ケイトリンとヤスミン

 アフガニスタンは、もっと暑いところだと思っていた。雨のない日が続き、体の中から渇きだすほど苦しい環境なんじゃないかって。でも、よくよく調べると日本のように40度近い気温を叩き出すことは滅多にないという。湿度が低く感じるので、逆に過ごしやすくも感じる。


 僕と共にカブール空港を降り立ったケイトリン(アメリカ国籍・29歳)は、今のアフガニスタンの姿を見て顔を歪めていた。アメリカ人の父とアフガニスタン人の母から産まれた彼女は、故郷の現状に複雑な思いを馳せている様子だった。

 二十年ぶりに国を奪還したタリバンの強気な規制に伴い、国内から多くの外国人が追われたけど、勇気ある個人記者を含めアフガニスタンに残る者や新たに入国してくる者はゼロではなかった。彼女も入国を希望するその一人……久しぶりに『何でも屋の平ちゃん』のサイト経由で「ボディガードをお願いします」と依頼され、多額の報酬を約束された僕は一も二も無く安請け合いし、アフガニスタンの入国からアメリカへ帰国するまでの期間を共に行動することになった。

 彼女の母親は、首都カブールから少し離れたところの病院で精神的な治療を受けているらしい。詳しいことは聞いてないけど、彼女曰く「ここで入院生活を過ごしているよりは、アメリカに連れてった方がマシ」ということで、ちょっとした救出ミッションにもなっている。できれば武装した連中とはドンパチ無しで依頼を終わらせたいものだけど……どうなることやら?


 しかし、日本で報道されているアフガニスタンの様子と比べると、現地は想像以上に平和だった。武装した兵士たちを見かけても、彼らの表情は穏やかで何かに追いつめられているような緊張感は伝わってこない。これが「普通だ」と言われれば、そのまま納得してしまうほどのんびりとしていた。

 国の面積が日本の約二倍(そこまでないけど)で人口は約四分の一という、世界レベルで低い人口密度を誇っているアフガニスタン。首都カブールの周りは高い山脈に囲まれ、その奥は過酷な砂漠地帯というロケーションのせいで、都市と呼べるような人口の多いところは十数ヶ所あるかないかといったところだ。

 耕地面積は二割を切り伝統的にも遊牧民が占めるこの国で、アメリカが支配していた部分は果たして全域の何割だったのだろうか? 首都から離れた田舎と呼べるような地域では、アメリカが統治するずっと前からタリバンが勢力を維持していたんじゃないかとも思えてくる。相手が武装集団とはいえ、短期間で首都が制圧されるなんて現実的には考えられない。日本では「タリバン、ヤバい!」みたいな印象を受ける報道ばかりだけど、実は僕たちが想像しているよりもタリバンという存在は地元密着型で、国民からは認められているのかも……って、そろそろ政治的な思いを巡らすのはここまでにしよう。今の僕は、ケイトリンの行動に付き従うのが最優先だ。


「平ちゃんの用意してくれたプライベートジェットは快適だったわ」

「そう言ってくれると嬉しいよ」

「飛行機の中ってシートばかりかと思ってたわ。あんなキングサイズのベッドまで用意されているなんて驚きよ。おかげで、楽しい時間が過ごせたけど……うふふ」


 飛行機を操縦するのが三度の飯より好きな、プライベートジェット持ちの知り合いへ頼み込んだ甲斐があった。普通に入国するのは難しいと言われていたので、あらゆる伝手つてを頼ってから入国する手配を整えておいたのだ。もちろん、出国も同じパターンを使う予定だ。帰りはケイトリンのママも一緒だから、広いベッドでむちゃくちゃしながらのフライトはできないだろうけどね。まぁ、本当のところは、あのベッドだってママ用にセッティングしてもらったものだから我儘は言えない。僕たちが戻ってくるまでに汚れたシーツを取り換えてくれるよう、ポルコ(ニックネームで本名は周一郎。ジェットの持ち主)に頼んでおかなくちゃ。


「病院へ直行でいいかい?」

「そうね。街は物騒だし、私みたいな恰好の女が歩いてたら殺されちゃうわ」

「殺されはしないだろうけど……服装は注意されるだろうね」

「髪や顔だって隠さなきゃダメなんでしょ? そんなの嫌よ。宗教を悪く言うつもりは無いけど、私には合わないわ」

「そうは言ってもなぁ。空港を出たら、どのみちヒジャブ(女性が布で頭や顔を覆う作法)はしてもらうよ」


 まだ納得のいかない表情で「わかったわよ」と僕を追い越し、移動用に手配しておいた黒塗りのSUVへ乗り込もうとするケイトリン。僕はスマホを取り出し、ポルコへ「三時間で戻る」と伝えてSUVの運転席へと乗り込んだ――。


