貴婦人の子

 広く青い空。広いエメラルドグリーンの海。広くてサラサラの白い砂浜。

 最高の色合いに「こんなビーチがまだあったのか!」とテンションは上がりっぱなしだ。あまり知られていないビーチなのか人の気配は無く、僕と満子だけのプライベートビーチと化している。

 レンタカーで那覇空港から北へと走らせ行き着いたビーチは、県内に数多くある美しい景観よりもえていた。何をもって「えている」かは人それぞれだけど、人の手が加えられていないのビーチが、僕にとっては最高のロケーションだ。

 ここへ来るまでの道は舗装されておらず、駐車場らしき区画も無い。僕たちよりも先に来ていた人が残したわだちを頼りに車を停め、少し歩けばもう異国の海かと見間違えるほどの別世界。優しい波音……心地良い風……時が止まっているような風景は、どこかの無人島にでも来たかのようだった。


「平ちゃん、見て! お墓みたいなのがあるよ」

「どれ? あぁ、祠みたいなものまであるね。お供え物もあるから、全く人が寄り付かない場所ではないんだな」

赤墓あかはかって書いてあるね。色は普通に石っぽい灰色だけど、赤ってどういう意味なんだろ?」

「そうだねぇ……」


 こうなってくると、いつもの癖でスマホ検索をしてしまうが、今回は仕事ではなく日頃のガヤガヤした感覚を忘れるために沖縄へ来たようなものなので、スマホは持参していない。こんな美しい景色の写真も撮らないのかって? いやいや、スマホは便利な代物だけど、こういう感動的な景色は心と脳に焼き付けておくものだよ。


「平ちゃん、スマホ持ってくれば良かったって後悔してる?」

「まさかぁ。言い出しっぺの僕が後悔してどうするのさ。今回の沖縄旅行は、満子と二人っきりで過ごすのが目的だし」

「うふふ、嬉しいけど……いつも一緒にいるじゃない?」

「ま、そうなんだけどね。海に入るかい?」


 波打ち際へ向かう途中で素足になり、二人して砂浜を走った。フラットでサラサラの砂質は、どんなに力強く大地を踏みつけても痛くない。僕は誰もいないことを再確認して、着ていたものを全て脱ぎ捨てた。満子が「やだー! えっちー!」とか叫んでたけど、僕の裸体に興奮してか同じようにスッポンポンになって海の中へ飛び込んでいった。

 僕も後を追って海の中へと潜り込む……遠目では濃いエメラルドグリーンに輝いていた海も、こうして近くで見ると足のつま先が見えるほどの透明感だった。


「平ちゃん、あそこの岩場まで行ってみようよ!」

「このままの恰好でかい? 誰かに見られたらマズいんじゃないか」

「大丈夫よ! 私の目は視力検査でも測れないほど良いって言われてるのよ。あっちの沖の方には地元の人が乗る釣り船があるけど、岩場の方には誰もいないわ」

「マジか? 満子はマサイの血も引いてるのかい?」

「マサイって何? よくわからないけど、目が良いのは保証するわ」


 満子が先頭に立って岩場へとパシャパシャ泳いで行く。泳ぐとは言っても僕たちの居る辺りは足も余裕で届く浅瀬だし、服を脱ぎ捨てた砂浜から右手に沿って進むだけなので溺れるような心配は無かった。目標としていた大きな岩の塊が、次第にその全貌をあらわにし視界を占拠していく。上の方は海に突き出た感じだけど、下は天然のテントのようにえぐれていた。波の侵食で形を変えていく琉球の石灰岩……素晴らしいフォルムだ、悠久の刻とロマンを感じる。


