24:女の子から尊敬されると平常心を保つのが難しい

 さて、そんなわけで。

 藤花笑美子とは、すぐ次の日曜日に面会することになった。

 藍ヶ崎駅前の広場で、午後一時半に待ち合わせする約束だった。

 ちなみに俺と藤花を引き合わせるため、朱里も現地へ同行する。


 かくして当日になり、丁度リビングで昼食を済ませた頃。

 来客を告げるチャイムが鳴って、朱里が俺を迎えに来た。

 この日の朱里は、パステルイエローのワンピースに身を包んでいた。

 ガーリーで清潔感があり、涼しげな装いだ。晴れた初夏に相応しい。


 俺は、通販アプリで新たに購入した服を着て、自宅を出た。

 背後で両親が冷やかすような言葉を掛けてきたが、無視を決め込む。

 朱里と一緒に外出するだけで、何を毎回勘違いしているのやら。



 陽乃丘三条から地下鉄に乗車し、藍ヶ崎で降りる。

 地下鉄改札の脇にある階段を上がれば、そこがJRの駅構内だった。

 藍ヶ崎市中心部は、JRと地下鉄の駅が内部で連結しているからだ。


 待ち合わせ場所の広場は、駅南口を出た先に位置している。

 タクシー乗り場の前を横切り、横断歩道を渡れば目の前だ。



「――藤花さん、もう来ていたみたいね」


 駅前広場に踏み入ると、朱里が真っ直ぐ正面を見て言った。

 視線の先には、噴水を取り巻くようにして、花壇が設えられている。

 その手前側にベンチが置かれており、女の子が一人腰掛けていた。


 俺は、その子の姿を見て、目を瞬かせずにいられなかった。

 率直に言って、かなり特徴的な容姿の女の子だったからだ。

 遠目にも小柄で、ベンチに座った有様がちんまりとしている。黒く長い髪は左右二房に分けており、いわゆるツインテールの髪型にしていた。


 何より目をくのは、彼女の服装だ。

 レースブラウスの上から、黒と白を基調にしたジャンパースカートとボレロを重ね着し、両脚をニーハイソックスに包んでいる。襟や裾にはフリルの類がふんだんにあしらわれ、そこには古美術人形アンティークドールを想起させるおもむきがただよっていた。かたわらには、黒くて奇抜なデザインの革鞄が置いてある。


 おそらく俺の認識に誤謬ごびゅうがなければ、ベンチに腰掛けている女の子の着衣は「ゴシックロリータ」と呼ばれるファッションだと思う。近年は「地雷系」などとひとまとめにして語られる場合もあるが、本来は異なる分野の衣装だったはずだ。


