第9話.背比べ
「へー。じゃあ勝負しようよ」
「いいよ。でも審判が要るね」
――と、両隣の席の双子姉妹が、俺の頭越しに決闘を約した。
いやいや……物騒だな。移動授業から帰ってきたばかりでなんの勝負なのかは判らないが、嫌な予感に冷や汗がにじむ。
俺から見て左隣の席、姉の
俺から見て右隣の席、妹の山田
この姉妹にはままあることだが、一触即発の不穏な空気だった……とはいえ、さすがに暴力的な果たし合いではないだろう。
俺には関係ないし、放っておいても……と
「っ…………」
気は進まないが無視するのも後が怖い。雨恵に目をやると、そこには気持ち悪いほど優しい
「昼休み、ちょっと付き合ってよ」
助けを求めて雪音を見ると、こちらは礼儀正しくぺこりと頭を下げてくる。
「お
そうしてやっぱり、俺は逃げられなかった。
――迎えた昼休み。
俺が双子に連れてこられたのは保健室だった。
雪音がノックしたが返事はない。引き戸に鍵はかかっておらず、雨恵は無遠慮に中へ入り込んでしまった。まぁ保健室に入っちゃいけない法もないだろうから、俺たちも続く。
中は無人だった。先生の姿もなければ、部屋の奥に並んだ二つのベッドも空っぽだ。小学校の保健室から変わらない、消毒液の匂いだけが鼻を突く。
「先生は外出中のようですね」
机の上のメモを見つけたのは雪音だった。養護教諭が不在の
妹の手元のメモをのぞき込んで、雨恵が脳天気な声を出した。
「ラッキー。心置きなく勝負できるじゃん」
「いや、だからなんの勝負で、俺はなにをさせられるんだよ?」
結局なにも聞けないままここまで来てしまったが、三人で保健室に来ていったいなにをするっていうのだろう?
「心配しなくても、そんなに時間は取らせないって」
へらへらと言いながら、雨恵がブレザーとカーディガンを脱いで無造作にベッドへ放り出す。
見れば、雪音もブレザーを脱いでいた。こちらは丁寧に畳んで、やはりベッドの上にちょこなんと置かれている。
……女子が目の前で脱いだ服がベッドの上に並んでるのを見ると、なんか……こう……そわそわするな。いや、それはともかく。
俺が重ねて
そして彼女は、身長計を手で示しながらようやく説明してくれた。
「
「不正……?」
身体測定でなんの不正をするって言うんだ? そんな疑問が顔に出ていたのだろう、雨恵が俺の肩に手を置いて、うんうんとうなずく。
「そうでしょ? 戸村くんも
「そこまでは思ってない……」
「自分が身長で負けたからって、あたしがインチキしたなんていちゃもん付けちゃってさ。あー、みっともなー」
なるほど。雨恵が自分より背が高いということに納得いかなかった雪音が疑いの目を向け、雨恵も――むきになったのか面白がったのか――受けて立って、再測定してやるという流れになったらしい。
アホらしいと言えばアホらしいけど……まぁ、でも、
「たしかに雨恵の方が背が高いって印象はないな」
「ですよね! 偏食の雨がわたしより大きいはずがありません。きっと、先生にバレないように背伸びでもしてたに違いないです」
今度は雪音が勝ち誇って雨恵を見る番だった。今にも勇んで身長計に乗り込みそうな勢いだ。
雨恵ににらまれた気がしたがあえて気付かないふりをして、俺は疑問を繰り返した。
「で、俺はなにをすればいいんだ?」
「わたしたちの身長を測って、正確な数字を教えてください。雨に任せると嘘をつくかもしれないので」
「それはこっちのセリフだね」
……なんでこの姉妹は、身長のことくらいでこんなにヒートアップできるんだろう。うらやましいのかうらやましくないのか、微妙なラインだ。
