イった満子

 空から襲いかかる羽根付きムカデの群れを避けつつ、僕と満子は手を取り合って逃げ続けていた。ゼリーのような柔らかい地面なんて初めての経験だよ。足を取られて転んでばかりだけど、柔らかいから弾む弾む……擦りむいたり捻挫したりする危険性が少ないのは助かる。


「平ちゃん! あのムカデたち、諦めたかしら? 寄ってこなくなった気がするわ。いやん! こんな時に、どこ触ってるのよ!」

「すまん! わざとじゃないんだ! 足元がフラついて、倒れそうだったんだよ。咄嗟に手を伸ばしたら、満子の柔らかい……ぐほぉっ!」


 足を取られてバランスを崩した満子の肘が僕の鳩尾みぞおちにヒットした。さっきから、二人してこんな状態だ。状況が状況でなければ、滅多に体感できない柔らかな地面の上でポヨンポヨンとイチャイチャ抱き合う時間となっていただろう。しかし、この世界は僕たちを歓迎していなかった。

 満子が前方で何かを見つけた。サッと立ち上がり、ミツコビジョンのモードセブンを繰り出して探りを入れ始める。僕も固唾を飲んで、同じように前方を睨み彼女の返答を待った。


「ダンゴムシだわ。しかも大きい! こっちに向かって来てる!」

「空飛ぶムカデだったり、デカいダンゴムシだったり、依頼主はサソリみたいなやつだったし、ここは昆虫たちの勢力争いが盛んらしいな。ついでに言えば、周りの植物も地球では見かけないものばっかりだ」

「でも、この大きな葉っぱのおかげで、身を隠しながら逃げられるじゃない」


 そういって、脇にある里芋の葉っぱに似た植物(里芋の葉よりも三倍は大きいサイズ感がある)を引き寄せ、自分の顔を隠した。まったく……こんな状況でも冷静でいられる満子は最高のアシスタントだ。無事に僕たちの世界へ戻れたら、また休業して水入らずの温泉旅行にでも連れてってあげようと思う――。


 今から五時間ほど前……僕と満子は、初めてのスカイダイビングを楽しもうと富士山の麓にある体験スクールへ来ていた。最初はインストラクターに従って何度か飛んでいたけど、慣れてきたもんだから初心者二人僕と満子で勝手にタンデムを組みトライしてしまった。もちろんインストラクターは止めたけど、満子が「平ちゃんと二人きりにさせてね」と小声で言い聞かせてくれたおかげで……って、きっとミツコビジョンのモードスリーで催眠にでもかけたんだと思う。

 飛んだ序盤は順調だったが、空の天気は気まぐれで急に周りが雲だらけになり視界が悪くなってしまった。インストラクターの注意を無視したバチでも当たったのだろうか? 前の見えない状態は続き、気づけば目の前に時空の裂け目まで現れていた。これは「まずい」と思いつつも、初心者の下手くそな体の動きでは避けることもできず、そのまま中へと突っ込んでしまった。


 時空の向こう側(いわゆる異世界)へと舞台は変わっても、僕たちは空を飛び続けていた。下の景色が近くに迫っていたので頃合いを見計らってパラシュートを開いたけど、これがいけなかった。見たこともない昆虫たちが、僕らめがけて襲い掛かってきたのだ。

 モフモフ感が際立つ大きな蜂っぽいやつとか、刺されたら全部の血が抜かれるんじゃないかというくらいバカでかい蚊っぽいやつ。さらには、背中に乗れるほどの大きな羽根の付いたムカデなんかも迫って来た。こいつが一番しつこくて厄介なやつだったよ。ムカデの顎ってマジマジと見ると鋭くてヤバイ。


 色々な昆虫たちに囲まれ、いよいよ捕食されるかと覚悟したその時、開いたパラシュートが意思を持ったようにグニャグニャと動きだして僕たちを包み始めた。本来のスカイダイビングだったら「これは危険な状況」と言える状態だけど、今は逆に守られながら何者かの操作で移動していると言った方が正しかった。

