刻之丞さんの懐中時計

 ――キン!


 このところ依頼を掛け持ちで安請け合いしてきたから、たまには数日使って休暇を楽しもうと思っている。


 ――パチン!


 しかし、今はコロナ過で緊急事態宣言中だった。テレビでは日に日に感染者数も減ってきて宣言も解除される方向に傾いているけど、油断するとすぐにリバウンドし、気づけば宣言再開なんてことにもなりかねない。


 ――キン!


 気を緩めて外での飲み会を誘ってくる仲間もいるんだけど……まだ、なんとなく誰かと一緒にワイワイと飲み明かす気分にはなれない。一応、ワクチンは二回済ませているけどね。仕事で依頼を安請け合いすることはできても、遊びで誰かと会うとなると気が引けてしまう。大人数でのパーティーなんぞ尚更だ。


 ――パチン!


 僕は懐中時計の蓋を開け閉めしながら、これを使おうかどうか迷っていた。

 先日、刻之丞こくのじょうさんからもらったという懐中時計……あの爺さんが言うんだから間違いない。過去に行って、ちょっと遊んでくるっていうのも、なかなかイカした休日の過ごし方じゃないだろうか。


 ――キン!


 とはいえ、いつの頃に戻れば良いのか悩ましい。僕が生まれてからの立ち寄り、あの時できなくて後悔したことを修正してくるか……戦国時代にでも行って、明智光秀に加勢でもしてやろうか……それとも、本当に恐竜が地球に君臨していた時代があったのか検証しようか……改めて考えると、過去への魅力ってたくさんあって妄想が尽きない。


 ――パチン!


 あとは満子だ。

 雪ちゃんから聞いた満子の情報を元に、知り合いのな仲間たちへも聞き込みを進めていた。現状を整理すると、彼女は僕の元パートナーで恋人以上に睦まじい仲だったらしい。目から不思議な光を放ち、遠くのものを正確に検知することもあれば、催眠術をかけることもできたとか。はたまた、炎を操る術も心得ているなんて……もはや人ではない。僕はそんな彼女をパートナーとしていたのか。


 ――キン!


 懐中時計の蓋を開けて文字盤を見る。真ん中に八桁の「ゼロ」が並んでいた。爺さん曰く、ここに飛びたい過去の年と月日を竜頭りゅうずで回して、ストップウォッチのようにボタンを押せば……満子に会える。


 ――パチン!


 しかし、満子が消えた日の記憶が曖昧だった。ドンピシャの日に遡って、進んでしまったレールを切り替えなければ、過去に戻る意味も無いのではないか? どっかのタイミングで、満子と過ごしてきた日を変えるだけでも大丈夫なのだろうか?


 ――キン!


 そもそも論で、僕は満子と今まで何をしてきたんだっけ? 具体的な記憶が残っていないことが、これほどに苦しいとは思わなかった。


 ――ゴンッ! ガラガラ……。


 僕は蓋の開いた懐中時計をテーブルに放り、両手で頭を抱えて考えた。何でもいいから、鮮明な記憶が浮かんでくれ! 考えろ! いや、考えるな……感じろ?

 少し冷静になって、別の方向から考えてみよう。鍵は雪ちゃんだ。彼女に初めて会ったのが二月の「雪うさぎ祭り」の時で、二度目に僕の家まで来てくれたのが八月。その間の約半年のどこかで、僕は満子を失ったと仮定しよう。過去に戻るとしたら、どの月が僕に相応しいだろうか。


「六月か……」


 特に根拠はない。ただ、六月は僕の誕生月だ。思い切って誕生日の六月三日にでも戻ってみようか……毎年、自分へのご褒美として仕事は完全休業とし、何かしらのアクティビティで気分転換をしている。今年は、前から興味があったスカイダイビングに挑戦したんだよね。そういえば、その日の午後は何をしたんだっけ? 空を飛んだのは覚えているんだけど、着地した達成感が曖昧だった。

 僕は懐中時計を拾い、竜頭りゅうずを回して今年の自分の誕生日にセットした。既に満子がいないかもしれない……でも、試してみる価値はある。曖昧な決断だが、どうせ貰い物なんだ。いなきゃいないで、もう一度スカイダイビングを楽しもう。

 グッと竜頭りゅうずのボタンを押した。すると、クルクルと針が反時計回りに回り出し、その勢いが増していく。目が回りそうになったので視線を逸らそうとしたけど、何故か回る針から目を離すことができなかった。だんだんと目が回ってきた僕は……意識を失っていた――。


 僕は車を運転していた。

 助手席から「はい、平ちゃん。あーん」という声が聞こえた。チラっと見れば、そこにはチョコレートの封を開けて一粒取り出し、僕にそれを突き付けてくる女の子がいた。嬉々ききとした表情に微かな記憶が残っている。彼女が満子だ。


「ありがとう」

「平ちゃん、このチョコが好きだもんねぇ。もう一個入れる?」

「いや、一個でいいよ。また後でちょうだい」


 僕たちは高速道路の上にいた。少し速度を落とし、一番左のレーンへと移動させながら「サービスエリアで少し休むかい?」と聞いて、現状の把握に努めた。どうやら一時間ほど走っていたようなので、トイレ休憩は願ったり叶ったりだったみたい。


