蔵書検索猫アルカディア

長門拓

蔵書検索猫アルカディア

 その僧侶は実に多くの功徳くどくほどこしていた。星から星をわたり、ありがたい説法を唱えるのが日課らしい。檀家だんかは銀河中に散らばっている。精力的に船を操り、めまぐるしく飛び回る。時間はいくらあっても足りず、僧侶の体がいくつあっても足りない。近頃では僧侶のクローンまで誕生したらしい。宗教活動の領域ではクローンが非課税なので、いくらでも活用することが出来るのだ。

 ほとんどの宗教が斜陽産業化しゃようさんぎょうかして久しいとは言え、「彼ら」に至ってはその限りではない。何故かはわからないが、多くの人が「彼ら」の説法を心待ちにしている。まるで有名アニメの次回作を心待ちにする子どものように、老いも若きも瞳を輝かせている。来世への期待に胸をふくらませている。

 だがぼくは――あまり大きな声では言えないのだが――、その僧侶の説法をそれほどありがたいと思ったことはない。進んで聴きたいとも思わない。これは多分、ぼくがクリスチャンであるという事情も絡んでいるのだろうと思う。それほど熱心というわけでもないが。


 本題に入ろう。

 それは磁気嵐じきあらしがごうごうと大気を渦巻き、ここ数年観測されたことのないオーロラが不吉に天蓋てんがいいろどっていた夜のことだった。

 ぼくは一人、塔の内部にしつらえられた書庫で配架作業をしていた。多くの本が新たに運び込まれたので、その分類と整理をしなければいけなかったのだ。重労働ではあったが、この作業はぼくの性質に合っていた。前任者がすでに細かい仕様を確立してくれていたのもありがたかった。ぼくはさほど頭を働かせることもなく、ある種のシステムに現象を押し込んでいけば良い。現象はよほどいびつなものでもない限り、うまくシステムに自らを順応じゅんのうさせて行くだろう。本はそのことを象徴するかのように、本棚にきっちりと収まっていく。世界は複雑であり、またきわめて単純だ。

 ぼくは今日の分の配架作業を終え、応接室のソファーに身を沈める。ふかふかのソファーはぼく自身を飲み込むかのようにフレクシブルだ。年代物のテーブルにそぐわない無機質なマグカップで紅茶をすすり、ほっとひと息ついた。

 くだんの僧侶たちが現れたのはそんな時だった。豊かな沈黙を無遠慮に破るかのように、来客用のブザーが鳴った。やれやれ。こんな時間にいったいどこの誰だろう。ぼくはため息を吐きながら、誘惑的なソファーからしぶしぶ立ち上がる。

 ディスプレイが映し出したものを見て、ぼくは腰を抜かすかと思った。そこには――ざっと見ただけでも――おそらく数十人の僧侶たちが並んでいたからだ。



   〇



 さすがに狭い応接室に数十人の僧侶たち(彼らはみんな同じ顔をして同じ袈裟けさをまとっている)は入り切らないので、代表を一名だけ選んでもらい、その他大勢の僧侶たちは部屋の外の階段で待ってもらうことにした。塔の内部は中心に吹き抜けがあり、その周囲をとぐろを巻くように螺旋階段らせんかいだんが通っているのだ。今時エレベーターも付いていないので、昇り降りにはいつも苦労する。

 代表に選ばれた僧侶を、ぼくは応接室へと誘導する。間近で見ると、思っていたより屈強くっきょうそうな体格だった。

「何かお茶を出しましょうか?」

 僧侶はごつごつした手を合掌させた。

「どうぞおかまいなく。あまりゆっくりとしていられないものですから。ところで、ここにいるのはあなた一人だけなのですか?」

「まぁ、そうです」

「それは大変ですね」

「いえいえ、慣れればどうということはありません」

 世間話をしつつ、われわれは年代物のテーブルを挟んで向かい合った。窓外そうがいでは磁気嵐がごうごうとうねっている。

「お噂はかねがね聞き及んでいます。まさかこんな辺境の星にいらっしゃるとは思いませんでした」

「いきなり大勢で押しかけてしまい申し訳ありません。さぞびっくりしたことでしょう」

 びっくりするどころの話ではなかった。

「それで、今日はどういったご用件で?」

 僧侶は咳払いをして、居住まいを正す。その動作ひとつひとつに、何か言い知れぬ威厳のようなものが漂っているように感じられた。個人的な思い入れはないはずなのに、後光のようなものさえ見える気がする。もちろんこれは錯覚だろう。だがカリスマとはこういうものかと、身をもって思い知る心地だった。

