07:ぼっちとリア充の適切な距離感

 まあ、それはさておき。

 始業時刻の午前八時三五分になり、担任教師が教室に入ってきた。

 そうしてSHRショートホームルームが済むと、次は入れ替わりに数学教師が入室してくる。

 一時間目の数学と二時間目の現代文は、授業中に居眠りして過ごした。


 昨夜(というか今朝)は午前四時過ぎに就寝したので、三時間半程度しか寝ていない。

 原稿の手直しに思ったよりも手間取ったせいだ。

 おっぱいの線を微妙に描き直すのは、「誰がこんなもん気付くんだ」レベルの修正だったが、いったん取り掛かると中途半端に止められなくなった。

 そこで体力回復のため、授業時間を利用した戦略的仮眠に及んだのである。


 俺の爆睡する有様が、果たして見とがめられていたかどうかはわからない。

 我が校に勤務する教師は、基本的に放任主義だ。うるさく騒いで授業を妨害しない限り、生徒の居眠りを注意することも少ない。


 そもそも鐘羽東高校は、藍ヶ崎市内で一番、県下でも五指に入る進学校である。生徒の大半は勤勉で、教師もそれを知っている。

 それゆえ元来偏差値の低くない生徒に対して、くどくどと小言を告げる必要性は感じていないらしい。



 ……そんなわけで、授業は三時間目に入った。

 科目は英語長文リーダー

 しかし通学鞄の中を漁ると、英文法グラマーの教科書しか入っていなかった。

 適当に突っ込んでせいで、やはり自宅に置き忘れてきたみたいだ。


 とはいえ、俺は動じたりしない。

 何たって最初から、まともに授業を受けるつもりがなかったからだ。

 代わりにやるべきことは決まっていた。机の上に他教科の教科書や辞書を並べておき、体裁だけはそれらしく整えておく。


 そうして手元には、無地のノートを広げた。

 俺が現在成さねばならないことは、個人のSNS上で公開しているショートコミックのネタ出しである。

 商業連載みたいな仕事じゃないが、こっちもずっと定期更新しているんだよな。あくまで自己満足的な趣味の漫画だが、ちょくちょく描いて投稿しないと落ち着かない。


 今日の授業中は、一話当たり四ページの漫画におけるコンセプトを決定し、登場キャラの主なセリフや作中のシチュエーションを案出する。

 でもってひと通り内容をまとめたら、ネームを切っていく予定だった。


 教壇では、英語教師が長文和訳を板書している。

 それを書き取る振りをしつつ、俺は作業を開始した。



 ノートの上にシャーペンを走らせる。

 差し当たり、どんなシーンを漫画の中で描くのかを決めて、そこへ至る大まかな物語の流れを構築していき――……

 終盤のオチをひねり出したら、全体を起承転結でまとめた。

 アイディアが固まったところで、字コンテ作りに取り掛かる。

 脚本を書くような要領で、漫画の細部を決めていった。



―――――――――――――――――――――――――――――


[1ページ目]


