いつかの夢

 少年は夢を見た。


 その夢の中では、少年に体は無い。眼前のタピスリーや絵物語を見るように、外側から眺めるだけである。触れることも、語りかけることもできない。それはきっと、この夢が“過去に本当にあったこと”だからであろうと、少年は考えていた。


 夢の中の男には見覚えがあった。

 かつて少年と交わった青い瞳の異邦人がそこに居た。その目にはまだ澄んだ光が宿り、静かだが確かな生気が感じられた。


「待って、お兄様!」


 黙々と鎧を身に着けていく男に、少女が声をかけた。男と同じ金色の髪をなびかせ、少女は奥の部屋から何かを手にして戻ってくる。


「お兄様が武芸大会で勝てるように、おまじないです」


 少女は男の左手首に、白いリボンをきゅっと結んだ。


「お兄様は決して手を抜いたりしないでしょうけれど、将軍の位に興味が無いからといって迷いが出ないように」

「……エアナは私に、将軍になってほしいのか?」


 苦笑を浮かべる男に、エアナと呼ばれた少女は大きく頷くと、無い顎髭を触る仕草をしながら低い声色を作ってこう言った。


「今この国で将軍になるとしたらレオサム殿ほどの適任はいまい。そんな話で持ちきりですぞ」

「はは、買い被りすぎだ」

「そんなこと無いわ」


 エアナは元の少女らしい柔らかな声に戻して続ける。


「今この国に戦争は無いけれど、こういう時にこそ、お兄様のように野心が無く腕の立つ人が兵力をまとめあげるべきよ」

「私はそんなに大層な人間ではないさ」

「まあ! たった一人の家族の言葉を信用してくださらないの?」

「まったく、エアナには敵わないな」


 男──レオサムはリボンの巻かれた手で妹の髪をくしゃりと撫でた。その瞳の青は慈愛に満ちている。


「わかった。元よりそのつもりだが、私の全身全霊をかけて大会を闘い抜くことを誓おう」

「それでこそ私のお兄様だわ」


 レオサムはエアナの額に口付けると、リボンの上から腕鎧をしっかりと着けた。






 そこまで見届けたところで、少年の視界が強い光に包まれる。やがてその光が収まると、場面は大きな城へと変わっていた。


 その城は石造りの塔が何本も合わさったような形をしていた。周りには背の高い木がこんもりと茂り、そのさらに向こうには山が聳えている。

 少年の心は躍った。彼にとっては、その全てが知らない景色であった。自分の国にあるのは砂の丘と大きな川、低く横に連なる家々。神殿よりも高い建物は存在しなかった。


 レオサムは城の兵舎を抜けて演習場へ向かっていく。すれ違う若い兵士たちが期待を込めた目で彼を見ながら敬礼した。

 少年には彼らの噂話が、耳元でさえずる鳥の声のように聞こえてくる。


「前将軍の御退官から空席だったからな、そろそろ決めていただかなくては」

「武勲で優劣をつけられぬ今、武芸大会でそれを決めるのも致し方ないか」

「とはいえ、しばらく前座が続くな。建前で隊長格を全員集めてはいるが、実質の候補は二人というところだろう」

「シッ! 声が大きいぞ」

「レオサム様とシャルカ様か。さて、どちらになるやら」

「俺はレオサム様に賭ける。というか、レオサム様が良い」

「シャルカ様は凄まじい努力家ではいらっしゃるが、人格者なのはレオサム様だろうからなぁ」

「武芸の腕はほぼ互角。どうなるかわからんところだ」

 

 レオサムは眉一つ動かさないあたり、彼にはこの声が聞こえていないのだろう。彼は武具の置かれた部屋に入ると、演習用に刃を潰された剣をいくつか手に取って吟味しはじめた。

