21は魔法の数字
楠秋生
第1話
「いーち、にーい、さーん」
グラウンドから陸上部の元気なかけ声が響いてくる。ちょうど窓の下でアップをしているようで、よく聞こえる。
「いいなぁ。私も走りたーい」
花梨は解けない数式に嫌気がさして、机に突っ伏した。放課後の教室で補講を受けた後、居残って勉強しているメンバーは多い。
「引退したばかりで何言ってるのよ」
向かいに座って問題を解いていた希美が顔をあげた。
「これからずっと走れないなんて嫌だよ~」
「走るの、本当に好きだよねぇ」
くすくす笑う声に、陸上部のラストのかけ声が重なる。
「じゅうきゅーう、にじゅーう、にじゅういち!」
「ねぇ、ずっと疑問に思ってたんだけど、どうして陸上部のかけ声って21で終わるの?」
「ああ、それね。顧問の村尾っちがここの三年でキャプテンをやってた時に作った伝統らしいよ。あの先生、21が大好きなの」
「え? 村尾っちが作ったの?」
「そう。『俺のじいさんが、昔ヨガの行者に、聞いたんだ。どんなことでも21回繰り返せば必ず身につくってな』」
花梨が村尾の口まねをすると、希美は思わず吹き出した。
「そっくり~」
「知らない一年生とかが聞くから、三年生は耳にタコだよ」
『21ってな、いい数字なんだぞ~。仏教でも、3は吉祥を意味した幸せの数で、7は成就を意味してな、 21はその3と7の乗数だからさらに良いと言われているんだ』
『サイコロの目を全部足したら21になるんたぞ』
『結婚するときの日にちにも縁起がいいんだ。二人が結ばれて一つになるってな』
「とにかく21が好きなのよね。他にもエンジェルナンバーがどうとか、ラッキーナンバーやらマジカルナンバーやら色々言ってたけど」
「占い好きな女の子みたいだね」
「そんな軽いもんじゃないみたいよ」
花梨はう~ん、と両手を上げて伸びをした。
「三角数だし、フィボナッチ数だし、特別な数の一つではあるよね」
「何それ」
「三角数はね……」
「いや、いい、いい。多分聞いても分からないから。これだけで手いっぱい!」
説明を始めようとする希美を遮って、解きかけの問題をシャープペンシルの先でつつく。
「数学、苦手だもんね~。どれ? どこでつまづいてるの?」
希美が身をのりだし、花梨の問題をのぞきこんだ。
日が傾き、部活動の声も聞こえなくなった頃、花梨と希美も勉強を終わりにした。塾に行き始めた子もいるので、最後まで残っているのは数人だ。
ゆるゆると片づけを済ませ、教室を出ようとしたところへ、たったったと軽やかに走ってくる足音が聞こえてきた。
「先輩! 好きです。つきあってください!」
花梨の正面に立ち、爽やかな笑顔で告白してきたのは、一年生の春日。お調子者でいつもみんなを笑わせている彼は、まっすぐに花梨を見つめている。急いで来たのか、ジャージ姿のままだ。
「えっと、ちょっと待って」
何でこんな、みんなのいる前で? 花梨はみんなの目が気になって、しどろもどろ答えた。
「ご、ごめんね。春日のこと、そんな目で見たことなかった」
「じゃあ、これから考えてもらえますか?」
「きゅ、急に言われても……」
花梨は言い淀み、視線をさげる。
「わかりました! 考えておいてください!」
元から期待していなかったのか、春日は笑顔で言い残して、来たときと同じように軽やかに去っていった。
その背中を呆然と見送る花梨の脇を、希美が突っつく。
「あれ、問題児の後輩くんじゃないの?」
にたにた笑いながら、花梨の顔を覗きこむ。
「花梨、もてるね~。どうするの?」
残っていた数人が冷やかし半分に声をかけてくるのを、適当にあしらって下校する。
「どうするの?」
「どうするって言っても、返事聞かれたわけじゃないし……」
「嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、そんな対象じゃないよ……」
やんちゃ坊主で問題ばっかり起こして先生に叱られている春日は、手を焼く弟みたいに思っていた。
「じゃあ、そう言うしかないね」
恋ばなに発展しそうにないのをみてとると、希美はそれ以上この話に触れては来なかった。
