タイムコンシェルジュ 刻之丞

 見慣れた駅を降り、年季の入った商店街を進む。昼間だというのに、シャッターが下りている店ばかり軒を連ねているのを見ると心苦しい。昔は活気があったであろうこの町も、若者の流出と高齢化のダブルパンチで商店街全体の老朽化が急速に進んでいるように見えた。

 しばらく進むと、ポツリと営業している店が見えてきた。入口の上部には「タイムコンシェルジュ:刻之丞ときのじょう」と記されたファザードに、懐中時計を象った吊り看板があった。僕は引き戸をガラリと開け、顔だけ店の中に入れて「ごめんくださーい」と叫んだ。今回の依頼人は、この時計店の主だ。


「はーい! あ、何でも屋のかたですか? お待ちしておりました」

「あなたが依頼人の刻子ときこさんですね。ご依頼、ありがとうございます」


 古めかしい時計店には不釣り合いな彼女。

 黒で統一された地味な服装だが、胸元を大胆に開けたVネックのニットにサテン素材のフレアスカートで、メリハリのあるシルエットを生んでいる。黒いタイツをはかずに、さり気なく素足を見せているところも素敵だ。要所要所で肌感を出すことで、黒を軽やかに女らしく着こなしているところを見ると、彼女は出版業界の人だろう。しかも、ミドルエイジ向けの女性ファッション誌。ついでに言えばだ。


「事前に伺っていた内容では、閉店前のイベントを組みたいということでしたが?」

「はい。この店は、祖父がずっと続けてきたのですが……先日、病で倒れてしまいまして。後を継ぐ者もいないので、店を閉めようということになりました。ただ、私も家族も店の運営などやったことがなくて……」

「そこで僕の出番ということですね」

「はい。店のことで困ったことが出たら、あなたを頼りなさいと」


 まったく、困った爺さんだ。まぁ、僕もご無沙汰していたからなぁ。

 持っている懐中時計が現役として動いていた頃は、定期的に爺さんへ渡してメンテナンスをしてもらっていたけど、仕事中に壊してしまってからは催眠術用の小道具としてしか使わなくなってしまった。頑固で口煩くちうるさかった爺さんが病に倒れ、店も閉店を余儀なくされる状況になるとは思いもよらなかったよ。これも、僕が不義理をし続けてしまったせいかもしれないと思うと心が痛む。


 刻之丞ときのじょうさんは、凄腕の時計修理技能士だった。国家資格を有してなかったが、その知識と技術は独学ならではの自己解釈を含め、有資格者の職人からも認められつ愛されていた。

 気が向けば、海外のメーカー元へ預けなければ直らないような高級時計まで修理してくれる神対応。国内では手に入らない材料があると、僕を介して調達していた。言わば、何でも屋とモグリな修理技能士のってやつだった。まぁ、医者じゃないので、資格が無くても時計は直せるけど。


「でも、なんだか惜しいですね。凄腕の修理屋が店と共に消えてしまうのは」

「凄腕って……祖父は、そんなに凄い人だったのですか?」

「伝説ですよ。古過ぎて修理パーツが存在しないものでも、じゃあ自分で作ればいいだろうって言うような人です。実際に、手作りのパーツで修理もしてましたし。他にも、綺麗な貝でこしらえた文字盤にヒビが入ったやつなんかも、どこかから似たような貝を拾ってきては加工して入れ替えたりしてました」

「まぁ! そうなのですね!」


 その貝を「どこかから拾ってきた」人物は僕です……という裏話は隠しておく。報酬は少なかったが、僕と爺さんの付き合いは長かった。半年前くらいから依頼が無いなぁと思っていたら、こんなことになっていたとは……寄る年波には敵わないね。


「では、閉店までの段取りを考えますので、しばらく店の中を見せてもらってもいいですか? 一時間くらいで終わりますので」

「どうぞ、どうぞ。あ、これ……今回の報酬です。祖父から預かったものですけど足りますか?」

「ありがとうございます。では、考えがまとまったら呼びますね」


 ズシリと重く分厚い茶封筒を受け取り、中身をチラっと確認して懐へしまう。

 眼福な刻子ときこさんの姿を眺めながら考えを巡らしたかったけど、ここは大人しく「一人で考える時間をくれ」とうそぶいて我慢しよう。店から去っていく後ろ姿も美しいじゃないか。素足ならではの絶妙な足首のくびれが色っぽい。キュッと締まったアキレス腱の太さも絶妙だよ。


