08:むっつりさんはむきむきが好き
午後の授業は、社会科と理科の選択科目だった。
俺と朱里は双方共、世界史と生物を履修している。
ただし授業中に幼なじみから、四時間目のような批難がましい視線を浴びることはない。
どちらも移動教室の科目だが、生徒は全員好きな席に座ることができる。それゆえ朱里は、リア充グループの女子とかたまって授業を受けるからだ。
俺は当然、教室の端に極力一人で、離れて着席する。
世界史教師がポエニ戦争の説明をはじめたので、午前中に引き続き「内職」を開始した。
ネーム作業では、字コンテを元にページ毎の画面構成を決め、紙の上へ実地にラフ画を描き出していく。いわば「漫画原稿の設計図」を作成するわけだ。
字コンテ制作時に想定したイメージを下敷きにしつつも――
各ページの頭と末尾のコマをどう描いて読者の興味を引くか、
絵とフキダシに沿って読み進めた際の視線誘導は的確か……、
などを含め、エピソードがきちんと読み手に伝わる内容になっているかを、何度も確認しながら描く。
SNS上で公開する漫画に関しては、いつも情報の取捨選択に骨が折れる。
以前にアニメ作品の商業アンソロジーに掲載する漫画を、数回仕事で描いたことがあった。
あのテの本だと、漫画家一人当たりの持ち分は、大抵八~一六ページ程度だ。すると、その中で「作者が言いたいこと」は、頑張ってもひとつかふたつしか入らないと考えた方がいい。
それがSNS向け漫画では一話四ページなのだから、圧縮の難度は推して知るべしだ。
生物の授業で再度教室を移動したあとも、俺はひたすらネームを描き続けた。
教師の目を盗んで、繰り返し漫画の図案やセリフに修正を加えていく。
気付けば、いつの間にか学校での一日が終わっていた。
○ ○ ○
SHRが済むと、放課後になる。
二年一組の教室を出たら、俺は迷わず帰路に就いた。
下校時に挨拶を交わす相手などいないので、ぼっちのフットワークは軽い。
鐘羽四条の停留所から、終業直後にぎりぎり乗車可能なバスへ駆け込んだ。
陽乃丘二条一丁目で降車すると、いったん近所のコンビニに立ち寄った。
ペットボトル飲料と栄養補助食品、カップ麺や菓子パンなどを、適当に買い込む。あとから原稿作業の合間を見て、飲み食いするためのものだ。
一度漫画を描きはじめると、筆が乗って机の前から離れにくくなる。
なので喉が渇いたり、小腹が減ったりした場合に備えておくわけだ。
自宅へ到着したら、洗面所で手洗いうがいし、二階へ上がる。
部屋に入って、通学鞄を開け、ひとまずノートを取り出した。
授業中にネームを描き付けていたものだ。中身を確認してから、コンビニで買い物した袋と共に作業机の脇へ置く。
通学鞄は、教科書や辞書を入れたままで、足元に放り出した。床の上に散乱する漫画の単行本と一緒くたになったが、いちいち気にしない。
それからクローゼットを開き、部屋着を引っ張り出した。
制服のブレザージャケットとワイシャツは、ベッドの上へ脱ぎ捨てる。
スラックスもスウェットパンツに穿き替えると、すっかり楽になった。
――ついでにTシャツも取り替えておくか。
バスに乗る際、急いで少し走ったから、汗をかいたもんな。
俺は、上半身裸になると、新しいインナーに着替えようとした。
思い掛けない出来事が生じたのは、まさにそのときだ。
「――ねぇ孔市、もう帰ってきてるんでしょう――……!?」
部屋のドアが突然開き、朱里が予告なしに踏み込んできた。
次の瞬間、幼なじみ同士で相手を見据えたまま、互いに手足を硬直させる。
わずかな間を挟んで、朱里は瞳をまたたかせた。
改めて俺の顔を見ると、ゆっくり視線を下へずらし、裸の上半身を凝視して――
何も言わずにいったん部屋の外へ引き返し、出入り口のドアを閉めた。
俺は、とりあえず着替えの続きを済ませ、部屋着姿になる。
ドアを開いて廊下を見ると、朱里が部屋の前で
赤い顔を若干伏せて、頬や額に汗の滴を浮かべている。
自室へ入るようにうながすと、素直に従った。
それから、ごにょごにょと歯切れ悪く謝罪してくる。
「あ、あの……ごめんなさい。ちょっとあわてちゃって、君の部屋へ入る前にノックするのをつい忘れてしまって……」
「いや、別に俺はこれぐらいの事故なんて気にしないが」
思わず苦笑してしまった。
ちょっと俺の裸を見たぐらいで、朱里が過剰反応しているように感じたからだ。
素肌を露出していたと言っても、上半身だけである。男性でこれを見られて困るなら、プールや海水浴場で水着姿にはなれない。
しかし朱里は、なかなか動揺が治まらないらしかった。
「そっ、そう。本当にごめんね、私、まさか着替え中だと気付かなくて……」
「だからわかってるって、わざとじゃなかったんだろ?」
「ええもちろん! 誓って君の裸を見たのは、偶然の結果でしかないから!」
理解を示してなだめると、朱里はちからを込めて首肯してきた。
ただしすぐまたもじもじして、恥ずかしそうに言葉を付け足す。
「そりゃドアを開けた直後に一瞬、ぼうっとしちゃって……。ああ孔市もすっかり子供の頃より胸板厚くなって、意外にいい身体してるなあと思ったりしたけど……」
「いや何だよおまえ、俺の裸見てそんなこと考えてたの」
「ていうか毎日引き篭もって漫画ばっか描いてるのに、なんで大胸筋やら腹筋やらがわりとたくましいの君は!?
「どうして逆ギレされてんだよ俺!? こっちが悪いのか!?」
何やら情緒不安定な態度で会話を続けてくるので、反発せずにいられなかった。
気にするなって言ってるのに食い下がって詫びてきたと思ったら、なんで結局は俺の方
が批難されてんだよ。理不尽すぎるだろうが。
ちなみに俺の身体が人並み程度に鍛えられているのは、地味に原稿作業の合間を使って筋トレしているせいである。
毎日デスクワークが続くと健康に良くないから、日頃意識的に運動しているのだ。
クリエイター業の人間には、俺に限らずヘルスケアに気を遣う人間が多いと思う。
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