして来るのだから始末に負えなかった。蛮族たちが使う武器の威力を身を持って知り、動かなくなった身体を修復し終えた後、自分が持っていた武器の使い方を宿主の記憶から呼び起こし、次には蛮族を制圧することに成功した。自分の身体の一部をその蛮族の中に移し、増殖して反抗する器官を制圧するのを待つ。太陽とやらが、天空に登って沈んでを七回繰り返した頃、制圧は完了した。このカラスという宿主の中で生存領域を得るにも同じ程度を要したが、今度は死んだ身体だ。分裂した私の目覚めは早かった。不完全ではあるが、意思共感が繋がれ、この個体の記憶が、流れ込む。どうやら、私の意識は、固定ごとの記憶に影響を受けるようだ。もはや、もう私は単一の存在には戻れないのかも知れない。もう一つの私の身体は、異なる一つとして変容を始めていた。九分九厘は同じであっても、不完全な分身。しかし、それは私の新たな可能性を示唆するものでもある。私は、存続のための課題のうち、一つの答えを得たのだ。だが、分裂を進めるうちに、どの個体の感情も人間とは大きく異なる事に気が付いた。最初の宿主のように、自らを犠牲にしても他者を生かす感情はどこにも無かったのだ。純粋な欲求への帰結。自分が生き延び、他者から奪う。強い者には従うが、それは従わないと殺されるためだ。あるいは、強い者に従った方が、長く生きることができるから。他にも有益な情報は多々あった。けれども、私の敗因を払拭するための決定的な不足箇所は埋められなかった。私は、人族と蛮族との間にある、この隔たりに愕然とし、答えが遠のいていく絶望感に苛まれた。
時間はあまり無い。時間を認知した事のない私には、それがどれほどのものかは想像できないが、今や私の時は有限なのだ。蛮族の記憶の中に、私が求める真の答えはなかった。私の自問は、私を殺した者にこそ、唯一の答えがあると帰結した。
私は宿主が再会を求める人間を特定し、接触を試みた。一度目は、戦いの場となった。敵と味方の区別が付かず、リスクを避けて一旦、身を引いた。そして、ここに二度目の接触を果たした。
「ハルトマンなの?」
その人間、多くの人族を従える立場の指導者の問いに、私は記憶の海の中から答えを探し当てた。私は、今や言葉の扱いが交信において、とても重要で繊細な役割がある事を理解していた。だから、慎重に言葉を選んで文章を構築してから、それを音声で発する。
「時に、そう名乗っていたようだ」
目の前の人間の名は知っていた。その身体の中にも、私の一部の存在を感じる。だが、思念派の交信には答えなかった。この宿主や移植した蛮族と同じように、生きているうちは活動が抑制されるようだ。殺せば、活性化した私の一部が、多くの情報をもたらせてくれるのかも知れない。だが、今はハルトマンと名乗る宿主は、それを否定する。どの道、すぐに死ぬ種族だというのに、私の意識もまるでその意見を尊重するように、どうしてもそれを実行する気が起こらない。そして、自らが殺されたという体験から来る本能的な恐怖感。これが、私が求めている感情なのか。何はともあれ、ここにいる人族たちの戦闘での強さは、この個体と拮抗していると記憶が告げる。ましてや、アマーリエという個体の強さは群を抜いて秀でていると、ハルトマンの記憶は念を押す。ここですべきは、戦闘ではない。
「私は、貴方を助けに来た。きっと、助けがいるはずだ」
「二人だけで話しましょう」
指導者は意を決するように、そう返した。すると、間髪おかずに他の人間たちが異論を述べた。私が生前のハルトマンではないことを、彼らはすでに察しているようだった。
「ならば、ロロを呼んで。騎士は参謀のギレスだけ同席を許します。他の者は、天蓋の外で待ちなさない」
危険だと男性たちはさらに抗議したが、アマーリエはそれを退けた。なるほど、言葉のやりとりだけで状況を変化させる、これが人族たちの基本行動らしい。ならば、私の望みも叶うかも知れない。
ハルトマンの記憶によれば、ギレスというのは、騎士の一人で特殊な力が使えるらしい。何を考えているのか察するのことのできない、得体の知れない輩ということだ。そして、新たに姿を現した人族は、ロロ=ノアという名の異種族で、頭脳明瞭、遠謀深慮に長け、またこちらも胸中の知れない不気味な存在。だが、私はこの個体の方に親近感を覚えた。私にはこの者が、意思の情報網をまるで糸のように周囲へ張り巡らせていることがわかった。その先がどこに繋がっているのかまでは、認識できない。だが、私の存在により親い者であるように感じた。この者も、私の死に関係していた。この者の情報もまた、有意義であるに違いはない筈だ。
「体調は優れないのですか?」
「どうぞ、お気になさらず。私などより、生還したハルトマン卿の方にご注意を向けなさい」
「もはや、生きてはおるまい。私でなくとも、騎士たちはすでに悟っておるぞ」
ギレスブイグという騎士が、目を伏せてそう呟いた。アマーリエ以外、誰も、私と目を合わそうとしなかった。しばらく沈黙が訪れた。どうやら、私の発言を待っているのだと理解した。