「近くで見ると、凄い大きいわね」

「そうだなぁ。えぐれたところを上手く利用すれば、ちょっとした休憩所にもなりそうだ」

「ちょうど二人とも裸だし、あの岩場でする?」

「ばっ、バカ言うなよ! そりゃあ休憩したいけど、砂と潮水で粘膜が傷ついちゃうからダメだよ。宿に戻ったら激しく休憩しよう」

「そんな真面目な性教育番組みたいなこと言っちゃってぇ。平ちゃんのだって、近くで見なくても凄い大きくなってるじゃない」

「しょっ、しょうがないだろ! これは満子のせいだからなっ!」

「うふふ」


 海から出て、肩を寄せ合いながら「うふふ! あはは!」と岩場へ向かう途中で、僕は奇妙なうめき声を聞いた。最初は海鳥の鳴き声かとも思っていたけど、よくよく耳を澄ませば「た~しゅ~け~てぇ~」と日本語のようなイントネーションが聞こえてくる。満子もその声に気づいたのか、眉間に皺を寄せて声のする方を睨みだした。


「誰かいるわ!」

「そのようだね。ずいぶんと子供っぽい声だけど、助けを求めているみたいだな」

「ミツコビジョン、モードセブン!」

「満子?」


 変な呪文を唱えた満子は、眉間の皺をさらに寄せて眼光を鋭くした。これが人間にできる顔の動きなのかと思うくらい、満子の端正な顔が歪んでいく。恐る恐る彼女の目を覗き込んでみれば、なんと黒目の色が赤く光っていた……満子って実は地球外知的生命体なの?

 ミツコビジョンなる探知システムが正常に働いたのか、単なる冗談で変顔をしているだけなのかはわからないけど、声の出どころを探し当てたところで「いたわ、あの岩場の奥……あぁ、可哀想に! 網に引っかかってるじゃない!」とか言って、不意に走り出した。僕も慌てて後を追い駆けた。


 声の主は小さな女の子だった。

 大きな窪みに海水が流れ込んだ岩場の中で、網に絡まったまま身動きがとれず今も助けを求めている。使わなくなった漁師網が流れ着いてしまったのか、魚を捕獲する細かな網目はところどころ千切れ本来の役割を果たせないものとなっているけど、小さな女の子を絡めるには十分な大きさだった。僕と満子は急いで網を解き、女の子を救出した。


「もう大丈夫よ、怖かったわね。一人でここに来たの?」

「うん……おねーしゃん、ありがとう!」

「一人って? お父さんやお母さんは、どうしたんだい? しかも……」


 そう、僕は女の子の姿を見て驚いた。網に絡まっていた時は、解くのに夢中で意識していなかったが、この子も僕ら同様スッポンポンの状態だった。下着も水着も、タオルすら巻いておらず、ここらで迷う前からスッポンポンで行動していたような感じに見て取れる。ここは、裸で遊泳することがデフォルトのビーチなのだろうか?


「平ちゃん、安心したわ。この子を見て欲情しないのね。すっかり隠れちゃって」

「あ、当たり前だろう!」

「ねぇ、君。どこから来たの?」

「んーとねぇ。あっちぃ!」


 女の子は沖の方を指差して「やっぱ、あっちかなぁ?」と左右に腕を動かした。どっちの方角でも答えは沖だった。海を越えて海外から亡命してきたのかな? 


「ここに住んでいる子じゃないんだね?」

「ううん、ここにしゅんでるよ」

「えっとぉ……じゃあ、この近くに小さな島でもあって、そこでお父さんやお母さんが待っているのかな?」

「おとうしゃんは、あっちの岩場でゴミ拾い。おかあしゃんは、海で珊瑚しゃんごを洗ってるよ。あたしもお手伝いしてるのー!」


 家族で海を綺麗にする運動をしているのだろうか? とても素晴らしい取り組みだけど、こんな小さい子を放って清掃に耽っているのはいただけないな。しかも、スッポンポンのままで自由にさせてたら色々な意味で危ないじゃないか。僕がロリコンだったら大変なことになってるぞ。


「おにーしゃんも、おねーしゃんも、一緒にやろうよ!」

「一緒に? って何をやるんだい?」

「これこれっ! あたしだけじゃ大きくて持てないよー!」


 そう言って、さっきまで格闘中だった漁師網を持ち上げた。これで本格的に縛って欲しいのだろうか? だとしても、ちょっと年齢的にやりきれないなぁ。満子を網で縛るなら話は別だけどね。