「次のサービスエリアは、メロンパンが美味しいって雑誌に載ってたよ」

「そうなの? じゃあ、買ってみようか。そういえば、僕たちってスカイダイビングをしに行くんだよね?」

「ん? そうだよ。平ちゃんがやってみたいって言ってたじゃない。もしかして、怖くなった? うふふっ」


 本来なら「そんなわけないじゃないかっ!」とか言って笑うところだけど、少し間を置いて「んー、そうだねぇ」と静かに応えてハンドルに集中した。勘だけど、スカイダイビングをしに行ってはいけないような気がする。

 サービスエリアの前に、高速道路の分岐点を示す看板が現れた。左へ行けばスカイダイビング、右へ行けば……別の目的地へ。僕はアクセルを踏み、分岐点へと通じるレーンに入ってから右へハンドルを回した。


「満子、スカイダイビングは中止にしないか? こっちに行っても、すぐにサービスエリアがあるから、そこで少し休もう」

「どうしたの? 具合でも悪いようだったら、高速から降りて近くのラブホテルにでも行きましょうよ。私は、平ちゃんと一緒だったら何でもいいし、本当にどこか調子悪いようだったら治してあげるわ」

「あはは! ホテルは魅力的だけど、具合が悪いわけじゃないから、このままドライブを続けよう。メロンパンは無いかもしれないけど、こっちのサービスエリアには確か黒い色したソフトクリームがあったはずだ」

「えっ? 何それ? イカスミ?」

「いや、エスプレッソを練り込んだソフトクリームだよ。これが美味いんだわ」

「わぁ! いいわねっ! 楽しみ!」


 具合が悪いわけではないとわかって不安な表情を吹き飛ばした満子は、もう一度ゴソゴソとお菓子の袋に手を突っ込んで「チョコレート食べる?」と言ってきた。こんなに優しくてエロい彼女を、どうして僕は覚えていないのだろう? まぁいい、とにかく予定していたことを変えて戻れば、僕のだ。


 目的地のサービスエリアへ着いた。

 ブラックソフトクリームも購入し、空いていた外のベンチ席へ座る。一つで二人分はいけるかなと思ったけど、満子が思ったよりも「美味しい!」と気に入ってくれたので、もう一個買うことにした。

 新しく購入したものを持って、彼女の待つベンチへと戻る。何気なく手渡ししようとしたその時、不意に彼女が「あれ?」と言って僕の目を覗き込んだ。


「どうしたんだい? 何か顔についてるかな?」

「いや……平ちゃん。もしかして、今の平ちゃんは未来から来てる?」

「なっ!?」


 何故わかったのだろう? 未来から過去へ飛んできた者には、何かしるしみたいなものがあるのだろうか? ジッと目を合わせていると照れちゃうけど、今はどう応えるべきかを脳内で弾き出さなければならない。しかし、あれこれ考えて誤魔化しても、きっと満子にはバレてしまうだろう。彼女の澄んだ瞳を見ていたら、そんな気がしてきた。


「よく……わかったね」

「今の平ちゃん、目が不言色いわぬいろ(赤みがかった黄色)だもの。今の時代には存在しないあかしでもあるの。平ちゃんは、過去へ戻れる時計を持った人とも知り合いなんだね」

不言色いわぬいろ……?」

「色そのものはクチナシの実を使って出してるんだけどね。死人にって言うじゃない? あれに掛けて不言色いわぬいろって呼ばれるんだって。私の故郷にいる友達のおばあちゃんが言ってたわ」


 確かに、過去に戻った僕は今の世界では死人みたいなものだ。まさか、あかしとして目に特徴が現れるとは。あの爺さんも事前に言ってくれれば……って、そんなこと言うような人じゃないか。

 続けて満子は、さらに顔を接近させ僕の目を調べ始めた。そして「ファイナルモードのあとがある……」と、驚いた表情で呟いた。一通り調べ終えた彼女は僕から離れ、やや沈んだような表情で「そうなのね」と言った。


「満子?」

「平ちゃん、私を探しに来てくれたの?」

「え? うん、まぁ当たりだけど……」

「ありがとう、平ちゃん。すごく嬉しい!」


 そう言って、スマホを取り出し何やらメッセージを打ち込み始めた。持っていたブラックソフトクリームが溶け始めてきたので、舐めながら満子の打ち込んでいる姿を眺めていた。

 納得できるメッセージを打ち終えたのか、彼女は「よしっ!」と笑ってスマホを閉じ僕からブラックソフトクリームを奪った。いつもの表情に戻って美味しそうに舐める姿が愛おしい。


「平ちゃん。元の時代に戻ったら、スマホをチェックしてみてね。私からのメッセージが届いてるはずだから」

「え? マジで? そんな事ができるの?」

「これ、美味しいね。もう一個食べちゃおうかな」


 いやいや、さすがに食べ過ぎでしょう。「お腹壊すよ」って注意しようと思ったけど、それよりも早く満子は売店へスタスタと行ってしまった。

 今もスマホは持っていたので、そっと取り出して確認してみたけど、誰からの着信も無い。時間指定で送信とかできるのかしら? とは言え、僕がやって来た未来がいつなのかって彼女は知らないはずだ。謎だらけだけど、今は売店へ行き追加の代金を払うのが先だね。って、マジかよ……彼女は両手にブラックソフトクリームを持ってるじゃないか。