 とはいえ朱里の話で抱いた個人的な印象を、一見裏書きするような風体である。

 俺と朱里が噴水の方へ歩み寄っていくと、ゴスロリ少女は弾かれたように顔を上げた。

 こちらの接近に気付いた様子で、すっくとベンチから立ち上がる。


 どうやら、この子が藤花笑美子で間違いないみたいだった。



「こんにちは藤花さん。もしかして、待たせちゃったかしら」


「い、いえっ。全然そんなことないです、エミが早く来すぎただけでっ」


 朱里が声を掛けると、待ち合わせ相手は少し慌てた素振りで応じた。

 藤花は、小柄な容姿にぴったりの、やたらと可愛らしい声音だった。


 どうでもいいけど、藤花は一人称が「エミ」なんだな。いやたまにそういう女子が存在することは知っているが、これまた身近じゃ初めて遭遇したかもしれん。

 もはや一周回って、イマドキ珍しい種類の個性を凝縮した女子だ……。


 と、藤花が若干もじもじしながら、こちらを上目遣いに見詰めてきた。


「えっと。それでもしかして、こちらの男性が……?」


「ああうん、差し当たり紹介しておくわね」


 おずおずと問い掛けられ、朱里は大事な役目を思い出したように言った。

 ちいさく咳払いしてから、俺のことを片手で指し示す。


「彼が私の幼なじみで、クラスメイトの鵜多川孔市よ」


「……初めまして藤花。俺は二年一組の鵜多川だ」


 俺は、半歩前へ進み出て、芸のない挨拶をした。

 ひとまず礼儀として、握手するために手を差し出す。


 藤花は、にわかに緊張したらしく、身を硬くした。

 わずかに声を震わせ、調子外れな抑揚で名乗る。


「はっ――は、はは初め、ましてっ。エミは、二年四組の藤花笑美子です! ……そ、それで、そのぅ――……」


 藤花は、大きな瞳を落ち着きなく動かしていた。

 どことなく、怯えた小動物を想起させる仕草だ。


「う、鵜多川くんは、漫画家の『宇多見コウ』先生なんですよね……?」


「うん、まあ一応。そういうペンネームで活動させてもらっているけど」


 何やら秘密めかした口調で問い掛けられたので、俺は首肯しながら答えた。


 直後に突然、藤花の黒い瞳が熱を帯び、宇宙に浮かぶ星のようにきらめく。

 差し出していた俺の手は、ちいさな両手にがしっと掴まれた。



「はああああァァ、ほほほっ本当に本物の宇多見先生なんですね――!? お会いできて感激ですッ!! エミ、先生の大ファンで、いつも『少年フォースONLINE』の連載楽しく拝読していますッ!!」



 背丈が低い藤花は、若干見上げるような姿勢で詰め寄ってくる。

 俺は「そ、それはどうも……」と、やや当惑しながら応じることしかできない。

 だが自称「宇多見コウファン」の同級生は、尚も興奮気味に詰め寄ってきた。


「あのっ、先生が毎週SNSで更新なさっている『学校ではつれないクラスメイトが家で二人っきりになると、デレデレして甘えてくる話。』も、第一話まで遡って全話チェックさせてもらってます! エミと同じ高校に通いながら商業連載まで持っていて、その上でファンのためにショートコミックまで公開しているだなんて、本当に凄すぎてッ。エミ、もうずっと前から先生には尊敬の気持ちしかなくて、それで、それから――……!!」