「ねぇ、平ちゃん。この子、ジュゴンじゃない?」

「はぁ? ジュゴン!? って急だな、おいっ」

「私ね、聞いたことあるんだ。ジュゴンって、人の姿に変身して海に捨てられたゴミを回収したり、汚れた珊瑚を綺麗に補修しているんだって」

「それは初耳だな。ジュゴンは人の姿に近く、人魚の伝説にもなっているという話なら知っているけど……」

「私たちも裸だから、仲間だと思ってるんじゃないかな」

「それで、この子もスッポンポンなのか? 凄い発見だな」


 地球外知的生命体ならだいぶ見慣れてきたけど、裸族に化けたジュゴンを見たのは初めてだ。この美しいビーチを維持させていく裏側には、ジュゴンたちのたゆまぬ活動があったんだね。本当に世間は広い!


「本来なら、正式な依頼が欲しいところなんだけどなぁ」

「平ちゃん?」

「しょうがない……君のお誘い、安請け合いするぜ!」

「わぁー! ありがとー!」


 こうして僕と満子は、岩場の周りに捨てられたゴミを拾う作業に没頭した。ここに来た当初は「なんて美しいビーチなんだ!」と感動していたけど、よくよく周りを見渡せば想像以上のゴミが捨てられていた。大きいものは使用済みの漁師網からパンクしたタイヤ、小さいものは使用済みのコンドームからペットボトルまで、様々なゴミを拾うことができた。

 これらのゴミは、大きな袋にまとめて『赤墓』と書かれた祠の前に置いておくと、次の日には跡形も無く「消えているのー!」と女の子が嬉しそうに言っていた。


 一通りの作業を済ませ、女の子が「待たねー!」と手を振って海へと入水していく様子を見届けた僕たちは、しばらくの間ボーっと日の暮れる砂浜を見つめていた。真っ赤な夕陽が水平線へ沈んでいく姿は、なんとも感動的で感慨深い。


「この綺麗な景色、ずっと残しておきたいね」

「そうだね。僕たちにできることは、ゴミを拾うだけじゃない。捨てる時は然るべきところに捨てるという意識を持つことも大事だね。この旅行から帰ったら、もっとゴミの分別も細かくしなくちゃいけないなぁ」

「今日の平ちゃん、カッコ良かったよ。安請け合いするぜって言った時は感動しちゃった。安請け合いって、ああいう時に使う言葉じゃないのに……」

「伊達に何でも屋を称しているわけじゃないよ。何でも安請け合いするのが、俺の商売スタイルだ。たとえ結果が伴わなくてもね」

「大丈夫よ。私がしっかりアシストしてあげるわ!」


 美しいサンセットを背に、僕は満子に優しく口づけた。日が沈み切るまで……その口づけを止めることはしなかった。つつき合うような仕草から、次第に舌を絡ませて息もできないほど激しく貪り合う。遠くでジュゴンの家族が「ありがとう」と言う声が聞こえたような気がした――。


「そろそろ宿に戻ろうか。砂浜に脱ぎ捨てた服もゴミと一緒に捨てちゃったのは、ちょっと勿体なかったかね?」

「しょうがないよ。私たち、あの時はジュゴンだったもん」

「そうだよな……そういえば、あの子を見つけた時に言ってたミツコビジョンっていうのは何だい? もしかしたら、満子って人間じゃあ……」

「だったらどうする?」

「えっ?」

「私は、平ちゃんが人間じゃなくても平気よ。ずっと愛せるわ」

「……満子」

「うふふ! なーんてね。私は人間よ、宇宙人でもジュゴンでもないわ。ちょっと目が良いだけよ。さっ、戻りましょっ! さすがの沖縄も、夜になると肌寒いわ」


 この沖縄旅は、色々と教えられることが多かった。

 満子が人間だろうが人外だろうが、ちゃんと向き合ってこそパートナーだよな。一つ言えることは、彼女は僕にとっての女神だってことだ。今夜も眠らせないぜっ!


 車のトランクに入れてあった替えの服を着て、元来た道を走らせた。街灯の無い夜道で何ヶ所か彷徨ったけど、どうにか街の灯りを頼りに宿へ戻ることができた。あのビーチを再び訪れる機会はあるだろうか……あやかしの中で出会った人魚は、二度と会うことがないと言われている――。

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