 地に足が付いた感覚を得てホッと一息したのも束の間、不意に「パンっ!」と僕たちを包んでいたパラシュートが破裂した。タンデムの恰好で固定されていた器具を外し、連れて来られた場所の辺りを見回してみる。風や匂いが無いので何かの施設内だろうとは思ったけど、そこは上も下も右も左もプラネタリウムのような星空の世界だった。


「平ちゃん……ここは?」

「宇宙というわけでもなさそうだ。ちゃんと呼吸ができる。でも、地球のどこかというわけでもなさそうだね」

「ようこそ、お二人さん。ここは、ムドゥドゥという国だ。そして私は、この国をべるヌェーゲ。君たちはビナダームと呼ばれる種族だね。そちらの世界ではニンゲンというんだっけ?」


 聞き知らぬ声に振り向いた僕と満子は驚愕した。

 その声の主は光っていた。光のフォルムはどこから見てもサソリに近しいものだった。星空の世界に煌めくスコーピオンキングといったところか……あまりの神々しさに、ついついこうべを垂れて恭順の意を示した。

 まずは助けてくれた礼を述べ、僕たちの名前と僕の生業を告げ、スカイダイビングをしていたらこの国に迷い込んでしまったことを正直に説明した。この国では、異世界の者が入ってくるのは珍しいことではなく、そのほとんどが虫たちの餌として食われるのだとヌェーゲは教えてくれた。日常茶飯事のことなので、僕たちの侵入も無視しようかと思っていたようだけど、ヌェーゲ本人もわからない「なんとなく」という直感が働いて助けてあげたと付け加えてくれた。


「本当に、ありがとうございました」

「ちょっと気になったのだが、君が生業としている何でも屋というのは、我々の種族でも依頼できるものなのかい?」

「え? えぇ、まぁ。内容にもよりますけど……」

「実は、ブイブイの糸を獲って来て欲しいのだが。あぁ、そちらの世界ではクモと呼ばれているやつだ。足が八本あって尻から糸を出す……あれだ」


 蜘蛛の糸を獲って来いだと? そんな簡単なことで良い……いや、虫たちに襲われた時のサイズ感を思えば、きっと蜘蛛だってバカでかいやつなんだろうな。それこそ僕たちが糸に引っかかって、やつらの餌となってしまう可能性の方が高い。


「お見受けしたところ、あなたは神のような威厳をお持ちのようですが。あなたの手にかかれば蜘蛛の糸など容易く手に入るのではないでしょうか?」

「ん? うん、まぁね。でも、せっかく珍しいビナダーム(人間)が迷い込んできたんだしさ、ちょっと試してみたいんだよ。君たちが我々の世界にどこまで通用するのか……ってね」


 時間は無制限。とにかくブイブイという蜘蛛を見つけて、生け捕りでも殺しても構わないから尻から糸を引っ張り出して持って来いというのが、僕たちに対する依頼だった。その報酬はもちろん、この世界から地球への帰還。言い換えれば、蜘蛛の糸を持ち帰れなければ、ずっとムドゥドゥという異世界で死ぬのを待つしかないということだ。


「わかった。その依頼、安請け合いするぜ!」

「平ちゃん!」

「よし、決まりだ! ブイブイが集まる泉へ行くがよい。そこまでの道標は、ケレンゲンデに乗ればすぐに着く。こいつの天敵は何種類かいるが、ムドゥドゥ国で一番のスピードを誇るやつだから、そう簡単には捕まることもないだろう」


 いつの間に近寄っていたのだろう? 僕と満子を乗せても余裕で飛べそうなオニヤンマが後ろで控えていた。こいつがケレンゲンデか……カッコいいな。地球に帰ってからも、足代わりに乗り回したいくらいだよ。


 ケレンゲンデに乗った僕たちは、過去に経験したことの無いほどの速さを体感しながら空を飛んでいた。背中に細かく生えている産毛を掴んでないと、ちょっとした揺れで放り飛ばされてしまいそうだ。満子は「きゃっほー! 気持ちイイー!」って叫んでいる。