「自己紹介が必要の様だな。私は、君たちに負けた地下の赤い水だ」
アマーリエが深いため息をついた。
「・・・貴方は、何者なの?」
この質問には、しばらく考えさせられた。
「私は、生命体だ」
「・・・」
誰も反応が無かった。補足を要するようだ。
「君たちが風土病とも呼び、いつの世からは知らないが、私はずっと長い間、この地方の土に住み着いていた。名はない。考える必要も無かった。呼び名が欲しければ、そうだな・・・赤い悪魔とでも言えば良いだろう」
「ふん。悪魔が自ら悪魔と名乗るようでは、世も末だな」
ギレスブイグが、罵るような、笑うような、怒りとも見える口調でそう返した。果たして、その感情は、侮蔑なのか、愉快なのか、憤怒なのか、私はハルトマンの記憶を漁っても、判断をしかねた。
「ハルトマンの記憶が、その言葉を選ばせた。何か不都合があったか?」
「ハルトマンは、まだ生きているの?」
アマーリエが身を乗り出した。この人間は、それを心から期待しているようだった。
「ハルトマンは死んでいる。私の身体が血の代わりを務め、一時的に機能を維持しているだけに過ぎない。期待に応えられず、残念だ」
言葉を選んだつもりだったが、アマーリエは両手に顔を埋めて呟いた。
「それは、死者への冒涜だわ」
その言葉の真意もまた、理解しかねた。外から観察していた時とは、明らかに人族たちの反応が違っていた。もっと、高い声色で、頻繁にやりとりをしていたように見えたのに、今は皆、言葉は少なく、声色は低かった。私の話し方に、違和感があるからだろうか。
「私は、アマーリエを助けたい、それだけだ。ハルトマンはそれを望んでいた。私もそれにより、希望の糸を見出せる事を期待している」
「希望ですか?どのような希望です?」
思念波を持つロロ=ノアが尋ねた。
「私自身の存続への希望です」
「ならば、お誂え向きの人物が目の前におりますよ。未来を予見できる魔術師が、ね」
アマーリエが、ギレスブイグに向き直る。
「まさか、貴方、未来を予知できるの!?」
「全てのエルフ族に呪いあれ、だ。人の専売特許を軽々しく語る者ではないぞ」
「ちょ、ねぇ、未来が見えるのね?」
「すみませんね、私は頭痛がひどくて、貴方の力がまさに頼りの綱なのです」
私の思念波が、このエルフ族の思念波に干渉しているのかも知れない。
「落ち着け、未来を予知する魔術師がいても不思議はあるまい。だが、未来は逆しまに置いた杯の中身を知るようなものだ。青い杯の下から金貨を取り出す未来を見れば、迷わずに青い杯を手に取れる。だが、その隣の黄色い杯の下には、もっと多くの金貨があったかも知れない。それは、神のみぞ知るだ。最低最悪の結果でもなければ、予知した未来を選択するしかない。その程度の力だ」
この男は、本心から話してはいないようだ。
「雪山を選ぶか、沼地を選ぶかは、どうだったの?」
「待て、俺が人生全ての未来予知をできるとでもいうのか?もしできたとしても、術が終わった時には、俺は寿命を迎えているだろうよ」
しばしの沈黙の後、アマーリエは笑い出した。
「今は目の前の怪事件に集中しろ。よくぞ無駄話ができたものだと感心するぞ」
彼は、彼・・・否、彼女を褒めているのだろうか?
「赤い悪魔さん。なぜ、貴方は報復をしないの?」
「報復・・・その意味は知っている。考えられるものは、君たち見覚えのある臭いの者たち全員の死滅か、君たちと同様の姿の生物全ての捕食だが、前者は、君たちが私を襲おうとしていない以上、その必要性は現状において感じられない。後者については、とても骨の折れる作業で且つ、デメリットの方が遥かに大きい。君たちが思うほど、私は大食漢ではない。だが、定期的に摂取は必要だ。捕食対象は多いに越したことは無い。それよりも私は、君たちから学ぶ事の方に、強い必要性を感じている。報復と生存を天秤に掛けた結果、生存のための学習を選択したまでだ」
「ハルトマンとは、やはりすでに別人なのね。彼の口から、聞き慣れない口調で、らしからぬ発言内容だわ・・・まぁ、私たちをいずれ食べるつもりなのではないか、という問題はひとまず棚上げとして。生存のための選択肢・・・それはつまり、従軍したい、というわけ?」
「可能な限りでかまわない」
ギレスブイグが吐き捨てるように言う。
「馬鹿げている。兵士を食糧としながら、人を打ち負かす術を知ろうと?誰がそんな事を受け入れる?姫、時間の無駄だ。焼き捨てよう」
この人間は誤解をしているようだ。今の私は、死滅した器官を少しずつ吸収するだけで、維持が可能だ。この身体が完全に機能を停止する前に、人族の情報を得て、私は人との関わり方を決めねばならない。
「人は私にとって天敵だ。長い時間をかけて私を追い詰め、そして遂に打ち負かされた。君たちは私にとって、恐怖の対象なのだ。人が私を襲わない以上、私も人と必要以上に関わりたくはない」
