ここでは、とりわけネット上の小説執筆にかかる手法について解説されている。私も気づいていなかったこともあったし、また、わざわざ意識していたわけでもないけれども、意外にきちんと文章を書き分けられる力があることも、改めて確認できた次第です。
特に、「漢字使用率チェッカー」というサイトがあることを知れたことは、ありがたかった。コメント欄ではこれとは別に、「文体診断ロゴーン」というサイトもあることをご教示くださっている方もおられたので、早速、そちらも試してみました。
サンプルにしたのが裁判の訴状や準備書面などでして、これは、かなり意識して滅茶苦茶書いているものですが、なるほど、漢字多用の効果は「絶大」でした(苦笑)。
しかしその反面、裁判を受ける権利についての解説や、裁判所法の解説についての文章はというと、漢字の使用はほぼ適正、と出ました。
全般的に、どの文章も「個性的」とされたのは、愛嬌でしょう(自画自賛的で申し訳ない)。
こういう形で、自分の書いているものを客観的に検証できるためのテキストを作ってくださったことに、感謝です。
我が道を行く場合は別として、読者に読んでもらえる文章を書くうえで、参考になるエッセイだと思う。
読む立場としては、このエッセイで書かれていることを守ってくれると、助かる。
せっかく内容が良くても、読めない場合があるから。
「漢字出現率」の話は、まったく同意見で、漢字をひらくのか、とじるのかというのは、悩ましい問題だ。
個人的におすすめなのは、和語、言い換えれば、訓読みする漢字を、なるべくひらくと、ちょうどいい具合になる。
たとえば、五月蠅いはうるさいと書く。
あと、漢字をひらくか、とじるかを決める際に、前後の文章とのバランスを考えると、さらに読みやすくはなる。
しかし、本文では触れられていないが、同じ漢字をひらいたり、とじたりするのは、文章作法上、よろしくないとされている。
だが、これも前後の文章のバランスを優先して、同じ漢字でも、ひらいたり、とじたりするのも、個人的にはありだと思う。
とくに前後にくる助詞との兼ね合いで。
たとえば、「来る」と「くる」とか。
個別には、”全十話”の全てにコメントをつけましたので、そちらに譲ります。
しかし、タイトルに示したように、古くはPCの普及(いや ワープロ専用機時代か?)時代から、足元で起きているスマホへの地滑り的な完全移行時代に向けて、日本語がどのような表記規則に収束するのか/させるべきなのか論になっています。
少なくとも大きな問題提起になっていると強く感じました。
これは、誰もが作者でもあり読者でもある時代の、一つの象徴的な問題だと思います。
個別の表記問題それぞれが、日本語全体を包む大きな問題を提示しているように思われました。