思考実験
その翌日。白石さんは私のことを優しい笑みで迎え、大岩上の彼の隣を叩いて、ここに座れと指示をしてきました。私は彼の言うままに岩の上に登ると、木漏れ日の下で涼みながら、清風の吹く樹林の中で蝉騒を聞きました。
「今日は更に難しい話をしようか。テセウスの船という話は知っているかい?」
「はい。本で見たことがあります」
確か、木造船のパーツを一つ一つ変えてゆき、やがて完全に素材の変わってしまった船は、元の船と同じものと言えるのだろうかという問答だった気がします。哲学的な思考実験というもので、答えのない問いに分類されるものの一つとして、授業中に先生が小話としてあげることがありました。
「嗚呼。それをもしも人間に当てはめたとしたら、如何なるのかという話をしよう。考え方を変え、声音を変え、時間をかけて整形をして、時によってやがて老いて。公式的な手段で名前を変え、人間関係を一新する。そうしてできあがった肉体及び存在は、数年前の自分と同じと言えると思うかい?」
私はぼうっと木々の合間を見つめて考えました。こうして人の自殺を止めている私が、寧ろ誰かに死ねと暴言を吐くようになり、それを悪く思うこともなくなったとしたら。今の容貌を良し悪しを問わず造形を変え、名前の改名手続きをして、何処か遠い場所に引っ越して周辺環境を整えて。その末路を生きる私という人間は、果たして私のままであるのでしょうか。
「同じ、なのではないでしょうか。木造船であれば、姿形が変わってしまえばそれは別の船ですが、人間だけには記憶や思い出というものがある訳ですから……過去のことは変えられません。過去の記録が残っている限り、私は私だと思います。経歴などのすべてが消えてしまったら、そうであるかはわかりませんが」
先日話題にあがった、アーネスト・ヘミングウェイという人も、自分からは逃げられないというようなことを言っていました。それを踏まえて考えてしまうと、如何してもこの結論に至るものなのでしょう。白石さんも、私に同意するように笑いながら頷いていました。
「それでは次の質問だ。テセウスの船を知っていたのなら、トロッコ問題も勿論知っているだろう。君は如何する?」
トロッコ問題というのは、これまた一種の思考実験です。暴走したトロッコの先には老若男女数名が居り、このままでは四名ほどの死者が出てしまいます。ですが私が橋の上から体格の良い人を一人突き落とすと、その人のみを犠牲にしてトロッコが止まります。
関与せずに四人を見殺しにしてしまうのか、一人の犠牲で四人を助けるのか、という問題です。私だったらどうするでしょうか。
一人を突き落とすとすると、きっと彼の死に様を私は目に焼き付けることになるでしょう。救われた四人には感謝をされるかも知れませんが、命の選別をしたという罪悪感は、一生拭うことができないかもしれません。
「何もしないと思います。そのまま放っておいて、四人が死んでしまうことを見届けるかと。何かしてしまったら、人を殺してしまった感覚に一生苛まれると思うので」
「なるほど。ならば君は、死刑ボタンには賛成かい?」
「死刑ボタンですか」
「嗚呼。死刑の際、死刑囚を殺すためのボタンを誰が押すのか決めず、数人が何らかのボタンを同時に押すことで、誰が手を下したのかわからないようにするんだ。そうすることで、人を殺してしまったという罪悪感を覚えないようにするんだよ」
「なるほど……確かに、私はその制度には賛成です。人を殺した罪悪感は、記憶から容易に消えるものではないですから」
「嗚呼、そうだね。記憶というものは良くもあり悪くもある。昨日は悪しざまに言ってみたが、今日は記憶についての良い言葉を持ってきてみたんだ。『我々が追い出されないで済む唯一の楽園とは、思い出である』という、ジャン・パウルの言葉だ。例えどれほど現況が辛くあろうとも、昔の良い思い出は僕を裏切らない」
──同時に、我々は思い出の中でしか自由を得られない。さらに何か悪行を積み重ねていては、思い出すら安息の地にはなりえない。
白石さんはそう言いたいのではないかと、私は思いました。
記憶でしか安寧を得られず、もしもその安らぎも手に入れることが出来なくなってしまったとしたら、私は一体如何なってしまうのでしょうか。
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