隣人の後始末

砂田計々

隣人の後始末は任せろ

 あんたはいつもそうや。なにがや。いつも勝手に決めてわたしがどんな思いしてると思ってるん。しゃあないやろ。なにがしゃあないよ、ちょっとは相談してくれてもいいやんか。お前になんで相談せなあかんねん。ほな自分でなんとかしいや、わたしもう嫌やわ。


 ここから女のすすり泣く声がして、次にしゃべるのは男。


「俺かて……好きでやってんちゃうぞ」

「じゃあもうおとなしくしといてよ!」

「ええから、黙ってやれ。お前も共犯じゃ」


 女が泣きながら嫌がり、そして、物が飛ぶ音。何かが割れる音。


「わたしはなんにもしてない。あんたが全部やったんや」

「通用するかぁそんなもん!」


 そして、おそらく男が女を打った音がする。

 女は一層泣き声になって言う。


「あんた殺してわたしも死ぬ、もうあかん、もう無理や」

「あほ」

「もう知らんもう知らん」

「あほか!!!」


 ドンドン、ドタドタと床や壁にぶつかる音。

 二人がもみ合って転げまわる音と、お互いを罵る怒声が続く。そして、


「くるしい……」


 抵抗していた女の声が途絶える。

 それから、ようやく静かになる。


 いつものことだった。

 隣の部屋では毎晩、人が殺されている。


 ここに越してきてもう一年になる。隣の住人は夜な夜な騒いで、連日連夜、迷惑していた。

 最初は何を揉めているのかわからなかった。壁にはりつき、耳をそばだてて聞いても何のことだかさっぱりだった。それが、毎日聞いているとだんだんと事情が呑み込めてくる。なぜなら隣は、毎回同じことで揉めているからだ。


 セリフ回しや声のトーン、物が壁にぶつかるタイミングに至るまで、すべてが一緒なのだった。

 あまりの再現度に、最初映画のワンシーンを繰り返し再生しているのだと思った。でもやはり、こちら側の壁に物がぶつかったときの衝撃などは本物で、その臨場感は疑いようがなかった。ならば舞台役者が稽古でもしているのか。こんな夜中に。いずれにしても迷惑には違いなく、たまりかねて、大家を通して注意してもらうことにした。しかし。


 隣は空室だと言うのだ。

 僕がここに越してきたときから、もうずっと。

 だから、物音などするはずがない、と言うのだった。


 そうは言っても、隣は今夜も格闘している。

 おそらくそこには夫婦か同棲中のカップルが居て、男の方にどえらい問題があり、女はたえず苦悩している。事態を想像するに、男は衝動的に他に人を殺している。その処理を二人でしているのだ。しかもそれは初めてではない。


「わたしはなんにもしてない。あんたが全部やったんや」

「通用するかぁそんなもん!」


 ヒートアップする二人の声が響いて、この先の展開が目に浮かぶ。

 男が女を殴る。

 殴られて倒れたであろう女が泣きながら言う。


「あんた殺してわたしも死ぬ、もうあかん、もう無理や」

「あほ」

「もう知らんもう知らん」

「あほか!!!」


 いつもの流れだ。

 この後、女は男に殺される。


「くるしい……」


 首を絞められているような息苦しそうな声。 

 そのまま、静かに意識がなくなる。


「……たすけ……て」


 助けて? 僕は今まで聞き逃していた微かな声に気づいて、思わず壁を叩く。


 ドンドン、ドンドン!!


「やめろっ!殺すな!」


 僕は壁に向かって叫んだ。


「誰や」

 男の声が返ってくる。

 こちらの声が届いたのだ。


 女の咳込む声がして、その後はそれきり静かになる。

 いつものように女は殺されず、その晩、初めて女は助かった。


 翌日から変化があった。

 連日連夜隣が騒ぎ始めていた時間になっても、すっかり静かにしているのだ。これはどうやら成し遂げたのだと思い、ふつふつと湧いてくる達成感が、長い間溜まっていた疲労をするすると解いていった。女の命を助けることが、女の魂を鎮めることになった、ということか。

 その夜は、何物にも邪魔をされずに眠ることができた。


 穏やかな夜が続いていたある日、ドアポストに手紙が入っていた。


〈隣に住むものです。長期にわたり、騒音でご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ございませんでした。お隣に漏れ聞こえているとは思わず、お恥ずかしい限りです。お耳苦しい内容であったことと思います。申し訳ございませんでした。〉


 手紙は隣の住人からだった。

 僕は思わず手紙を投げ捨て、すぐさま隣との壁に耳を押し当てた。

 静かにしてはいるが、確かに人の気配がある。

 

 すると隣から、コン、とノックをするような壁を叩く音がする。

 久しぶりの気配に身構えて、僕は息をひそめる。

 するとまた、コンコン、と鳴る。


 壁に押し当てた耳が人の気配を察知して、すぐそこにいるのがわかる。

 なにか会話をしているのが聞こえるが、ひそひそと話すので内容までは聞き取れない。もっと耳を押し当てて、何を話しているのか耳を澄ませていると、




 ――ズンッ


 壁を突き破って刃物が目の前に現れる。


「殺った?」

「わからん」


 壁の向こうのすぐそこで、男と女の声がする。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隣人の後始末 砂田計々 @sndakk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説