第12話.白熊



「それでさー、タツオってば肝心なところで恥ずかしがってる内に妹ちゃんが帰ってきちゃって――」

 大声で彼氏とののろけ話をすることの賛否はさて置き、ともかくもことはしさんは幸せそうだった。クラスの友人グループで作った島の中で、昼休みの一時に黄色い声の花を添えている。

 話しているのは教室の前の方なのに、この最後列まで聞こえてくるのだから大概だ。しかしまぁ、この教室では珍しいことでもない。

 だから、俺が食べかけの弁当から顔を上げたのは、すぐ隣の席から聞こえてきた溜息のせいだった。下顎をゆっくり撫でるような、おもったるい吐息だ。

 そういう息をくのは――と、右隣の席のやまゆきを見る。

 亜麻色のショートカットが紺の制服によく映える、利発な印象の同級生だ。授業中と違って今は眼鏡をかけていないが、それでも優等生然として整ったたたずまいをしている。

 彼女は弁当の焼き魚を器用にほぐしながら、呆れたような目で琴ノ橋さんたちをながめていた。

「どしたのゆきちゃん。そんなでっかい溜息、幸せが裸足で逃げ出すよ」

 そういたのは、俺をはさんで雪音と反対の席。雪音とそっくりな顔立ちと髪の色をした、女子だった。見た目通り、雪音の双子の姉、あまだ。

 妹とは逆に髪が長いから見分けるのは難しくないが、性格や振る舞いは髪型以上に違っていた。眠たげな視線を妹に送りながらのろのろと弁当をつつくその姿は、心臓の鼓動がにぶい種類の動物を連想させる。

 雪音は姉の方を見た。横一列に並んだ席で俺をけて視線を通すためには、だいぶ前のめりにならなくちゃいけないのだが、かがんだ拍子に大きな胸が弁当に触れてしまいそうで危なっかしい。

「別に……ただ、ああいうことをあんまり大っぴらに話すもんだから、呆れてるの」

 今度は雨恵が大きめの吐息をした。ただ、重いか軽いかで言えばとても軽い。

「はぁっ……いいじゃんコイバナくらい」

 言葉はなだめるものだったが、声は挑発的に笑っていた。普段はだるげなくせに、人をからかうチャンスと見ると急に活き活きする奴だった。

「価値観古いなー。なんか雪ちゃん、タイムスリップ物のマンガとかに出てくる昔の時代の人みたいだよね」

「わ、わたしはただ、プライベートなことは大声で話すべきじゃないと思ってるだけ」

 真面目なことを恥じる雪音ではないが、おバアちゃんみたいな扱いはさすがにけたいらしい。早口に訂正した。

「アラビアヤブチメドリのような鳥だって、恋は隠れて行うものなんだから……いわんや人間をや、だよ」

「いや……そのアラブのなんとかどりさんのことは知らないけどさ」

 雨恵は口の中の物をパックのいちご牛乳で流し込み、ころりと首を傾げた。

「なんで恋愛を隠さなきゃいけないのさ?」

「それは……いろいろ説はあるだろうけど、要するに周りへの刺激を避けるためじゃないかな」

「刺激?」

「そう。目の前で誰かがイチャイチャしてたら、自分も誰かとイチャつきたくなったり焦ったりする……動物は種族保存の本能を持ってるから、多かれ少なかれそういう傾向があるの。

 でも、無分別にそういう……本能が暴走すると、異性をめぐってケンカが始まったり、群れが混乱状態になっちゃうでしょ」

 なるほど。男子のグループの一人にいきなりカノジョが出来たら、他の連中は焦ったりそのカップルが別れるよう呪ったりするもんな……いや、呪いはしないか。なんにしても「和」は乱れる。

