第3話.初心者

「あーあ、告白しちゃったよ」

 なんだ藪から棒に――というのは、やまあまを相手にしているとよくあることだった。

 今もそうだ。唐突な言葉に隣の席を見れば、亜麻色の髪をした女子が今日発売の少年マンガ誌を読みながらぼそぼそと独り言を言っている。

 顔立ちは整っていると思う。窓からの日差しが縁取る横顔などはちょっとした画題になりそうだ。ただ、どうにも表情にがない。痩せ形の体を包む制服は余り気味で、座ると布に埋もれているように見えた。

 そんな彼女と隣の席で過ごすようになってしばらく経つ。入学式直後の席替え以来の隣人だ。それでも、その突拍子もない言動には一向に慣れる気配がない。

「なんでしちゃうかなー……? あーあ、バッカでー」

 休み時間なのだからなにをしてもいいんだけど、クセなのか、マンガのページをめくりながらの独り言が多いのが気になってしかたない。

「……なんの話だ?」

 聞き流すのも限界になって、思いきっていてみた。雨恵は「んぇ?」とマンガから顔を上げると、ちょっとほうけたような顔をしたが、俺の顔を認識するなり勢いづいて話しかけてきた。

「なんのもガンモもないよ! このラブコメの主人公がヒロインに告白しちゃったんだよっ! 毎週楽しみにしてたのに!」

 突き出された雑誌を見れば、そこには『今日きょうさんと明日太あすたくん』という図案化されたタイトルと、顔を赤らめて見つめ合う少年少女の姿が描かれたイラストがあった。やや少女マンガ寄りの絵柄だ。

 偶然だが、そのマンガのことは知っていた。下の姉さんが単行本コミックスを買っている、今注目のラブコメだ。ファンの間での愛称は「今明日きょうあす」だったか。

 俺はあらすじくらいしか知らなかったのだが、どうやら雨恵は最新回の展開に不満があるようだ。と言っても、

「主人公がヒロインに告白することの、なにが悪いんだよ?」

 恋愛物なら告白シーンなんてマグロのトロだろう。愛読者ならむしろ盛り上がる場面じゃないのか?

 俺の至極当然な疑問に対して、雨恵から返ってきたのは大きな溜息だった。

「解ってないなぁ。ラブコメは、告白したら終わっちゃうじゃん」

「そうなのか?」

「そうなの。少女マンガだとくっ付いてからが長いこともあるみたいだけど」

 口ぶりからすると、雨恵は少女マンガより少年マンガを読み慣れているらしい。姉の調達してくる少女マンガを読むことが多かった俺とは逆のパターンだ。

「はぁ……」

 だから、俺は小さく首を傾げた。少年マンガも人並みに読んでるつもりだけど、恋愛物にはあまり興味がないせいか、どうにもピンとこない。

 そんな態度にイラついたのか、雨恵は俺の上履きに自分の上履きをぶつけながら言う。

「なんだよ張り合いないなぁ。これだからむらくんは初心者向けなんだよ」

 初心者向け、というのは、雨恵が俺の男子としてのを表現する時によく使う言葉だ。要するに「男女の機微がまるで解ってない」とか「チョロそう」とかいう意味だろう。

 我ながら否定しづらいところではある。しかし、それにしてもこれは言いがかりだ。

「いやいや、マンガの話だろ」

「マンガの中にも真理があるんだよ」

 そう言われてしまうと……姉の一人が漫画家のタマゴをしている俺としては否定しづらい。いやでも、そうは言っても、

「告白したらマンガが終わることに、なんの真理があるっていうんだ?」

 雨恵はバタくさい仕草で大げさに肩をすくめた。

「小学校で社会の授業を聞いてなかったのかね、キミは」

 ぐぅ……授業態度のいい加減さでは右に出る者のいない雨恵に言われるにはショッキングなセリフだ。

 動揺する俺に勝ち誇った視線を向けつつ、雨恵は滔々とうとうと続ける。

「大昔、あたしたちの御先祖様は狩猟民族だったんだよ。猫さんみたいに、動く者を追いかけて仕留める習性を持ってたんだ」

「それは知ってるけど」

「恋愛も同じで、楽しいのは獲物をゲットするまで。その後のことは、まぁオマケみたいなもんなんだよ。だからラブコメはそこで終わるの」

「そんなもんかなぁ……?」

「釣りのキャッチ・アンド・リリースとかまさにそれじゃん。魚が欲しいんじゃなくて、魚を捕まえたいんだよ。

 それが猫の本能だから」

 言いながら、雨恵は人差し指で俺のひたいつつこうとしてくる。反射的にのけ反ってかわすが、指はしつこく追いかけてきた。

「っ、やめろって」

「そうやって落ち着きなく逃げ回るから、余計に仕留めたくなるんだよ」

 軽やかな動きで指を振るい、俺の額を狙ってくる雨恵は実に楽しそうに微笑んでいる。

「――それが猫の本能だから」

 さっきと同じ言葉を繰り返した彼女の胸元では、黒猫を模したヘアピンがとぼけた顔をして俺を見つめていた。

 どっしり構えて頬を差し出せば雨恵は興味を失うのかもしれない。それは解っているのだが、実際に触れられる前からくすぐったくなって避けてしまう。これでは猫にいたぶられるネズミだ。

