新恋人 向野亜以ちゃん

 普段は気にしていなかったものへ目を向けてみると、想像とは違ったものを見せつけられることがしばしばある。環境問題が叫ばれる中、各関係者が知恵を絞って改善へと取り組んでいても、なかなか思い通りに事が運ばないってこともあるようだ。

 僕は今、近所の河川で執り行われている「皆野川をキレイにしよう!」キャンペーンに参加していた。元々は今回の依頼者である男性(55歳・会社役員)が参加し続けているものだけど、重度のギックリ腰をやらかして急遽『何でも屋の平ちゃん』のサイトを見つけ代行を依頼してきたものだった。たまには、刺激の少ない依頼を安請け合いするのも悪くない。会社役員だけあって、報酬も羽振りがいいしね。

 それにしても、なんだこのゴミの山は? 交通量の多い道路と並行して流れている河川だからなのか、缶やペットボトルの類ばかりでなくコンビニのビニール袋に詰め込まれたゴミ類まで不法投棄されている。手渡された大きめの回収袋が、あっという間にパンパンとなってしまった。


「わぁ! すごいですね、もうこんなにパンパンになって!」

「いやぁ、僕も驚きました。気付いたら、こんな状態になってましたよ」

「私に任せて下さい! コレ、すぐに処理しますから」

「ありがとうございます。では、お願いします」


 キャンペーンの参加者たちから「アイちゃん」と親しまれている向野亜以むかいのあいさん(推定年齢35歳)が、僕の回収袋に手をかけて交換を持ちかけてきた。溌溂はつらつとした笑顔が素敵なショートボブの似合う人で、普段はかけてないけど眼鏡も似合う美人さんだ。僕はこっそり「ビジョン・モードシックス」を発動させて、回収袋の交換のタイミングで色々な眼鏡を彼女にかけてもらっている。こっそりというのは、二人だけの秘密とかそういうものではなく、僕が一方的に眼鏡を顕現させて装着させているだけだ。この「モードシックス」ってやつ……対象物に向かって好みの眼鏡をイメージすれば、その相手の目の周りにピッタリと眼鏡が顕現するというバーチャルフィット機能も備わっていた。もちろん、リアルな装着感は本人に無い。ちょうど会話を交わしていた時は、少し厚みのある赤い縁の眼鏡をかけてもらっていた。


 向野さんは、僕のゴミを拾う働きに好感を持ってくれた。代行で参加していることを告げると「あの人とは大違いですよ。いっつも作業をサボって、私の胸ばかり見てるんですから」と腕を組んでプンスカと依頼人をこき下ろす彼女。確かに……見続けていたくなる胸だった。腕を組む姿からはみ出る二つのスイカップは、男なら一度は手を伸ばしてみたくなるだろう。


「これからは、ずっとあの人の代わりに来て欲しいくらいです」

「あはは! それは光栄ですね。代行と言わず、正規に登録しようかな」

「是非、そうして下さい! 後で、申込書を持ってきますね。もちろん強制じゃないですから……一度、目を通してもらえるだけでもお願いします!」


 さらに話を聞けば、向野さんはキャンペーンの主催者側の人だった。本業はネイルサロンを独立して営んでいるようで、休みの日に清掃活動へ参加し気分転換をしているという。自営業だけにフットワークは軽く、このキャンペーンを主催している代表が不在の時は代行も務めているらしい。同じ気質のせいか、お互いの相性は良さそうに思える。赤い縁の眼鏡の奥がキラリと光って「実は、恋人探しもしてるんですよ」とか付け加えてくれちゃうし……清掃の参加者募集よりも、恋人募集の方に乗っかろうかしら?


 そんなこんなで、その後も僕と向野さんは川の清掃という建前を使い、少しずつ互いの距離を縮めていった。何回目の参加だっただろう……回収袋を満杯にした僕に向かって「今日もパンパンですね」という彼女に対し「えぇ、もう我慢できません」と応えてしまったこともあった。確かこの時は、割と大きめなレンズを使ったフチなしタイプを顕現させた日だった。その姿はとてもとても似合っていて、色々な意味で辛抱堪らんかった。僕は思い切って彼女を食事に誘い……それ以降、自然の成り行きに任せて僕たちは恋人同士となった。