 ぼくは緊張しながら、僧侶の言葉を待つ。やがて、彼がこんなことを口にした。

「単刀直入に申し上げます。先日、こちらの塔に搬入された書物についてですが、その中にわれわれの教団にとってきわめて不愉快な情報が記載された、きわめて悪しき書物が混ざっているとのことです。心当たりはございますか?」

 僧侶はぼくの目をまっすぐに見つめた。ぼくはその眼差しを受けながら、先日運び込まれた本の目録を頭の中で反芻はんすうしてみた。

「……心当たりがないこともありません。お望みならば本の著者とタイトル、出版社に出版年月日を述べることも出来ます。お借りになられますか?」

 塔の蔵書は万人に貸し出されているのだ。だが僧侶は首を振った。

「いいえ、それには及びません。われわれの望みはただ一つ、その本が燃やされて、永遠にこの世から消え失せることです。そして、あなたにはそれを実行してほしいのです」

「お断りします」

 ぼくは即座に、しかし丁重にお断りする。僧侶は眉をしかめ、ぼくをにらんだ。



   〇



 数秒の沈黙がわれわれを包んだ。あたかも精霊か何かが、われわれの頭上で時をさえぎったかのようだった。

 しかし、沈黙は破られる。僧侶はおもむろにこう訊ねた。

「……差し支えなければ、理由をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」

 ぼくは呼吸をととのえ、

「理由というほどのこともありません。ただ、当方の論理として、『本を燃やす』という選択肢は存在しないというだけです」

「無論、タダとは言いません。十二分に報酬も支払いましょう。それに部屋の外には数十人のわれわれが控えているということをお忘れなく」

「それは脅迫ですか?」

「どう受け取ってもらっても構いません。この塔にいるのがあなた一人だと知っていれば、もっと少人数で来ても良かったのですが、まあ構いません。幸いというべきか、この星の空は磁気嵐が渦巻いています。われわれが来た記録などいくらでも改竄できるでしょう」

 なるほどとぼくは感心した。わざわざこんな日を選んで来たのは偶然ではなかったということか。

「……わかりました。ぼくだって命は惜しい。それにそこまで義理立てするほどに給料をもらっているわけでもない。取引に応じましょう」

 僧侶は下卑げびた笑いを浮かべた。

「あなたは賢明だ」

「よく言われます。しかしここにある本を一冊燃やしても、銀河中に散らばっている本を全て無くすことは出来ないのでは」

「その心配は無用です。すでに出版社には丁重に『お願い』を申し上げております。それに、いずこの組織にもわれわれの信者が遍在へんざいしているのです。この星は辺境ゆえに対応が遅れましたがね」

「そうですか」

 そう答えながら、ぼくは流石に背筋の冷える思いになった。

 背中に匕首あいくちを突きつけられているような感じを味わいながら、ぼくは僧侶を書庫に導く。振り返ると、僧侶の手に握られているのは匕首ではなく、熱線銃と思わしきものだった。どう考えても、宗教者には相応しくない。



   〇



 書庫は応接室に隣接するように設えてある。内部は薄暗く、ひんやりとしていて、ワインを保存するのには最適であろうと思われる。もっともぼくは下戸なので、ワインの適切な保存方法にそれほど関心はない。

 壁照明のスイッチを入れるより先に、何かがぼくの足元にすり寄ってくるのを感じた。

「おお、今探してたところだよ。ちょっとお願いがあるんだ」

 明るくなった室内は壁一面が本の背表紙で埋められている。初めてここを訪れた人物なら誰でも、想定外の蔵書の数に目を奪われるものだ。しかし僧侶はというと、まずぼくが抱えている物体に目を奪われたようだった。

「それは……どうやら猫のようですね」

「ええ、紛れもなく猫です」

 その猫は体毛がオレンジ色の縞模様で彩られている、いわゆる茶トラと呼ばれるものだ。「ご存知ですか。茶トラのメス猫が生まれる確率は二割前後と言われています。三毛猫のオスほどではありませんが、それなりに珍しいのです」

