(8)

 峰岡の長広舌が一段落ついたところで、そんだけ喋ったら喉が渇くだろうと思って、水差しに残っていたお茶を注いだ。俺は箱に残っていた残りのチョコレートを峰岡に勧めながら言った。


「お前の推理だけど、俺には穴が見つけられなかった。いくつかゲーム内で提示される情報だけでは真偽が分からない仮定を挟んでるとは思ったけど、それでも『犯人はヤス』という元のストーリー上の答えと同じくらい説得的に思えた」


 峰岡はチョコレートを頬張りまた幸せそうな表情を浮かべていたが、俺がそう言うと急に真顔になった。


「つい盛り上がって自説を開陳してしまいましたが、私がプレイ中に確かめなかった選択肢を選ぶと文江さんのアリバイに客観的な根拠が出てくるということであれば、やはり殺害の実行犯はヤスさんで間違いないと思います。それに山川さんも川村さんも恨みを買っている方なので、全く別の方であった可能性もあると思います。ただ、その場合、どうしてヤスさんがかばわなければならなかったのか、さらに理由が必要になりますが」


「そうだな。そもそもミステリーってのは、物語内で提示される論拠だけに従って推理しなければならないっていう制約がついてるからな。それが本当に真実なのかは、物語内で提示される論拠のみでは確定しきれないこともあるよな」


「後期クイーン的問題ですね」


 なんだそれ。どっかで聞いたことある気もするな。俺が思い出そうとしてポカンと口を空けていると、峰岡は笑っていいのかわからないという表情で説明してくれた。


「推理小説の大家エラリー・クイーンの後期の作品群が共有している論点として指摘されているものです。2つあって、1つは、推理小説の中で探偵が示す解答が、本当に真実なのかは作中では証明できないというものです。もう1つは、推理小説の中で探偵が登場人物たちの運命を決定してしまうことの倫理的な是非を問うものです。今、私は前者の論点のことを指して言いました」


 目の前にある文章を読み上げているかのようにスラスラと答えが返ってくる。さすがサユキペディア。


「なるほど。『ポートピア』も、物語内で提示された論拠だけをたどっていても、犯人はヤスなのか、文江なのか、それとも別の存在なのか、確定できないってわけか」


「そうですね。でも、それで良いと思いませんか」


 峰岡は目を閉じてお茶を一口すすった。


「推理小説の一義的な目的は、筆者が謎をかけて読者がそれを解くという、パズルです。ジグソーパズルのようにワンパターンしか答えのないパズルもあれば、ナンバープレースのように複数パターン答えがあるパズルもあったっていいと思いませんか」


「そうだな。どちらが良いとかどちらが正しいという話にはならないはずだ」


「それにパズルは自分で解くのが面白いのであって、完成した状態で提示されても何も面白くありません。だから、推理小説の物語世界の中で提示される推理が不完全だったとしても、その世界を覗き見る読者の超越的な視点によって初めて完成するものだと思えばいいんです――ところで」


 峰岡がはたと言葉を止めて真顔になった。


「その、ずっと私達を覗いている方は、どなたですか」


「え、なに? 怖い話?」


「あ、いや、そういうのじゃなくて、先ほどから私達を覗いている方が扉の向こうにいて、気になってしまって。ご家族の方かと」


 俺はビクっとして振り向いた。すると部屋の扉の隙間から誰かが本当に覗いていた。


「……バレたか」


「姉貴!」


 ぱっと扉が開き、俺と同じような目つきの悪さで、俺と同じくらいの背丈の、長髪の女が現れた。下宿にいるはずの姉貴だ。俺は慌てて、意味もなくベッドから立ち上がった。


「な、なんでここにいるんだよ」


「夏休みだから帰省よ。昨日の深夜に戻って、今日は朝から地元の友達とあって、ランチだけして帰ってくるって言ってたでしょ」


「1つも聞いてねえよ」


「ああ、あんたは寝てたのか」


 確かに、昨日は早く眠ってしまって、今日はガッツリ二度寝して10時に起きたが、その間に姉が帰ってきていたことに気づかなかった。


 いや、しかし、思い返してみるといくつかヒントはあった。時期的にはお盆前だから、帰省してきてもおかしくないタイミングだ。それに峰岡を迎える用意をしている際に、ちゃぶ台を取りに入った時、見慣れない大きなスーツケースがあったが、あれはこいつが戻ってきたからだったのか。そして昼に食った即席麺。あれは姉貴が進んだ兵庫県内の国立大学の近くで売っているものだ。姉貴の土産だったのか。両親がいないタイミングだと思っていたが、まさかこいつが帰ってくると思わなかった。迂闊だった。峰岡も挨拶しようとしたのか立ち上がったので、俺は渋々峰岡に姉貴を紹介した。


「姉の、木下御幸きのしたみゆきだ。県外の大学に通っている」


「どうも木下御幸です。バカの幸太郎がお世話になってます」


 バカとは何だ。天下の国立大学生さまのお前よりは学力は低いかもしれないがだな。すると峰岡も軽く会釈しながら自己紹介を始めた。


「あの、お邪魔してます。木下くんの同級生で、あの……友達の、峰岡沙雪です」


「へえ、?」


「……友達だよ。ただの」


 姉貴が曰くありげな目で見つめ、峰岡が顔を赤くしたので、フォローを入れた。やめろ、ガサツなお前と違って、峰岡はデリケートなんだ。


「めちゃくちゃ見つめ合って、キスしそうになってたから、そういう関係なのかと」


「おまっ、どこから覗いてたんだ」


「『ポートピア』のラストシーンの再解釈あたりから」


 峰岡が推理の仕上げにのめり込むあまり、俺の胸元に飛び込みそうな勢いになってたところか。一番見られたらヤバいところじゃないか。俺も身体的接触を避けるために気が気でなくなってて、玄関から人が入ってきたことに気づいていなかった。峰岡は顔色が見たことのないほどビビットな赤色になっている。


「あ、あの……きっ、キス、しようとしてたわけではなくて……」


「峰岡、からかわれてるだけだから、まともにリアクションしなくていいから!」


「ってか、沙雪ちゃん、めちゃめちゃ可愛いね。肌白すぎ。アイドル志望?」


「姉貴も状況をややこしくしないで、お願い!」


 状況に収集がつかなくなったところで、今回はお開きだ。これが締めとして適切なのかどうかも、どこかで俺たちを覗いている、読者の超越的な視点とやらに委ねたい。




(短編「犯人はヤスじゃない」 おわり)

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犯人はヤスじゃない 山田ツクエ @ymdtke

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