考えておいてほしいと言われても、期限も何もなかったので、受験勉強いっぱいいっぱいの花梨は、その告白を頭の隅に追いやって忘れてしまっていた。一週間後までは。
いつものように放課後の勉強を終えて帰準備をしていると、また先週のような軽やかな足音が聞こえてきた。その音を聞いて、彼の告白を思い出す。
「考えてくれましたか?」
まっすぐな物言いは、誠実で好感がもてるけれど。
「ごめんね。考えてなかった。だけど、こんなみんなの前で言いに来られても困るんだけど」
花梨は小声でぼそぼそ返事をする。興味津々のみんなの視線が痛い。
「わかりました! 次は別の場所で声かけます!」
爽やかに言い残して去っていく。
いや、考えてないってことは、言外に『あなたのことをそんな風に考えてない』ってことなんだけど。花梨は後ろ姿に心の中で返事をした。
「中々本気みたいね。可愛いじゃない」
希美の好感度はあがったようだ。
更に一週間後。次は校門を出るときに後ろから声をかけられた。春日も制服に着替えている。よっぽど慌てたのか、下から二つほどボタンが止まっていない。
「考えてくれましたか?」
「受験生だし、つきあうとか、考えられないわ」
やんわりと断ったつもりだったけれど。
「嫌われてないんですね? それなら、もう少し考えてください。勉強の邪魔はしませんから!」
カバンを取りに戻るのだろうか、陸上部の部室の方へ駆けていく。
「押しが強いね~。でも、嫌ならちゃんと断りなよ?」
「嫌っていうんじゃないけど……」
「受験生でもつきあってる子はいるよ」
「でも……」
煮え切らない花梨に、希美はそれ以上何も言わなかった。
花梨は改めて考えた。可愛いし、面白いけど、彼氏というとどうなんだろう? 好き、でもない。やっぱり断ろう。
「考えてくれましたか?」
「ごめんね。春日のこと、やっぱりそんな風に考えられない」
「ゆっくりでいいです。もう少し考えてください」
「考えてくれましたか?」
「ごめんね。嫌いじゃないけど、好きでもないの」
「嫌いじゃないなら、チャンスはありますよね」
「チャンスはまだ来ないですか?」
「来ないです」
「あきらめめせん」
週に一回やって来るのがお決まりになった。
「いいかげん、あきらめたらいいのにねぇ。ストーカーになるんじゃない?」
冗談半分に希美が茶化す。
「でも、週一で来るだけなんだよね」
来る度に少し話をするようになり、そこに希美も加わることもあり、彼の人となりが段々わかってくる。
「いい子よね」
「うん。悪い子じゃないね」
二人の評価も少しずつよくなっていく。
「つきあってあげたら?」
「うん……」
「花梨の考えてること、当ててあげようか? 21回目に、オッケー出すつもりなんでしょ。ちょうどクリスマス前になるんじゃない?」
それは、花梨がなんとなく思っていたことだ。本気であきらめないつもりなら、陸上部で村尾から21 の意味を何度も聞かされている春日なら、21回目まで言ってくれるなら、ありなのかな。花梨の心は少しずつ傾いていった。
それなのに。20回目の一週間後。春日は来なかった。花梨はなんだか肩透かしを食らったような気がした。
小野小町の元へ100日通った深草少将が99日目で倒れたように、春日も体調を崩したのかと心配したけれど、グラウンドを見ると、元気に走り回る姿が見えた。
なんとなくがっかりしている自分がいることに気づいていたけれど、受験生だし! と自分を律して知らぬふりをした。
「先輩! これで最後です! やっぱり先輩が好きです! つきあってください!」
春日が21回目の告白をしてきたのは、卒業式の日。桃の花が満開に咲き誇る下で、みんなと別れ一人になった帰り道だった。
「21回目が遅すぎるよ!」
「え!? それって、オッケーってことですか!?」
花梨はにっこり微笑んだ。
「やっぱり21は、魔法の数字だ!」
春日は飛び上がって喜んだ。
「21回目が遅かった理由? これで最後だと思ったら、びびっちゃったんです」
21は魔法の数字 楠秋生 @yunikon
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