「はあ」

 僧侶は目を白黒させながらそう言った。どうして図書館に猫がいるのだろう。そう表情が物語っていた。

「不審に思われるかもしれませんが、こんな猫でも立派な相棒でしてね」


「こんなねことはなんたるいいぐさにゃあ」


 そう喋ったのは猫だった。僧侶は飛び上がるほどに驚いたらしい。握られていた熱線銃が床に落ちる音が、書庫の中に反響した。

「ん。そこのおとこはこうめいなそうりょではにゃいか。こんなへんきょうのとしょかんになんのようだにゃあ」

 僧侶は目に見えて動揺している。無理もない。喋る猫に会ったことなどないのだろう。世界は広いのだ。

「そのことでお願いがあるんだよアルカディア。この方が本を探しているんだ。是非探してやって欲しい」

「そういうことかにゃあ。めんどくさいけどまかせろにゃあ」

 こんやはかつおぶしをしょもうするにゃあ。そう言い残して、猫はのそのそと本の森の中に歩みを進めていく。

 しばらく放心したように呆けていた僧侶がようやく口をひらいた。

「あの猫は……いったいどういう」

 ぼくは心得たとばかりに説明する。

「アルカディア――あの猫のことですが、彼女にはこの書庫の蔵書検索をになってもらってるのです。この星は磁気嵐がたびたび吹き荒れるものですから、普通のコンピューターではもたないのです。猫ならばさほど磁気の影響を受けませんからね」

 僧侶は納得できない様子だったが、ぼくは無視してアルカディアの検索を待つ。



   〇



 数分が経過した。行く時と同じようにのそのそとアルカディアが戻って来る。

「アルカディア、ご苦労様」

 ぼくは彼女を抱き上げて、ねぎらうように撫でてやる。ごろごろ。

「さがしものはみつかったにゃあ。けれどひとつもんだいがおこったので、そこなるそうりょにおたずねするにゃあ。よいにゃ?」

 アルカディアの得体の知れない威圧感に圧倒されたように、僧侶はうなずいた。

「おぬしはほんとうにそのほんをひつようとしているのにゃ?」

 僧侶はうろたえるが、そうだと肯定する。

「もちろんです。しかし、私が本の名前を言ったわけでもないのに、どうして特定が出来るのですか」

「そんなことはおぬしのしったことではないにゃあ」

 アルカディアは鼻をふすんと鳴らす。ぼくもその辺の原理を把握しているわけではないが、どうやらアルカディアには、人が探している本と、探されている本の「あいだ」を察知する能力があるらしい。

「おぬしのさがしているほんはたしかにあるにゃ。しかしほんのほうでおぬしにあいたくないとないていたにゃ。じゅようときょうきゅう、ふたつのげんりががっちしにゃいと、われらはほんをわたすわけにはいかにゃい。でにゃおしてまいれ」

 相変わらずアルカディアの喋り方はひどく尊大だ。もう少しオブラートに包もうよアルカディア。

 案の定、僧侶は次第に腹が立ってきたと見え、同じく尊大な喋り方になりつつあった。

「何を偉そうに。猫のくせに生意気な。わしを誰だと心得る」

「おぬしがだれであろうとかんけいにゃい。ちしきのとうのまえでひとはびょうどう。そこにきせんのべつはにゃい!」

 僧侶が熱線銃を握りしめ、照準をアルカディアに合わせる。

「つべこべ言わずに本を持って来い。さもなくば貴様らをここで灰にしてやる」

 アルカディアが急に慌てふためいた。

「にゃ……! ま、まぁおちつくにゃ。もしかするとあるかでぃあにもわるいところがあったかもわからんにゃ。ほら、おまえからもあやまるにゃ」

 猫がぼくにおはちを回してきた。ぼくは冷たい目で彼女を見る。



   〇



 アルカディアがぼくらを書庫の奥深くへと誘導する。ぼくの背後では僧侶が熱線銃を構えながらついてくる。武力の前では、人も猫も無力だ。

 アルカディアが奥まった棚の前でぴたりと停止した。どうやらここにくだんの本があるらしい。

「ここにおぬしのさがしているほんがあるにゃ」

 僧侶は本棚の本を乱雑に取捨選択しゅしゃせんたくする。ばさばさと床に本が散らばる。

「もうちょっとていちょうにあつかえにゃ……」

 苦言を呈するアルカディアを、僧侶はぎょろりと睨む。それっきり彼女は何も言えなくなってしまう。普段は偉そうなのに圧力に弱い猫。それがアルカディアだ。まぁそれはぼくも同じか。