 サービスエリアを離れ、僕たちは再び目的地の無いドライブへと繰り出した。この先は、紅葉の名所で有名な山がある。葉が色づくにはまだ早いけど、この辺りで高速を降りて森林浴でもしようか。静かな場所で、満子と語りたい気分だった。


「あらら、渋滞かぁ。平日なのに詰まるなんて、事故でもあったかな?」

「……平ちゃん、あのね」

「ん?」


 助手席を超えて僕の首に腕を絡めてきた満子。ここでイチャイチャするのは危ない状況だけど、渋滞のおかげでハンドルから手を放しても大丈夫だった。ついでに言えば、この車は最新鋭のハンズ&アイズオフ機能搭載で、高速道路などの限定車道で渋滞という条件が満たされれば、勝手に前の車を追随してくれる優れものだった。

 こういった状況でイチャイチャするのは初体験だったので、僕も気分ノリノリで彼女を受け止めた。しかし、彼女は「ありがとう」とささやいて回してきた腕をきつく締めるだけに留まっていた。


「満子、どうしたの?」

「そろそろかな……平ちゃん、これからも……ずっと一緒だからね」

「み、満……苦しいよ。いったい……っ!?」


 腕から逃れようと体を捻った瞬間――バキン!――という衝撃が後部座席から走った。座席から浮かぶ僕たち……その動きはとてもスローだった。それは無重力の中を泳ぐ感覚にも似て、惰性でフロントガラスを割らずに外へ出ていけるんじゃないかとも思えたけど、がっちりと締まったシートベルトがそれを許さなかった。

 僕たちがベルトで動きを止められている間に、後ろからキラキラと飛んで来るガラスの破片。大小さまざまな形のキラキラしたものが目の前を横切る様は、どことなく夜空を切り裂く流星群のようで美しい。その奥で、満子は優しく微笑んでいた――。


 どれくらい気を失っていたのだろう。目を覚ませば、そこは僕の部屋だった。灯りを点けないと、周りのものが何も見えないほど日は暮れていた。とりあえず、テーブルの上に置いてあった間接照明を点けて、近くにあるものを確認してみる……爺さんに貰った懐中時計が二つに割れていた。

 夢だったのか? いや、それにしてはドライブしていた記憶が鮮明だった。以前よりも、満子の表情や声の様子を鮮明に思い出すことができる。そうだ、スマホ! 彼女は未来から来た僕に対して、何かメッセージを残していた。ポケットから取り出し画面を見てみると、メッセージに一件の新着が入っていた。


 ――未来の平ちゃん、あなたは私の「ビジョン」を引き継いでます。記憶が曖昧で思い出せないかもしれないけど、既にいくつか私の能力を見ているわ。能力は七つに分かれてます。簡単な説明だけど、とりあえず覚えてみてね。

 ①モードワン……目の動きに合わせて狙った対象物を動かすことができます。

 ②モードツー……目から炎を出して攻撃できます。

 ③モードスリー……催眠術をかけることができます。

 ④モードフォー……涙腺が崩壊します。

 ⑤モードファイブ……見たものを録画/再生できます。記録時間は三十分。

 ⑥モードシックス……イメージ通りの眼鏡が顕現けんげんします。

 ⑦モードセブン……遠くのものを検知できます。

 使う時は「ビジョン」と唱えながら目に力を入れて、その後にモードナンバーを唱えて下さい。私は「ミツコビジョン」って名付けていたけど、基本の「ビジョン」とモードナンバーを言い忘れなければ呼び方は自由よ。

 これが引き継がれているということは、私は平ちゃんとバラバラになってしまったってことよね。その記憶も「ビジョン・ファイナルモード」で消去させてもらってるはずだから、思い出せないことが多くてモヤモヤしてるでしょう? でもね、私は平ちゃんと一つになれたと思ってる。私の能力は『何でも屋の平ちゃん』に必ず役に立つはずよ。こんなに嬉しいことはないわ!

 平ちゃん……これからも、ずっと一緒だよ☆


 このメッセージを、どう受け止めて良いのかわからなかった。

 でも、満子が僕に注いでくれた愛情が、とても深かったんだなということだけは理解できた。こうなった経緯と彼女との幸せだった日々は思い出せなくても、これから積み上げる記憶の中には常に彼女と共にあることを忘れないでおこうと思う。

 試しに「ビジョン・モードフォー」と唱えて、ドライブの時に見た満子の嬉しそうな表情を思い出し目を閉じてみた。ブワっと涙が溢れ出し、体内の水分を失ってしまうのではないかというくらい涙腺が崩壊した。これが「ビジョン」の効果なのか、それとも彼女を失った寂しさからくるものなのか、そんなものはどうでもいいくらい僕は大泣きした。


 未来を変えることはできなかったけど、運命は変わったかもしれない――。

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