25:同好の士にしかわかり合えない会話

 何しろ朱里は才色兼備で、学校じゃよくモテるらしい。


 なのにいつも村井を頼って、言い寄る異性から距離を取っている。

 そんな折に幼なじみ男子(俺)の存在が、これまでより広い範囲で認知されはじめた。

 しかも試験期間にノートを貸し借りする程度には、相手と親しい間柄にあるわけだ。


 ――まあ、これは勘違いされても仕方ないかもしれないな……。


 俺は、ちらりと横目で隣の席を見た。

 朱里は、かすかに顔を赤らめ、むっつりと口を閉ざしている。内心不平を申し立てたいところでありながら、ぐっとこらえているように見えた。


 幼なじみとはいえ、ぼっちなオタクとの関係性を疑われれば、自然とそうなるよな。

 こっちはともかく、朱里は妙な思い違いをされちゃ、きっと迷惑だろう。

 無用な憶測を防ぐためにも、今日はここへ来て正解だった。



「そりゃ完全な誤解だな」


 俺は、藤花の想像をきっぱりと否定した。


「こいつと俺は、あくまで単なる幼なじみ同士だ。たぶん藤花が考えていたような、特別な関係じゃない」


「うっ。ほ、本当にすみません……」


 藤花は、恥じ入るように謝罪した。

 自らの発言を、不用意だったと悔いているみたいだ。かてて加えて、面会を望んだ相手から不興を買ったのではないかと、やや萎縮いしゅくしたようにも見えた。


 しかし俺と朱里の関係性には、そもそも勘違いされやすい部分がある。

 俺は、変に畏怖いふさせてはいけないと思って、付け足すように続けた。


「実はここだけの話だがな、俺と朱里は自宅が隣同士なんだ」


 おそらくまだ知られていない情報を、あえて提示してみせる。

 さらに藤花が驚くのを制するようにして、素早く先を続けた。


「でもって、こいつは元来が世話焼きな性分だろ? だから困ったことがあると、いつも何かと助けてくれる――けれども裏を返せば、そういった環境や気質が互いの間柄に影響しているだけで、それ以上のことは一切何もない」


「なっ、なるほど……! お家が隣同士で、だからですかっ」


 藤花は、二度三度と、激しくうなずく。恐縮した様子は、途端にやわらいだみたいだ。

「ここだけの話」をしたことで、こちらが打ち解けた態度を取ったと感じたのだろう。

 むしろ過剰なぐらい言葉にちからを込めて、俺と朱里の間柄に理解を示してくる。


「まさに真の幼なじみという感じですねそれはッ! ――でも逆に! 逆にそれゆえ特別なことは何もないと! いえいえエミにもわかります先生、さすがですっ!」


 …………。


 なんかよくわからんが、とりあえず納得だけはしてくれたようだ。

 藤花は「たしかに幼なじみと言えばそうでした……何かありそうでフラグは立たない、これぞ世界のお約束……。やはりラブコメは人生の大切なことを教えてくれます……」などと、ぶつぶつ一人でつぶやいている。


 尚、隣の席を今一度見ると、朱里は相変わらず口を閉ざして黙っている。

 もっとも赤くなっていた顔は、急速に能面のような白さへ変化していた。そこに浮かぶ面差しには、何やら「虚無」とでも形容すべき有様が見て取れる。

 おい何だよ突然。きちんと誤解は解いたのだが? 



