第99話 私とゲームをしませんか?

 指定された場所は、郊外に広がる小さな丘だった。ネオンのともりはじめた街に背を向け、桂木は芝の坂道を上った。


 すでに陽の落ちた秋の夕暮れ。大きな満月の明りを頼りに、丘の頂上を目指して進む。


 遠くに木が一本、立っているのが見えた。指定された場所の目印だ。


 そして木の下には、ぼんやりと人の影が浮かんでいるのを桂木は見つけた。


 自然と動悸が早くなる。しかし、歩調は緩まなかった。目印の木を目指して、桂木は一心不乱に上った。


 約束の場所にあったのは、背丈の小さな女性の後ろ姿だった。


 タテハではない。


 見慣れた背中だった。


 ——これは一体どういうことだ?

 

「……。

 御代みしろもここに呼ばれたのか」


 そんな言葉がけに、御代は振り返った。


 月明かりを背にした彼女はどこか儚げで。

 穏やかに細めた目には、光るものが浮かんでいた。


「どうしてここに御代が? タテハはどこに」


 そこまで言って、桂木はハッと言葉を飲み込んだ。

 

 何がきっかけで、御代があの過酷な記憶を取り戻すかわからない。だから彼女の前で悪魔の名前を口に出すまいと気をつけていたのに。


 動揺する桂木を前に、御代は静かに「私がお願いしたんです」と言って目尻を拭った。


「私がゲームに勝ったら、記憶を戻してくださいって」




 


 



 タテハさん。私とゲームをしませんか?






 

 


 魔界脱出の直前。記憶を消される間際。


 桂木が自分や吉田、辻の代わりにゲームに残ることに勘づいた御代は、タテハにそんな申し出をした。


「やっとゲームを抜けられるという瞬間になって……。

 御代様、あなたは何を考えているのですか」


 呆れたように口を開くタテハ。しかし桂木たちと冗談のようなやり取りをしている時の表情と違うのをみて、御代に向けてかざした手を下ろした。


「……。

 どのようなゲームをしようというのですか?」


「あ、え……? 思ってたよりあっさり」


「いきなりあなた方をゲームに巻き込んだ私が、文句を言える立場でもありませんから」


 あっさり出たOKに、戸惑う御代。しかし気が変わられてもたまらないと思ったのか、「あ、ありがとうございます! では」と早口に続けた。


「最後に桂木先輩が、あなたたち悪魔に要求することを私が当てるゲームです。

 当てたら私の勝ち。お願いを一つ聞いてください」


 御代の提案したルールを聞いて、タテハの頭に色々な疑問符が浮かんだ。


「ゲームなんて、そんな回りくどいことをしてまで何を望むというのですか」

 

「ここでの記憶を、私に残して欲しいんです」


 そう言って指を立てる御代。


 そんな仕草を目にしたタテハは——借り物の皮膚に、鳥肌がたったのを感じた。


 今まさに彼女の記憶を消そうとしていたことを……私は彼女に伝えていない。

 

 目を見開くタテハの表情に、御代は「やっぱりそうですよね」と目を伏せた。

 

「私たち人間の世界で、鏡に引きずり込まれたなんて事件は聞いたことがありません。きっと今までに悪魔の世界と行き来をした人がいたとすれば、その記憶は消されているんだろうなって思ってましたから」


「……。人間界へ返す者の記憶を消すのが、こちらの都合であることは否定しません。

 但し、あなたがたの世界の混乱を防ぐ側面もあります」


「わかっています。だからこのお願いは私のわがままです。

 でも、私だって悪魔あなたがたのわがままに付き合いましたよ?」


 頬を膨らませる御代に、タテハは考え込むように口元に手を添えた。


「ゲームの内容は“桂木様の要求を当てる”でしたか。

 それで、御代様。あなたはどのような予測を?」


 ——そもそも桂木は何かを要求するのか。御代はなぜそんな推測を?


 半ば興味本位によるタテハの質問に、御代は「記憶の処理に関することです」と簡潔に応じた。


「桂木先輩は“ここでの記憶を残して欲しい”というはずです。私と同じように」


「それは何故」

 

「そういう人だからです」


 意図の見えない御代の答えに、タテハは「わかりませんね。でも、いいでしょう」と頷いた。


 何故そのような未来を御代は思い描くのか。ゲームに応じなければきっとわからない。


「では一度は記憶を消しますが、結末が御代様のいう通りになりましたら、あなたの記憶を戻す……ということで如何でしょう」


 その答えに、御代は「お願いします」と即答。

 私が約束を反故することは考えないのだろうか……と、タテハは少し不思議な気分になった。


 そして再び御代へ手をかざすタテハ。

 白い光に包まれる御代は最後までタテハの姿を見ていた。


 信じてますからね、とでもいうかのように。


 ——悪魔にも色々いるように、人間にも色々いるのですね。


 御代の姿が消える直前、タテハは自分の口元が緩んでいることに気がついた。

 






 

「全部思い出したのは、実はさっきのことです。タテハさんが私の記憶を戻してくれました。

 それから、ここで待つようにって」


『——ゲームはあなたの勝ちです。御代優理様。

 少し時間がかかってしまいましたが、約束を果たしに来ました』


 ここにやってきた御代を、タテハはそんな言葉で迎えたのだという。


「じゃあタテハは御代との約束で人間界こっちにやってきてたのか。

 ならなんで俺はここに呼ばれたんだ」

 

「きっと気を利かせてくれたんですよ」


「そんなことあるか。それより御代みしろ


「違いますよ先輩。

 優理ゆうり、でしょ?」

 

 悪戯っぽく笑う御代に、桂木は頬をかきながら目を逸らした。

 

「……優理、どうしてタテハとそんな取引をしてまで、記憶を戻そうとしたんだ」


 ぶっきらぼうな聞き方に、御代は


「そんなの決まってるじゃないですか。えいっ」


 そう言って、桂木の胸に飛び込んだ。


「先輩との思い出は全部、私の宝物ですから。

 これまでのことも……これから先のことも」


 背中に回した両腕にぎゅっと力をこめ、御代は真っ赤になった頬を桂木の胸板に押し付けた。


 ——そんな彼女の温もりを感じながら、桂木は最後までこの娘には敵わなかったなと悟った。


 優理ゆうりが記憶の保持を望んだのは、きっと俺だけに辛い記憶を背負わせないため。決して一人にしないという最初の誓いを果たすため。


 何から何まで、俺のことは全てお見通しだったってわけだ。


 ——。俺の負けだな。


 桂木の腕が、静かに御代の背中に回される。


 とく、とく、とく。

 

 胸の鼓動が聞こえる。

 命の音が聞こえる。


 穏やかで幸せな音だった。








  


 こうして終わる。

 アリス・ケージに集った悪魔と人間の物語が、ひとまず幕を下ろす。


 ゲームを終えた彼らだが、この先も信じるものを自分で選び、進む道を決める人生が続いてゆくのだろう。

 

 それぞれの願いを叶えるために。手にしたいものを手に入れるために。


 信じ合える存在と、手を取り合って歩いてゆくのだろう。

 無数の戯れと、戦いの待ち受ける道を。





禁じられた遊びゲーム  fin

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