 さて、一人になったところで、僕は腕を組んで店内を見回した。修理専門の店とはいえ、販売用の時計もいくつか並んでいた。国内から海外にかけて、有名どころの時計がショーケースに並んでいる。しかし、よくよく見れば全てが中古品だった。質の良い時計を古物市場などで仕入れては、オーバーホールして再販していたんだろう。こういう気持ちの入った中古品は、セールと称して安売りしづらい。

 爺さんの定位置だった作業場の方へ目を向ける。壁にはぎっしりと専用の工具がぶら下がり、腰高くらいのところに設置された棚には細かい部品の入った小さな引き出しがズラリと並んでいた。台の上では、一本の小さなドライバーが主の帰りを待っているかのように転がっていた。

 腕時計から大きな古時計まで、爺さんの手に掛かれば、どんなに壊れかけていても数日後には直っていた。口コミで広がった伝説の修理技能士……無理難題も快く引き受け、気持ちが大切だと語っていた爺さんの理念は、僕が営む『何でも屋の平ちゃん』にも大きな影響を受けている。そんな魔法の手をサポートしていた作業台へ近寄り、その下に取り付けられてあった薄い横長の引き出しを開けてみた。中には腕時計の革バンドが整然と並んでいた。


「やっぱり、閉店させるのは勿体もったいないよなぁ」


 スゥっと引き出しを閉め、改めて店内を奥まで見渡してみる。本来なら、どんな形であれ「閉店に向けてのイベント」を成功させなければならない依頼なのだが、今日の僕は爺さんの理念に背きたくなっていた。

 ふと、壁に掛かっていた絵に目が向いた。ブラックタキシードを着た細身のおっさんがシルクハットを手にして「ようこそ」とアピールしている。その横にはポップな字体で『タイムコンシェルジュ:刻之丞ときのじょう』と描かれてあった。


刻の案内人タイムコンシェルジュ……か」


 何かの弾みで、この店のときそのものが戻ってくれればいいのに……そうすれば、爺さんが倒れない未来を書き換えることもできるんじゃないか? そんな事を想像しながら、この店で一番大きなアンティークの振り子時計の前に立った。

 振り子の入ったガラス扉を開け、中を覗いた。振り子の下に、鍵のようなものが二つ転がっている。拾い上げてジッと見ていると、鍵の持ち手のところに「右」という文字が刻まれていた。もう一つの鍵も拾って同じところを見てみれば、やはり「左」という文字が刻まれていた。

 さらに時計の周りを確認すると、文字盤の少し下のところに二つの穴があるのを見つけた。鍵の大きさともピッタリ一致する。おそらくは、この鍵を使って振り子時計を動かすのだろう。僕は興味本位で二つの鍵を左右の文字に合わせて穴に差し込んでみた。小刻みに手首を返してみると、右の鍵は右回し、左の鍵は左回しでグルリと回りそうだった。ここまできたら回してみよう。


 突然、時計の針が反時計回りに動き出した! 止まることなくグルグルと回り続けている。なんか、ヤバいことでもやらかしたかしら? でも、爺さんは不在だし、もう閉店の予定だから、壊しても文句は言われない……たぶん。

 針はまだ止まらない。グルグルとスピード感を増して回り続けている。ずっと針の動きを見ていたせいか、僕の方が目を回してしまった。グルグル……グルグル……次第に意識が遠のいていく――。


 意識が戻った僕は、何故か店の外にいた。商店街の通路を照らすオレンジ色の夕陽が眩しい。どこの店から放たれているのかわからないけど、魚を焼く香ばしい匂いがしてきた。少し様子がおかしい……シャッターが閉まっていたはずの店が、いくつか営業している。爺さんの店の隣って、肉屋だったんだ。

 僕は気を取り直し、改めて時計屋の引き戸をガラリと開けた。店内には、お客さんらしき男が三人ほどいた。そしてもう一人……作業台の前で「いらっしゃい」と武骨な低い声を投げてきた男がいた。


「じ、爺さん?」

「あぁっ? 俺はまだ五十過ぎたばかりだぞ。ふざけたこと言ってんじゃねーよ」


 こ、怖えぇ! 初めて会った時は八年前くらいだった。その時の威勢の良さを遥かに凌ぐ迫力だった。職人気質のイメージを、そのまま当てはめたような厳つい面影は若さだけ取り戻した感じで変わっていない。彼は紛れもなく刻之丞ときのじょうさんだった。