 願望(恋人を見つける)が満たされたからと言って、川の清掃キャンペーンを辞めるような僕たちではない。付き合っていることを皆に隠すこともなく、程よいイチャラブ感で清掃に励んでいた。彼女の胸を盗み見る男連中は後を絶たなかったけど、それはそれで「さすがは自慢の彼女だ」という度量を示していた。二人きりの時は、僕だけのスイカップだしね。


 付き合い始めてから気づいたんだけど、向野さん(今後は亜以ちゃんと呼ぶ)は非常に床上手だった。実技が巧いだけではない、おっぱじめる前の「やる気スイッチ」を押す言葉使いからして巧みだった。おまけにスイカップを主張する悩ましいわがままボディに、サラサラのショートボブとシェフの気まぐれサラダのように日々変化する「モードシックス」の眼鏡。全てが僕の脳内を刺激し、愛おしく、愛さずにはいられない魅力に溢れていた。

 一方、僕は彼女の過去も気になった。この床上手なスキルは、どこで身につけたものだろう? 先天的なものとは思えない。きっと、優秀な調教師が大事に育てたんじゃないかなって邪推までしてしまう。嫉妬しないと言えば嘘になるけど、それ以上に彼女のスキルを底上げしてくれた前任者元カレたちには感謝している。

 僕は知りたい欲望にあらがうことをしなかった。ある日、一戦終えた後のピロートークで、その巧さを褒めながら床上手の秘訣を聞き出してみた。普段なら気軽に何でも応えてくれる彼女でも、この質問はさすがにデリケートだったか……少し暗い表情で「聞いても嫌いにならない?」と問い返してきた。


「嫌いになんかならないよ」

「本当に?」

「もちろんさ。今までの君があって、今の君がいるんだ。僕は君の全てを知りたい」


 弱点でもある耳朶みみたぶを甘噛みすると、彼女の色っぽい吐息が小さく漏れる。僕は耳朶みみたぶからうなじの方へと唇をわせ、サラサラの髪を優しく撫でながら「もう、僕は君の虜だよ」と言葉を続けた。微かに肩を震わせて悦に浸っている彼女の身体全体から甘い香りが漂ってくる……それを逃さないよう、僕は大きく深呼吸して応えを待った。



 ――私ね、前にAVやってたんだ。



 その言葉に僕はビクンと体を強張らせたけど、すぐに何事も無かったように緊張を解いて「そうなの?」と短く返した。想像を超えたカミングアウト……だから床上手なんだねって言うにも言いづらい状況となってしまった。こういう場合、何と切り返せば良いだろうか?

 隠していたものを吐き出すと、人は安堵感に包まれて「さらに聞いて欲しい」モードに突入するものだ。彼女もご多分に漏れず、AV業界でひと稼ぎしていた頃のことを語り始めた。デビューは大学時代で、ちょっとした興味とバイト代にしては高額な報酬に惹かれて始めたようだ。誰もが振り向くほどのスイカップと目鼻立ちの整った容姿も後押しされて、業界では指折りのトップ女優にまでなったという。なんだかんだで事務所からは引退を先延ばしとされ、三十歳を過ぎてようやくネイルサロンの独立開業を理由に足を洗ったと締め括った。

 僕は今までアダルト系のビデオや動画を積極的に見て来なかったから、亜以ちゃんのことを知らなかったけれど、川の清掃キャンペーンに参加している男の何人かはAV女優だった亜以ちゃんを知っていたのだろう。彼らの見る目は、単なるおっぱい星人への憧れとは異質のギラつきがあった。機会あらばとなってになろうと鼻息を荒くしたやからも多かっただろうね。


「なんか……嬉しいよ。亜以ちゃんが僕を選んでくれたことが信じられないや」

「何だろうなぁ、平ちゃんには不思議な魅力があるのよね。特に……目かな」

「……目?」

「うん。とってもキレイな目をしてるのよ。カラコン入れてるんじゃないかっていうくらい、色素が薄い黒目だよね? 自分で確かめたことはない? その目を見てるとね、この人なら信じてもイイんだって思えてくるんだぁ」


 亜以ちゃんがガバっと起き上がって、僕を覗き込むように顔を近づけてきた。「ビジョン・モードシックス」の効果で、今の彼女は勉強の好きそうな太目の黒縁眼鏡をかけている。その奥の瞳からは、嘘偽りの無い愛情と信頼が溢れていた。

