イけないM子
少し眠っていたようだ。
見慣れぬ部屋の暗い照明を頼りに手探りでスマホを見つけようとしたが、僕の手は別の柔らかいものに反応していた。ふにふにと大きなマシュマロのような感触が心地良く、しばらくの間ふにふにと揉み続けてみる……目が暗さに順応してきた。ふにふにの正体はM子の二の腕だった。彼女もまた、ぐっすりと眠っている。
スマホを諦め、ベッドの天板の奥へ目を向けた。確かデジタル時計がはめ込まれていたはずだ。これは部屋の照明を調光するスイッチで、こっちは有線の選曲ができるスイッチ……このボタンは何だっけ? 押したら、ベッドが小刻みに震えた。あぁ、そんな機能もあったのか。
時刻は夜の九時を回っていた。そろそろM子を起こしてあげなくては。いくら帰りが遅いからとは言え、こんな時間まで彼氏が返ってくる家を放置させておくわけにはいかない。彼女の悩みを根本的に解決させることができなかったのは残念だが、この依頼は初の不成功ということで報酬をもらうのはやめておこう――。
今回の依頼は実に興味深かった。
M子は性に対する悩みを抱えていた。なにやらイけないらしいのだが……不感症でもないのに、どうやって何をしてもイけないというのがお悩みのようだった。こういうのって、仲の良い者同士の女子トークとかで持ち上がらないのかな? 恋愛経験の少ない僕に悩みを打ち明けられた時は、どうしたらいいのか大いに悩んだ。しかし、受けたからには全力を持って臨むのが『何でも屋』としてのモットーだ。
最初はチャット内だけで悩みを解決しようと思っていた。
実は彼女、本名も名乗ってくれたのだが、依頼内容がアレなだけに取りあえずM子と名付けておく。現在バツイチの三十四歳、妙齢の女盛りだ。子供はおらず、離婚後に付き合い始めた彼氏と同棲している。職業はOL(経理職)で、趣味は休みの日に彼氏と温泉旅行をすることだと語っていた。
チャット機能がついた相談窓口では、任意で顔出しも許可していた。過去の依頼人のほとんどが、顔にモザイクしたりマスク着用でカメラに臨んでいたのだが、M子は最初から素顔を
ちなみに僕は、いつもマスカレードマスク着用で面談しているので、オンライン上では「この人が平ちゃん?」なのかどうかも分からない。正式な依頼を受けて初めて僕の素顔を拝むことができる。実際に顔を合わせた時までマスカレードマスクなんかしてたら、さすがに依頼人も引いてしまうだろうからね。
彼女は初めての男を経験してから、まだ一度もイったことが無いと赤裸々に語り出した。その美貌から発せられる言葉とは思えず、なんだか隠語を使って別の次元の会話をしているのではないかという錯覚すらしてしまう。
しかし、人の容姿とイけるかイけないかは別問題である。イきたくてもイけない女性は意外と多い。原因は様々あるが、大半は精神的なものが原因だろうと僕は考えている。それを説明して理解を得てもらおうかとも思ったが、今回の僕はチャット内でそれを繰り出すことをしなかった。
「一度お会いして、実際に試してみたいのですが良いですか?」
僕はM子の美貌に心を奪われた。本来なら面談によるカウンセリングで十分だったのに、会いたさ重視でホテルへと誘い出した。さもテクニックがある男のように
結果は散々だった。
話の通り、M子は決して不感症ではなかった。むしろ感度は良好だった。触れる僕の手には敏感に身体を震わせ、
僕は焦りを感じ、ムキになって責めた。当たり前のことだが、それは逆効果で彼女の反応も少しずつ薄いものとなった。挙句の果てには、僕が先に果ててしまった。
それでもM子は優しかった。
賢者タイムの中、両手で優しく僕を包み込み「ありがとうございました」と言ってくれた。イけなかったけど、今まで経験したことのない愛され方で嬉しかったと耳元で囁いてくれた。果てた疲労感と、優しい言葉に安堵した僕は、彼女に包まれたまま眠ってしまった――。
二の腕をふにふにされていたことに気づいたのか、彼女は気怠い様子で「うーん」と寝返りを打った。それから数秒……突然ガバっと目を覚ました彼女は「何時っ?」とデジタル時計を見た。もっと早めに起こしてあげたほうが良かったかな?