「ならば、とっとと消え失せれば良いでしょう!ハルトマンの身体をここに置いて!」
指導者が、小さなテーブルを叩き倒した。大きな音を聞きつけて、外の人間たちが様子を見に来る。
「今のは、何だ?」
テーブルを叩く意味について私は質問した。彼女は、外の騎士たちに何でもない、と告げてから席に座り直す。
「マナーについてのご指導かしら?」
「マナー?その決まりに則しているかどうかは問題ではない。なぜ、マナーに違反した?その理由を知りたい」
頭を抱えるだけで、彼女は返答をよこさない。
「私には、あまり時間がない。この姿を失えば、もう言葉は発せられない。ハルトマンの記憶が、どこまで私に引き継がれるのか、未知の事ばかりだ。私は不安で、追い詰められている。残された時間で、人族の事を理解し、そしてできるだけ関わりを持たずに生きる方法を模索せねば。君たちにとって、無差別殺人しか知らない狂人に、他者との関わり方を教えることは、不利益なばかりではあるまい?」
ここで、エルフ族が初めて語りかけてきた。
「ならば、まず信用されることです。貴方は、多くの仲間を殺めたのです。貴方がただ、考える事を知らない太古より存在する捕食者のままならば、私たちの災厄は、事故のようなものです。出会ってはいけない者に出会ってしまった、というだけの話です。しかし、今は私たちと同じ言葉を話し、思案し、交渉している。貴方は、メリットを語りますが、私たちからすれば、脅威が飛躍的に増大したようにしか感じれません。人間の記憶を得たのならば、嘘を言うこともできるでしょう。貴方が裏切らない、約束事を守れる生き物だと私たちに理解させることが先決です」
エルフ族の言葉には、他の者たちとは違い、思念派が上乗せされていた。音声以上に、情報が伝わる。
「貴方の言葉は、私への気遣いを感じる。妙な感覚だ・・・。まず、嘘についてだが、理解はしている。私には真実と違う言葉を、どのように、いつ使えばいいのか判断ができていない。今のところは、その心配には及ばないだろう。次に約束についてだが・・・ご覧の通り、今の私はスタンドアローンだ。いつでも殺せばいい。もちろん、それを私は望んではいないが」
アマーリエと言う名の人間は、最初から私のことを・・・私の瞳を見ようとはしない。極力、目を背けている感じだ。それが、なぜか私の胸に違和感を与えた。
「何か、手助けをしよう。ギブアンドテイクというのだろう?困っている事を聞かせて欲しい。できる範囲の事ならば、私が請け負おう」
「一人で何ができるの?まるで子どもの様・・・嫌になる」
「私たちには、敵対する人族がいます。その排除と・・・そうですね・・・矢と槍を積んだ荷馬車を失い、その調達に困っています。それに食糧です」
「ロロ、もう止めて」
私は、それらについて理解した。
「判りました。私に協力してもらうお代として、できる範囲の事をしよう。まずは、鏃と穂先の調達について、ハルトマンが読んだ本の記憶が頼りになる」
私が人間たちに提供したメリットは二つだ。この地域にあるというドワーフ族の王国に案内する事。そして、分裂した私を宿す蛮族の集団をこの人間たちが敵対する相手に向かわせる事だ。
後にそれらを実行した。
だが、その事で人間たちは大きな声で情報交換を繰り返し、互いに敵対心を持ってしまったかのようだ。カラスという人間が、人助けを自らに課しているように、個体それぞれに指針とするものが違うのかも知れない。そして、私自身の事についても、大きな発見があった。それは、個体ごとに記憶の影響を受ける、というものだ。蛮族たちは、人間の敵と味方を区別しなかった。私がいくら思念波を送っても、その判断基準を無視したのだ。私は、私の分身を制御できなかった。カラスの記憶が、私の胸を締め付けた。無力感と後悔を知った。
だが、一番の収穫は別にある。人族は、人族同士、人間は人間同士、地域、知り合い、血族と、深度が進むごとにその死を悼む。それ故に、私は世代を超えて人族から敵視され続けたのだ。きっと、この胸の痛みを多くの人族が感じ、それを原動力として私に立ち向かったのだ。私が絶望したことはまだある。人族の情報交換は曖昧であり、互いの本心は知れず、嘘もまた不理解に滑車をかける。言葉での情報交換は、効率が悪く伝わるものはごくわずかだ。私には、意味不明とさえ思えた。辺境騎士団と名乗る人間たちのやりとりは、複雑怪奇で、激動的で、先行きが読めない。ギブアンドテイクや、人助けの方針だけでは、とても立ち回れない。正しき判断を求める私は、終始孤立した。その原因は分かっている。そして、それが最も大きな最終的な、かつ絶望的な収穫だった。感情という判断基準を持たない故、私は自らが欠点を克服できないのだ。私の居場所は、混沌とした人族の生息領域にはなかったのだ。
私はこの不可解な胸の痛みを土産に、東へと足を向けることになる。
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