 眼下に大きな湖が見えた。ケレンゲンデがスピードを落とし、ゆっくりと湖へ向かって降下していく。ここがヌェーゲの言ってたブイブイの集まる泉のようだ。スピードも緩やかになってきたので、緊張を解き辺りの景色を眺めていると、前方から赤黒い集団が迫ってきた。


「満子、あの赤黒いの……見えるか?」

「どれ? ミツコビジョン・モードセブン! うわっ! 前にも見た羽根付きのムカデが飛んで来るわ。軽く十匹以上はいるわね」

「こっち目掛けて飛んできているっていうのは、間違いなさそうか?」

「そうね。この子(ケレンゲンデ)の天敵なのか、私たちを狙っているのかは分からないけど、もの凄い勢いで迫って来てるわよ」


 満子は「どう? 見える? 私たちを地上に置いてくれるだけでいいから、そしたら逃げて」とケレンゲンデに話しかけて、スピードを上げるよう促した。それに応えたのか、天敵に怖れをなした本能なのか、僕たちを乗せたケレンゲンデは地上へ向かってグンと急降下した。

 生い茂った木々の間に僕たちを降ろしたケレンゲンデは、ここで「おさらば」とばかりに急旋回してムカデの群れへと突っ込んで行った。なんということだ! 逃げればいいものを、僕たちが泉へ走る間の時間稼ぎまで買って出るとは……満子のやつ、モードスリーの催眠ビームでも出していたのか?

 ケレンゲンデの心意気を無駄にすることはできない。僕たちはブイブイの泉へ向かって一目散に走り出した――。


 そして、今の状況に至るわけだが……一難去って、また一難。今度は前方から大きなダンゴムシの群れが、こっちに向かってきているというじゃないか。心を通じ合えた仲間も今はいない。さぁ、どうする?


「平ちゃん、お願いがあるの」

「ん? 何だい? この状況で安請け合いできるお願いかな?」

「抱いて!」

「はっ!? 何を……ちょっ! うぉいっ!」


 満子がギュっと抱きついてきた。別にスッポンポンになって抱き合うというのではなく、いわゆる強めのハグだった。ジーンと満子の愛情が押し寄せてくる……こんなこと思いたくはないけど、今生の別れを惜しむような熱い抱擁にも感じた。

 ポヨンポヨンだった大地の揺れが激しくなってきた。ダンゴムシの群れが近づいている証拠だろう。それでも満子のハグは緩まない。


「満子……」

「ふぅ、ありがと、平ちゃん。やっとザワザワしてた気持ちが落ち着いたわ」

「何をする気だい?」

「ちょっと、ダンゴムシを焼き払ってみる!」

「焼き払うってっ!?」


 いつもの調子に戻った満子は「ピイィィ!」と指笛を吹いて空を見上げた。しばらくすると、空からメタリックシルバーのスズメバチがやってきて、ヒョイと僕と満子を攫って行った。僕としては予期せぬ出来事だったけど、彼女にとっては日頃から飼い慣らしていたものなのだろうか……脚の先っちょで引っ掛けられていた彼女が、今はスズメバチの背中に堂々と乗ってダンゴムシが寄せてくる方向を睨んでいる。僕はと言えば、まだ脚で引っ掛けられたままなんだけど。


「平ちゃんは、ここで見ててくれる? ちょっと行ってくるね」

「おいっ! 満子!? 大丈夫なのか?」

「任せてよ。これでも、強いんだから!」


 いや、満子が強いのは十分に承知しているけど……と言いかけた僕は、高台の広いにところに降ろされた。色々と言いたいことはあったけど、ここは彼女の無事を祈って見守るしかない。ひとまず「気をつけろよ!」と叫んで彼女の背中を目で追った。

 ここからだとダンゴムシたちの様子がよく見える。奴らは、ギラギラと輝くシルバーメタリックのスズメバチに誘導されるように、向きを変えて走り続けていた。満子が「ミツコビジョン・モードツー! フレイム!」と透き通る声で唱えた刹那、彼女の目から炎の螺旋が噴き出した! ほんと、あのはどうなっているの?