・舞台:主人公の家、部屋の中。


・状況:主人公はゲームで遊んでいる、様子を見に来たヒロイン。


 ヒロイン「――それで」

     「どうして定期試験も間近なのにゲームしているわけ?」

     「真面目に勉強するんじゃなかったの」


 主人公 「……い、いやこれはだな」

     「机に向かう前に集中力を高めるルーティーンの一種で」


 ※)主人公、居心地悪そうにしている。ヒロインは溜め息を吐く仕草。


―――――――――――――――――――――――――――――



 ――ふむ、導入部はこんなものかな。


「 」で囲んだキャラのセリフひとつは、原稿でもフキダシひとつに相当させておく。

 こうして字コンテに書き出すと、ページ毎の構図もほんのりイメージが浮かんできた。

 場所や日時を伝えるコマを原稿のどこに配置するか、このページには何コマ必要なのか、どのコマを大きく描くか、などなど。


 その後も英語の授業を聞き流しつつ、俺は「内職」にはげんだ。

 やがて三時間目が終了して、四時間目の古典がはじまる。

 机に置く辞書や教科書を古典のそれにえ、尚も継続して字コンテを作成した。

 三、四ページ目の内容に悩んで、キャラクターのセリフを何度も書き直す。



 ……と、不意に俺に対して注がれる視線を感じた。

 手元のノートから視線を上げて、軽く教室の中を見回す。


 こちらを見詰める視線の主は、すぐに誰か判明した――

 朱里だ。窓側三列目、室内後方二番目の座席から、俺のことをにらんでいる。

 鋭い目つきは「真面目に勉強しなさい」と、無言の合図を送っているようだった。

 どんだけお節介なんだよこいつ。おまえこそ授業中にこっちへよそ見するな。


 というわけでかまわずスルーし、内職に打ち込もう。

 おかげで作業は順調に進み、字コンテも完成した。

 ここからはいよいよネームだ……。




 四時間目の授業が終わると、昼休みに入る。

 俺は、いったんネーム作業を中断し、ノートや教科書を机の中に突っ込んだ。

 席を立って、教室から出る。階段を下りて通用口前を通り、校舎南棟へ向かった。


 目指す場所は、学食だ。

 俺は大抵、学校に弁当を持参していない。両親に息子の昼飯の用意で、出勤前に負担を掛けさせたくないからだ。共働きだからな。


 学食に着くと、まずは出入り口付近のショーケースで食品サンプルを眺める。

 今日はチーズチキンカツ定食に決めて、券売機の前へ進んだ。

 所定の食券を購入したら、トレイを持って配膳はいぜんカウンターに並ぶ。

 すでに学食内には生徒があふれ、俺の前にも七、八人の列ができていた。

 なので「描きかけのネームの続きを、あそこからどうすべきか……」などと、頭の中でぼんやり考えながら順番を待つ。



 そこへ背後から、またしても聞き慣れた声に名前を呼ばれた。


「ちょっと孔市。私が授業中に目顔で注意したの、無視したでしょう」


 列のすぐ後ろを振り返ってみると、朱里もトレイを抱えて並んでいる。

 不平そうな表情を浮かべて、こちらへ批難の眼差しを送っていた。

 今日はこいつも、昼食をここで済ませるつもりらしい。


「授業中に何がどうしたんだよ。さっぱりわからんなー」


「嘘言いなさい、さっきいっぺん私の方を見たじゃない」


 故意にとぼけてみせたものの、朱里は誤魔化されなかった。


「まったく君はいつもそうやって、ちっとも授業を聞く気がないのね」


「こう見えても多忙な身でな、授業にばかり付き合ってられんのだ」


「どうせまた、漫画のネームでも描いてたんでしょう」


「Web上の読者に対し、広く娯楽を提供するための社会貢献活動だぞ」


「今月末には定期考査なのよ、わかってる?」


「当然だろ。いつでも朱里にノートを借りる準備は整っている」


「最初から私を頼らないでよ! それが面倒だから注意してるんじゃない!」


 朱里は、抗議するようにわめく。

 そうするうちに列が進んだので、カウンターで食券を提示した。

 チーズチキンカツ定食が出てくるまで、そのまま少し待機する。

 注文の料理は、然程さほど待たずに目の前へ並べられた。


「……ところでいつも言ってるがな、無闇に学校で話し掛けてくるなよ」


 俺は、チーズチキンカツの皿を取ると、トレイの上へ乗せながら忠告した。


「おまえみたいな友達が多いリア充に距離を詰められると、面倒臭い人間関係まで一緒に付いてきそうで落ち着かないんだ」


 さらに付け足せば、こいつとは少なからず俺の描く漫画が話題になる。

 人前で交わす会話として、それは正直望ましくない(ここでは学食の喧騒けんそうに紛れているおかげで、第三者の耳へ届かずに済んでいるようだが)。

 俺は漫画家であることを、不必要に知られたくはないのだ。絶対に秘密ってわけじゃないが、露見したら厄介なことになりそうな予感しかないからな……。


 だから定食のトレイを持って、そそくさと列から離れた。

 朱里が「あ、ちょっと待ちなさい」と制止してきたが、適当に聞き流す。

 ていうかこの場で立ち止まったら、他の利用者の邪魔になるだろうが。

 飲水サーバーで飲み水を確保し、空いている座席を探す。


 学食の中を見回していると、またしても朱里がこちらへ歩み寄ってきた。オムライスが乗ったトレイを持っている。


「待ちなさいって言ったでしょう?」


「いやだから話し掛けるなって……」


 思わず苦笑せざるを得ない。

 こいつはつくづく根が真面目なんだなと思う。そういった善良さは美徳だ。

 ただし虚心な行動が幸せを担保するものじゃないことを、もっと知るべきだろう。



 そうして、いずれにしろ今はこれ以上、会話を続けることができそうになかった。

 学食の奥にある座席から、朱里を呼ぶ声が上がったからだ。


「おーいアカリー! こっち、こっち~!」


 喧騒の中で朱里を招こうとしているのは、春海唯だった。

 見れば同じテーブルを、クラスのリア充グループに属す女子が三、四名で囲んでいる。


「ほれ朱里、おまえを呼んでるみたいだぞ」


「……そんなのわかってるわよ、孔市のバカ」


 うながすと、朱里は殊更ことさら不機嫌そうに悪態をいた。

 ふいっと顔を背け、春海たちが座るテーブルへ向かう。


 俺は、それを見送ってから、学食の隅の空席へ一人で腰掛けた。

 たぶん互いのためにも、学校ではこれが一番いい距離感なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る