 などとやり取りしているうち、注文した品がテーブルに届いた。

 俺はブレンドコーヒー、朱里はダージリンティー、藤花はストロベリーラテ。

 三者三様の飲み物を各々が口へ運び、ゆっくり味わってひと息入れる。


「――ところで今日は、宇多見先生に折角お会いできたので」


 藤花は、ストロベリーラテのカップを置くと、真剣な面持ちで切り出してきた。


不躾ぶしつけは承知でお願いしたいのですが、是非サインを頂けないでしょうか?」


「え、俺のサインか? そんなもん書くぐらい、別にかまわないけど……」


 やや身構えるようにわれ、思わずきょとんとしながら応じる。

 藤花は「本当ですか!? ありがとうございますっ!」と弾むような声で言って、こちらの返事に喜色を浮かべた。

 いそいそと手元の革鞄へ手を入れ、そこから二冊の本を取り出す。

 どうやらサインを入れて欲しい品を、事前に用意していたらしい。


「えっと……できればこの二冊に一箇所ずつ、サインして頂きたいのですが……」


「おう、わかった。どっちの本も表紙裏に書いていいよな?」


 ふたつ返事で応じて、藤花から本二冊とサインペンを受け取る。

 そのうちの一冊は『天宮昇子は俺にだけ厳しい』第一巻だった。

 少年フォースONLINEで、俺が現在連載している商業ラブコメ漫画の単行本だ。

 ちょっと前に発売したものだが、藤花も買っていてくれたんだな。素直に嬉しいぞ。

 それで、あともう一冊は――


「……うおっ。これって『ホシガク』の公式コミックアンソロジーじゃねーか!」


 俺は、反射的にちいさく叫んでしまった。



 しばしば朱里とのやり取りでも話題に上るが、『ホシガク』とは深夜放映の人気美少女アニメ<ラブトゥインクル>シリーズ第三弾のこと――

 正式名称を『ラブトゥインクル~星ノ華ほしのはな女学院フレッシュアイドル同好会』という。


 ファンは過去のシリーズと区別するため、副題にある「星ノ華女学院」の部分を略して『ホシガク』と呼んでいる。女子高生アイドルの努力と成長を外連味けれんみのない表現で描き、感動的な青春ストーリーとしても評価が高い作品だ。

 同作は、メディアミックスを手掛ける出版社から、公式二次創作作品の数々を収録した商業アンソロジー企画本が複数刊行されている。


 かつて俺は、そのうちの一冊にショートコミックを寄稿したことがあった。

 仕事を依頼してきた編集者は、ちょくちょく俺がSNS上に投稿した『ホシガク』関連の発言を見ていたらしい。



「実はエミ、最初に宇多見先生のお名前を知ったのは、このアンソロ本なんです」


 藤花は、また若干はにかむように微笑した。


「先生がお描きになった近未久遠ちゃんのショートコミック、物凄く絵柄が可愛らしくて、内容もキャラに対する思い入れが強く伝わってきて! それで先生が他にどんな作品を発表しているか気になって、少年フォースONLINEやSNSアカウントを拝見するようになったんです」


「なんとまあ、そうだったのか……」


 藤花が宇多見コウ作品に触れた入り口は、わりと意外なところからだったみたいだ。

 現実にこういう読者が存在すると知ってしまうと、深夜アニメチェックしてハマったりしておくことも、俺みたいな仕事じゃ大切なんだと痛感するな……。


 だがまあ、それはそれとして。

 藤花の話が事実なら、ちょっと個人的に気になったことがある。


「ところで藤花、もしかしなくても『ホシガク』が好きなのか?」


「は、はいっ!! 『ホシガク』というか、エミは全般的に<ラブトゥインクル>シリーズ大好きです!!」


 試しに問いただすと、藤花は全力で首肯する。


 おおっ……や、やはりそうだったのか……!! 

 美少女アニメである<ラブトゥインクル>シリーズは、基本的に男性向け作品だ。

 しかし案外「アイドルとして成功するため、懸命に頑張る女の子を応援したくなる」という女性視聴者からの支持も少なくない。


 とはいえ実際に好きだと公言する女の子を、じかに初めて見た……! 



「じゃあ第三弾までだと、どのシリーズが一番好きだ?」


 俺は「同好の士」と出会った高揚感を押し殺し、さらに重ねて訊いてみる。

 ちょっぴり考え込むような素振りを見せてから、藤花は控え目に回答した。


「あの……今も言ったようにシリーズ全般好きなんですけど――強いてどれかと言えば、エミ個人としては『ラブトゥインクル・ハーモニー』が一番好きです」


「むむむ、そうか『ラブハニ』か……!」


 俺は、背筋を伸ばしてうなってしまった。


『ラブトゥインクル・ハーモニー(略称ラブハニ)』は、シリーズ第二弾作品。

 大ヒットしたシリーズ第一弾のコンセプトを継承し、テレビシリーズ全二六話と劇場版が制作された。こちらも人気を博したものの、一方でコアなファンのあいだに限ると賛否の分かれる作品として語られがちだ。