 噴き出た炎は、螺旋を描きながらダンゴムシたちの下へと伸びてゆく。地面を撫でるように焼き付けたかと思えば、数秒後には大爆発と共に地表は裂け、業火が奴らを呑み込んでいった。


「すっ、すげぇ。でも、全部は無理か……焼けた屍を乗り越えて迫ってきやがる」


 その後も、何度かミツコビジョンのモードツーを放ちダンゴムシの接近を食い止めていた満子だったけど、まさかの方角から伏兵が現れた。


「きゃっ!」

「満子っ! くそっ! また奴らか……こんな時に出てくんじゃねーよ」


 満子の背後から、例の羽根付きムカデが襲い掛かってきたのだ。ケレンゲンデが頑張って食い止めてくれてたんだけど……数の暴力でやられちゃったんだろうな。ごめんな、何もできない自分が情けないよ。

 前には仲間の屍を乗り越えてくるダンゴムシ、後ろにはカチカチと顎を鳴らしながら迫る羽根付きムカデ。満子とスズメバチのコンビだけじゃあ、もはや万事休すだ。僕は単なる傍観者……何でも屋と称して生きてきたけど、結局は無能な役立たずだ。


「平ちゃん!」

「満子!」

「これからも、ずっと一緒だから! ねっ! ずっと一緒だからっ!」

「満子ぉ!」


 満子とダンゴムシの距離はもう僅か。しかし、その前にムカデの顎が彼女の腰を切り裂いた。それでも笑っていた……痛みなど感じていないかのように優しく微笑んでいた。そして「ミツコビジョン・ファイナルモード!」と一帯を震わせる声が響き、彼女を中心として虹色の光が放たれた。

 虹色の光など無視して満子を挟み撃ちにするダンゴムシと羽根付きムカデ。僕は一言も発することができずに、彼女の最期を目に焼き付けた。すると、首だけとなった満子の目から、虹色のビームがこちらに向かって飛んできた。避けることも忘れてを受け入れた僕は既に意識も吹っ飛んでいて、どちらの世界にいるのかもわからなくなっていた――。



「うわあぁっ!」



 ガバっと起きた世界は、見慣れた僕の寝室だった。

 でも、いるはずの彼女はいなかった。先に起きて、何か別の事でもしているのかなと耳を澄ましてみたけど、辺りはシーンと静かなまま……遠くで救急車であろうサイレンの音が鳴っていた。

 寝室を出て、家の中を歩き回った。やっぱり見つけることはできなかった。探している間に気付いたんだけど、彼女の持ち物は全て消えていた。服も、下着も、茶碗も箸も、何もかも。昔から彼女なんか存在していなかったような感じ?


 そういえば……彼女の名前は何だったっけ?


 僕は玄関を出て新聞受けの中を確認した。今日の朝刊が入っている……日付はスカイダイビングをしに富士山へ行った翌日だった。あれほど彼女のことが記憶に残っているのに……名前が思い出せないのはどうしてだろう?


「あぁ、平九郎さん。おはようございます。今日も良い天気ですねぇ」

「敏夫さん、おはようございます。うちの相方を見かけませんでしたか?」

「相方……さんですか? あれ? 平九郎さん、シングル卒業したんですか? 僕は所帯など持たないって、いっつも酒の席では言ってたのに」

「……えっ?」


 呆けている僕を揶揄いながら「今度、僕たちにも紹介して下さいよ」と言い残して去って行ったお隣の山崎敏夫さんに嘘は無い……と思う。もしかしたら、僕は今まで夢でも見ていたのだろうか? 彼女の名前も思い出せないし、家の中には痕跡すら無い。夢だと納得するのが正解なのかもしれない。


 得体の知れない虚無感にとらわれながら身支度をして、とりあえずパソコンに向かい『何でも屋の平ちゃん』のサイトを開く。今日の依頼はゼロ、Q&Aでも解決できなかった問い合わせが一件入っていたので、それを処理してログアウトした。


 さて、今日は何をして時間を潰そうか……彼女の名前を一日かけて思い出すというのも悪くはないけど、何故か胸が痛くなるばかりだった――。

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