「なぁ、アメリカのでっかいビルに飛行機が突っ込んだんだって?」

「おぉ! テレビで見たぞ。何かの撮影かと思ったよ。マジ驚いたわ」

「これから日本はどうなっちまうんだ?」

「赤紙とか来たりしてな」

「やめてくれよ。洒落んなんねーじゃん!」

「お前らうるせーぞ! んなもん、時計屋で語るんじゃねぇ! 外でやれや!」

「んなこと言ってもよぉ、その時計が直るの待ってるんだよ」

「だったら静かにしてろ! 気が散るわぃ」


 やっぱり、怖えぇ! 僕が知ってる刻之丞ときのじょうさんより怖えぇ。もっと若い時は、時計じゃなくて爆音を奏でるバイクでもいじってたんじゃないか? 無駄話してたお客さんは「へーいへい」と軽くて、売り物であろう目覚まし時計に手を出し裏側のスイッチをカチカチといじり始めた。きっと、仲の良い常連さんだろう。

 僕もしばらく黙って店内を見回していた。修理を終えた刻之丞ときのじょうさんが「ほらよ、終わったぜ」と、待っていたお客さんに話しかけている。会計も済ませ出て行ったお客さんたちを見送ったら、店内は僕と爺さんだけになっていた。


「あんた、修理に来た感じじゃないな。時計でも買いに来たのかい?」

「あ……いえ。実は、その……」

「ん? お前さん、ライゼンダーか?」

「ライゼンダー……?」

「だな! ちょっと前にも別の奴が来たが、こんな中途半端な時代に戻ってくるなんて変わりもんが増えてるなぁ。何か事件でも……あれか? あいつらも言ってたアメリカのテロ事件ってやつか? そういや、もう一人の俺はどこだい? 何年後の未来から来たんだ?」


 厳つい顔でも、好奇心に満ちた雰囲気が漂っている。色々と聞きたいのは僕の方だけど、彼の言っていることが全く理解できなかった。戸惑っている僕に異変を感じたのか、急に表情を変えて「おいっ! お前、何者だ?」と胸ぐらを掴んできた。


「ちょっ、ちょっと待って下さい! 僕も何が何だか……大きな振り子時計に鍵を入れて回したら、若い頃の刻之丞ときのじょうさんがいて……」

「あぁ? お前が一人でを動かせるわけねーだろ! んだからよ!」


 殴りかかってくる様子は無かったけど、理由も分からず僕が一人でにやって来たことにえらくご立腹だった。

 とりあえず落ち着いてもらって、ここまで来た顛末を語り始めた。爺さんが倒れて店を閉店せざるを得なくなってしまったこと。それを手伝うために、孫の刻子ときこさんの依頼で『何でも屋の平ちゃん』たる僕が店に来たこと。そして、もう少し先の未来の爺さんと取引仲間だったこと。最後に、どう店を片付けようか考えていたら、例の振り子時計に興味を抱いたので色々と触ってみたことを話して締め括った。


「お、俺が……倒れた、だと?」

「はい。詳しい原因は聞いてませんが、入院したことで店が続けられなくなってしまったと言ってました。僕がいた時代は二〇二一年です」

「二十年後か……七十過ぎで倒れるたぁ、俺も働き過ぎかよ。参ったなぁ」

「でも、死んだわけではないですし、治れば復帰ってことも……」

「閉店の手伝いを頼まれたんだろ? 復帰なんかあるかよ」

「す、すいません」

「まぁ、しょうがねぇか。これも運命ってやつだな。しかし、お前さんも一人でよく来れたもんだよ。偶然とはいえ、俺がやってる裏稼業はだから。絶対に未来の俺を連れて来なけりゃダメなやつなんだよ」


 そう言って、爺さんは自分の裏稼業を語り始めた。

 爺さんは過去へ戻れる時計の所有者だった。この時計を使って過去へ戻りたい人を案内するのが裏の仕事。仕事と言うよりは「趣味みたいなもんだよ」と笑っていた。自分の前任者はスイスで修業していた頃の師匠で、面白そうだったから後を継いで振り子時計ごと日本へ持って帰ってきたらしい。

 店名の「タイムコンシェルジュ」にもちゃんと意味があったのだ。ときの案内人として依頼者に寄り添い、勝手に未来を変えないよう監視しながら過去を見物してもらうというのが彼の理念だった。だから、依頼者の選定には念には念を入れて厳しく臨んでいたという。それでも「まぁ、何回かは未来が変わっちまったけどな。わっはっは!」とか言ってたけど……いいのか? ちなみに、世界には爺さんの他にも五つの振り子時計があって、それぞれの管理者がいるらしい。


