教室リバーシ ――双子姉妹にはさまれ生活
玩具堂
第1話.姉と妹
昼休み、トイレから教室へ帰ってくると、俺の席で女子が寝ていた。
正確には、俺の席を真ん中に三つの椅子をくっ付けて、
と言って、腰を乗せるのにいっぱいの椅子が三つでは、高校一年生が寝転ぶには狭すぎる。だから彼女は、猫のようにまろやかに体をたたんで、その伸びやかな手足を即席ベッドに収めていた。
さらりとした長髪に隠れて顔はうかがえなかった。ただ、薄い唇にかかった毛先が、吐息の形をなぞるようにそよいでいる。
その寝息は穏やかで――いかにも心地よさそうに、彼女は頭を枕へ委ねていた。そして。
「あ」
という声は、その枕のものだった。右側の席に腰かけて、寝ている女子を
「ごめんなさい。今、起こしますから」
きっちり整ったショートカットにシンプルな眼鏡。誰が見ても生真面目な印象を受けるであろう彼女は、自分の膝に乗っかった頭を無造作に抱え上げた。
「ほら
そのまま、ぶんぶんと物のように振り回す。見ている方が不安になるほど乱暴な勢いだが、ためらいも容赦もない。
「んンっ? …………ふぇ?」
どうやら熟睡していたらしい女子は、それでもしぶとく寝ぼけていた。くにゃりと握りこぶしを作って、しょぼつく目をこすっている。頭のスイングに合わせて、自然と髪が顔から流れ落ちた。
好みにもよるだろうけど、なかなか可愛い顔立ちをしている――と、思う。
いつも
「ふわ……ぁ……あー、とむらくんか。ぉかえりー……」
ようやく目が俺に焦点を結んだ時にも、彼女の声はなかばからあくびに溶けていた。
そのとろんと緩んだ姿はあまりに無防備で、あどけなくて、うっかりときめいてしまいそうになる。
そのすぐ後で、盛大によだれをすする音さえ聴こえてこなければ。
――
椅子の上であぐらをかき、のそのそとソックスに足を通している彼女は、教室最後列、窓際の席の同級生だ。俺の席はその右隣になる。
眼鏡の女子にハンカチで口を拭かれている雨恵の姿は、ちょっと高校生には見えないだらしなさではある。一方で、第二ボタンまで外したシャツからのぞく首元なんかは妙になまめかしくて、ふと目に入った瞬間にどぎまぎしてしまう。
入学直後に隣の席になってから数週間。誰にでも人なつっこい彼女は、会ったばかりの俺にも気安く話しかけてきた。
『あー、よろしくね。おとなりの戸村くん』
きれいな亜麻色の髪をして、どうにもやる気のないしゃべり方をする雨恵は、一見ギャルっぽくも見える。しかし、問わず語りに本人から聞かされたところでは、髪は染めたのではなく地毛だというし、特に目立ったメイクをしているわけでもない。
要するに、ただ雰囲気がチャラい怠け者なのだ。
けれど、元々が人見知り気味の俺から見れば、ギャルだろうが猫だろうが異性の級友はあくまで彼岸の存在だった。
「いやぁ、ごめんごめん」
まだふにゃりとした寝ぼけ顔のまま、雨恵は後頭部に手を当てて謝ってくる。この底が抜けたような無邪気さは、一種の人徳と言えるのかもしれない。怒る気も失せる。
「……いいから、座らせてくれるか」
溜息まじりに言うと、雨恵はようやく気付いたように自分の席へ座り直した。俺も自分の椅子を引いて腰を落とす。
すぐ前まで雨恵が寝ていた椅子だと思うと変な気分になったが、意識しすぎるのも気持ち悪いだろう……と、自分に言い聞かせる。
それでもなんとなく雨恵の方を見てしまって――目が合った。
まだ眠たそうに頬杖を突いた彼女の、なにを考えているのか解らない、半透明のような視線。
思わず息を止める俺に雨恵が言ってきたのは、たぶん弁解だった。
「
「昨日は弁当を忘れたから。今日は
「そっか。じゃあ、あたしも食べようかな」
と、机の横に引っかけたバッグから自分の弁当を取り出す雨恵。昼休みに入るなり、食事もせずに昼寝を始めたらしい。
そんな風に、食い気より眠気を優先するのが山田雨恵だった。怠惰なわりに
