14:あえてわかり合えなくてもいいことだってある
この日も学校が放課後になると、すぐさま俺は下校した。
コンビニ以外は寄り道せず、いつも通りの時間帯に帰宅する。
素早く部屋着に着替えたあとは、作業机の前で液晶タブレットと向き合った。
SNS向けショートコミックの原稿を、ネームに沿って描き進めねばならない。
漫画制作用アプリを立ち上げたら、新規ファイルに下描きレイヤーを作成した。
手早く枠線を引いてから、鉛筆ツールで下絵をざくざく描き込んでいく。
まずは一、二コマ目をぶち抜きで、画面の手前に来るキャラから描こう。
次は顔アップのコマで、引きの絵が入るコマはパースを意識しつつ描く……。
日頃慣れた手順に従って、しばらく作業に没頭する。
するとやがて、来客を告げるチャイムが聞こえてきた。
出迎えたりしなくても、ほどなく朱里は家の中へ上がり込んでくる。
合鍵で玄関のドアを開け、階段を上ると、俺の部屋に姿を現した。
こちらへ手短に挨拶を寄越し、今日も例によって掃除をはじめる。
そのあと二人はどちらも黙って、各々自分の作業に取り組んだ。
……掃除機の音が止まる頃には、室内が少しだけ薄暗くなっていた。
漫画原稿の一ページ目は、ひと通り下描きを終えたところだった。
俺は、直後に妙な気配を感じて、つと顔を上げてみる。
背後を振り返ってみると、掃除を済ませた朱里が佇んでいた。
何やら物言いたげな面持ちで、こちらをじっと見詰めている。
今日学校で三時間目がはじまる前、俺を見ていたそれと同じ目つきだ。
いったい何だと訊くよりも早く、朱里は不満そうに切り出してきた。
「今日の学校で、
やはり案の定、あの休憩時間に関することで、話があるみたいだった。
「休憩時間にみんなで、漫画の話をしていたでしょう。君も聞いてたわよね?」
「……それがどうしたんだよ」
「どう感じたのかなって。本職の漫画家としては」
「どうもこうもないだろ、漫画の感想なんて人それぞれだ。個々人が作品に対して感じるものについては、漫画家か一般読者かは関係ない」
俺は、あえて率直な答えを避けて言った。
一般読者に混ざって、漫画家が娯楽作品の個人的な好悪を述べることに意味はない。
エンターテイメントの良し悪しは結局、消費者が決めるものだ。芸術作品じゃないんだから、専門家の意見なんて気にせず、好きなものを勝手に楽しめばいい。
「それにあのときの話題、純粋に漫画の感想というより、漫画原作のドラマで面白いやつは何かって主旨のやり取りじゃなかったか」
「それはそうだけど……。漫画のことなら何でも、孔市は断然詳しいじゃない。ああいう会話を耳にしたら、何か言いたくなったりしないのかなって」
朱里は、こちらの反応を探るようにつぶやく。
それでようやく、こいつがどんな返事を期待しているかがわかった。
俺は、急にバカらしくなって、液晶タブレットの画面に向き直った。
新規に原稿ファイルを作成し、二ページ目の下描きをはじめる。
「冗談止せよ。おまえらがグループみんなでわいわい盛り上がってるところへ、いきなり俺が首を突っ込むなんておかしいだろ。そんなの場の空気を読めなさすぎて、コミュ障が極まってるとしか思えん」
「次に同じようなことがありそうなら、私が事前に根回ししておくわよ。さりげなく君が会話に混ざっても、みんなが違和感覚えないように」
幾分あわてた口調で、朱里は
それはこちらの推断を、間接的に認める言葉だった。
「学校の中で話し掛けるなって言われたからって、俺の方からおまえらの会話に参加するように誘導しているつもりか」
「そ、そんなことは言ってないじゃない……」
朱里は、居心地悪そうに反論した。
しかし苦しい言い訳だ。クラスメイトとの会話に参加可能な状態には、交友関係が当然
忌避しているものに関して、自ら首を突っ込む気はない。
「もし俺が人前で漫画の話なんかしたら」
画面上にキャラの顔を描き込みながら、懸念を伝える。
「きっと高校通いながら漫画描いてることがバレる」
「もしバレたって、うちのクラスにバカにするような人なんかいないわよ」
「……バカにするやつがいなくても、面倒臭いことにはなるかもしれん」
朱里の主張は、おそらく正しいのだろう。
俺が根暗な漫画家だからって、二年一組にそれを嘲笑する人間はいそうにない。