ともかく、俺は公平な第三者としてレフェリーの役を仰せつかったようだった。全く光栄ではないが、思ったより簡単そうなのでちょっと安心する。
「じゃあ、さっさと始めよう……どっちからにする?」
吐息混じりに言うと、先んじて手を挙げたのは雨恵だった。
「そりゃあ、お姉ちゃんからでしょう」
理屈はよく解らなかったが、とにかく雨恵は足だけ使って上履きを脱ぎ捨て、身長計に上がってしまった。順番に意味はないせいか、雪音も大人しく雨恵の上履きをそろえている。
「そんじゃ、さっそく測るぞ。えっと……どうやるんだこれ?」
頭頂部に押し付けるくちばし
俺がスムーズなスライドに感心する間に、雨恵は身長計のポールに背を付ける。目盛りの仕様を確認しようと顔を近付けていた俺は、思いのほか間近で揺れる長髪にどぎまぎと身を離した。
いつもだらりと
――窓外からはうららかな陽が差し、廊下からは校内放送の唱歌が流れ込んでくる。演出されたような静けさが、三人の息遣いと
そんな中で、人形のように突っ立った少女。
普段から過剰なくらい自由にだらけている雨恵が、金属の器具へ
まるで、白昼夢のような光景ではあった。
思わず思考が止まって――
「ほら、早く測ってよ」
急かしてくる雨恵の声で我に帰る。いかんいかん……
俺はことさら無心になって身長計のバーを下げ、雨恵の頭頂部に押し当てた。柔らかな髪が無機質な直線にへこむ。
「どう?」
上目遣いにそわそわ訊いてくる雨恵。雪音が無駄に真剣な声で注意する。
「雨、もっと顎引いて。高くなっちゃうでしょ」
「あー、はいはい……」
「ちょっと待ってくれよ……えーと」
いい加減な数字を出すと後で雪音に怒られそうだ。俺は改めてバーを雨恵の頭に押し当て、念入りに目盛りを読んだ。
「
正確にはあと何ミリかあるけど切り捨てた。雨恵が満足げにうなずく。
「うん。身体測定の時と同じだね」
「む……たしかに」
雪音も逆側から目盛りを確認して、雨恵は身長計から降りた。柱に貼られた鏡に向かって、髪の乱れを直す。
入れ替わりに身長計へ乗ったのは雪音だ。一旦上へ戻したバーの下に立つ。
「よろしくお願いします」
律儀に頭を下げてから、彼女は身長計に背を預けて直立した。
雪音の場合はいつも姿勢が良いが、こんな風に真っ直ぐ立った姿をまじまじ見る機会はあまりない。その姿は、雨恵とはまた違った方向に女性的だった。姉が優美なしなやかさなら、妹は豊かなふくよかさだ。
端的に言えば、
……改めて近くで見るとすごいボリュームだ。
いつか見た科学番組かなにかで、物体はそこにあるだけで空間を
雪音の存在感は、たとえ目をそらしても脳のどこか、見当識とかそういうのへ干渉してくるのだ…………そうだ、それが学術的な解釈だ。単に雪音の胸のインパクトが網膜に焼き付いて消えないわけじゃない……はずだ。うん。
「背はともかく――」
俺が身長計に集中しようと必死になっている間に、雨恵がうっすら半目で妹をながめながら口を開く。
「体積と体重では雪の圧勝だよね」
「なっ……!」
まごうことなき直球ど真ん中のセクハラに、雪音は反射的に両手で胸と腹を押さえた。雪音の名誉のために断っておくと、少なくとも外目にお腹が目立っている事実はない。
「体重は教えてないでしょ!?」
雨恵はわざとらしく肩をすくめた。
「判るって。いっしょに寝る時のボリューム感で。たまに雪ちゃんの寝返りで潰されそうになるもん」
「そんなわけないでしょ……第一、そっちが勝手にベッドに入ってくるのが悪い――」
……なんかまた言い合いが始まりそうだ。昼休みも無限ではないし、俺は――全く興味がないと言えば嘘になる話題だったが――割って入って話を遮った。
「ほら、体を丸めないで背筋を伸ばしてくれ」