カーテン越しの陽光が縁取る雨恵の肢体は、イタリックで書いたように優美だった。
不覚にも、見とれてしまいそうになって――
「あの……すみませんでした」
不意に声をかけられ、あわてて振り向く。
そこにあったのは、雨恵と同じ顔だった。
同じ顔だが、しかし眼鏡が載っかっている。表情も、だらけた雨恵とは反対にすんとして利発な感じだ。髪も短ければ制服もきっちり校則通りに着込んでいて、一目で雨恵と見分けが付く。
――山田
雨恵の双子の妹で、俺の左隣の席の同級生だ。
つまり俺は、この双子姉妹の間に挟まった席で日々を過ごしている。
しかも、この最後列はクラスの人数の関係でその三席だけが後ろへ突き出る形になっていた。雪音の向こう側には誰も座っていない。
なんだか離れ小島みたいで、自分の異物感をことさらに思い知らされるロケーションだった。
今だって、わいわいと弁当を食べたり駄弁ったりしているクラスの連中を一望できて、だからドッヂボールで外野に出ているような感覚になる。
「勝手に椅子を使っちゃダメだって言ったんですけど、さっさと寝てしまって……」
クラス委員を務める雪音は見た目通りに真面目な性格で、姉の
その律儀さは、髪型のせいもあってか耳の垂れた種類の犬を思わせた。
俺は、小さく息を抜いた。
「いいよ……もう慣れたし」
雨恵が図々しいのはいつものことだ。最初は面食らったものだが、毎日隣の席でふにゃふにゃしているのを見ていると、あれはなんか、そういう生き物なのだと納得してしまった。
隙あらばだらけて、寄りかかって、他人を巻き込むのもいとわないのが山田雨恵だ。名が体を表す甘え上手である。そういうところは、
そんなことを思って頬を緩めると、雪音の目つきが急に険しくなった。
「あんまり雨恵を甘やかさないでくださいね……どんどん調子に乗るんですから」
考えを見抜かれたような言葉に、ぎくりと背がすくむ。
「優しいのはいいことだと思いますけど、それだけじゃ相手をダメにします」
雪音は真面目で、そして厳しいところのある人だ。なぜか誰に対しても――姉以外には――丁寧な言葉遣いをするが、それはどちらかと言うと相手に打ち解けない印象を与えがちだった。
ぐうたらな姉だけでなく、他のクラスメートを注意することもあって、中には
そういう一生懸命なところ、俺は「いい」と思うのだが、それはそれとして、にらまれるとたじろいでしまう。
「まぁまぁ雪ちゃん――」
訳知り顔で口を挟んできたのは、元凶である雨恵だった。弁当箱を包んでいたハンカチをくるくると振り回しながら、
「戸村くんも悪気があるわけじゃないんだからさ。大目に見てあげてよ」
「いやいや……」
「そもそも雨が悪いんでしょ」
俺と雪音に続けてツッコまれて、雨恵はむっと眉を跳ね上げた。不服げに口を
「なーにさ、声をそろえちゃって。そもそも、悪いって言ったら雪のふとももがぷにぷになのが悪いんじゃん」
「なっ……!?」
あんまりと言えばあんまりな難癖に、雪音は絶句した。俺はと言えば、反射的に雪音の脚へ目をやらないよう、己の意志力を総動員しなければならなかった。
たしかに雪音は、痩せ気味な姉に比べて……なんと言うか、ふっくらした体付きをしている。雨恵が着せ替え人形のようにだぶついた制服姿なのに対し、雪音は制服の許容量を試すかのように布地をいっぱいに膨らませている。
いや、別に太っているという感じではない。ないのだが、つまり――
「こんなの、枕にするしかないじゃん」
俺が雪音の形容に葛藤している間にも雨恵は止まらない。にゅっと身を乗り出して、雪音のふとももを
「ちょっ……!? やめてよ!」
雪音が悲鳴を上げて姉を引きはがそうとするが、優等生の彼女も運動に限っては分が悪かった。自分のふとももに食い込んだ指をなかなか振りほどけない。
俺は俺で固まっていた。雨恵が雪音の方へ身を乗り出したということは、つまり、間に挟まっている俺の前を横切っているということだ。背後にはロッカーがあるので、椅子を下げて逃げることもできない。