 ケイトリンのママがいる病院の街も、首都カブールほどではないけどそれなりに賑わっていた。武装した兵士もまばらで、食べ物や雑貨などの売り物を広げている者たちの方が目立つ。女性や子供たちを見かける機会も多かった。


「着いたよ。正面は見張りがいるね。裏から入るかい?」

「別に悪いことしてるわけじゃないし、正面から行ってもいいと思うけど」

「まぁ、そうだね。んじゃ、正面から行こうか……おいおい、せめてヒジャブを」

「そうだったわ。仕方がないわねぇ」


 入国した格好のままで車から出ようとしたケイトリンを制し、とりあえずブロンドの髪と白い肌をシルクの赤い布で覆わせた。可愛い花柄のデザインで留め具にブローチまで付けちゃってる洒落た布だから目立つ目立つ。でもまぁ、何もしないで素顔を晒し歩くよりはマシだろう。

 入口で簡単な審査みたいなものを受けるも、中へはすんなりと入れてくれた。彼女のママは元気だった。精神疾患と聞いてるが、そういった様子も見られない。アメリカへ行き一緒に暮らそうと説得を続けた結果、ママも一人で入院生活を続けるのは寂しいという本音も聞き出せたところで、予定通り退院させて連れ出す運びとなった。

 説得の最中、僕は彼女たちの会話を聞いているだけだった。ふと「パパの話題が無いけど、いるのかな?」と疑問に思ったが、依頼人に対して深く色々と聞き出すのはよろしくない。何らかの事情で別れてしまったんだろうと勝手に推測した。


「なんとか、予定の時間内に空港へ戻れそうだね」

「ほんと、順調にここまでこれて良かったわ。平ちゃんのおかげよ。帰国したら、報酬とは別で、たっぷりとお礼もしなくちゃいけないわね」

「報酬だけで十分だよ」

「イ・ヤ・よ! 私が十分じゃないの! もう一度、満足させてくれなくっちゃ」


 ママが出発の支度をしている間に、顔を覆っていたヒジャブを解き僕の唇を奪おうとするケイトリン。拒否する理由も無いので、しばらく舌を這わせ合っていると、遠くで何かが爆発する音が聞こえた。驚く彼女を抱き締め、周りを見渡してから改めてヒジャブの習わしに従ってもらう。ちょうど、ママも支度を終えたところだった。


 僕たちは来た通路を戻り、審査を受けた入口で見張りの男と挨拶を交わしSUVのある方へと向かった。前方から、クマのぬいぐるみを持った少女がやって来るのが見える。貧しい家庭の出なのか、服も髪も肌も汚れが目立っていた。それでも、クマのぬいぐるみをギュっと両手で抱いて嬉しそうに歩いていた。迷いも無く、真っ直ぐ病院へと向かっている……何となくだけど、違和感があった。

 何だろう? どこがおかしいんだろう? 僕は歩く速度を落として少女の方を振り向いた。ケイトリンまで「平ちゃん。あの子、なんか変だね」といぶかしんでいる。リスク回避で彼女とママを先にSUVへと行かせ、精神を集中させながら病院へ向かう少女の背中を凝視した。


「ビジョン……モードセブン」


 満子から授かったチートスキル「ビジョン」を発動させた。モードセブンは、遠くのものを検知するもの……このという意味が、僕の想像を遥かに超えていた。ただ遠くのものを見ることができるだけではなかった。放射線や超音波など、対象物に応じ種類を自動で切り替えて非破壊検査(検査の対象物の形状や機能を損なうことなく、その内部や表面にある欠陥の有無や劣化などを検出する検査のこと)をしてくれる能力も持ち合わせていたのだ。

 集中すべきは……少女の持つぬいぐるみ。お世辞にも清潔とは言えない少女には、ちょっと似つかわしくないほどフワフワで綺麗なものだった。ビジョンの発動で、視界に広がっていた景色に解析データの数値やグラフが映し出される。ぬいぐるみの輪郭が濃いグレーで縁取られ、表面の色が透けだし中身の状態があらわになった。


「マジかよ……なんで、あんなの持ってんだ?」


 ぬいぐるみの心臓部分に四角い物体が見えていた。端にコードが繋がれ、その先の複雑な装置へと伸びている。ミスマッチな少女とぬいぐるみ、そしてアフガニスタンというお国柄を加味して考えると、僕が見た四角い物体は爆弾ではないかという推測が浮かんだ。

 ケイトリンのママも連れ出したので、あの病院には未練も何も無いけど、あそこにはまだ多くの患者が入院している。しかも、争乱というものに無縁の者やドンパチに巻き込まれて負傷した者がほとんどだ。

 依頼も報酬も無いものに安請け合いするつもりは無い……と意地を張りたいところだが、今回ばかりは見てしまったものが重すぎる。僕は、咄嗟に「ビジョン・モードワン」と唱えて、少女の抱くぬいぐるみを宙に放り上げた。