 そこへ、つかつかと歩み寄って来る者がある。


「レオサムよ、俺を知っているか?」


 剣立てにかがむレオサムを見下ろすように、男が一人立っている。燃えるような赤い髪。精悍な顔つきではあるが、落ち窪んだ目が血走っており尋常ならざる気迫があった。


「もちろん、シャルカ殿」


 レオサムは体を起こし、シャルカに向き直った。


「あなたが日々熱心に鍛錬されているという話は聞いている。シャルカ殿のような武人と手合わせできるのを嬉しく思う」

「……ハッ! 『聞いている』ね!」


 シャルカは心底不愉快そうに顔を歪めた。


「俺はお前のことをよく知っているぞ。おそらくは、お前自身よりもな」


 レオサムはその言葉の意図を測りかねているようで、困惑した表情を浮かべたまま黙っていた。それを見たシャルカはいっそう苛立たしげに鼻を鳴らした。


「将軍になるのは俺だ。お前ではない」


 そう捨て台詞を吐いて、シャルカはどこかへ去っていった。






 キン、と鋭い金属音が少年の耳に響く。

 演習場はたくさんの観衆に囲まれ、その誰もが固唾を呑んで闘いを見守っていた。一段高い場所では、冠をかぶった王らしき人物の姿も見える。

 剣を交えているのはやはり、レオサムとシャルカである。レオサムの重い一撃を、シャルカが撥ね上げる。素早く斬り込んできたシャルカを、レオサムがいなす。拮抗した力のぶつかり合いが続いた。

 近くで見ていた兵士も気圧されてしまうほど、シャルカの気迫は凄まじかった。武芸大会という建前を斬り捨てるような殺気が、その剣に込められていた。ぎらついたその目はもはやレオサムしか映していないようにも見える。

 対するレオサムは、極めて冷静であった。自らは隙を与えず、相手の隙を見逃さない。その剣筋はシャルカの殺気を前にしても乱れること無く鮮やかで、武芸として見事なものである。その様子が余計にシャルカを苛立たせるようであった。


「クソがッ!」


 そう罵る相手はレオサムか、シャルカ自身か。赤い髪を逆立てて、シャルカは渾身の一撃を放った。しかしその動きを読み取ったレオサムが素早く身を引く。と、そこまで織り込み済みであったシャルカはレオサムよりも速く身を翻して勢いよく剣をぶん回した。正確に頭部を狙ったそれは、刃を潰した剣であろうと、兜の上からであろうと、相手を昏倒させるのに充分な衝撃を与えるだろう。避けきれない、と誰もが思ったその時、シャルカの剣を受け止めたのはレオサムの左手の腕鎧であった。その腕に剣を逸らされたシャルカは、体の平衡を崩して一瞬よろめいた。レオサムはそれを逃さない。レオサムの剣の切っ先がシャルカの喉元に突きつけられぴたりと止まった。


「それまで!」


 審判役が闘いの終わりを告げた瞬間、観衆がわあっと歓声を上げる。

 闘いを見ているしかなかった少年も、ひとまずは安堵する。これはレオサムの願いでは無かったのだ。彼自身の力で、彼はこの闘いに勝利したのだ。しかし少年の心の隅はざわざわとして収まらない。王の前にレオサムと並んで跪くシャルカの表情。その一瞬の歪みを見てしまったからであった。この闘いが彼を取り返しのつかないところへ追いやってしまったのではないかという危惧が、少年をさいなんだ。





 その日の夜は、レオサムの将軍就任を祝う酒宴が城内で開かれた。王やその側近、上級士官などと次々にさかずきを交わす。主役たる彼に杯を拒むことは許されない。あまり酒には強くないのか、あっという間に肌という肌が真っ赤に染まった。


「将軍殿、私からも一杯」

「……いただきます」


 頭をゆらゆらさせながら、レオサムはまた酒を飲み干した。


「これで我が軍も安泰ですな。亡き父君もお喜びでしょう」

「そうだと良いのですが」


 そう言ってレオサムが力なく微笑むと、「レオサムよ」と王が口を開いた。


「先の戦ではそなたの父に随分と助けられた。此処にいる者は皆その功績を知っている。生きていればきっと将軍に上り詰めたであろう男だった。その息子をこうして迎えられたことを嬉しく思うぞ。胸を張るが良い」


