侵略者 V

 埼玉県秩父地方に位置する長瀞ながとろは、風光明媚という四字熟語が似合う場所だ。

 特に岩畳と呼ばれる結晶片岩が地表に露出した一帯は、薄いパイ生地を何層にも重ねたような景色が広がり、ちょっとした異世界の雰囲気を醸し出している。

 観光の名所としても知られているが、僕たちのいる岩畳はそのスポットから更に奥へ進んだ獣ばかりが棲まう所だった。耳を澄ませば川のせせらぐ音しか聞こえず、鳥の鳴く声すらマイナスイオンにかき消されているのではないかと思うくらい神秘的な世界。呼ぼうと試みれば、宇宙人までこの地に降り立ってくれそうだ。僕は岩畳の上で仁王立ちになり、両手を天に振り上げた。


「平ちゃん、何してるの?」

「ん? あぁ、こうしたら依頼人が現れるんじゃないかと思ってね」


 最近パートナー契約を結んだ満子も、僕にならって両手を上げ始めた。まぁ、こんなことをしても呼ばれて飛び出てくることはないだろうけどね。それでも僕は、人生で三度目のレアな出会いに期待を弾ませていた。今日の依頼人は地球外知的生命体なのだ。


 初の未知との遭遇は「G」と名乗る男だった。地球外知的生命体に男女の性別があるのかどうかと問われれば疑問だが、その身なりは男と呼ぶに相応しい風貌だった。四角い顔に吊り上がった目、肌は浅黒く口は左右に大きく広がり笑うと怒っているような見た目だった。人間との違いを言うならば、頭頂部に触角のようなものが二本伸びていたところだろうか。

 彼は地球に蔓延はびこる同胞(そいつはゴキブリ族第六銀河系師団の長だと言っていた)の実態調査を手伝って欲しいという依頼をしてきた。世界には約四千種、生息する総数は一兆五千億匹とも言われている奴らを、どうやって調査するのだろうと興味と恐れの半々で請け負ったものだが、僕が担当するのは日本国内で生息する五十種あまりで「大丈夫だ」と言われた。日本古来の種族に、どれだけの外来種が入り込んで雑交配されているのかを知れれば良いと言われた。

 その男から渡された「Gパット」と呼ばれる端末のおかげで、思っていたよりは苦労せずに調査ができたけど、やっぱり地球外規模の依頼を受けるときは慎重に判断しないと体がもたないね。


「どう? 平ちゃんは何か感じる?」

「いや、川の流れと一緒に吹く風が心地良いだけだね。腕を上げ続けているのも楽じゃないな」

「えぇ? おじさーん! しっかりして下さいよぉ!」

「なんだとー!」


 僕は両腕を上げたまま満子の後ろへまわり、同じく両腕を上げ続けている彼女のおっぱいをムギュっとした。癒しの二の腕とは違う感触……もうちょっと揉み続けていたかったけど、急に下ろしてきた彼女のダブルエルボーが僕の両腕を叩き落した。


「ぐはっ!」

「あー、ごっめーん! 大丈夫?」

「お前……わざとだろ?」

「何を言ってるのよぉ。そんなわけないじゃない、ねっ? ほーら、痛いの痛いの飛んでけー!」


 痺れた両腕を片方ずつ撫でながら「飛んでけー!」と僕を子供扱いしてくる満子だったが、これはこれで心がウキウキする。相棒を持つっていいもんだなぁ。今夜も激しく責めて……今日こそ、今日こそは! イかせてやるぜっ!

 パートナー契約を結んだあの日、満子は「ずっとイくのを我慢していた」と言っていた。我慢していたのなら、あれから毎晩毎晩むちゃくちゃしているんだし、イってくれてもいいのにと思うのだが……どうしてか、今もまだ彼女は僕の前でイったことがない。何故だっ!?