「はぁ、まだ大丈夫……あ、おはよう平ちゃん」
「お、おう。ゴメン、もっと早くに起こしてあげた方が良かったかい?」
「ううん、大丈夫よ。でも、私の寝姿をずっと見られてたのかと思うと、少し恥ずかしいわ」
「いや、僕もつい寝てしまったんだよ。さっき起きたばかりだ」
「うふふ、寝ちゃったところは知ってるわよ。よっぽど疲れてたのかしら、子供みたいに寝つきが良かったわ」
それはM子に癒されたからだよと言わずに、彼女の髪を撫でながら「つい気を許してしまったよ」と答えた。再び彼女の二の腕を掴み、ふにふにと感触を確かめ「ここを触っていると落ち着くんだ」と付け加えた。
「平ちゃんは、二の腕フェチなのかな?」
「わからない。ただ、君の二の腕は僕の癒しだ。いつまでも揉んでいたい」
「やだ……なんだか感じてきちゃったじゃない。二の腕にも性感帯ってあるのかしらね。だんだん気分がノってきたわ……あぁん、平ちゃん」
もう一戦おっぱじめたら、きっと帰りは午前様になってしまうだろう。僕は
「まず、謝らなければならない。受けた依頼を果たすことができなかった。もちろん報酬は無しで……んぐぐっ!?」
理詰めで説得しようとしたが、彼女の唇が僕の言葉を
「なぁに? 私をイかせてくれないままヤリ逃げする気?」
「なっ! 何を言ってるんだよ。そんなわけないじゃっ! んぐぐぐっ!」
「ぷはぁっ! でもね、イかせてくれなくても幸せな時間だったわ。私もう、平ちゃんが相手してくれないと寂しくなって死んじゃいそう」
「で、でも、君には本命の彼氏だっているじゃないっ! ぬごぉっ!」
止まらないディープキスの嵐に、僕の神経回路はショートした。それから何度果ててしまっただろう……しかしM子は一度もイくことはなかった。彼女は本当に満足しているのだろうか? こうなってくると、彼女がイけないのは僕の方に欠陥があるのかもしれないと思えてくる。
戦闘と休憩を繰り返した僕たちは、とうとう朝日を一緒に浴びることとなってしまった。一晩で互いの快楽のツボを心得た僕たち……と言いたいところだが、快楽のツボを完璧に抑えることができたのはM子だけかもしれない。僕だってそれなりに彼女が喜ぶツボとコツを掴めたはずなんだ。しかし、何度トライしても彼女はイかなかった。
プチ、プチっと僕の胸毛を一本ずつ摘まんでは引き抜いているM子。不意に「お願いがあるの」と言い出した。僕のライフワークである『何でも屋の平ちゃん』を手伝いたい、アシスタントにして欲しい……と。
「僕はずっと一人で全てを請け負ってきたんだ。今さらパートナーを作って一緒にやるなんて考えられないよ」
「でもね、平ちゃん。一人でやるには限界があるはずよ。いつかきっと、一人じゃ解決できない依頼だって出てくると思うな」
「まぁ、確かに……今回も君の依頼を果たすことができなかったが」
「うふふ」
「…………?」
「本当のことを言うとね、ずっとイくのを我慢してたんだ。イったら負けだって思いながら、ずっと平ちゃんの責めを受けていたのよ。私の話を有利に進めるためにね」
「何それ? どういうこと?」
僕はベッドから半身起き上がってM子を見下ろした。彼女は
「イきたくてもイけない悩みなんて、平ちゃんに持ち掛けるような内容じゃないでしょう? そんなの気持ちの問題なんだから」
「うっ……ご存じでしたか、ははは」
「まぁ、すぐにイけるような感度なんて持ってないけどね。でも、これだけは言わせてね。今の彼氏なんかよりも、平ちゃんの方がずっとイけるわ」
悪い気分じゃない。むしろ「勝った!」と心の中で叫んだ。誰かと争っていたわけではないが「あなたのほうがずっとイける」と言われれば、男として冥利に尽きる。
「じゃあ、今までずっと演技してきたってことかい?」
「演技とは違うわ。我慢していたのよ。すっごい大変だったんだからね。どれだけイかされそうになったことか、数えきれないわ」
「ふっ、君はイけない人じゃなくてイケナイ人だ。一本取られたよ。僕のアシストをしてくれるのはありがたいが、この仕事は荒稼ぎができないぞ。時には報酬が貰えない場合もある。もちろん、君への給料も不安定だ。それでもやるのかい?」
「私はね、お金に興味が無いの。でも、生きていく程度の収入は別で稼ぐから心配しないで。私はただ好きなことをしたいだけ……そこに平ちゃんが居れば幸せだわ」
「満子さん……」
「さんなんて嫌! 男らしく呼び捨てて」
さっきまでの激しいキスとは一転、喜びを分かち合う優しいキスで僕たちは新たなパートナーとなった。『何でも屋の平ちゃん』は、明日からリニューアルオープンの予定としよう――。
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