第6話 心覚
腰に手を当てては少々退屈そうに辺りを見渡している彼を引き連れ、暫く歩けば寺院の一番端である場所に位置する自室へと辿り着く。
微かに吹く風が足元を掠め通り抜けていった、やはりここは少し冷える。場所が場所なのか、どこかに小さな風の通り道がある。もう慣れたものだが。
初めてここへ来た時を思い出し、懐かしさに思わず顔が綻ぶ。
変に見られていないだろうかと今更考えたが遅かった、隣に立つ彼の方を見れば薄ら笑いを浮かべていた。
「霖、急にそんな嬉しそうな顔してどうした?」
「少し、ここに来たばかりの事を思い出して懐かしさに浸っていました。すみません……急に笑って気味悪かったですか?」
聞き返せば、彼は顎に手を当て何を言っているか分からないとでも言いたげな涼しい顔をする。
「いや?ちっとも、寧ろお前は少しでも笑顔な方が似合ってると思うけどな」
予期せぬ言葉に多少戸惑い、彼に向けていた視線を泳がせてしまった。
「……何を言うんですか、貴方は本当に褒めるのが上手いですね」
言われたことの無い言葉に、照れ隠しを込めを跳ね除ける様な言葉で返す。
口元が緩むのを誤魔化す為、さっさと部屋へ入ろうと戸を開けた。
「ワオ、本当に書物が沢山散らかってるな。もうちっとマシかと思っていたが……」
足を踏み入れるなり、悪気無く踏みつけてしまった書物を手に取れば積み上げられている山へと丁寧に置くとそう呟いた。
「だから言ったじゃないですか、物が沢山あると……文句は受け付けませんからね」
とは言えど、確かに足の踏み場に困る様な部屋にはなってしまっている。自分の足元にも散らばっている物を拾う。
すると、奥深くに眠っていたのだろう無くしてしまったと思っていた翠からの文が目に止まる。
「あ……これは」
思わず声を漏らした。
声に反応する様に、紅雅がこちらへ振り返る。
「どうした?」
「いえ、……何も無いです」
咄嗟に後ろへ隠す、何となくだが紅雅には過去の事をあまり話したくないと思ってしまう。
恐らく、過去を知って妙な気を使われたくないと心のどこかで思っているからだ。
文は幼少期にまだ私が翠と出会って間もない頃に、お互い送りあっていた物だった。
初めて彼と話した時の事は今でも覚えている。
あの日は、不思議な事が沢山起こる不思議な日だった。
あれは私がまだ、まともに字の読み書きすら出来ないほど幼く、とても活発で、よくどこかへ走り去ってしまい両親を困らせていた頃の話だ。
出かけた両親の隙をついては外へ遊びに出て、偶然見つけた行った事のない獣道を興味津々に進んでいた時の事だった。
腰を曲げなければ入れないほどの小さな道を、衣を泥だらけにしてしまっても気に止めずに、ただこの先に何かあるかも知れないと冒険心を燃やしつつ草をかき分けながら歩く。
暗く細い道を暫く歩いていれば、目の前は次第に太陽の光で明るく照らされた。
抜けた先にはいつも歩いていた道とは大きく外れ木々が生い茂り、新鮮な空気が流れていて、中央には睡蓮が咲く美しい池が広がっていた。
こんな場所があったのかと周りの景色に目を奪われていると、背後から微かに足音が聞こえる。
『先客がいるなんて珍しい、お前はどうしてここに?』
その声に反応して振り返ると、私と同じ背丈程の少年が立っていた。
突然声を掛けられ吃驚した表情を浮かべると、少年は悪戯な笑みを浮かべる。
『ははっ、面白い顔してるな?そんなに警戒しないでくれよ。俺ここが好きでさ、よく来るんだ』
『……そうなの?僕は見たことない道だからって冒険してたらここに着いたんだ』
そう返すと、彼はこちらへ近付いて来た。
『へえ、冒険とか好きなの?』
『う、うん。見た事ない場所とか探すのが大好きなんだ』
『俺も、ここらへんに住んでる訳じゃないけど。この辺は冒険し尽くしてる、俺が冒険に行った話聞かせてやろうか?』
『冒険の話?聞きたい!』