 そういえば、天和あんな姉さんも同窓生が結婚するたびに落ち込んでたな……家を出た今でも、同級生の結婚式に出席したと言っては鬱っぽいメールを送ってくる。

 俺が雪音の説に納得してうんうんうなずいている間にも、双子のやりとりは続いていく。例によって危険球ビーンボールを投げるのは雨恵だった。

「ふぅん……なるほどね。つまり雪ちゃんは、うらやましくなっちゃうからカップルの話は聞きたくないわけだ」

「っ……誰も、そんなこと言って――」

 反射的に言い返そうとした雪音の言葉は、途中でぼそぼそと勢いを失った。

「…………いや、言ったかもしれないけど、それは動物の話だから」

「雪ちゃんだって動物じゃん」

「屁理屈。人間わたしには理性があるから」

 と、ことさらすました顔で言い切る雪音。彼女なりの、姉のうざがらみに対する盾だ。しかし雨恵は、その構えにこそイタズラ心をかれるらしい。

「それだったらコイバナ聞かされたって平気じゃん。誰がどんな話をしようが勝手でしょ……それとも雪ちゃん、他人の色っぽい話聞いて発情しちゃう人なの?」

「発じょッ……わたしは、一般論の話をしてるの!」

 さらに身を乗り出して雨恵に噛み付く雪音。雨恵はと言えば「キャア、コワい」とでも言いたげな大げさに怯えたポーズを取っている。

 事ここに至って、俺も黙っていられなくなった。話題が話題なせいもあってあえて沈黙を貫くつもりだったが、これは仕方ない。

 姉をにらみ付ける雪音の顔の前に手を差し出し、告げる。

「あー…………ちょっと落ち着いて」

「わ、わたしは落ち着いています」

 雪音は目をぱちくりさせてから言い返してきたが、それはつまり、気付いていないということだった。

 俺は雪音の胸……にならないよう、弁当箱を指差しながら続ける。

「えっと……付いちゃってるから」

「はい……?」

 と視線を下げて、雪音はようやく今の状態を自覚した。

 雨恵との会話にエキサイトするあまり、前へつんのめりすぎて胸が弁当箱に突っ込んでしまっている。幸い汁気の少ないおかずだったから大惨事というわけでもなさそうだが、それでもこれ以上汚れてしまうとシミが残りそうだった。

「っ…………!」

 雪音の顔がみるみる内に真っ赤に染まって、まず俺へなにか言おうとしたけど言葉にならず、それから雨恵をとにらんだ――えんの視線をぶつけられた雨恵は、今度は演技でなく怯んだようだった――。

 そうして彼女は、やにわにすっくと立ち上がり、

「……洗ってきます……」

 誰にともない言葉を残すと、生気のない足取りで廊下へ出て行った。

 雪音が律儀に引き戸を閉めて廊下へ出るのを見届けてから、俺は残された雨恵へ非難の目を向けた。

「……なんでああいうこと言うんだよ?」

 雨恵はぐるりと器用に目を回して受け流した。

「お姉ちゃんとしてはさ、妹がああウブだと心配になるんだよ」

「面白がってるようにしか見えないんだけどな」

「やっぱり雪の味方なんだ」

 うっすらとした笑みに浮いたような声に、俺は顔をしかめた。

「なんでそういうこと言うんだよ……」

「なんでって」

 なんでなのか、答えは返ってこなかった。


 ――それから一〇分ほどしても、右隣の席は空っぽのままだった。きちんとフタの閉められた弁当箱だけが取り残されている。

 男の俺から見ると、冗談みたいに小さな弁当箱だ。

 コミカルなシロクマがプリントされたフタの水色が、なにかうそ寒く見える。

 俺の方はとっくに弁当を食べ終えて片付けも終えていた。しばらく手持ち無沙汰な時間になる。

 ちらと見ると、雨恵も食べ終えて机に伏せている。いつもの昼寝だ。

 ………………

 机に手を突いて立ち上がる。なんとなく音を立てないように注意したけど、雨恵はのっそりと身じろぎした。それ以上の反応はない。

 まったく……と、小さく息を落として、俺は廊下へ出た。


 屋上へ出るドアのあるとうは、ただでさえ狭いのに予備の机や椅子が積み重ねてあって圧迫感が強い。窓がなく電灯も外されているから、晴れた日の昼間でもチャコールグレーの絵の具を流したように暗かった。

 ドアにはチェーンが掛かっていて屋上には出られないし、生徒の溜まり場にもなりようがないそこに、山田雪音は座っていた。

 正確には塔屋へ上がる階段の一番上に腰掛けている。暗いから表情はよく判らない。

 雪音は前にも雨恵とケンカして教室から飛び出したことがあって、その時もここで見つけた。学校で一人になるにはちょうどいい場所だ。

 わざと足音を立てて階段を上っていくと、視線を向けられるのを感じる。教室ではあまり見せない、ぼーっと意志の薄い目だ。初めてのことではないからか、驚いた様子はなかった。