いつも快活で前向きな春海も、さわやかで人当たりのいい高城も、お調子者だが性根は善良そうな鎌田も、その他の面々も――
少なくともリア充グループの連中は皆、コミュニケーション強者だと感じる。そういう人間はかえって、いたずらに他者を
でもだからって自分が漫画家だということを、あまり
「現役高校生漫画家」というのは、やや特殊な肩書きだ。それが周囲に露見することで、どんな影響があるかは判然としないところもある。
「そういうわけだから、おまえは他の友達と勝手に盛り上がってろ。いちいち俺のことに余計な気を回すな」
漫画の下描きを続けながら、強い口調で話題を打ち切った。
朱里は「……わかったわよ」と、不本意そうに返事する。
心から承服した様子じゃないものの、不毛な議論になる気配を察したのかもしれない。
にしても、そんなにまで俺と人前で会話したいのかね。まあ「幼なじみなのに他人行儀なのは落ち着かない」ってのは、わからないではないが……。
そのまま作業を進め、しばらくして二ページ目の下描きも済んだ。
俺は、ちょっと漫画を描く手を止め、背後を振り返ってみる。
見ればいつの間にか、朱里はローテーブルの
足を崩した楽な姿勢で、手には漫画の単行本を持っていた。
朱里は時折、そのページをめくって、静かに精読している。
――この部屋に来るとこいつ、本当に毎回漫画を読んでいくよなあ。
いましがたのように軽く口論したあとでも、習慣を変える気はないらしい。
まあこの程度の
ところで朱里が今読んでいる漫画は、女性漫画家が描くホームコメディの傑作だ。
女性向け作品ではあるものの、男の俺が読んでもユーモアのセンスが面白い。
「……そう言えば、ふと思い出したんだが」
幼なじみが手にしている単行本に今一度目を止め、俺は何気なくつぶやいた。
「今おまえが読んでる漫画の作者さんって、昔は少女漫画雑誌で連載持ってたよな」
「初代『ダブルでハピシェア』でしょう。今でもアニメは続編が作られているわね」
朱里は、漫画のページへ視線を落としたまま、返事を寄越す。
『ダブルでハピシェア』は、いわゆる「変身美少女モノ」に属する少女漫画だ。
魔女っ子モノの派生ジャンルだなどという見解を主張する向きもあるが、まあ専門的な議論は避ける。オタク同士の不毛な争いになるからな。
元々は有名少女漫画雑誌で発表された作品だったのだが、連載開始後またたく間に人気を博し、日曜日午前中の放映枠でアニメ化されるに至った。
現在も多くのファンに愛され続け、朱里も指摘する通りテレビアニメのシリーズが毎年制作されている。まあ原作漫画に関しては、現在じゃ新シリーズ毎に作画担当の漫画家が交代しているのだが。
「この作者さんの漫画、近年の作品でも登場キャラのセリフに初代『ハピシェア』の頃と似たノリがあるのよね。何だか読んでいると、
「子供の頃はおまえって、かなり初代『ハピシェア』が好きだったもんな」
俺もまた、奇妙な懐古の念に囚われて言った。
もっとも朱里は、幼少期の話を持ち出され、羞恥心を刺激されたらしい。
漫画のページを見詰めたまま、ほのかに頬を上気させながらつぶやく。
「女の子が一度は通る道でしょう、変身美少女モノの漫画やアニメって」
――昔はアニメの原作漫画を読んでいて、今はドラマの原作漫画を読んでいるわけか。
俺は、恥じらう幼なじみの姿を見て、にわかに微笑ましい気分になった。
「いやわかるぞ、変身美少女モノはいい。大人の心にも訴えるものがあって深い」
「……なんか突然『ハピシェア』のことで理解を示されても変な感じなんだけど」
「むしろ男子なんか、大人になってから初めて変身美少女モノにハマる説もある」
「それは逆にキモいんだけど。絶対に子供にない邪念があってハマってるわよね」
「何しろ美少女キャラを愛でるに際し、大人には経済力という武器があるからな。男の子だって貢ぐことができる! 男の子だって『ハピシェア』を推せる!」
「だから女児向けコンテンツに汚れた現実を持ち込まないでよ!!」
「がんばえー!! 『ハピシェア』がんばえー!!(※重課金男子)」
「あああああ私の綺麗な思い出を
ちから一杯声援を送ったら、なぜか朱里は悲鳴混じりに抗議してきた。
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