「イタイノ、イタイノ、トンデケー。イタイノ、イタイノ、トンデケー」

「どうしたんだよ満子、急にイントネーションが変になって」

「ちょっ、平ちゃん……あの人、何?」

「イタイノ、イタイノ、トンデケー」


 イントネーションの違う声の主は、僕たちの前方……岩畳のさらに奥で流れている川の上にいた。川の上に乗っているという感じではない、浮いていた。咄嗟に腕時計を見た僕は「さすがだな、時間ピッタリだ」と呟いて、満子とのじゃれ合いを止め浮いている人物に挨拶した。


「あんたが依頼人だね?」

「イタイノ、イタイノ……アー、アー、ガーガガー! ピー!」

「な、何? 怖いよ、平ちゃん」

「大丈夫だ」

「アー、アアー……あーいーうーえーおー。テス、テス、チェック、ワンツー! うん、ゴホンっ! お待たせしました。依頼をしたヴィキャンデルです」


 名乗りを上げて、立った姿勢のまま川の上をスゥっと近づいてくる姿は幽霊にも見えるが、しっかりと両脚は見えているしギラついたシルバーの宇宙服(みたいなボディスーツ)を着込んでいる。スラッとした肢体はモデルのようで、小顔な満子よりも顔が小さかった。背丈は八頭身、女性らしいボディラインも迫力がある。そのラインを際立たせるピタっとした宇宙服もエロい。今回の地球外知的生命体は女性といって良いだろう。やった! 初の女性宇宙人だ! しかも僕好みの美人さん! 東欧やアラブの国に住まう顔立ちのはっきりした女性を掛け合わせたような雰囲気と言えば、それなりのイメージができるだろうか。肌の色は水色なんだけど。


「はじめまして。何でも屋の平ちゃんと、こっちが……」

「アシスタントの満子です」

「プリモドーナ星から来ました。キュリアン・デル・イーロ・ヴィキャンデル王の第三王妃、ラスパール・プリモ・ダーラ・ヴィキャンデルと申します」

「あのヴィキャンデル家の王妃か」

「平ちゃん、知ってる人なの?」


 僕は横目で「知らん」と満子に告げ、ラスパールに握手を求めた。地球外知的生命体なんて知らないことだらけだが、知ったフリして友好的に接しておけばまず間違い無い。


 ラスパールとの接点は、我がサイト『何でも屋の平ちゃん』のお問い合わせコーナーから始まった。どこでどう調べをつけたのか、僕が設定していたログインパスワードも無視して通信網の裏側からサイトへ入り込んだ形跡があった。おそるべし地球外知的生命体、世間は広いよ。

 彼女はサイトを乗っ取ることも無く、律儀にお問合せコーナーの「Q&A」も網羅してから具体的な問い合わせを文面で寄越してきた。曰く「こちらでは、地球侵略のイロハを教えてくれますのですか?」だった。若干、日本語が変なのは許容範囲としよう。

 地球外知的生命体からの地球侵略に関する問い合わせは、実を言うとこれが初めてではない。二番目に遭遇した「ダダっ子星人」とのコンタクトでも同じ相談を受けたことがある。囚人服のような白黒のボーダーデザインを絶妙に着こなしたダダっ子星人は、侵略の初手として地球人を何人か拉致し、ダダっ子星で飼い慣らしてから改めてスパイ要因で地球へ送り込むという壮大なドラマを描いていた。

 そんな企みを僕に相談したのが運の尽きだったといえよう。とりあえずダダっ子星人を刺激しないよう柔軟に対応し、生贄と称して完成させたダッチワイフを六体ほどくれてやった。あれから五年、ダダっ子星人が地球へ戻ってきたという話は聞いていない。きっと、ダッチワイフのに気づき、大量生産して星の民どもに振る舞っているのだろう。


「ラスパール、改めて依頼を確認させてくれ。地球侵略のイロハ……だったな?」

「そうです。我が星では大きな戦いが起こっています。ヴィキャンデル家をはじめとした諸侯たちが、それぞれ派閥を組んで生き死にのしのぎを削っています」

「それと、地球侵略との繋がりがわからないんだけど?」

「我々ヴィキャンデル家は、敵の勢いに押されて滅亡の危機にあります。家中に残された者たちだけでも星から抜け出して、新たな場所で再興を図ろうとしています。その候補地に地球が選ばれました」