「……なにやってんだ?」

「なにも……」

 答える声にも元気がない。その分拒絶もされなかったので、俺は少し距離を取って雪音の隣に座った。

 最初に口にしたのは、日頃から疑問に思っていることだった。

「……電気も窓もない場所でも、真っ暗闇にはならないんだな」

「廊下の光がここまで照り返しているんだと思います。鏡みたいにキラキラしてない壁でも、反射はしますから」

 雪音は特に迷いもせずに答えてきた。

 なるほど。言われてみれば、写真スタジオとかで見るレフばんもただの白い板だもんな。校内の壁の大部分も白だ。

 反射と言えば、校内放送の音楽も廊下へ反響してここまで聴こえてきている。スピーカーがだいぶ遠くにあるせいか、うら寂しい響きではあったけれど。

 その幽霊のささやきめいた音色に耳を傾けながら、彼女が教室を出たきっかけに話を転じる。

「服はだいじょうぶ?」

「……おかげさまで、汚れはキレイに除れました」

 それなのに、教室へ帰ってこない。

 理由が気にならないわけもなかったけれど、訊く気にもならなかった。それきり黙って少し待つ。

 一分も経たなかったと思う。暗がりの向こうで 雪音が息を吸う微かな音が聞こえた。

「シロクマ実験って知ってますか?」

 声になって吐き出された言葉はあまりに唐突で、にわかに反応もできない。

「……? ぇ? 白熊の……実験?」

 なにか生物学の研究だろうか。聞いたことはないと思う。

 暗さに目が慣れてきたせいだろうか。闇の中で雪音の目の色を見て取れた気がする。光沢が静止して、そういうマーブル模様に見えた。

「心理学の実験です……シロクマの一日を撮った映像をなんグループかの被験者に見せて、それぞれのグループに指示を出します。

 シロクマのことをよく覚えておくよう指示したグループ。

 シロクマのことを考えてはいけないと指示したグループ。

 そのどちらでもいいと指示をしたグループ……」

 滔々とうとうとよどみなく語る声音は、この空気の籠もった空間にはなはだしく不似合いで、だから元々の寂しさを浮き彫りにしていく。

「どのグループが、一番シロクマのことを覚えていたと思いますか?」

 説明に続く問いかけに、俺は直感で答えた。

「考えちゃいけないって言われたグループ?」

「どうしてそう思うんですか?」

「自分の身になったら、なんとなく……っていうのもあるけど、有名な実験なら結果に意外性があるはずだってかんり」

 我ながら小ズルい考え方だ。雪音は笑ったようだった。ただ息を抜いただけの小さな笑いだったけど、正解を出せたようだ。

「そう……その通りです。ようにするには、シロクマについて考えていないか常にチェックしないといけないんです」

 脳裏のイメージがシロクマでことをチェックするには、シロクマのイメージを呼び出して照合するしかない。ということか。

 思い出すのは、前に三原さんが言っていたことだった。

『つまり、子供がいなければ大人はなく、大人がいなければ子供はいない。両者の実体は同じものということだ』

 考えることと考えないこともまた、ひとつながりの行為なのだろう。

 でも、今の状況となんの関係があるのだろう?

 俺の疑問が伝わったわけでもなかろうが、雪音はいかにも出し抜けなことを口走った。

「わたしは、雨が言うようにいやらしい人間なのかもしれません」

 言葉づらの素っ頓狂さに反して、声は憂鬱に沈んでいる。俺はあえて困惑を隠さなかった。

「なんだ、急に……?」

「わたし、小学校の高学年になった頃から、男子からからかわれたり変な目で見られるようになりました」

 ……たぶん、その頃から周りよりずっと「女性」の体付きになっていて、その異物感を子供らしい無邪気さや残酷さではやしたてられたのだろう。あるいは、マセガキが不埒な視線を向けたのかもしれない。

 俺が当時の彼女に思いを馳せる間にも、雪音の独白はぽつりぽつりと続いていく。

「自分ではなんでそんな風にイジられるのか解らなくて、恐くなって。それでわたし、男子が苦手になって、今でも話そうとするとぶっきらぼうな感じになっちゃうんです」

「うん…………」

 としか言いようがない。男という共通項を持つ身として、悪ガキに代わって謝りたくもなったが、この場面では望まれていない気がした。

「恋愛の話が苦手なのも、その延長……なんだと思います。理屈ではそういうことじゃないって解っていても、あの気味の悪い視線を交わし合う行為なんだと思うと、なんだか……えずくような感じになって」

