第三章「幼なじみは慕われている」

22:真実は芋づる式に露見する

 暦が六月に入り、衣替えの季節になった。

 学校の生徒たちのあいだじゃ、今時期ささやかな解放感が漂っている。

 制服が夏服になると共に、中間考査を切り抜けて身軽になったらしい。


 さて試験結果自体は、ほぼ完全に想定通りだった。

 俺の成績は、毎度の学年順位低空飛行ながら、全教科際どく赤点を回避した。おかげで補習と追試をまぬかれ、次の期末考査まで創作活動に専念できる。

 これも、優秀な幼なじみから借りたノートのおかげだろう。


 尚、当のノートの所有者たる朱里の成績は、クラス順位二位、学年順位で七位だ。

 優等生の立ち位置に恥じない成果は、リア充グループのみならず、二年一組に在籍する大多数の生徒から、賛美や敬意、まれに嫉視を集めていた。


 ちなみに俺としては、朱里の成績に特別な感想は何もない。

 無論、いつもノートを貸してくれることには感謝するし、努力に敬意も払う。その高い学力には、かつて高校受験の際にも助けられた。

 ゆえにたたえろと言われれば応じてやるにやぶさかでないが――

 ぶっちゃけ朱里の試験結果にかかずらっているほど、暇じゃないのだ。


 半月後には、商業漫画の〆切がある。SNS上で公開しているショートコミックの方も、何だかんだと定期更新を続けているからな。



 かくして学校から帰宅すると、俺は相変わらず原稿を描いていた。

 そこへ朱里がやって来たのも、いつもと変わらぬ日常の光景だ。

 ただし、この日は何となく幼なじみの様子が普段と違っていた。


 俺の部屋へ入ってきて、最初に挨拶したときから「おかしい」と直感的に思った。

 どこかよそよそしく、しおらしい物腰だ。いつものように部屋を片付けている際にも、無駄口など利かず、静かに作業している。


 しばらくすると、これまたいつも通り二人分のコーヒーをれてくれた。

 だがカップを差し出すときの所作は、やっぱり妙で、やけに殊勝だった。


「おい朱里。今日はいったい、どうしたんだよ」


 俺は、さすがに怪訝けげんに感じて、問いたださずにいられなかった。

 液タブのタッチペンを机の上に置き、朱里の方を振り返る。


「何だかやたらと大人しくて、薄気味悪いぞ。具合でも悪いのか」


「……薄気味悪いだなんて、失礼ね。それに体調も悪くないわよ」


 朱里は、口を尖らせて反論してくる。しかし口調に強さがなかった。

 ローテーブルのそばに座っているのは普段通りだが、いささか姿勢が硬く、手元で漫画の単行本を広げたりもしていない。

 どうにも釈然としないものを感じて、尚も問い掛けてみた。


「じゃあどうしたんだよ。この部屋で日常的に掃除し続けるうち奉仕精神に目覚めて、突然楚々そそとした立ち居振る舞いを身に着けてしまったのか」


「なんで掃除していたら奉仕精神を抱いて、その上挙措まで変化するのよ」


「実はおまえの前世がメイドで、転生前の魂がよみがえったのかもしれないだろ」


「勝手に人生二周目判定しないでくれる? ていうかメイドという職業にオタク特有の先入観や願望を持ち込むの、客観的に言ってキモいからね」


「ちなみに俺はどちらかと言えば、多少茶目っ気がある性格で『うふふ。ではご主人様、ご奉仕して差し上げますね……?』とか言いつつ優しく迫ってくれるお姉さんタイプのメイドさんが好きだぞ? クーデレはかなげタイプも捨てがたいが」


「全然こっちの言うこと聞いてないし! そんな性癖の自己申告いらないから!」


 極力平和な対話を試みたつもりだが、立て続けにツッコミを入れられてしまった。


 もっとも今のやり取りで、朱里もずいぶん平時の調子を取り戻したように見える。

 どちらかと言えば気がほぐれたというより、俺の話を聞いて悩んでいるのがバカらしくなったという反応だった気がするが。おい何だよメイドのお姉さんにご奉仕迫られたいの誰だって当たり前だろうがやんのかコラ。



「なんて言うか、その。今日は孔市にまた、謝らなきゃいけないことがあって」


 朱里は、ゆっくり深呼吸してから、予想外の話を切り出してきた。

 どうやら言い出しにくい件があったのと、それをいつ打ち明けるかで、さっきから思いわずらっていたみたいだ。


 とはいえ根本的な問題だが、俺には謝罪されるようなことが全然思い当たらなかった。

 それに朱里の「また謝らなきゃいけない」という言い回しも、いまひとつピンと来ない。


「なあ朱里。って、以前はいつ何の件で謝った話だよ」


「えっと。それは試験前、動物園に連れ出したことで……」


 首をひねってたずねたら、朱里はおずおずと答えを寄越す。

 それでやっと、ノートの貸与と引き換えに外出した件だと気付いた。


「何だよあの件なら、もう済んだ話だろ。気にする必要なんかない」


「う、うん、それはありがとう。――でも今日謝りたいのは別件で」


 朱里は居住まいを正し、あくまで神妙に続けようとした。

 改まった態度を取られると、こっちも若干緊張してしまう。

 息を呑んでいたら、朱里が思い切った様子で言った。



「あのね、実は……孔市が漫画家だって、友達の何人かに知られちゃったの」


 それを聞いて、俺は思わず大きな溜め息を吐いた。


「何だその程度の話か。もっとやばい事故でもあったかと思った」


「……え、えっ? 今言ったこと、ちゃんと聞いててくれてた孔市?」


「いや聞いたけど。おまえの友達に俺が漫画家だって知られたんだろ」


 確認を求められたので、話の趣旨を復唱して答えた。

 朱里は「あ、うん。そうだけど……」と、困惑したように返事する。

 だが俺はむしろ、ちょっと肩透かしを食らった気分になっていた。


「あのなあ朱里。たしかに俺は自分が漫画家である事実を極力知られたくはないが、是が非でも隠し通そうとまでは考えていない。ただ面倒臭いことが起きかねないから、無闇に吹聴して回ったりしていないだけだ」