 ――あの高さでは、まだ足りない……もっと上空へ、あの雲の上まで……。



 突然、チカっとぬいぐるみが光り灰色の煙が弾けた。遅れて「バーン!」という爆発音が空を裂いていく。病院の方を見れば、入り口を見張っていた武装兵士が慌ててライフルを持ち直し、辺りを警戒し始めた。その姿に驚いた少女は、悲鳴を上げながら僕の方へと走って逃げてきた。

 逃げる姿を狙うように銃口を合わせようとする武装兵士。パニックを起こしているのだろう、相手が少女であることも忘れて撃とうとしていた。僕はもう一度「ビジョン・モードワン」と唱えて、ライフルの向きを変えた。乾いた発射音が二発、三発と鳴り響くが、その弾道は兵士の足元を跳ねるばかりだった。

 どの国の言葉にも無いようなことを喚きながら走り寄ってくる少女は、とうとう僕のところまで来てギュッと太腿に抱き着いてしまった。ここでのんびりとしているわけにはいかない状況なので、とりあえず少女を抱き上げてSUVへと乗り込んだ。ケイトリンもママも、僕の行動に驚きを隠せない。そりゃそうだよね――。


 僕たち一行は、無事にポルコのプライベートジェットへ乗り込むことができ、今はアメリカへ向けて海の上を飛んでいる。ママをベッドへ寝かせた後、僕はケイトリンに「この子を綺麗にしてやってくれ」と少女を預けシャワー室へ行かせた。

 しばらくして、二人は楽しそうに笑いながら僕の座るシートへ戻って来た。汚れまみれだった少女は見違えるほど綺麗になり、ボサボサだった髪もケイトリンのセンスで可愛らしく結ばれている。洋服は……驚くほどサイズがピッタリのワンピースに着替えているけど、誰のだろう?


「ポルコさん、ちょうどこの子と同じくらいの娘がいるんだって。機内に着替えがあったから借りちゃった」

「へぇ、それは知らなかったよ。似合うじゃないか、君の名前は?」

「…………」

「ヤスミンって言ってたわ。平ちゃんのこと、ちょっと怖がってるのかしら?」

「そうか、ヤスミン。僕はヘイクローだ」

「……ヘイ、クロー」


 シャワーを浴びている間、パシュトー語(アフガニスタンの公用語)の話せるケイトリンはヤスミンと色々な話をしたらしい。街を歩いていたら、裕福そうなおじさんに新品のぬいぐるみを渡され「あの病院まで持ってってくれ」と頼まれたそうだ。報酬はお金ではなく、持っていけば「天国の両親に会える」と言われたとか。


「両親はいないのかい?」

「そのようね。兄弟も親戚もいなくて、しばらく一人で街を彷徨っていたみたい」

「だから、あんな恰好だったのか」


 ぬいぐるみを渡した裕福そうなおじさんとは初対面だったようだ。しかし、おじさんの方はヤスミンのことを知っていただろう。子供を使ってテロを起こすなんて映画などの世界だけかと思うが、実際にこういった事があるからフィクションでも使われているのかもしれない。しかも、身寄りの無い子供に対して「神が両親に合わせてくれる」なんて言うとは、純粋な心を利用するのも度が過ぎる。

 これをタリバンの仕業と決めつけるわけにはいかない。逆に、タリバンに襲われた市民の報復だってあり得る。やられたらやり返す……争乱の中を過ごす者たちには当たり前の発想だから。ここで言えることは一つ、大人は平気で子供も利用するということだ。


「平ちゃん、もう一つ依頼したいことがあるんだけど……」

「ん? 君が満足するまで相手しろっていうのは無しだよ」

「違うわよっ! それもして欲しいけど……この子、私の養子にできないかな?」


 機を見てアフガンスタンに帰国させても、身寄りが無ければヤスミンは再び大人たちに利用されてしまうのがオチだ。それならば、ケイトリンが親代わりになって夢を持たせてあげたいと言うのだ。

 さすがは養子縁組制度の充実しているアメリカだ。僕たちの発想には無いものをケイトリンも持っている。まだ若いし独身だし、これからは母親のケアもしていかなければならないのに、なんともバイタリティの溢れる人じゃないか。その本気度に、僕も全力で協力しよう……知り合いに詳しい奴がいるから、まずはそこからだな。


「オーケー。その依頼も、安請け合いするぜっ!」

「わぁっ! ありがとう! ヤスミン、この人が新しいパパだよ!」

「ちょっ、それは冗談に聞こえないぞっ! ヤスミン、僕はオジサンってやつだ」

「ふふっ。彼女に私たちの言葉はわからないわよ」


 わからんぞ! なんとなくだけど、ヤスミンの僕を見る目が変わっている。とりあえずは、ヤスミンが今までとは違う生活に早く慣れてくれることを願う。僕は少女の頭を優しく撫でて「幸せになれよ」と独り言ちた――。

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