「うん……」

 と、我ながらバカみたいに繰り返して、それから気付いて続ける。

「……でもそれなら、いやらしい人間とは真逆なんじゃないか?」

 雪音は苦笑いをしたようだった。ただ引きつっただけかもしれないけれど。

「だからシロクマ実験なんです」

 考えないようにするほど、意識してしまう。そういうことか。

「そんなこともないと思うけど」

「でも……」

 もそっと、雪音が自分の体を抱き締める音が聞こえた。

「雨恵にああいうことを言われるたびにむきになっちゃうのは、もしかして、わたしが異性や恋愛に過剰な関心があるからなのかも、って。

 だから、他の人が当たり前に流してしまえる話にこだわって、いかがわしい疑いをかけて責めてしまうのかもしれません」

 たしかに雪音は、恋愛やセクシャルな話題に触れると、忌避したり不快になったりするだけじゃなく怒りだす。冷静でいられないのは、あるいは矛盾した感情を抱えているからなのかもしれない。

 ちょっとネガティブな解釈過ぎると思うが……

「自分でも、よく解らないんです……」

 どうやら、雨恵が気軽にふっかけた恋愛談義は思いのほか雪音を追い詰めていたようだ。

 自分の気持ちに整理が付かなくて、だから教室に戻ってこないし、だからこんな風に卑屈な声を出している。

 俺にだって解らない。シロクマ実験を今の雪音に当てはめる妥当性も、幼い雪音にすり込まれた身体的なコンプレックスも、今の雪音の想いも。

 この場で確信を持って言えるのは、たった一つのことだけだ。

「悪くない」

 彼女が顔を上げた気配だけを感じる。

「なんにも悪くないよ」

 重ねて告げる。何度だって言いたかった。

「別に、なにを考えててもいいじゃないか。大事なのは、アラビアなんとかどりみたいに恋愛を見せつけないことなんだろ? だったら、ホントはいろいろ考えてるのも、オープンにしている人に眉をひそめるのも、どっちも合理的だよ」

「それは…………そうかも……ですけど……」

 雪音は少し、口の中でぼそぼそと言葉を噛んだ。それからうつむいて、蚊の鳴くような声を出す。

「……恥ずかしいから……」

 ………………

 危うく。

 肩でもどこでも抱きたくなる衝動に負けそうになった。

 それに耐えられたのはたぶん、直前に雪音の昔話を聞いていたから……と言いたいところだけど、単に俺の中でなにかが欠けていたからだと思う。

 その後、しばしの沈黙があった。

 気まずいような、くすぐったいような空気だけが暗がりの塔屋に広がって。

 俺はちらちらと落ち着きなく雪音を盗み見た。薄闇になじんだ眼に、物思いに沈む彼女の横顔がくっきりと刻み込まれる。

 ――と、ふと前髪に手櫛を入れて、雪音はゆっくりと立ち上がった。

 見上げる俺に返ってきたのは、静かな笑顔だった。

「帰りましょう。そろそろ昼休みも終わります」


 教室へ帰る短い道のり。窓があるだけの廊下がこんなにもまぶしい。

 ふと思い出して、俺は歩きながら口を開いた。

「あー…………雨恵だけどさ。あれでも少しは反省してるみたいだから」

「だといいんですけど……」

 隣を行く雪音は嘆息混じりに言って、それから小さく笑った。

「小学生の頃、男子たちだけじゃなくて雨にもセクハラまがいのことはされたんですけどね。その雨は、わたしがちょっかいかけられてると、相手が男子でも張り倒してかばってくれたんですよ?」

 ――この姉妹は仲が良いようで悪くて、悪いようで良い。

 結局、俺がフォローして丸く収めようとする必要なんてなかったんだ。丸くは収まらなくても、姉妹は姉妹らしい形に収まるのだから。

 窓の外を見やれば昼下がりの青い空。くっきり浮かんだ白い雲が、シロクマのようにのそのそと闊歩かっぽしている。

 俺は、心地良い徒労感に息をいた。



        ▼▽


 最近、夜更かしが続いている。

 宿題や家の手伝いを終えて、それから「趣味の時間」を取ると、どうしても深夜になってしまう。寝るのが嫌いなわけじゃないから、苦肉のトレードオフだ。

 わたし、山田雪音の一日の終わりは青い画面の中にある。

 お母さんからお古をもらったノートPCはまだまだ実用に耐えるスペックだけど、電源を落とそうとすると一分以上かかる。取り外したウェブカメラをケースにしまい終えても、終了処理の青い画面はまだ表示されていた。

 あくび混じりにその画面を見ながら思い出されるのは、今日の昼間、暗い塔屋であったことだ。

 雨とケンカ未満の言い合いをしていたら服を汚してしまって、教室を出て、水道でブレザーの汚れを落とした。幸い、水で軽く拭ったら跡も残らずキレイになった。

 教室に帰ろうとしたけど雨に言われたことが気になって、あの塔屋へ足が向いた。

 一人になりたかった……のだろうか?