 こういうところが、雨恵の言うところの初心者向けなのだろうか……


「なんで猫の話になってるの?」

 ――と、不意に声のした方を見れば、雨恵の双子の妹であるところの山田ゆきがジトッと目を細めていた。俺と雨恵の、間の抜けたやり取りが聞こえていたのだろう。

 なにせ、俺たちの居る教室最後列には、山田姉妹と俺の席が並ぶきりだ。嫌でも会話は筒抜けになる。

 俺をはさんで雨恵と逆の席に座る雪音はクラス委員を務める優等生で、ほとんどなにもかもが姉とは対照的な女子だ。

 顔立ちこそ雨恵によく似ているが、その造作は利発な意志に引き締められている。そのおもを縁取るショートカットも長髪の姉とコントラストになっていた。

 そして、制服がだぶついている姉が嘘のように、起伏の豊かな体が紺色の布地を膨らませている。

 端的には、力を抜きすぎているのが雨恵で、力を込めすぎているのが雪音と言える。それは見た目だけでなく性格も同様だった。

あめは自分が飽きっぽくてめんどくさがりだから、価値観が狩猟民族で止まってるんでしょ。それを恋愛の一般論まで広げないでよ」

 姉妹だけあって雪音の物言いには遠慮がない。

「大人の男女なら、少年マンガを読んでる男子や雨みたいにせつてきな本能じゃなくて、成熟した理性でじっくり愛を育むものだよ」

 挑発的に言う妹に、雨恵は小さく鼻を鳴らした。

「ふン……愛は稲作文化ってわけかい」

 ダセぇ……

 なぜそれで上手いこと言ってやったって顔ができる?

 雪音も同意見だったのか無視を決め込んだが、

「でも雪ちゃん。彼氏いたこともないくせに上から目線はどうなの?」

 次のこの一言には眉を跳ね上げた。

「っ……関係ないでしょ。実際の経験なくたって、本や映画で学ぶことは多いんだからっ」

 声を荒げたことからして、意外と気にしているらしい。怒ってるところ悪いけど、普段は謹厳な感じのする雪音の平凡な一面に、俺は安心に似たものを感じていた。

 しかし雨恵にしてみれば、優等生の妹の解りやすい弱点でしかないようだ。

「フィクションと現実をいっしょにしちゃあいけないよ雪ちゃん」

「マンガに真理があるって言い出したのは雨恵でしょ!」

 ああ……また、毎度の言い合いが始まってしまった……

「だいたい、雨だって彼氏いないんだから偉そうにしないでよ」

「あたしは雪と違って、男子が恐いとかってわけじゃないもん」

 あっさり言って、雨恵は言葉通り気安く俺の肩に肘を置いてきた……巻き込まないでほしいんだが。

 たしかに雨恵は、クラスの男子とも物怖じせずに話す。今みたいなちょっとしたボディタッチも平気でしている。そんな距離感のせいなのか、密かにモテるというような話もちらちら聞いていた。

 俺だって勘違いしてしまったかもしれない。雨恵の性格を知らなければ。

「誰かと付き合ったりするのがめんどくさいだけだよ」

 だからこの言葉もたぶん、負け惜しみではなく本音だろう。いみじくも雪音の口にした通り、猫と山田雨恵は飽きっぽくめんどくさがりなのだ。そして、猫はとかく人に愛される。

 それは雪音も解っているのだろう。旗色はたいろ悪しと目をそらした。

「別に、男子が恐いわけじゃ……」

「じゃあ、雪もタッチしてごらんよ」

 雨恵はこれ見よがしに肩へ乗せた肘をぐりぐり動かし、あまつさえ空いている方の手で俺の二の腕を揉んでくる。完全にオモチャ扱いだ。

 さすがに鬱陶しくなって――そして気恥ずかしくなって――振り払ったけど、肩の方はすぐ元に戻ってきた。

 一方、双子の妹であるところの雪音は――やはり正反対だった。

 行きがかり上、自分も男子に怯えてないと見せたいところだろう。しかし彼女は「なっ……」と喉を鳴らしたきり硬直してしまっていた。表情の固まった頬に、ゆっくりと血がのぼっていくのが見て取れる。

 そういえば、雪音が事務的な連絡以外の会話を男子と交わしているのを見たことがない。真面目すぎて取っ付きづらいせいか、同性の友人からして少ないようなのだが、それにしてもこの反応は極端だった。よほど男子が苦手なんだろう。