 だがむしろ、あえて第二弾が一番、と主張する藤花の見解は興味深かった。


「どうして『ラブハニ』が好きか、理由も聞かせてもらえるか」


「あっ、はい……。まず<ラブトゥインクル>シリーズのストーリーって、どれも最終的には一応、全国女子高生アイドル選手権大会で優勝するじゃないですか? ただそのなかでも、少し『ラブハニ』だけは異質というか」


 こちらの要望に応じて、藤花は自分なりの感想を話しはじめる。


「シリーズ第一弾『無印』や第三弾『ホシガク』は色々苦難もあるけれど、結局は努力がすべて報われてハッピーエンドなんですよね。もちろん、だからこそ幅広く支持する人がいると思うんですけど。……でもシリーズの中で、実は『ラブハニ』だけは違うんです。あのお話でアイドルグループのメンバーは、少子化から廃校の危機に陥った学校を、自分たちの活動実績を活かして救おうとしますよね。ところが、それにもかかわらず――」


「物語の途中で、もういくら頑張っても廃校を免れられない、って知らされるんだよな」


 俺は、うなずきながら引き取った。


「あれはけっこう衝撃的だった。だが考えてみれば『無印』や『ホシガク』が都内の学校を描いているのに対し、『ラブハニ』だけが地方都市の学校を舞台にしていて、理不尽な現実を突き付けているんだよな。地域格差や能力主義メリトクラシーへの問題提起とかさ……」


「はい。もっとも少し毛色が違いますけど、そこは『ホシガク』で近未姉妹のエピソードにも引き継がれるテーマですよね。貧困家庭の話なんかに絡めて」


 こちらの話に補足してから、藤花は熱っぽく続ける。


「そこで『ラブハニ』はですね、《じゃあ頑張って全国大会で優勝しても報われないなら、もう自分たちに努力する意味はないのか?》っていう問いを投げ掛けてくるんですよね。何の得にもならない、合理性もないアイドル活動を、なぜするのかっていう」


「ああ、それな……『ラブハニ』って、報われざる努力の物語だからな……」


 藤花と話しているうち、こちらも徐々に胸が熱くなってきた。

 アニメの内容を思い出し、かつての感動がよみがえってきたせいだ。


「だから劇場版で泣きそうになるんだよな。あの、ラストライブで《――だって、本気で好きになっちゃったんだから、仕方がないじゃないですか!》って叫ぶシーン……」


「ええ、あのクライマックスがあるから、エミは『ラブハニ』が大好きです。《舞台ステージで歌って踊ることが、私たちは好きなんです》っていう、あれですよね?」


 劇中の場面を挙げてみせると、藤花もあとに続くセリフを引く。

 ここは『ラブハニ』に否定的なシリーズファンでさえ「一度は感涙にむせぶ」と評判のシーンだけあって、やはり忘れられない。


 俺と藤花は、申し合わせたわけでもないのに、息ぴったりでさらに続けた。



「《……たとえ報いがなくても!》」



 アニメの名ゼリフと共に、劇場版の興奮が再び心を満たす。


 オタク二人はどちらからともなく立ち上がり、テーブルを挟んで固い握手を交わした。

 圧倒的共感である。今日出会ったばかりの両者は、まだ互いの多くを知りこそしないが、<ラブトゥインクル>シリーズというひとつのアイドルアニメを通じて、人類が皆分かり合える可能性を示したのだ。


 やはり美少女コンテンツは偉大な文明の所産。

 ああ、誰もが<ラブトゥインクル>を『無印』から『ホシガク』まで全話三周すれば、世界中から不毛な争いなんか根絶されるに違いないのに――……。



 なーんて、藤花の手を握りながら考えていたのだが。

 不意にそのとき、冷たい声音が聴覚を刺激した。


「――二人共、とても楽しそうね?」


 はっと我に返って、隣の席を見る。


 朱里は、紅茶のカップを口元で傾けながら、穏やかに微笑んでいた。

 ただし「二人共」と言ったくせして、瞳は俺のことしか見ていない。

 おまけに表情とは裏腹で、眼光には刃物のような鋭さがある。怖い。

 オタクトークに夢中になって、こいつのことをうっかり放置していた。


 ――あとで殺されるかもしれん……。


 俺は、背筋に急な悪寒を覚えた。



 やっぱ不毛な争いを避けるため、朱里も<ラブトゥインクル>視聴すべきじゃない? 

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