 王の言葉を受け、酒の手伝いもあってか目を潤ませたレオサムは、黙って深く頭を下げた。彼を見る目はみな温かい。酒宴は和やかに過ぎていく。


「時にレオサム殿、妹御はどうしたのです? 久しぶりに顔を見られると思ったのに」

「申し訳ありません。声はかけたのですが、緊張してしまうからと言って、家に戻っております」

「おや、私は妹かわいさにレオサム殿が家に閉じ込めたのかと思いましたよ」

「まさか! 私の唯一の望みは妹の幸せです。閉じ込めるなどと……」

「ハハ、お前の溺愛ぶりをからかわれているのだよ。鈍いやつめ!」


 レオサムの赤い顔を囲んで、笑い声がぐるぐるとこだまする。その声が引き潮のように去っていったかと思うと、少年の視界に映るのはレオサム一人きりであった。




 夜更けの町はしんと静まり、レオサムのよろよろとした足音だけが響いていた。手にした松明の火は既に消えていたが、もう一度火を点ける必要もなさそうなほど、大きな白い月が道を明るく照らしている。外気に触れ、レオサムの酔いもいくらか醒めてきたように見えた。そうして牛のようにゆっくりとした足取りではあったが、レオサムはどうにか家に帰り着いた。

 とうに眠っているであろう妹を起こさない為か、レオサムが静かに扉に手をかけたが、その瞬間ハッと彼は息を呑んだ。その目は見開かれ、腰を落とし、剣の柄に右手をかける。それから左手にゆっくりと体重をかけて、扉を開けた。


「よう、遅かったな。宴は楽しかったか?」


 乾いた声は、シャルカのものであった。シャルカはその気配を隠そうともせず、月光の差し込む窓際に腰かけてレオサムを見ていた。錆色の瞳がやけに穏やかで、少年はぞっとした。


「シャルカ殿、家にお招きした覚えはないが」


 レオサムが低い声で尋ねると、シャルカは楽しそうに声を上げて笑った。


「そりゃあそうだ。押し入ったんだからなぁ」


 それを聞いたレオサムは、さっと妹の部屋へ視線を走らせる。物音一つしない。人の気配が、そこには感じられない。


「心配なら早く行ってやればいいんじゃないか、おにいさま?」


 ケタケタと笑うシャルカの声を背に、レオサムはエアナの部屋へ走った。そこで彼が目にしたのは、唇から胸元にかけて赤黒い血に濡れてしまった、エアナの息絶えた姿だった。

 レオサムは震える手でエアナの体を掻き抱いた。その肌は青白く、血は乾きかけている。まだ幼さの残るエアナの顔は唇を噛み締め、何かに耐えるような表情のまま固まっていた。


「シャルカ、貴様……っ!」

「あー、確かに俺はその女を殺すつもりだったけど、自殺だぜ、それ」


 レオサムの激昂をものともせず、シャルカは壁に寄りかかりながらつまらなそうに語る。


「お前が大事に大事にしているものを俺の手でぶっ壊してやろうと思ったのに、そいつ、舌を嚙み切りやがった……全く、お前らは兄妹きょうだいそろって俺をムカつかせるのが得意だなぁ!」


 シャルカの鋭い蹴りがレオサムの背に放たれる。平時ならば避けられた可能性もあったが、今のレオサムはそれをまともに受けてしまう。彼の意識は醒めていても、体が言うことをきかないように見えた。その腕はエアナの体を取り落とし、彼女に覆いかぶさるように倒れ伏した。


「何故……何故だ、シャルカ……」


 痛みに、悲しみに、怒りに、歪むレオサムの顔を見て、シャルカは深いため息をついた。


「そうだよなぁ、お前にはわからないよなぁ。お前は俺のことなんて何にも知らないんだから」


 シャルカはエアナの血に濡れた寝床にどっかりと腰を下ろし、レオサムを冷たい目で見降ろした。


「俺は知っているぞ。お前の父親が先の大戦で英雄と呼ばれ、戦場で華々しく散ったことを。だがお前は知らないだろう。俺の家が卑しい金貸しを生業にしていることを。そのせいで俺が、見習いの兵舎でどんな扱いを受けていたかを」


「俺は知っているぞ。お前が父親から才能も体格も評判も受け継いで、早々に隊長へ昇格したことを。だがお前は知らないだろう。どんなに鍛えてもお前ほどの筋力は付かず、この貧相な体で可能な武芸を必死に身に着けた俺の努力を。そうして隊長までたどり着いたが、決して、一度も、お前に勝てなかったことを」


「俺は知っているぞ。お前に愛を告白した城の侍女を、『自分よりも妹の幸せを考えたいから』なんて理由で振ったことを。だがお前は知らないだろう。その女が今でもお前を諦められないことを。そしてその女に、無様に恋していた俺のことを」