さっさと測っちゃうから、と促す俺に、雪音ははッと顔を上げた。そうしてなぜか一層体をかばうように抱き込んで、警戒に満ちた目で俺をにらんでくる。
「わ、わたしに胸を張らせてどうするつもりですか!?」
「背を測るんだよっ!」
俺が思わず大声を出してから一分もしない内に、雪音の身長測定は終わった。
一五五センチ。事前の申告通り、ほんのわずかだが雨恵の方が高いという結果だ。雪音が落ち込んだのは言うまでもない。
「な、なぜ……? バランスの良い食事を心がけてるし、簡単だけど毎日体操もしてる……雨より背が伸びない道理がないのに……?」
理に落ちるきらいのある雪音としては、同じ遺伝子を持つ双子なら生活の充実している自分の方が育つはずだという信念があったのだろう。だが、現実は理屈の通りにはいかない。残酷なものだ。
対して雨恵は、至ってミもフタもなかった。
「だからさ、いくら栄養
「ぅ、ぅぅうるさぃ…………」
雪音の反撃も今ばかりは力無い。俺からすると、たった一センチ背が低いだけでそこまで落ち込める方が驚きだが。
「昔っからそうだよね。あたしの方がほんのちょっとだけ背ェ高くて、雪が納得いかないって何度も測り直して」
双子姉妹……と言うか、この山田姉妹ならではのこだわりなのかもしれない。そう思えば、二人のそんな一面を知れたのは悪いことではなかったようにも思う。
そんなことを考えながら、なんとなく身長計をながめていると、妹をからかうのにも飽きたらしい雨恵に声をかけられた。
「せっかくだから、戸村くんも測っていきなよ。あたしが見てあげるから」
「ぇ? ああ……そうだな」
改めて測る理由も特にないが、勧められて拒む理由もない。上履きを脱いで台に乗り、ポールに沿って背筋を伸ばした。横に回った雨恵が爪先立ちになって俺の頭頂に測定バーを下ろす……
「あはは、ごめん。勢い付けすぎた」
「いいから……目盛り読んでくれ」
「うん。えっと……一六八センチ……かな?」
一六八か……身体測定からそんなに経ってないから当たり前だけど、変わっていないな。俳優やアスリートみたいな長身はあきらめてるけど、できればもう一声、一七〇以上は欲しいところだ。
自然と溜息が漏れていた。自分で思っていたより背を気にしていたらしい。俺も雪音を笑えない。
ふと視線を感じると、雨恵が俺の頭の上あたりを見ていた。
「一六八ってーと……あたしより一〇センチも高いんだねぇ」
「まぁ、そうなるな」
「ふぅん……」
と。
なにを思ったか――雨恵は上履きを蹴り飛ばして身長計の台の上に乗ってきた。
俺は俺で踏み
ちょっとよろめけば抱き合うことになりそうな距離。反射的に出した俺の声は、うめきと変わらないものだった。
「な、なに……?」
「うん。こんなもんか」
雨恵は、自分の頭の上に右手をあてがって、その手をそのまま前へやって俺の首のあたりをちょんと打った。身長差を具体的に測りたくて、台の分の差をなくすために自分も乗ったらしい。
そうしてそれだけで、雨恵は台から降りてしまった。
俺としては、ぽかんとして見送るしかない。
そんな間の抜けた顔に気付いたか、雨恵は笑いながら、さっき俺の首に当てた
「ま、ちょうどいい感じじゃない? 高すぎても困るし」
その日の昼休み中、俺はなにがどう、なにに「ちょうどいい」のかを考え続けた。
いろんなことを思い付いて、否定して、悶々として。
そして。
全然解らなかった。
世の中には、俺の知らない背比べがあるのかもしれない。
Episode #9
Just Right for
Fin.
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