 シロクマ実験だ。一人になろうと思えば、一人でことを、誰かといっしょにいるということを強く意識してしまう。

 わたしは生まれた時から雨恵あねといっしょだった。友達と言える人はそれなりにいたけれど、学年や学校が変わるとそれきりになるのがほとんどだ。いわゆる親友という相手がいない。

 それは雨恵も同じだったけど、あの子の場合は束縛されるのを嫌うから深い付き合いをしないだけだ。社交性はむしろ人一倍にある。わたしが友達と思ってきた人も、ほとんどは雨恵が声をかけて親しくなった。そうでない人は、相手からわたしに声をかけてくれた。

 つまりわたしは、友達が出来たことはあっても、作ったことはない。

 今日もそうだ。訪ねてきてくれたのは戸村くんだった。わたしは待っていただけ。さすがに確信していたほど自惚れ屋ではないけど、期待はしてしまっていた。

 戸村なぎくんはわたしに優しい。

 困っていると頼まなくても助けてくれる。「クソ真面目であること」を馬鹿にしない。雨とわたしがケンカすると、大抵はわたしの味方をしてくれる。その他にも、なにかと気を遣ってもらっているのを感じる。

 今日だって、わたしの益体もない話を辛抱強く聞いてくれた。他の人と違って、理屈っぽいとか考えすぎだとか言わずに、ちゃんと内容を咀嚼そしゃくして認めてくれた。

 わたしのことが好きなのかなと、思うこともある。

 でも。

 違う。

 あの人は、誰にでも優しいだけだ。

 特に女の人からの頼み事は断れないらしい。ちらっと聞いた話では、家庭環境が関係しているみたいだけど、詳しい話は知らない。雨にだってしょっちゅうデレデレしてるし。

 ともかく、勘違いは禁物だ。

 きっと今までの友達と同じ。一時いっときまじわって、そして離れていくだけの人。

 そこまで考えたところで、とっくの昔にパソコンの電源が落ちていたことに気付いた。


 電気を消して布団へ入る。

 以前は雨と使っていた二段ベッドを解体して新しいマットを敷いた、わたしの寝床。以前は大量のヌイグルミで彩られていたけれど、今は一匹きりだ。

 クッションにもなる大きなシロクマ。体積と色のせいで、暗闇の中でもと存在感を発揮している。

 雨はヌイグルミと寝るのを子供っぽいと馬鹿にする。それを気にしていたこともあるし、現に他のヌイグルミはクローゼットに片付けてしまったけれど、最近は開き直ってきた。枕が変わると寝られない人がいるように、わたしの安眠にもヌイグルミが必要なのだ。

 布団の中、もふりとシロクマを抱き締め、目を閉じる。

 本当の暗闇が訪れたはずなのに、まぶたの裏は濃い灰色だった。昼間の塔屋と同じ色。窓はなくても廊下から光が反射して入ってくる、学校の陰。

 そこに居るのはわたしと、それに……

 ――ダメだ。勘違いは禁物だ。

 心中で繰り返して、考えないようにする。思い浮かべないようにする。ヌイグルミといっしょにクローゼットへ隠してしまえ。

 ……解っている。シロクマ実験だ。考えないようにすればするほど、秘めるほど、わたしはそれを強く心に刻むことになる。

 けど、実験は知っていても自分で試験したことはない。

 だったら、試してみるのも無駄ではないだろう。

 だから。

 わたしは全力で、あの人のことを考えないようにしながら眠りへ就いた。

「……おやすみなさい……」


 ――考えては――勘違いしては――

 ――……



 果たしてわたしのシロクマは、夢の中でも隣に座って気弱に笑っていた。



Episode #12

White Bear

     Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

教室リバーシ ――双子姉妹にはさまれ生活 玩具堂 @hisao_gangdo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