三、雪女レインメーカー

 幽霊より妖怪の方が怖い、というのは稚拙な怪談でよくあるオチだが、確かに俺には妖怪より苦手な人間がいる。



 怪異運用技術開発局のわざとらしい朱塗りの鳥居の下に黒い車が止まっている。中が見えないように加工した窓は煙々羅を使った遮光ガラスだろう。

 車から降りてきたのは艶のない黒髪をひとつに束ねた男だ。


 俺は慧雲えうんの肩を叩く。

六波羅ろくはら主任か」

「そのようですね」

「俺のこと聞かれたら死んだつっといてくれ」


 研究室の奥に閉じこもると、車の扉を閉める音と徐々に近づいてくる足音が聞こえた。

 足音は扉の前で止まり、陰鬱な声に変わった。

贄川にえかわ局長は? また死んだか?」

「死んでますね」

 慧雲が淡々と答える声が響く。

「通してくれ」

 答えの代わりに勢いよく扉が開き、葬式に出てきたような表情と、棺の中の死人みたいな顔色の男が現れる。


「どうも」

 俺は目を逸らして軽く会釈する。

「義弟に香典をやろうと思ったんだが生き返ったのか」

 男は無表情に俺を見た。

「忙しかったんですよ最近……」

「過労死するほど成果は上向きか? それは素晴らしい」

 許可もなく机の上の書類を取り上げてめくり出した六波羅という男は、京都怪異研究所の代表取締役で、俺の義兄だ。


「わざわざ東京までどうしたんです」

 六波羅はぬっぺっぽうを使った培養肉の研究結果を眺めながら、

「人工降雨の件だ」

 と答えた。

「天候を左右する技術は今後の軍事利用も見込まれる重要事項だからな。だが、京都はこっちと違って陰陽師がうるさい。怪異の解明は関東に遅れをとる一方だ」

「その陰陽師が妖怪の捕獲にひと役買ってるんですから邪険にはできませんよ」

 六波羅の目は心にもないことを、と告げている。俺は視線から逃げるように慧雲を連れて研究所の奥へと進んだ。



「京都怪異研究所というと、未だに化学より神通力に頼った機関を研究しているということでしたか」

 慧雲が俺にしか聞こえない声量で囁いた。

「あぁ、怪異は解明しすぎると信仰による力が失せるってのが向こうの信条だ。その割には結構ろくでもないことしてるけどな」

 慧雲は小さく肩を竦める。その後ろから押し殺した咳払いが聞こえて、俺たちは歩みを速めた。



 壁に取り付けた基盤を素早く叩いて扉を開くと、壁一面が銀色に輝く堅牢な実験室が広がる。

「そっちでも降雨の研究はされてるんでしたっけ」

 俺の問いに六波羅は頷いた

「あぁ、成功率は四割。そちらは?」

「まだ実験段階ですが、運用できれば六割以上は見込んでます……そっちは何を使ってるんですか」

「妖狐だ」

 口元の端だけで六波羅が笑ってみせる。


「河童なら雨乞いにまつわる逸話もありますが、狐ですか」

 慧雲が実験室の冷えた空気に身を竦めながら言う。

「狐の嫁入りと言うだろう」

 そう言って、六波羅は胸元から数枚の写真を取り出した。


 波のような彩光が映り込んで霞んだ写真には、中央で眠る白い狐に数匹の小狐が群がる姿が映っていた。背景の鯨幕のようなものはこいつらを捕らえておく檻だろう。

「嫁入りって雰囲気じゃないですね」

「嫁入りといっても要は雌雄の妖狐を交配させれば済む。捕獲した雄の妖狐に雌の妖狐を当て、交配を促進させるいくつかの薬品を投与することで降雨に成功した」

「人道に反するのでは」

「人外に人道を?」

「あんた、ろくな死に方しないぜ……」

「ろくな生き方をしていないんだから今更何だ」

 六波羅は笑いながら写真をしまい直した。



 俺は溜息をついて、超自然的な降雨のやり方に関心を示したのか、必死に手帳に何かを書き記していた慧雲を呼ぶ。

 俺の周りはこんな奴ばかりだ。



「おい、人工降雨の準備だ。雪女を」

 慧雲が壁から突き出した操作器具を引くと、白い冷気が静かに広がり、霜が貼りついた銀色の筒が現れた。


「雨ではなく雪?」

 眉をひそめる六波羅の前に図面を広げながら、俺は筒の方に移動する。


「雨を降らせるためにはまず、氷点下の雲の中に微細な氷晶を作る必要があります。水蒸気を吸収して広がった雨雲が温暖な空気に触れて、中の氷が雨になる。そのためには雲の核になる氷の粒子が必要だ」


