雪ちゃんの恋人探し

 木工用ボンドの臭いが部屋中に立ち込めている。

 僕は木のヘラで適量の糊を掬い、バネのついた台紙の裏へ塗り付けた。少し間をおいて「クールミント」と英語で書かれた台紙と貼り合わせる。いくつかをセットにして輪ゴムでまとめ、しっかりと糊が張り付くのを待てば『ガムパッチン』の中身が完成だ。

 板ガムを「一枚やるよ」と突き付けられて、それを摘まんで引っ張ったら……パッチーンと指の爪を叩いて挟む『ガムパッチン』って、今でも扱っているところがあるんだなぁ。そんなノスタルジックに浸りながら、僕は一つ三銭程度の内職を黙々とやり続けていた。


 もちろん、これも依頼の一つだ。

 依頼人(36歳男性・左官職人)のお婆ちゃんが続けていた内職なんだけど、急な熱中症で病院に運ばれてしまったということで、回復するまで代わりにやってくれないかという依頼が舞い込んできたのだ。報酬のことを考えると依頼人にとっては赤字な作業だけど、内職をし続けていくことで得られる信頼だけは崩すわけにはいかないという意気込みに心を打たれて安請け合いしたってところだ。


 それにしても暑い。

 ここ数日の気温は体温を超えている。一人暮らしなので、エアコンの連続運転を続けるのは勿体ないと思えてしまう。ひとまず扇風機を使って風の循環は起こしているけど、生温い風は不快指数を高めるだけだった。


 いったん作業を中断し、アイスでも食べようかと冷蔵庫へ向かう途中、我が家の呼び鈴が「ピンポーン」と鳴った。こんな暑い中、僕の家までやってくる人に心当たりは無い。何かの勧誘かもしれないので居留守を使っちゃおうかと思ったけど、虫の知らせのようにピンと不思議なモノが働いたので、小走りで玄関へ向かった。


「お久しぶりです。平三郎さま」

「あっ、君はあの時の……雪さん、でしたっけ?」


 以前、雪うさぎウォッチングへ行った時に知り合った雪女だった。雪深い山の中を迷っていた時に偶然出会い、一宿一飯の世話になった恩義がある。まぁ、そのお礼も夜伽のイチャイチャで報いたつもりなのだが……物足りなかったかしら?


「よく、僕の家がわかりましたね」

「この前いただいたお名刺に書いてありましたわよ。偽造でなければ、辿り着けるかと思って、山から下りてきました。平三郎さま、お会いしとうございました!」


 想い溢れてギュっと僕に抱き着いてくる雪さん。涼しい……この季節には一家に一人は欲しい。熱い抱擁でも冷気がまとわりついていると、何時間でも抱き合っていられそうだ。しかし、彼女の間違いは正さなければならない。


「雪さん、僕は平九郎ですよ。平三郎ではありません」

「あ……はい、そうでした。すみません、お顔を拝見した嬉しさでつい……」

「ここでの立ち話もアレなので、とりあえず中へあがって下さい」


 内職をしていたボンド臭のする部屋ではなく、来客用の応接室へと案内した。一応お客様なのでエアコンをつけて熱気を逃がす。雪さんには不要かなとも思ったけど、本人は「はぁ、涼しくなってきて気持ちがいいです!」と喜んでいた。


「雪さんは、体質的に今日みたいな暑さだと溶けてしまうのでは?」

「いえ、よく皆さんには言われるのですが、夏の日差しで溶けるようなことはありませんよ。気温は低ければ低いほど嬉しいので、こうして涼しくして下さるのは助かりますけど」

「そうなのですね」

「私が溶けるのは……平三郎さまの熱い抱擁だけですわ。うふふ」


 いや……前に抱いたけど溶けなかったじゃーん。それとも、抱擁が足りなかったのだろうか? 女性を満足させられないなんて、男として面目無い。


「……あれ?」

「どうかされましたか?」

「あ、いえ。ちょっと前にも似たようなことがあったなぁと」

「抱擁ですか? 今度は、積極的に平三郎さまの方から迫ってきて下されば……」

「平三郎ではありませんっ! それに、迫るなんてこともしません」


 妖艶な流し目で僕を見る雪さん。その雰囲気に吸い寄せられそうなので、いったん部屋を出て、飲み物と自分用のアイスを持ってくることにした。

 それにしても……あの既視感は何だろう? 雪さん以外にも誰かを満足させられなかった女性がいたような気がする。大きな虫たちが棲む不思議な異世界の夢を見てから一週間、その記憶はだんだんと薄れてきてしまっているけど、僕は誰かと一緒に冒険をしていたはずなんだ。その人は僕のアシスタントで、仕事にプライベートにと異世界だけじゃなく色々なところへ行って……あぁ! 曖昧な記憶が恨めしい。


 飲み物を持って応接室に入ると、中はすっかり涼しくなっていた。というよりも寒いくらいだった。ちらほら雪の結晶が積もった形跡まである……さすがは雪さんだ。僕は飲み物をテーブルに置きながら「今日は、どういった用件でこちらに?」と尋ねた。


「いつまでも平三郎さまのことばかり想い続けてもいけないので、新しい殿方を探そうかと……」

「ほう! それは良いことだと思います。何事も前向きに進んでこそ、楽しい人生が拓けてくるものですしね」

「それで……ですね。是非とも、新しい殿方を紹介していただきたく……」

「えっ? 僕がですか!?」

「はい。平三郎さまでしたら、私の好みに見合った殿方もご存じかと思いまして」

「うーん」


 なかなか難しい依頼だ。

 雪さんのような特殊な人を好んでくれる男は少ない。容姿だけで寄ってくる男どもは多いだろうけど、そんな理由でただマッチングさせるのは雪さんに対して失礼だ。とにもかくにも、彼女の良さ(冷気を出す)を真っ向から受け入れてくれる男じゃないと幸せにはなれない。