 これは朱里と幼なじみである間柄を言いふらしたりしないのと、同じ理屈だな。

 別段悪事を働いているわけじゃないから、後ろ暗いことなんてない。逆に幼なじみの件だって、知ってるやつは知ってる話だったわけだし。

 だから、いちいち朱里が思い悩む必要もない。


 そう伝えたのだが、幼なじみの顔は尚も晴れなかった。


「あの……。でも付け加えるとその、もうひとつ問題があって」


「はあ? 何だよ言ってみろ」



「孔市が漫画家だって知ったが――君と会ってみたい、って言ってるの」



 ……これにはさすがに少しのあいだ、沈黙せずにいられなかった。


 何だよひょっとして早速、面倒臭い話になってきてるのかマジで。



「すまん朱里。ちょっと一応、事情を詳しく説明してくれ」


「ええ、それはもちろん」


 努めて平静を装いながら訊くと、朱里はちいさくうなずいた。

 それから時折考え考え、記憶を手繰たぐるように話しはじめる。


「とりあえず孔市が漫画家だって露見した経緯だけど、発端は鎌田くんなの。定期考査前にビデオ通話で、参加者四、五人の勉強会が合計三回開かれたんだけどね……」




 朱里が語るところによれば、二回目に実施された勉強会でのこと――

 おもむろに鎌田が雑談をはじめ、予期せぬ話題を持ち出してきたという。


(――生物の授業中なんだけどさ、鵜多川くんが昔メチャクチャ上手い漫画を描いているのを見掛けたことがあるんだよね!)


 理科系の選択科目は、授業が移動教室になる。

 移動先では生徒各人が自由に席を取るため、普段はあまり接する機会がない級友とも、隣り合って授業を受けることが少なくない。ゆえに生物の時間なら、鎌田が過去に偶然、俺の隣席に腰掛けていたことがあったとしても、不思議ではなかった。

 生物の授業は極力一人で、教室の隅の席に座っていたつもりだったんだがな……。


 とにかく、そうして鎌田は何かの拍子で、俺の「内職」を目撃したのかもしれない。

 これまで「どうせぼっちな俺のことなんて、授業中に気に掛けるやつはいないだろう」などとタカをくくって絵を描いていたのだが、意外な伏兵が存在したようだ。


 鎌田がいきなり俺のことをしゃべり出したのは、やはり朱里と幼なじみだと知ったのがきっかけみたいだった。ちなみに補足すると、今の話で「俺と朱里が幼なじみ」だと知れ渡った勉強会は、一回目に実施されたものだったとわかった。



 このとき話題にまず食い付いたのが、春海唯だったそうだ。

 幼なじみだとは知っていたものの、俺が漫画を描くことは初耳だったため、新たな情報に興味をそそられたらしい。


(――ねぇ。鵜多川が漫画描いてること、アカリは知ってた?)


 朱里は根が真面目なので、咄嗟にとぼけて誤魔化したりするのが得意じゃない。

 そのため春海の問い掛けに対しても、曖昧に返事したせいで、かえって秘密にしていることが露見してしまった。


 すると次いで、あの「よしのん」こと村井芳乃も話題に加わってきたのだとか。

 何しろ、村井は漫画イラスト研究会に所属している。友人の幼なじみが漫画らしきものを描いていると知って、黙っていられなかったのだろう。


(――鵜多川って、漫画描くのかあ。同人誌とか作ってんのかな?)


(――いやあでも正直、あの絵は素人ってレベルじゃなかったぞ~)


 村井が憶測を巡らせると、鎌田が調子に乗って話題を広げたという。


(――女の子のキャラとか、スゲェ可愛くてプロが描いたやつにしか見えなかったし)


(――最近はアマチュアでもプロみたいに上手い人、沢山いるよ。でも漫研の関係者でもないのに、本当にそこまで上手いならビックリ)


(――漫研は女子部員だらけだし、入部する気になれなかったんじゃないかなあ)


(――ていうか鎌田の話通りなら、鵜多川って美少女漫画を描いてるんだよね?)


(――うん、たぶんそっち系のやつかなって思う。絶対に天才だよあいつ)


(――念のために商業漫画家で、それっぽい人がいないか調べられないかな。男性向けの漫画はエミに訊けばわかるかもしれないしさ。ねぇアカリン、鵜多川がどんなペンネーム使ってるか知ってる? それさえわかれば、すぐ検索できるんだけど……)


 その後も根掘り葉掘り、ビデオ通話で畳み掛けるように質問を浴びせられたらしい。

 ほとんど会話に加わらなかったのは、さわやかイケメンの高城だけだったみたいだ。


 やがて村井が「エミ」なる友人に連絡を取り合いはじめると、朱里は俺のペンネームについても白状しないわけにはいかなくなった。

 なぜなら、異様に村井の友人が男性向け漫画に詳しかったせいだとか。


「エミ」は「ウタガワ・コウイチ」という名前の音から、すぐさま「宇多見コウ」を連想し、それが少年フォースONLINEで連載を持つ漫画家のPNだと指摘した。

 かてて加えて鎌田がネットで検索した漫画の絵柄を、間違いなく授業中に見た俺のそれと一致する、と証言したそうだ――……。

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