 俺は革手袋を嵌め、髪の長い女の影に見えなくもない絵の描かれた筒を掴み、蓋を右に回転させた。

 わずかにずれた蓋の間から冷気が間欠泉のように噴き出した。

「失敗か?」

「成功なんですよ、これで」


 冷気に含まれていたガラス細工に似た氷の粒が、光を反射しながらゆっくりと降り注ぐ。

「これは雪女の息です。これを噴射した勢いで雲の中に強制的に氷の粒を作らせて雨を降らせる」

「雪女の呼気の成分には結晶構造が氷に似たヨウ化銀に近いものが含まれていますので」

 慧雲が俺の話を引き継いだ。


 六波羅はしばらく俺たちなどいないかのように筒を眺めたり、落ちてきた結晶を手に乗せて検分し続ける。

 やがて、ようやく青白い顔を上げた。

「大丈夫そうですかね」

「あぁ、うちのものよりずっと人道的だ」

 その薄笑いはどことなく来た当初より和らいだように思えて、俺は安堵の息を吐く。



 六波羅は堂々と赤い鳥居の中央を通り、両端に立ち並ぶ研究施設を横目に進んでいく。

 俺と慧雲はその後ろをついて歩いていた。


 他にも見て回る施設があるようで、俺はその部署の責任者に六波羅を引き止めるように頼もうと思う。できれば俺が帰る時間まで。


 六波羅は軍事研究部門の建物の前で足を止め、俺たちを振り返った。

「そういえば、雪女の呼気はどうやって採集を?」

 俺は言い澱み、必死で頭を回す。最適な答えが見つかる前に慧雲が口を開いた。

「模索中と言いますか。現在の手段は怪異運用技術開発局に相応しくない不確定要素の強いものですので、代案が出るまでお待ちください」


「まだまだ神秘は時代の波に押され切っていないようだな」

 六波羅は肩をそびやかした。



 六波羅が建物の中に入るのを見送り、姿が見えなくなった辺りで慧雲が口を開いた。

「いい言い訳は用意していなかったんですか?」

「しょうがねえだろ。昨日の今日で……」


 雪女の呼気を採集する方法は昔話と同じ。

 姿を現したときの冷気だけでも採集は可能だが微々たるものだ。

 最も呼気を大量に集められるのは、誰かを殺すために雪女が息を吹きかけるとき。もっと言えば、愛した男に約束を破られて殺そうとするときが一番いい。


「雪女の処分はどうするんです」

「上に確認中だ」


 実験のため、雪女を日常的に世話する担当になっていた巳之みのという若い男の研究員がいた。

 雪女が彼を信頼した頃、彼に雪女とちょっとした約束した後それを破ってもらい、怒りに任せて吹きかけられた呼気を採集した。


 巳之の安全は充分に確保された実験で、実際傷ひとつ負わせなかったが、彼は昨日の朝、しっかりと綿の詰まった布団をかぶって床の中で凍死しているのが見つかった。



「廃棄はさせないんじゃねえのか。人工降雨を軍事利用したいって言ってただろ」

 技術が実用化された暁には、何回雪女を裏切り、何回若い男が死ぬのだろう。

 俺は部下への手向けとして、せめて実験の危険性をまとめた資料を上に提出してきた。



 慧雲は六波羅から聞き取ったことを記した手帳を開きながら言った。

「案外おふたりは似た者義兄弟かもしれませんね」


 人間より妖怪より、怖い言葉だ。

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この妖怪の有用性は保証されていません 木古おうみ @kipplemaker

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