 近づいてくる彼女の顔は止まらない……僕たちの唇がピッタリと重なって二人の息と時間が止まる。長い長い口づけに、どちらからともなく「はぁ」と吐息が漏れ、互いに離れた唇を探し求めるように舌を絡め始めた。いつの間にか……僕はまた「やる気スイッチ」を彼女に押されてしまったようだ――。


 次の日、僕は彼女の出演していたAVの作品を検索した。学生もの、女上司もの、温泉旅行もの、団地妻ものなど、あらゆるジャンルで活躍していた。その中の一つに、同級生だった元カレと五年ぶりに再会して愛を貪り合うダブル不倫の作品があった。何故だかわからないけど、パッケージに映る亜以ちゃんの表情が気になったので動画をダウンロードして再生してみた。

 最初は当たり障りのない再会シーンから始まり、同窓会を偽り二人きりで食事をしたところから少しずつ怪しい雰囲気になっていく。互いに現在の結婚生活に対する不満をぶつけ合い、あの頃に「戻ろうか」という彼からのアプローチに押され、二人とも後戻りはできない関係へと展開していく。

 一時間ほど映像が進んだところで、僕は彼女の表情にドキっとした。すっかり心を許した亜以ちゃんが、積極的に彼の体へキスマークをつける二度目の濡れ場。そこで交わした二人の会話がヤケに印象深かったのだ。互いに横になりながら顔を合わせる二人……すると、彼女が悪戯っ子のような笑顔で、彼の胸板から下腹部へジワジワとキスの嵐を浴びせ始める。ついに、亜以ちゃんの舌が彼のファルスへ到達した。

 軽いペロリに体を震わせる彼……すると「だ、旦那さんにも、いつもこんな事をしてるのかい?」と恐る恐る聞き出そうとしていた。このセリフに、僕は妙な違和感を抱いた。おそらく、台本には無いアドリブで発した言葉ではないかと。そして、次に発する亜以ちゃんの返事で違和感が確信へと変わった。



「……そういうところだよ」



 互いが惹かれ合うシーンで、これから濃密な濡れ場が展開されるはずなのに、亜以ちゃんの表情は哀しげでどこか寂しそうだった。しかし、僕が感じた違和感はここで終わり、その後は台本通りであろう熱いベッドシーンが繰り広げられた――。


 さらにAV時代の亜以ちゃんを調べたことで発見したのだが、実は当時の彼女はあの作品に出ていた男優と恋人同士だったらしい。ネットでの情報では色々と憶測が飛び交っているが、色々な要素をまとめてみると二人が別れた原因には性格の不一致があったのだと思われる。気分が盛り上がろうとする時に、余計な一言や気分を害する言葉が、撮影の時でもプライベートでも彼の口から多く出ていたのではないか。最初は我慢できても、嫌なことを言われ続けると体にも拒否反応が出てしまうものだ。

 さらに検索を続けていると、彼は他のAV女優にも手を出していたらしい。出すのは撮影時のファルスだけにすれば良かったのに、よっぽど自信があったのだろう、プライベートでも脈がありそうな女優へガチナンパをしていたようだ。亜以ちゃんという恋人がいながらだ。


 あのシーンで見た亜以ちゃんの表情に、彼に対する全ての想いが込められていたような気がする。彼と別れて……そして引退を迎える日まで、どんな気持ちで業界を引っ張ってきたのかはわからない。でも、僕と恋人同士になった今、これからは彼女を悲しませないよう言葉にも態度にも気を付けなくてならないと思った。仕事の依頼は安請け合いを続けても、性の依頼は安請け合いしてはいけないのだと。

 せっかくダウンロードしたので大事に保存しておこうと思った亜以ちゃんの出演動画だったけど、僕は力強くエンターキーを押して削除した。そして、スマホを立ち上げ彼女へ「今夜も会えるかい?」とメッセージを送った。一分もかからずに「これから予約のお客さんがあるから、終わったら連絡するね」と返事がきた。


 今夜は僕の家に来てもらおう。そして、僕からも満子のことと「ビジョン」のことを話そう。「モードシックス」のチョイスは、やはりフチなしの大振りレンズがいいだろう。いつか、実際にかけてもらいたいという欲望も正直に話さねば――。

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