「俺は知っているぞ。お前が将軍の位になぞ興味がないことを。だがお前は知らないだろう。あの試合に俺が最後の望みを賭けていたことを。今度こそお前に、俺という存在を刻み付けてやろうと決意していたことを」


 シャルカはそこまで言うと、レオサムの髪を乱暴に掴んで頭を引っ張り上げ、ぐいと顔を近づけた。


「そうだ、俺は知っている。俺の心を打ち砕くのはいつだってお前なのに、お前は俺のことなぞ全く知らないんだ。それが、何よりも、憎い」


 睨みつけるレオサムの顔に、シャルカはぺっと唾を吐き、その体を放り投げた。レオサムは床に転がった体をなんとか起こして、「私を、殺すのか」と静かに言った。するとシャルカは、馬鹿にしたように鼻で笑った。


「殺してやりたいが、今じゃない。そんな勿体ないことをするわけないだろう。やっとお前が、俺を見たっていうのに」


 シャルカは月の光を背に受けながら、うっとりとレオサムを見つめる。


「俺を見ろ、レオサム。俺のことを憎むがいい。俺のことを考え、俺をどこまでも追ってこい。それからようやく、お前を殺すことができる」


 シャルカはそう言うと、手刀でレオサムの首を一撃した。

 レオサムが意識を失うと同時に、少年の視界も暗転する。そこへ楽しそうなシャルカの声が耳にまとわりつくように聞こえた。


「だからそれまで、勝手に死ぬなよ」






 あの恐ろしい一夜からどれくらい経ったのか。少年が次に見たレオサムは、旅の支度をしているようだった。その瞳は変わらぬ青さではあったが、もはやその輝きは損なわれていた。少年と交わった夜と同じ、深い闇の底を見ている目であった。


「やはり、行くのか」


 いよいよ出立しようとするレオサムに声をかけたのは、酒宴で見かけた王の側近の一人である。


「陛下のご命令に背いてこの国を出ていくならば、二度と戻っては来れぬぞ」

「はい。それでも私は、行かねばなりません」


 レオサムは左の手首をぎゅっと押さえながら、静かに答えた。


「私は何も見えていなかった。それが私の罪。私にしか贖えない。お許しいただけるとは、思っておりません」

「何も見えていなかったのは我らも同じだ。だが……もう、決めているのであろうな」


 諦めたように力なく微笑み、男は懐から手紙のようなものを取り出した。


「通行証だ。これがあれば、我が国と国交のある土地の関所は越えられよう。私からの餞別だ」

「……ありがとうございます。何もお返しできず申し訳ない」

「よい。そなたの率いる我が軍は、見てみたかったがな」

「私などよりも物事を見通せる者が、きっと居りますとも」

「そう願おう」


 レオサムは深々と頭を下げ、荷を乗せた馬に跨ると勢いよく走らせる。彼はそれきり、一度も振り返りはしなかった。







 レオサムの長い旅が始まった。

 少年はその断片を順に見せられる。彼にその目を閉じる術はない。

 シャルカに真剣に逃げる気が無いのは明らかだった。宿帳には偽名も使わず、燃えるような赤毛を隠そうともせず、酒場や市場で騒ぎを起こすことすらあった。それでもレオサムは、シャルカに追いつけはしなかった。こまめに残された足取りを辿る内に遥か遠くへ逃げられ、偽の手掛かりを掴まされてすれ違う。その背中は常に見えているのに、レオサムの手は届かない。その焦燥は確実に、レオサムを蝕み、擦り減らしていった。

 だがあるとき、その足取りもぷっつりと途絶えてしまう。それが少年の住む国でのことだった。レオサムは神に縋るため、少年と交わった。


 少年はその夜のことを思い出す。

 戸惑いながらも優しく体をまさぐる指。震えながら吸い付く唇。絡め合った舌。その目は悲しいほど青く虚ろだが、飢えた獣のように少年を射抜いた。体の中に迎え入れた彼の熱と肉。甘い痺れ。二人で辿り着いた絶頂。その瞬間の祈り。

 少年はしっかりと、全てを覚えている。


 少年は、自らの役目を正しく理解している自負があった。

 祈りと快楽の前に、人は平等である。彼の体は神の道具。彼と交わる全ての者に、神の祝福を祈ってきた。

 だがレオサムは、少年にとって特別だった。儀礼の道具としてではなく、少年自身がレオサムの為に祈るのだと、何故だか知っておいて欲しくなった。そしてレオサムのことをもっと知りたいとも思った。