 数分後、ようやく僧侶はお目当ての本を見つけたらしい。至極満足そうな表情だった。

「ふふふ、君らには迷惑を掛けたな。感謝する」

 僧侶の熱線銃がぼくらに向けられようとしていた。そこでアルカディアがすかさず言の葉を紡ぐ。

「まぁそうあわてるにゃ。おぬしはそのほんいっさつでことがかたづいたと、ほんとうにおもっているにゃ?」

 僧侶の顔が真顔になる。銃口は途中で止められた。

「……どういうことだ」

「ことばどおりにゃ。このとうはへんきょうゆえに、いっぱんにはでまわっていにゃいほんがたくさんのこされている。みみをかたむけると、かしこからこえがきこえてくるにゃ。それをぜんぶさがさにゃいと、おぬしのほんがんはたっせられないのではにゃいか」

 アルカディアの発言を、僧侶は眉をしかめながら聞いていたが、やがて納得した様子で肯いた。

「それもそうか。ならばまたその本の所まで案内してもらおうか」

「がってんにゃ。ついてくるにゃ」

 ぼくはほとんど蚊帳かやの外である気分を味わいながら、彼らの動向を見守っていた。出来れば手荒な真似はしたくないのだが。


 アルカディアはのそのそとマイペースの歩みを続け、ぼくもあまり来ないような書庫の奥深くに僧侶を導いた。ぼくは一歩離れた場所をついて歩く。

「まずこのほんだなからこえがきこえるにゃ。おそらくおぬしにつごうのわるいほんがあるとみるにゃ」

 僧侶は微笑みながら、さっきと同じように本を雑に掴んでは調べ、調べてはばさばさと床に投げ捨てた。本当に本を大切にしない男だ。今度はアルカディアも何も言わなかった。

 やがて、本棚の本の四分の一ほどが点検されたと思われた頃合いだった。僧侶の手がようやくお目当ての本に行き当たった。僧侶の背後から覗くと、それは文庫本ほどのサイズの本だった。その指がページをひらく瞬間、アルカディアはひらりと本棚をかけのぼり、僧侶の体の占める範囲から逃げ去った。ぼくはというと、あらかじめアルカディアと目配せをしていたので、すでに充分な距離を取っていた。出来れば手荒な真似をしたくはなかった。

 僧侶の甲高い叫び声が聞こえたのは、ほんの一瞬だった。

 薄暗い書庫のなかでも、異様なかたちをした影のようなものの姿はよくわかった。僧侶の体は瞬く間に影に包まれ、ありえないほどの小ささに圧縮された。かすかに骨の砕けるような音も聞こえた。嫌な音だ。

 後には、乱雑に折り重なった書籍の山が残されているばかりだった。僧侶の姿はもうどこにもない。



   〇



「……いつも思うんだけど、こうやって飲み込まれた人間はどこに行くんだろうね」

 アルカディアは泰然自若たいぜんじじゃくといった風情で、ぼくの足元にすり寄っている。

「てんごくでないことだけはたしかにゃ」

「出来れば手荒な真似はしたくなかったんだけどな。もうちょっとやりようもあったろうに」

 ぼくはため息を吐く。

「ほんをやくものはいずれひともやくと、むかしのねこもいってるにゃ。いずれにせよ、あやつはわれわれをいかすつもりはにゃかったとおもわれる。せいとうぼうえいだからしかたにゃい」

 ある意味、過剰防衛のような気もするが。

 ぼくは残された文庫本をひらかないように、慎重に棚に戻した。乱雑に散らばったその他の本は、もうしばらくしてから片付けることにしよう。これからやることも、まだ残っている。

「螺旋階段のところに、まだ数十人の僧侶のクローンが待機してるんだけど、そろそろ不審に思われるかもしれないな。どうするアルカディア」

 アルカディアは思慮深そうな眼差しで考え込む。

「……あのたいかくのそうりょがそのにんずうにゃらば、そこのひゃっかじてんさいずのおおがたぼんがてきとうじゃにゃいか。それならいっさつでかたづくにゃ」

 やっぱりそうなるかとぼくは呟きながら、彼女が指し示した百科事典サイズの大型本を、気が進まなさそうに持ち上げた。


 螺旋階段への道を、オレンジ色の毛を持つアルカディアと並んでのそのそと歩きながら、ぼくはこれから待つ後始末のことを考えていた。幸いなことに、塔の外は磁気嵐で荒れている。僧侶たちがこの塔を訪れた記録など、いくらでも改竄出来るだろう。

 明り窓から垣間見えるオーロラが、なおも天蓋を妖しく彩っている。



   (終)

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