樹林裏の安息地

 夏休みも終わり、登校初日がやってきました。眠たくなるような校長の話を欠伸と共に聞き流して、宿題提出や今後の予定の確認を空返事で済ませ、学校の終わりとともに私は駆け出しました。電車を乗り継いて一時間半程度の帰路を、苛立ったように爪を噛んで待ちました。

 最寄り駅で降り、人の合間を駆け抜けて改札を通り過ぎると、家路にある山道を駆け上ります。道中、それた横道の緩やかな坂を下って、私はまた、夏休みの毎日と同じように、あの樹林へと向かいました。

 一雨来る予兆なのか、訪れて間もない森林は、夏の匂いと清風に包まれた異空間のように思えました。いつものように大岩のもとへ駆け寄ると、白石さんは一足早くそこに居ました。

 彼は、大岩で眠っていました。数メートルほどの面積しかないその上で、丸くなるように横たわっていました。私は彼を起こすのも忍びないなと思って、足音を立てないように少しずつ近寄りました。

 夏休み中も、彼がうたた寝をしていることは良くありました。眠りが浅かったのか、私が声をかける度に彼は目覚めてしまい、うつらうつらとした意識で私に笑いかけるのです。

 寝ている彼の直ぐ側に座るわけにもいかず、私は隣の岩に腰をかけようと思い、それの上に乗りました。

 すると私はそこに、小瓶が割れているのを見ました。手に収まる程の大きさの、透明な瓶です。空いた蓋と、そして数粒の薬を散乱させているそれの破片は散り散りになっており、とても鋭利な切っ先が私に向いていました。

「……白石さん?」

 私は、独り言のように彼の名前を呼びました。しかし返答は来ず、彼はぴくりとも反応しませんでした。彼の片手には、いつものように麻縄が握られていました。もう片手には、三つ折りにされた白い紙と、何かのメモ用紙のようなものがありました。

 私はその瞬間、悪寒のようなものを感じました。背筋を走った冷たい感触に怖気が差して、目眩と頭痛を覚えながら、割れた小瓶の破片を靴裏で踏みしめて、彼の側によりました。

 彼の手は力なく、そのメモ用紙のようなものは、存外安易に抜き取ることができました。三つ折りにされた紙には触らないほうが良いなと思い、私は無意識にそれを避けました。代わりに私の指先は一瞬、白石さんの白魚のような手に触れました。

 冷たいな、と思いました。暑い夏場の蛇口程度の冷たさではありますが、人肌にしてみれば、少し温もりが足りないなと思いました。

 私はその場でスマートフォンを取り出し、緊急連絡の110番を押しました。

「もしもし。こちら〇〇警察署です」

「先ほど森の奥に、男の人が入っていったのを見たんです。何やらただならぬ様子だったので、様子を見に行ってくれませんか」

 そうして私は、まるで目の前の死体から逃避するように、この場所の住所を口伝しました。受話器越しの警察の方が、名前を教えてくださいと問うてきますが、私は名前を名乗らずに乱雑に電話を切りました。

 私は震える指でそのメモ用紙を裏返すと、そこに記されている文字を見ました。

『君との会話はとても楽しかった。ありがとう。すまない』

 嗚呼、と思いました。悲しみ、憂い、心痛や苦しさが織り交ぜになった、言葉にならない感情でした。吐息にしかならない何かでした。

 折角歩み寄ることができたというのに、それは容易く壊れてしまうものだと、私は生憎と知りはしなかったのです。

 それと同時に私は、彼の心を──苦しい方法であれども死にたいという考えだけは、変えさせることができたのだなと感じました。

 首吊り自殺は、苦しいものだと聞きますから。

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樹林裏のアネクメーネ こましろますく @oishiiringo

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