 僕は考えた……考えに考え抜いて、ついに心当たりを一人見つけた。彼は今、北極で仕事をしていたと思う。寒さに強い冒険家であり写真家だ。まずは彼に打診して、雪さんの良さを知ってもらおう。


「わかりました。その依頼、安請け合いしましょう!」

「わぁ! ありがとうございます! 報酬は私の全てを捧げたいところですが、それですと新しい殿方に申し訳ないので、別のモノでもよろしいでしょうか?」

「もちろんです。モノでいただいた方が、僕としてもありがたい」


 ならばと、雪さんの懐から出てきたものはダイヤモンドダストだった。大気中の水蒸気からできる細かい氷の結晶ではない。文字通りだ。宝石としての価値はゼロだけど、研磨剤として商品化するにはダイヤの原石みたいな存在と言っても良いだろう。

 雪さんの袖から放出されたダイヤモンドダストは、みるみると応接室の半分を埋め尽くした。僕は「もう十分ですよ。ありがとう」と言って、放出を止めてもらった。しばらく放っておいても腐るものでもないし、商品化してくれそうな企業をのんびりと探していこうと思う。


「これは凄いですね。報酬としては十分です。ありがとうございます」

「これから先は、どうすればよろしいでしょうか?」

「まずは、雪さんにピッタリの知人がいるので、彼に話をしてみます。彼が乗り気でなくても、交友関係が広い奴なのでご心配なく。あとは、顔合わせの予定ですね。雪さんの都合の良い日、もしくは悪い日をいくつかピックアップして下さい。今すぐでなくても大丈夫ですので、候補日が決まったらメール下さい。なるべく早い段階で顔合わせできるよう調整に入ります」

「わかりました。楽しみにしてますわ!」


 交渉が成立し、今後の段取りも決めたところで、雪さんは山へ帰って行った。家から山まで相当の距離なんだけど、彼女は空も飛べるらしい……そんな能力まで持っているなら、どこかで待ち合わせという段取りよりも、北極まで直接行ってもらった方がスムーズに話も決まるかもしれない。

 それにしても……帰り際に、彼女が残した一言が気になる。



 ――今日は、あの人いないんですか?



 消えかけていた記憶を呼び戻す「あの人」という一言。咄嗟に「あぁ、今日はいないんだよ」と答えてしまったことを後悔している。あそこは「あの人って誰?」と言うべきだった。しかし、自然に出てきた「あの人」という言葉の流れに「誰?」と返事するのはに対して失礼だと思った。僕とは、深いところで特別な関係を築いていたような気がしたから……。

 とにかく、僕が思い描いていた彼女は実在していたことがわかった。雪さんのような特殊な者たちには、その姿も声も……あと名前くらいは記憶に残っているのかもしれない。そこまで分かれば慌てることもない、今は依頼を果たすことが先決だ。僕はスマホを取り出して、冒険家のダミアンを呼び出した――。


 雪さんとダミアンのマッチングは大成功だった。

 好奇心旺盛なダミアンは、僕の語る雪女伝説にノリノリで「実際に会えるよ」と言ったら北極での仕事を途中でキャンセルして日本へ来てしまった。雪さんにはその飛べる能力で北極まで行ってもらおうと思っていたけど、そんな運びとなってしまったもんだから、二人の顔合わせは僕の家ですることとなった。

 寒さに強く好奇心の塊である自分を存分にアピールしたダミアンは、見事に彼女のハートを鷲掴みにした。雪さんも、まさか相手が外国人だとは思っていなかったようで、初対面のタイミングでは緊張していたものの、彼の軽快なトークと甘いマスクにメロメロと変化していた。もう大丈夫だろう、新しいカップル誕生に乾杯!


「平三郎さま、ありがとうございました」

「ヘイクローが彼女をモノにしないで俺に譲るなんて、どうかしてるぜ! まぁ、おかげで最高のハニーを手にすることができたけどな。ハッハッハー!」

「まぁ、幸せに暮らしてくれよ。僕にできることがあれば、また手伝うし」

「私も、に負けないで女としての務めを果たしますわ!」


 今、何て言った?

 僕の表情が硬くなったのを見た雪さんが「満子さん、今日もいないのですか?」と聞いてきた。そうか、満子さんていうのか……名前がわかっただけでも良しとするべきか? ダミアンも「満子? ヘイクローの彼女かい?」と言ってきたので、ここはもう少し突っ込んでみよう。


「満子は、ちょっと用事があって長期の出張なんだよ。寂しいけど、帰って来る日を楽しみにして待っているんだ」

「まぁ! そうだったのですね」

「なぁ、ダミアンも雪さんも良かったら、今日は家に泊まっていかないか? 雪さんから見た満子って、どんな感じだったのか知りたいし。ダミアンだって、俺のパートナーのこと知りたいだろう?」

「いいねぇ! 俺はノープロブレムだぜ! ユキさえ良ければ!」

「いいですわ。あの時のことを思い出すと、体が熱くなりますわぁ」


 潤んだ瞳で僕を見つめる雪さん……ダミアンを横にして、ちょっとマズい展開になるかも? そん時は仕方ない、酒で酔い潰して先に眠ってもらうか――。

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