好奇心

「園が開いていると立て札があったのが気になって、何の園だろうと見に行ってみたんです。そしたら向日葵園があって、その更に奥に人が向かった後があったので、まだ園が続いているのかと思って、下ってみたんです。そしたらずっと獣道が続いていたので、これは流石におかしいなと思いはじめたのですが、それを思った時にはもう、広場のような場所に降りていました。人の足跡があったので、気になってそれを追ってみたら、人が死んでいたんです。怖くて、逃げようとしたけれど動くことができませんでした」

 山道を抜けた先の公道に路駐された警察車両の中で、私は嘘くさい言い訳を立て並べ、身体を震わせながら警察官の女性に話しました。彼女は私の背を擦り、怖かったね、無理して話さなくても大丈夫だよ、と優しい声で言ってくれました。私はそれに頷いて、背に掛けられた毛布で身体を包んでいました。

 この夏場に毛布など暑いものだと思ったのですが、私の身体は何故かとても冷えていて、氷のようなものとでも言うのでしょうか、やけに冷たかったもので、その毛布はとてもありがたいものでした。提げていたコンビニの袋に入った飲み物は、とっくの昔に汗をかいて温くなっていました。



 私はそうして家に帰され、それから三日を過ごしました。目に焼き付いて離れないと思った死体の振り子は、存外悪質にこびりついたものではなく、寝て覚めたときにはもう忘れてしまっていて、あのときの恐怖心のようなものも、喉元を過ぎて忘れ去っていました。

 故に身を起こしたそれは、たちの悪い好奇心でした。

 三日経って私は、その死体の所在が気になり、もう一度その樹海に向かうことに決めました。思えば誰かの首吊り死体なんてものは、警察に引き取られて遺族の元へ渡されるのだとわかりきった話だというのに、私は何かに惹かれるように、あの樹林を目指すのです。

 それはもう、質の悪い好奇心と呼ぶ他に行き場がありませんでした。私はきっと、あれが人の死であるということから、軽視しているのかもしれません。当時は目の前の異物がとても恐ろしく、金縛りにあったように感じましたが、今ではその時覚えた四肢の震えも何もないのですから。

 今日の日差しは、あの日ほど眩いものではなく、黒く重い積乱雲が白い太陽を遮っています。代わりのように高い湿度のせいで汗ばむのを、私は服の胸元をばたつかせて風を起こし、苦し紛れに涼みました。熱気の蔓延した崖道を早足に進み、昨日見惚れた向日葵の群生を横目に、藪の道を慎重に下ります。

 枯れ草の項垂れたのも、名も知らぬ鳥がこちらを見ているのにも私は目もくれず、数日前に通った道を行きました。するとあの日と変わらず──無論、たったの数日で地形が変動していては困りものですが──そこには、林冠の途切れた広場がありました。男性が宙吊りになっていた樹木も、視界の奥に聳えています。

 すると私は、その木の前に誰かが佇んでいるのを見ました。私は人より幾らか目が良いのですが、彼の背面だけを見るに、上背の高い細身の男性のように思えます。夏場に不釣り合いな、よれた長袖のシャツ──スーツの下に着るあれです。正式な名称はわかりません──を着て、パジャマのような紺色の丈の長いズボンを履いています。上下で不釣り合いで、外出をするにはおかしな服装の彼は、死体があったはずの場所を呆然と見つめているようです。

「あの」

 私は少し声を張って、その背中に声を投げかけました。彼は一瞬肩を震わせると、ゆっくりと私を振り返ります。私を見た彼の容貌は、一口に言ってとても整っていました。美丈夫というのでしょうか、男性ながらに女性的な顔立ちではありますが、高い鼻と薄い唇、切れ長な瞳がとても綺麗な人でした。

 そして私はその人の手に、白い麻縄が握られているのを見てしまいました。それはまるで、数日前に見知らぬ人が死んでいたときに、首に巻き付けていたような、丈夫な麻縄です。

「早まらないでください!死ぬのは良くないですよ!」

 私は思わず、そう声を掛けてしまいました。思えば、早まっているのは私の方なのですが。その人を見殺しにして罪悪感を覚えたくない、居心地が悪い寝覚めが悪いなどという優しさとは程遠い感情から、私は思わず彼を引き止めてしまいました。

 彼は遠くで数度瞬きをしましたが、目を見開いたまま私を見つめるだけで、何か逃げ出したり叫び始めたりするような様子はありませんでした。私は彼を宥めるように、落ち着けと声をかけながら、ゆっくりと足を進めて彼に近寄りました。

 一歩、また一歩とにじり寄ると、彼は急に吹き出して、赤子のような高い声で笑ういだしたのです。私は何事かと思って歩みを止めて彼の顔を見てみると、彼は大層馬鹿らしいとでも言いたげに腹を抱えて笑い、目元を拭って私を見返すのでした。

「嗚呼、ごめんね、勘違いをさせてしまったらしい。いや、勘違いでは無いのだけれども。死なないとは言えないけれど、少なくとも今は死ぬつもりはないから安心してほしい」

 場違いな笑い声をあげる彼に呆気にとられ、私は思わずその場に立ち竦んでしまいました。

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