 それは本来、恋であるとか、一目惚れであるとか、そういった解釈のできるものであっただろう。しかしその心をきちんと咀嚼するよりも前に、少年の体をたくさんの人間が通り過ぎていくのだ。

 だからただ、覚えていた。彼の夢を見るまでは。


 聖娼となって以来、いつからか見るようになった少年の夢は、福音であるはずだった。少年が役目を果たした証だった。祈りが聞き届けられた印だった。

 しかし彼を、彼の願いを知ってしまった今、少年はこの夢の終わりを見るのが恐ろしかった。それでも少年は、その願いの成就を見届けるしかないのだ。






 少年と一夜を過ごした翌朝、レオサムは静かに旅立った。その表情はすっきりとして迷いがなく、何かに呼ばれるように歩みを進める。もはや手がかりを探すこともしない。この先にシャルカがいるという確信が、レオサムを突き動かしているように見えた。


 そうして遂に、レオサムはシャルカに辿り着いた。

 草も枯れ果て乾いた土の上に、二人は対峙する。


「よう、遅かったな」


 シャルカはレオサムの顔をじっと見ると、錆色の目を嬉しそうに細めた。


「ああ、良かった。今のお前は、俺と同じ目をしている。やっとお前を殺せる」


 レオサムはそれに何も答えず、黙って剣を抜いた。シャルカは「せっかちだなぁ」と肩をすくめ、彼もまた剣を構えた。

 互いに視線を絡ませたまま、じりじりと足を滑らせる。

 最初に剣を振るったのは、レオサムだった。初撃から首を落とさんとする重い一閃を、シャルカが正面から受け止める。そこからレオサムの体の下をくぐるように剣を避け、振り向きざま腹を薙ぐ。その切っ先をレオサムがすかさず払う。一進一退の攻防が続き、激しい剣戟が響く。


「お前の剣、あの日までとは全然違う。俺を見ているのがびりびり伝わってくる。嬉しくってイっちまいそうだ」

「黙れ」


 高く照っていた日は暮れかけていた。互いの剣はかすり傷ばかり増やしていく。荒く息をする度に汗と血が混じって滴り落ちた。そうして土に赤黒いしみが点々と散っていた。

 少年の目に映るレオサムとシャルカは、もはやその身を妄執だけが支えているように見えた。それでいてどちらも、自らの手で終わらせたがっているのだ。

 レオサムはただシャルカを見据え、シャルカも無駄口をやめて狙いを定める。

 動き出したのは同時だったが、小柄なシャルカの方が早い。鋭い突きがレオサムの胸に届こうとしていた。が、レオサムが大きく踏み込んだために、貫かれたのは腹であった。それと同時に、レオサムがシャルカの首を切り裂いた。

 血しぶきを上げながらシャルカの体がばったりと倒れる。しばし声にならない音を喉から発していたが、最後には口許にうっすらと笑みを浮かべて動かなくなった。

 レオサムは膝を着き、ごぽり、と血を吐きながらそれを見届けた。少年は思わず、無い腕を伸ばし、届かない叫び声をあげる。すると、ふいにレオサムが顔を上げた。

 そのとき、少年とレオサムは確かに目が合った。見えるはずのない少年の顔を見つめ、レオサムはすまなそうに微笑んだ。それから腹に刺さった剣を右手で握り、赤く染まったリボンの巻かれた左手を添えて、ぐいと引き抜いた。血だまりが広がっていく。そこに力なく倒れたレオサムの顔は、至極穏やかだった。


 遂に、レオサムの願いは成就したのだ。

 しかしそれでも、その青い瞳に光が戻ることは無かった。






 少年は目を覚ました。

 少年は自分が涙を流しているのに気づき、そっと拭った。それから、すぐそばで寝息を立てる女を起こさないよう静かに寝台を抜け出し、天幕の外に出た。

 まだ町は暗く、鳥の声一つしなかった。今この世界で目を覚ましているのは自分一人きりであるような気さえした。瑠璃色が滲む空の裾が、うっすらと白み始めていた。


「嘘つき」


 少年は独り言ちた。そうしてレオサムの為に、自分の為に、涙が止まるまで泣いた。



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聖娼 灰崎千尋 @chat_gris

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