 藤花は、うっすら頬を上気させつつ、猛烈な勢いでまくし立てる。

 こちらの手を握ったまま、やたらにぐいぐいと距離を詰めてきた。

 あどけない笑顔が、目の前にある。



 唐突な展開に気圧されていると、朱里が藤花をなだめるように制止した。


「ね、ねぇ藤花さん。もう少し落ち着いてお話するためにも、いったん場所を変えた方がいいんじゃないかしら? ここだと、他の人の目もあることだし……」


 指摘されて、はたと気が付いた。

 軽く周囲を見回すと、通りすがりの人々がこちらへ奇異なものを見る目を向けている。


 何しろ藤花は、ただ黙っているだけでも目立つゴスロリ少女なのだ。黒髪ツインテールと小柄な背丈も、古美術人形的な雰囲気を助長しており、注意を引かないはずがない。

 そんな女子から手を握られている俺も、注目の的だった。やばい。


「あっ、すみません……! エミったら、つい宇多見先生にお会いできたのが嬉しくて。昔から夢中になると、周りのことが目に入らなくなるんです」


 さすがに藤花も、朱里の言葉で現状を理解したみたいだ。

 ぱっと俺の手を離し、二、三歩後退あとじさりしてから、かすかにうつむく。

 まだ顔は上気したままだが、今は興奮じゃなく羞恥心しゅうちしんが原因だろう。



「あの、エミも紘瀬さんの提案に賛成ですので。折角ですから、ここの近くにあるお店へ入りませんか。素敵な喫茶店があるんです」


 俺も朱里も当然、異論などあろうはずがなかった。

 同意を取り付けると、藤花は行き先を案内するために率先して歩き出す。

 それに倣って、駅前広場から離れ、皆で街中の目抜き通りに向かった。


「――やっぱり藤花さん、ちょっと個性的な女の子よね」


 にわかに道すがら、朱里が隣でささやくように言った。

 位置的にも声量的にも、今は俺の耳にしか話し声が届くまい。

 藤花はやや前方を歩いていて、目抜き通りは雑踏がさわがしい。


「休みの日に会うのは私も初めてだけど、よしのんが彼女のことを『街中で目立つ』って言っていた理由もようやくわかったわ。その、暑くないのかしら……?」


 ここで密かに言及しているのは、ゴスロリファッションのことだろう。

 俺や朱里の着衣に比べて、なるほど藤花の服装は肌をおおう布地の面積が多い。フリルやレースで飾り立てられたデザインは、通気性に優れているようには見えなかった。

 まだ夏本番じゃないとはいえ、快晴の六月に着るのは少々厳しそうだ。


「……昔、漫画でゴスロリファッションのキャラクターを描く機会があってさ。そのとき作画上の必要から、ああいう服装について多少調べたことがあるんだよな」


 俺は、街路を歩きながら、藤花の姿を眺めて言った。


「それである資料本には『ゴスロリとは、着たいものを着るファッション』だって書いてあった。つまり根底には、他人の評価に惑わされず、好きなことを好きにする、っていう哲学があるらしい。見方次第じゃ、同調圧力に対するアンチテーゼかもしれん」


「好きなことを、好きにする……」


 朱里は、ゆっくり吟味ぎんみするようにして、言葉の一部を復唱する。

 口の端に苦笑を刻み、かすかにかぶりを振ったみたいだった。


「きっと芯が強いのね、藤花さんは」



 目抜き通りを進んだ先で、やや細い脇道へ入る。

 ほどなく「白柊館はくしゅうかん」という看板を掲げた店が、前方に現れた。

 藤花が「こっ、ここです」と言って、出入り口のドアを開く。

 俺と朱里もあとを追って、順に入店した。


 喫茶店「白柊館」は、アンティーク調の内装が印象的な店だった。

 テーブルや椅子をはじめ、店内の小物にどれも古風なおもむきがある。

 窓際のテーブルへ通されると、まず俺が奥の席をすすめられ、次いで藤花が差し向かいに座った。最後に朱里が隣の席へ腰掛ける。


「お礼が少し遅くなってしまいましたが――」


 各々注文を済ませると、藤花は居住まいを正して言った。

 この独特な雰囲気の店内で見ると、ゴスロリ服と相まって、おとぎ話の住人みたいな姿だった。この店を気に入っている理由がわかる。


「今日はわざわざお会いできる機会を作って頂きまして、宇多見先生も紘瀬さんも本当にありがとうございました」


「いや、そんなに改まって感謝されるほどのことでもないが……。単に学校の同級生同士で会ってみただけだし」


 かしこまって謝意を伝えられ、むしろ居心地悪くなってしまった。


「あとさっきから藤花、ずっと敬語でしゃべってる上、俺のことをペンネームに『先生』付けで呼んでるよな? 別に同い年だし、かしこまる必要もないと思うが」


「いっ、いえいえそんな恐れ多い!! さっきも言いましたけど、エミの心は宇多見先生に対する尊敬の気持ちで本当にいっぱいなのでッ!!」


 普通にタメ口で話して欲しいと思ったのだが、即座に固辞されてしまった。

 そうして藤花は、ゆっくり深呼吸してから、神妙な口調で続ける。


「実はエミ、今日まで先生にはお会いできないかもしれないと思ってました。連載漫画の原稿を描くのにお忙しいでしょうし、それに――」


「……それに? 何か気になることでもあったか」


 うながすように訊くと、藤花はちょっと先を言いよどんだ。

 しかし躊躇ちゅうちょの素振りをのぞかせつつも、さらに言葉を継ぐ。


「えっと、勝手な思い込みで失礼だとは思うんですけど。ひょっとしたら、宇多見先生と紘瀬さんは幼なじみなだけじゃなく、お付き合いしているんじゃないかと考えていたものですから。それで恋人以外の異性とは、無闇に接点を持ったりしないんじゃないかと」



 …………。


 いやまあ何となく、どこかでそういう誤解を抱かれている可能性があるかもしれない、とは予想していましたけどね……。

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