「地球人の僕としては穏やかじゃないね。侵略のイロハを教えてやってもいいが、その前にまず条件がある」

「条件? 依頼の報酬とは別のものなのですか?」

「まぁ、そんなところだ。これから僕が言う条件をクリアすることができたら、侵略のイロハでも侵略に必要な武器でも何でも教えようじゃないか」

「ちょっ! 平ちゃん、何言っているの? 気は確か?」


 物騒な会話に取り残されていた満子が、目を覚ましたかのように慌てて僕の腕を引っ張った。気持ちはわかるが、これが『何でも屋の平ちゃん』のやり方だ。良い機会だから、彼女にもアシスタントとしての心得を学んでもらうことにしよう。僕は、引っ張られている腕を払いながら、ラスパールに条件を叩きつけた。


「僕をイかせてみろ」

「……イかす? イかすとは何ですか?」

「ヴィキャンデル家の豊富な知識をもってしても、イかす意味がわからないかい?」

「待って……今、検索しています……ほぅ、イかすとはそういうことですか」

「さすがだな、理解が早いじゃないか」

「平ちゃん?」


 水色の肌をしているラスパールの頬が、ほんのりと染まっているようにも見えた。赤ではなく、地肌の色をさらに濃くしたような藍色に染まっている。地球外知的生命体にも照れるという感情があるんだな……これは好都合だ、イかせるためにはどうすればいいか、もっと具体的に語ってやろう。興奮のあまり、地球侵略の意欲よりも地球人を相手にする性欲の方がまさってくるかもしれない。僕が逆にイかせてやるぜ、ラスパール!


「地球人をイかせるにはだな……」

「待って!」

「ん? どうした、満子? 今いいところなんだから……ぐぇっ!」


 突然、満子が割り込みラスパールの前に立ちはだかった。条件を出そうとしていた僕の首根っこを掴み、そのまま声が出せないよう喉仏を圧迫してくる。


「私が先よ」

「…………?」

「私をイかせることができたら、平ちゃんをイかせなさい。こういう時は、ボスの前にアシスタントが手合わせするのが戦いのテンプレよ」

「なるほど、面白いですね。イかせることの意味を知った今なら、あなたをイかせることなど容易たやすいもの。泣きわめいても止めませんよ」

「やってごらんなさい! 地球人の底力を見せてあげるわ」

「ぐっ、ゴホッ! ごほっごほ! こらっ! 満子、勝手なことを……ぐはっ!」


 ラスパールの指から放たれた光の糸が、僕の体をグルグルに縛っていく。あっという間に身動きがとれなくなり、やむを得ずアリーナ席で満子とラスパールの百合試合を観戦する羽目となってしまった――。


 ぐったりと力尽きたラスパールに合わせ、僕の体に巻き付いていた光の糸が自然と解けていく。結果は満子の圧勝だった。さすがはだ、それだけではない。イかせるすべも超一流だった。自由の身となった僕は、ゆっくりと立ち上がって二人の近くへと寄った。


「満子、お手柄だな。今日はお前が地球を救ったんだ」

「あら、嬉しいわ。じゃあ、ご褒美くれる?」

「事前にラスパールから受け取った報酬(大粒のダイヤモンドに匹敵する鉱石)もあるけど、それじゃあ足りないか?」

「えぇ、足りないわ。この人じゃあ全然イけない。我慢する必要すらなかったわ」

「そ、そうなのか……でも、それとご褒美と、何が関係しているんだい?」

「もぅっ! 鈍い人ね。それとも、私をイかせる焦らし戦法なの?」


 力なく横たわっているラスパールにとどめの蹴りを放った満子は、力強く僕に抱き着いて試合の続きを申し込んできた。僕と満子と気を失ったラスパール、他に誰もいない長瀞の岩畳の上は天然のベッドと化し、満子の歓喜の声は悠久に流れ続ける川の音でかき消されていた――。




一ヶ月後。


「ねぇ……あのラスパールって人、また地球にくるかな?」

「うーん、どうだろうねぇ。身も心もプライドも、回復するには時間がかかりそうだけどね」

「地球を侵略しようだなんて、百年早いわね」

「あはは、そうだね」

「うふふ……平ちゃーん!」

「ぬぉっ! やったなぁ!」


 今日も地球は平和だ。満子の二の腕もいつも通り柔らかい――。

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