「ぁ……いや。で、でも、戸村くんも嫌がってるのに……セクハラになるから」

 舌をもつれさせながらもこね上げた言い訳は、優等生らしく筋が通ったものではあった。そうだぞ雨恵、と再び肩を払うが、雨恵の肘はがり小法師こぼしのように戻ってきた。すっかりひじきに定められてしまったようだ。

「そうかな? 戸村くん、雪に触られるのってイヤ?」

 それはまぁ、嫌かどうかで言えば、

「嫌、ではないけど……」

 卑怯な訊き方だ。変に触りたがるのも気持ち悪いだろうけど、過剰に嫌がるのも気が引ける。

 抗議の意を込めて雨恵をにらんだが、のれんに腕押しでスルーされてしまった。雨恵はもう、妹をからかえるチャンスに飛び付いている。

「嫌じゃないんだってよ雪ちゃん。恐くないんだったら触ってみ?

 ほら、とでいいからさ」

 雨恵の眠たいような声は、聞いてる方の力も抜かせてしまうところがある。

「ちょん……って、バカにしないで。それくらい、簡単だよ」

 誰よりも慣れているはずの雪音が、緊張状態も重なってか、つい誘導されてしまった。

 つばを呑む音が聞こえたわけじゃないけれど、そんな感じの神妙な顔になって――雪音は恐る恐るという風に手を差し上げた。

 そのまま、半開きの手を俺の方へゆっくりと近付けてくる。先ほど雨恵が俺のおでこへ向けてきたのとは大違いの、おっかなびっくりな手付きだった。

 近付けば近付くほど手の震えが大きくなって、見ている方の緊張が高まり……

 俺の右肩に触れる寸前、ぴたりと止まってしまった。

 まるで視えないバリアにはばまれたみたいに進めなくなっている。見れば、雪音は息を止めているような顔でぶるぶると瞳を揺らしていた。

 ……そ、そんなに男が苦手なのか。なにか嫌な思い出でもあるのだろうか?

 と、男子としてちょっとショックを受けた俺だったが、考えてみれば俺自身、女子が得意というわけではない。嫌いだとか苦手だとかとは少し違うのだが、どうにも負い目のようなものがある。

 現に、雨恵がべたべたと触ってくるたびにあわてふためいて醜態をさらしてしまっている。

 なるほどナメられるわけだ。初心者向けの安全仕様。

 でも、お互い様で異性が不得手なら、初心者はあいたがいだ。

 俺は改めて雪音と目を合わせた。気付いた雪音がきょとんとまばたきする。その、静止したタイミングで、

 ちょん、と。

 俺は自分の手を持ち上げて雪音の手に触れさせた。

 最初はほんの指先だけ。それから、それだけでは雨恵に文句を付けられると思って、掌同士をくっ付けた。

 初めて触れた雪音の掌は、本人の名前に反して熱を持っていて、少し汗ばんでもいるようだった。それでいて、その肌は粉雪のように柔らかくきめ細かい。そして。

 ぅ……同じ人間かってくらい柔らかいな……

「ぁっ……ぇ……?」

 カウンターを受けた形の雪音は目を白黒させて、俺の手と顔を見比べている。ただ、手を引いたりはしなかった。

 そのことにあんしながら振り返って、雨恵に告げる。

「ほら……触ったぞ。これで満足か?」

 雨恵は――なにか微妙な顔をしていた。いつの間にか俺から体を離して、半眼になって低い声を出す。

「なんか、あたしの時と違わない? もっとあわてふためいて醜態をさらしてよ」

「きっぱり断る……! 俺は猫のオモチャじゃないんだよ」

「猫のオモチャじゃないなら、犬の飼い主?」

「? 犬?」

 意味が解らず聞き返す。雨恵は不満げだった顔を一転、薄ら笑いに変えて、俺と雪音の中間くらいを指差してみせた。

「だって、『お手』してるじゃん」

 雨恵の指先を追って視線を戻せば――まだ雪音と手を合わせたままだった。

 瞬間、触れ合った手と手がけ付くように熱くなる。

 どちらからともなく、はじかれたように手を離した。先に口を開いたのは雪音だった。

「い、犬じゃないですから!」

 当たり前のことなのに顔を真っ赤にして言うものだから、なんだかおかしな感じになってしまう。落ち着け。

「わ、解ってるよ。別に犬扱いなんてしてないから。雨恵の挑発に乗っちゃダメだ」

 雨恵はしばらく、俺が雪音をなだめる姿をへらへら見物していたが、ふと思い付いたように声をかけてきた。

「ところでさ」

 俺をつつき損ねた人差し指をくるりと回して、続ける。

「戸村くんは猫派? 犬派?」


 俺は黙秘を貫いた。



Episode #3

Bigginer's UnLuck

        Fin.

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