第一章「ぼっちな漫画家とリア充優等生」

02:幼なじみな二人のはじまり

 藍ヶ崎あいがさき陽乃丘ひのおか鵜多川うたがわ家が引っ越してきたのは、まだ俺が三歳の頃だ。

 当時再開発事業の進んでいた住宅地で、まだ若かった両親でも一戸建てが手の届く売値だったらしい。


 そんな我が家の隣の敷地には、よく似た間取りの家がもう一軒建っていた。

 うちの家族に先んじ、そこに居住していた一家は姓を「紘瀬」という。

 どちらの家も夫婦の年齢が近しく、しかも同い年の子供を持っていた。

 ただし鵜多川家が男児であるのに対し、紘瀬家は女児だったのだが。


 かくして紘瀬家の一人娘・朱里と俺は、幼少期の時分に知り合った。

 朱里は、昔から明朗快活で、しっかりした利発な女の子だった。皆の人気者で世話好きなところがあり、協調性も高く、いつもきちんと場の空気を読む。


 それに引き換え、俺は子供の頃から集団行動が好きじゃなかった。

 同じ幼稚園に通っていた時分には、幼なじみだからって「朱里ちゃんを見習いなさい」と、先生からさとされたこともある。

 小学生になってからも、学校の成績は人並み程度というところで、目立つような機会は特になかった。友達が少なく、両親は共働きでよく家を空けていたから、自然と一人遊びばかりする子供になった。



 ……そんな俺に転機が訪れたのは、小学三、四年生のときだ。

 その頃、家庭用ゲーム機で偶然プレイしたRPGにハマり、にわかにファンタジー作品に対する熱が高まった。近い時期に丁度、ゲーム的な世界観を踏襲したライトノベル原作アニメが放映されていたことも、興奮に拍車を掛けたと思う。


 ありていに言えば、オタク的な趣味にのめり込みはじめたわけだ。

 当時の俺のことを、学校でクラスメイトがどう見ていたかは知らない。

 他人の自分に対する評価については、昔から興味が持てなかった。

 どうせ大人が褒めるのは、幼なじみみたいに明るく人当たりのいい子供なのだろう、と思っていたからだ。朱里を身近に見ていて、常々そう実感していた。


 それでかえって開き直り、俺はオタクの道をまっしぐらに転げ落ちていく。

 孤独にサブカルコンテンツを摂取し続けたら、次は己の内側に蓄積ちくせきされた熱量を外へ向けて発散し、目に見えるかたちにしたくなった。


 つまり、創作活動に手を出しはじめたのだ。

 陰に隠れて一人でせっせと、ノートに漫画やイラストを描くようになった。

 最初はなかなか思うようなものが描けなかったが、夢中で手を動かし続けているうち、次第にイメージ通りの絵が表現できるようになると、すっかり楽しくなった。


 やがて中学校に上がると、俺は相変わらず友達が少なかったものの、ますます絵を描くことに専心していった。

 この頃からインターネット上に自作を公開することを覚え、見知らぬ誰かがそれを閲覧し、感想を送ってくれたりするのが嬉しくなったせいだ。


 だが一方、同じ時期から徐々に日常生活は乱脈になってきた。

 何しろ、毎日深夜遅くまで絵を描き、学校では居眠りし、両親は家を空けがちだ。母親は休日毎に自宅を掃除していたが、子供部屋までは踏み入ろうとしない。

 俺は、そのため食事の時間が一定せず、自室の清掃もおろそかになっていた。



 そこでうちの両親は、思い掛けないくわだてを案じた――

 なんと、朱里に鵜多川家の合鍵を渡して、留守中に一人息子の面倒を見てもらうように託したのである。


 ある日、朱里は中学校のセーラー服を着た姿のまま、俺の部屋に踏み入ってきた。

 散らかった室内をしかめっ面で見回すと、わざとらしく嘆息した。


「おばさんに頼まれて来てみたけど、本当に酷い惨状ね」


 それから朱里はゴミ袋(可燃物と不燃物の二種類)を取り出し、おもむろに整理整頓をはじめたのだ。床の上に散乱していた品が片付いたあとには、掃除機も掛けた。

 勤勉に働く幼なじみを見て、そのとき俺は唖然とせざるを得なかった。


 まあ家が隣同士のもあって、俺と朱里の仲は元来悪くない。

 学校では異なるカーストに属しているため、教室の中で距離は生じていたものの、互いに相手を嫌ったことまではない。少なくとも毎年元旦に双方の家族が連れ立って、義務的に初詣へ出掛けるぐらいの付き合いは維持していた。