ほとんど俺の膝に雨恵の腹が乗っかるような体勢だ。姉妹の取っ組み合いが激しくなるのに合わせて、雨恵の髪が顔に跳ねてきたり肘が胸に当たったりする。
いい匂いがするやら痛いやら……なんとかしようにも頭が働かない。
妹の脚をまさぐる雨恵は、明らかに悪ノリしていた。
「へへへへへ……今日の昼メシは
目の色が山賊のそれだ。とにかく調子に乗りやすい女だった。
「ほ、ホントにやめてってば……!」
不意に、雪音と目が合う。痛いと言うよりくすぐったさに耐えかねたようで、せわしなく揺れる目の
彼女に助けを求める意図はなかったろう。よくも悪くも意固地なところのある子だ。それに男子を苦手にしているフシもある。俺を頼るとは思えなかった。
それでも。
気が付くと、俺は手を伸ばしていた。
「……いい加減にしろって」
ぎゅっ、と。
思い切って雨恵の手首をつかむ。
驚くほど細い腕の感触に、なにかヒヤリとするものが背中を走った。自分より繊細な存在、割れるガラスへの恐怖。
そういうものにあらがって力を込め、引っ張り上げる。雨恵の手は意外なほど簡単に妹から離れた。
「――っ――」
雨恵は目を丸くして、自分の手首を
それから振り向いて、俺の顔を見て、ゆっくり一回まばたきして。
にやりと、人の悪い笑みを浮かべた。
「ふーん……戸村
なぜか、息が詰まった。
「なんで……いや、そういう……俺はただ――」
「あはははっ、なに照れてんの?」
雨恵が笑いながら腕を引く。自然と力の抜けていた俺の指は簡単に
飽きっぽい雨恵は拍子抜けするほどあっさり引き下がり、自分の席へ腰を戻した。包みを
なんとなく、それを見てしまって。
「あの……」
と、逆側からの声に振り返った。
「あの、えぇと……」
姉の魔の手から解放され、息を整えている雪音だ。乱闘でズレてしまった眼鏡を外して、両の
「ありがとう、ございました……」
口の中に湯気の籠もってそうな声だった。
彼女はこちらを見ずに、机に置いた文庫本へ視線を落としている。雨恵の発言の流れで、面と向かって礼を言うのが気恥ずかしいのだろう。思わぬ運動のせいもあってか、心なし目元が赤い。
それは俺も同じだった。だから、
「いや……雨恵をどかさないと食べられないから……」
ちょっとぶっきらぼうな返事になってしまう。自然な返事のできない自分が情けない。
雪音がちらりとこちらを見てきて、目が合って、跳ね返されたようにまた机へ視線を戻してしまう。俺も目をそらして自分の机に戻した。
――『戸村和くんは雪の味方なんだ』
そういう言い方は卑怯だろうと、頬が熱くなる。この席は閉ざされた離れ小島で、だから熱が逃がせないのだ。
自分の弁当を広げながら、うらめしいような心地で雨恵の様子を盗み見る。
双子の姉はまだ食事に取りかからず、自分の右手首を左手でさすっていた。さっき俺が握ったあたりだ。
こちらの視線に気付いたのか、それとも偶然か、雨恵は不意にこちらへ目を流してきた。イタズラっぽく細められたその目付きは、やっぱり気まぐれな猫を想わさせる。
「意外と力、強いんだ」
俺の指の感触に重ねるように、雨恵は自分の腕へ指をからめた。そうして、独り言のように小さな声でささやく。
「なーんか、目が覚めちゃったな」
雨恵の指の動きに合わせて、きゅっと体の奥の方を締め上げられた気がした。
山田雨恵と。
俺と。
山田雪音と。
高校入学直後の席替えから、俺はこの奇妙な双子姉妹に挟まれて座ることになった。
仲がいいのか悪いのか判らない二人の間で過ごす学校生活は見ての通りに騒がしくて、むやみに疲れて、時にくすぐったくて。
これはつまり、そんな感じの席の、こんな感じの日常の話だ。
Episode #1
SISters
Fin.
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