「まぁでも、二十年後には俺の楽しみが無くなっちまうってことがわかったよ」

「今から体に気を付けて生活すれば、未来も変わるってことはないですか?」

「まぁな。そりゃあ、あるだろうよ。でもな、それをやっちゃあダメなんだ。やってる奴はいるかもしれねーけど、俺はやらねぇ」

「残された時計はどうするんです?」

「時計かぁ……そうだよなぁ」

「ところで……僕は元の時代に戻れるのでしょうか?」

「ん? あぁ、そうか。ここに来たくて来たんじゃないんだもんな。んじゃ、元の時代に戻してやるから、そこに立ちな。年は二〇二一年だったな」


 そう言って僕を作業場の横に立たせた爺さんは、振り子時計の右側に付いているダイヤルのようなものをカチカチと回し始めた。そして、作業着の胸ポケットから鍵を二つ取り出し、時計の文字盤に開いている穴へと差し込む……僕がやってみた動作と同じ要領で鍵を回し針を動かした。今度は時計回りにグルグルと回り出している。


「ありがとうよ。教えてくれて」

「えっ? あ、あれっ?」


 グルグルと回る針を見ていたわけでもないのに、急に視界が真っ白になった。フワリと宙に浮いたのか、僕が眩暈めまいを起こして倒れそうになったのか、なんとも言い難い浮遊感に襲われる。このまま意識も失ってしまうのかと思ったけど、どうにか視界がクリアになるまで耐え切った――。


 またまた爺さんの店の外に出されていた。肉屋のはずだった隣の店は、改めてシャッターが閉まっている。周りの雰囲気も活気が消えていた。残念な光景だけど、これが僕の暮らしている時代……今の商店街の姿だった。

 改めて、爺さんの店の引き戸をガラリと開けた。中から「いらっしゃいませー」と女性の溌溂はつらつとした声が聞こえてくる。出迎えてくれたのは刻子ときこさんだった。


「あれ? 刻子ときこさん?」

「あら、お待ちしてましたわ。今、呼んできますね」


 そう言って店の奥へと引っ込んだ刻子さんは、最初に見た姿とは別人だった。黒で統一したシックな彼女はどこへ? 代わりに、白シャツに藍色のオーバーオールという動きやすい服装だった。それはそれで、僕の好みであることは間違いない。どうやら過去の爺さんが、何かしらの未来を変えたようだ。


「よぉ、待ってたぞ。ちょっとコレ見てくれよ。こんな黒いもん、どこで手に入れればいいのか分かんなくてよぉ」


 爺さんは元気そうだった。二十年前の迫力は無いけど、肌艶は病気とは無縁のようだった。手には見たことも無い黒光りした鉱物を持って、僕にアドバイスを求めている。


「お元気そうですね」

「まぁな、お前さんのおかげだ。あれから、刻子ときこにも少しずつ稼業を覚えてもらってよ。今じゃ、店の看板娘だ。俺はもう引退して、あいつの手に負えないようなモンだけ手伝うことにしてるよ」

「そうでしたか。なんか複雑な気分ですよ。俺はやらねぇ、とか言ってたくせに」

「まぁ、いいじゃねぇか。変わったのは俺と刻子ときこだけだ。わっはっは!」

「その鉱石は、ちょっと地球では手に入らない代物ですね。せっかくなので僕が調達してきましょう。預かってもいいですか?」

「もちろんだ。そのために、お前を呼んだんだからな」


 僕は爺さんから黒い石を受け取り、財布の小銭入れのスペースに入れ「では、一週間後に連絡します」と言って店を出ようとした。すると、爺さんは「待ちな」と呼び止めて作業台の引き出しから何かを取り出し、僕の方に投げつけた。パシっと受け取ったは金色の懐中時計だった。


「報酬だ。俺を助けてくれた……な」

「これは?」

「あの振り子時計と同じもんだ。ただ、一回限りの特注品だからな。必要だと思った時に使うといい」

「一回限り……」

「使い方は簡単だ。蓋を開けて、上のネジを回して年代を設定。それから、ストップウォッチのようにネジを押せ」

「え?」

「簡単だろ。二度も言わせんな」


 もう用は無いと言わんばかりに店の奥へと入っていく爺さん。入れ替わりで刻子ときこさんが再び現れた。にっこりと笑いながら「すいません、お願いします」と言われてしまったら、これ以上の詮索は野暮ってもんだろう。僕は「また来ます」と応えて店を出た。


 そういえば、過去の爺さんが言ってた「ライゼンダー」って何だったんだろう?

 今度、依頼されたものを持ってくる時にでも聞いてみよう――。

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