 とはいえ「だらしない異性に世話を焼く」という水準の親交となれば、これはちょっと特殊だと思う。幼なじみだからの一点だけで、納得できる行動じゃない。

 そう、例えば「ラブコメ漫画で、密かに主人公に好意を抱くヒロインの行動」みたいな真相が存在しているんじゃなければ。


 なので思い切って、あるとき朱里に問いただしてみたことがある――

「おまえはなぜ、いつもここへ来て、こんな世話を焼いたりするのか」と。

 それに対する返答は、俺が悩み抜いた謎をあっさり解き明かしてくれた。


「実は君の部屋を掃除したりすると、おばさんから週末毎にお駄賃もらえる約束なの」


 朱里は、にっこり笑って、思春期男子の心をもてあそんだのだった。




 ――いくらもらってるか知らんけど、普通のバイトと比べりゃ気楽なのかもな。


 俺は、自室で液晶タブレットと向き合いながら、静かに溜め息を吐いた。

 あれ以来、幼なじみ二人のあいだでは、つくづく風変りな状況が続いている。

 才色兼備のリア充女子高生は、オタク男子高生の部屋へ頻繁に出入りしているのだ。

 俺も朱里も、そんな事情を周囲にわざわざ打ち明けたりしていない。

 ゆえに学校のクラスメイトは、この状況を想像もしていないだろう。


 いずれにしろ、部屋を片付けてくれりゃ俺は助かるし、あいつは小遣い稼ぎができる。

「年頃の娘が若い男の部屋を一人で訪れるなんて、身持ちが悪い」という向きもあるかもしれないが、そこは幼なじみ同士ゆえの信頼関係がある。

 ましてや家が隣同士ともなれば、こちらとしても下手なことなどできない。



 まあそんなわけで、今日も今日とて漫画を描いていると――


<……ピンポーン♪>


 と、来客を告げるチャイムの鳴る音が聞こえてきた。


「だからなんで昨日掃除したばっかなのに、もう部屋が散らかってるの……」


 朱里は、いつものように入室してくると、うんざりした様子で言った。


 いかにも指摘通り、本日も例によって俺の部屋は混沌とした有様になっている。

 この子が二四時間前に清掃して帰ったあと、室内の秩序は短時間で崩壊した。

 もっともこんなのは今更な話だ。ここが十全に整理整頓されている状態は、過去にも半日以上維持された試しなんてない。


「いや散らかってると思ったから掃除しに来たんじゃないのかよ」


「今日はうちのおばあちゃんにケーキをもらったから、お裾分けに持ってきただけよ!」


 ペン入れ作業を続けながら言うと、朱里は憤慨したようにわめいた。いらいらした様子で、手にげていたケーキの箱をこちらへ突き出す。

 まあ己の労力が無に帰した光景を見るたび、こうして騒ぐのも毎度のことだ。


「それより答えなさいよ。なんで一日足らずで、カップ麺の容器が床に落ちてるの」


「昨夜も夜食に食ったからだろ。原稿描いてたら腹が減ったんだよ」


「……棚の上に置いてあるフィギュア、いつの間にかスカートなくなって下半身にぱんつ一枚しか穿いてないんだけど」


「そ、それは作画で腰から臀部でんぶに掛けてのシルエットをたしかめたくなったから、参考に取り外してみただけだ」


 問い詰められる都度、言い訳する。

 ちょっと居心地悪い問いもあるが、これまた普段通りのやり取りだ。


 朱里は「……ふ~ん」と、胡乱うろんそうにつぶやく。

 ふと見てみると、美少女フィギュアのパーツ(※ちいさなスカート)を指先につままんでいた。

 たまたまそばに落ちていたところを見付けて、拾ったのだろう。

 それをフィギュアの横に並べて置くと、遺憾そうにかぶりを振った。


「はあ、まさか漫画家ってみんな孔市みたいなダメ人間なのかしら」


「……そんなわけないだろ。自分だけとは言い切れないが」


 ペン入れした線のを確認しながら、幼なじみの偏見を注意する。


「そもそも俺の部屋が汚いのは、仕事で漫画を描いた経験がなかった頃からだからな。清掃スキルの低さに関しては、昨日今日にはじまったこっちゃないぜ」


 俺が漫画家になったのは、かれこれ一年半と少し前だ。

 SNSで漫画を公開していたら出版社の編集者に声を掛けられ、中学三年生で商業デビューすることになった。

 以来、高校に進学してからも「二足の草鞋わらじ」で活動を続けている。


 得意ジャンルは、ラブコメ漫画。

 出版社の公式Webサイトで連載中だ。


 ちなみに朱里がここへ出入りしている件と同様、俺が漫画家として仕事しているのは、まだ学校じゃ大っぴらに話していない。

 知っているのは俺と朱里と、双方の家族ぐらいだ。

 そんな俺の主張に対し、朱里は冷淡にツッコミを入れてきた。


「なんで部屋を片付けられないっていう生活能力の低さを、自慢げに語ってるの。幼稚園の園児でも、自分が遊んだおもちゃぐらい自分でしっかり片付けるわよ」


「いや自慢したつもりはないんだが。ていうか幼稚園の頃から片付けは苦手で、よく先生に怒られていたぞ俺は。おまえも知ってるだろ」


「進歩がないんじゃ余計に悪いじゃないの。もう高校生でしょう君……」


 批難に反論してみたものの、朱里は殊更ことさらに頭を抱えるばかりだった。

 ケーキの箱はローテーブルの上に置き、本日も散乱する品々を片付けはじめる。

 ……幼なじみがまめまめしく掃除するのを眺めながら、そのあいだ俺はひたすら原稿にペン入れしていた。


 朱里が持参したケーキを二人で食べたのは、それから約二時間後のことだ。

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