これは波瀾万丈の現代ドラマではなく。
一人の女性の、三人の子を抱えた母が、過去に実際に体験した物語。
「本当にこんな酷いことが起こりうるの?!」夫の所業がありえな過ぎて。ヒトデナシレベルが、鬼畜、人間とは思えない。そんな夫との結婚生活が綴られています。(肉体的非暴力内容)
妻は、苦難を何度も強いられ、信じる心を粉々に打ち砕かれてなお、どんなに涙で毎日穿とうとも、割れまいと。歯を食いしばり存続させた結婚生活。
12年目にしてとんでもない一撃によりバックリ、巨石が割れたのです。
それは彼女を押し潰していた石だった。
彼女をそこに封印していた石だった。
それでも彼女が頑なに護りつづけた石だった。
そして彼女を閉じ込めていた石が割れ、孫悟空のように新たなる人生の荒波に、三人の子を抱えて挑むのです。(それはまた別のお話)
あとがきには、今カクヨムにて執筆活動のなか垣間見れる、幸せな作者様が笑顔でおられます。
この話を30年経った今、書いていると。
私には、あのとき割れた仕舞い込んだ石を、30年を経て置き並べ、石庭に見立てるかのように。
独り静かに熊手で砂紋を掻き入れるように。
自身が、他者が、眺めることができるように。
本作を書き上げる作者様のお姿を感じました。
(実際実に端的に淡々と、客観的な文体で描かれています)
お子さん達は立派に巣立ち、お孫さん達にも恵まれ。最終話コメント欄には、愛あるお声かけに溢れ。
それはさながら、日向(ひなた)の濡れ縁(寺の雨風にさらされる構造の縁側)に腰をかけ、石庭を眺めながら、多くの人々と笑い語らう作者様が。
読後、出迎えてくれる作品だと思います。
作者さまの実話
馬鹿で滑稽だと、ご自身を評されていますが、とんでもありません
一体どれほど、心に傷を負わされたのか
文章からは計り知れないほどの現実があったかと思います
きっと涙枯れても涙するときがあったのではと想像します
幸せを夢見る一人の女性
数々の苦難に胸がつまされます
それでもなお、あきらめず、大事な家族と生活を守る日々
月日をかけて手にされた幸せが、なんて素晴らしいことでしょう
ここからは乱暴で個人的な感想です
女の人生なんだと思ってるんだ!!!
くずな男なんて(女もですけど)
ぶっちぎってドブに捨ててやる!!!
大変失礼しました
作者様の心の平穏を心底願っております
私はこのエッセイ?を読んで、非常に憤っている!
怒っている!
憤慨している!!
どうして!?
なぜ!?
こんな素敵な人間が騙されなければならない!?
犠牲にならなければならない!?
人生を食い潰されなければならない!?
私は世の中の女性に言いたい!
耳をかっぽじってよく聞け!!
「男は子供だ!例外はない!」
「男はエロい!例外はない!」
「男は座布団だ!尻に敷け!」
※例外はあります
恋愛するとフィルターがかかって美化されることもあるでしょう。この人は違う、そう思いたい気持ちは当然でしょう。
しかし、侮るなかれ、男性と言う生き物は、悲しいかなその様な生き物なのです。
このエッセイは他人事ではない、そう思っていて欲しいです。いつ自分がそんな目に遭うか知れない。全て疑えとは言いません。信用したいなら、必ず手綱を握って欲しい。男と女の力関係はフィフティ・フィフティか、女性が少し上くらいが丁度良いのです。
夢を見させてくれ?夢は寝てから見てください。良い男を捕まえるよりも、良い男に育てる。それくらいの気概でいれば良いでしょう。
注意:世の中の男性諸君、足元を掬われる前に、背筋を正しなさい。
要注意
このレビューはこのエッセイの内容とはあまり関係なく、読んだ私が、勝手に思った事を書き綴っております。悪しからずご了承ください。
この美のこ様、少し乱暴なレビューになりました事お詫び申し上げますm(_ _)m いつでも消しますので、ご気分を害したら仰っしゃってくださいm(_ _)m
このノンフィクション・エッセイを読んで。
私は猛烈に。
叫びたい!!
オーマイガーッ!!
拓哉このやろう!!!
(拓哉とは、このエッセイの主人公の夫です。)
怒りのあまり、つらつらネタバレしそうだ。
作者さまは、心が深く傷つき、自分の結婚生活を、軽々しく人に話すことができなかった。
それを、文字にしようとしてみた。
淡々と振り返るように……。
血を流し、かさぶたになった心の傷を、そっとなぞるように……。
そんなエッセイ……いや、物語仕立てなので、物語と言わせていただこう。
物語は、人をひきつけ、最後まで読ませる力に満ちあふれている。
人生とは、時に、このような……。
ああ……。
ネタバレ厳禁ッ(口をつぐむ、加須 千花)
多くの読者さまの目に触れてほしい物語です。
人生とは過酷でも、生き抜くものなのだと、教えてくれる物語だから。
12年間、忍耐と我慢の生活が続くとわかって飛び込む人はいない。
スタートはいつだってキラキラと甘い砂糖細工。
しかし月日の流れで糖衣が剝げた時、苦い現実が現れた時、周囲に手を差し伸べてくれる人がいるかどうかは「運」だけではないと思う。
その苦しい年数、前を向いて周囲に誠実に生きていたからこそ彼女の周りに優しい人々がいてくれたのだと思う。
お話しのメインは彼女のツラかった結婚生活なのだが、私はたびたび登場する周囲の人々に目を向けたい。
そのタイミングで優しく接してくれるのは、彼女自身が何かの折に優しくしていたから。
そのタイミングで助け舟を出してくれるのは、彼女が助けたいと思う生き方をしていたからだと思う。
怒涛の結婚生活の後、いま彼女が心穏やかに毎日を過ごしていることを本当に嬉しく思う。
まるで葦のような強さだ。
と、これはこの作品を読む中で感じたことだ。
筆者の12年にわたる結婚生活、それはまさに小説を超えた数奇な事件の連続であり、心身が削られるような過酷さである。
これでもかと筆者に降りかかってくる苦労を思うと、途中で心が折れてしまっても無理はないだろうと思えてくる。
しかしそうはならない。どんな裏切りにあっても、哀しみの渦中にあっても、その時にでき得るすべての努力で一日一日を生き続ける。
それはどんなに強い風が吹いても、ぐっと頭を下げて堪える葦のように見える。
つらい時期を乗り越え、最後にすっと背筋を伸ばした葦の姿には、読んでいる方も胸が熱くなる。
淡々と綴りながら、本当に強いとはどういうことかを教えてくれる一作。