その少年の言う言葉に幼い私は心を惹かれ、目を輝かせながら食いつく様な返事をする。
彼の冒険話は本当に面白かったのを覚えている、それと一緒に自分が住んでいる所の話や人間以外にもこの世に存在する鬼悪魔の話を沢山聞いた。
その場へ座り込み、暫く話に没頭していたが、ふと気付くと辺りは薄暗くなり始めていた。
日が暮れてきた事に気付き、彼は辺りを見回して立ち上がる。
『結構話し込んだな、日が暮れはじめてる。お前帰らなくていいのか?』
『確かに……そろそろ帰らないと駄目だね、今日はありがとう!君のお話、聞いててとっても面白かった!』
笑顔で彼に返事をし、自分もその場から立ち上がり軽く服についた汚れを払う。
いざ帰ろうと一歩踏み出すと、自分はどこから来てどこから帰ればいいのか分からなくなっていた。
それもそのはず、来た時より日が落ちているのだ。ここは木々が生い茂っているため余計に道が分かりづらい。
帰路が分からなくなり、戸惑う様子を暫く横で見ていた彼が口を開いた。
『ふーん……迷子?』
『えっ、違うよ!ちゃんと道は覚えてるから大丈夫!』
首を横に振り何故か必死に否定してしまう、ここまで好奇心で歩いてきたのだ、来た道は殆ど覚えていない。
極度の方向音痴であちこち行っては迷って帰れなくなった記憶が数え切れない程ある。
『迷子って顔に出てる、ここから表に帰るのは結構獣道なんだぞ。帰れんのか?冒険してて辿り着いたとか言ってたけど』
『……多分?』
彼は腕を組みながら眉に皺を寄せ、一つ大きな溜息をついた。
『そんなあやふやな返事する奴一人で帰す事出来ないだろ、着いてこい』
そう言うと彼は前を向き、慣れた様子で足早に森を進んでいった。
『ちょっと待ってよ!』
置いて行かれない様にと、自分も必死に後ろに着いていった。
暫く歩いていると、ここへ来た時と同じ様に前方から光が漏れだし、前を歩く彼が見えなくなる程の白に包まれ、眩しさに思わず目を閉じた。
『あれ?ここは……』
再び目を開けると、獣道へと足を踏み入れる前の見慣れた景色が視界へ入ってくる。
先程は眩しいくらいに光が差し込んでいたはずだったが、見渡しても周りは暗く日の沈んだ空が広がっていた。
妙な出来事に不思議に思い立ち尽くしていると、ふとここまで送ってくれた彼に感謝をしていない事を思い出し振り返る。
『そうだ!ここまで送ってくれてありがと……』
思わず言葉が途切れる、振り返った先には既に彼は居なかった。
彼はどこに行ったんだろう、そんな事を考えていると遠くから自分の名前を呼ぶ母の声が聞こえてきた。
少年と話していた時に両親は既に家に帰っていて、私が居ない事に気付き探しに来たのだろうか。何も言葉を残さず外に出た事に対して酷く怒られそうだ、何て良からぬ事態を頭に浮かばせながら声のする方へ駆け足で向かった。
帰り道は言うまでもなく、家に着くまでこっぴどく叱られ大泣きしてしまった事は良くも悪くも忘れ難い思い出だ。
その日、家に帰ると玄関には見た事の無い靴が置かれていた。
『今日誰か来てるの?』
家に人が来るのはそう珍しい事では無かったが、誰が来ているのか位は気になるだろう。
『あなたと同じくらいの、この近くに住む翠君が来てるわよ』
『そうなんだ、翠君……友達になれるかな』
『お話上手のあなたなら、すぐなれるんじゃないかしら?』
母に優しく頭を撫でられる、先程までの鬼の様な顔はどこへいったんだと、ふと考えるが直ぐにその考えはまた怒られそうな事に気付き頭から消した。
後に聞いた話だが、少し遠くに住む翠の祖父母が体調を崩してしまい、急いで両親が祖父母の家へ行く事になり、その間翠を一人で残すわけにもいかず、かと言え翠も連れて行ったとして面倒を見るのは大変だと言う事で親同士交流があり歳の近い子供の居る
名前だけは数回聞いていたが、本人とは話した事も会った事も無いので変に緊張してしまう。
嫌われたらどうしよう、怖い子だったら話せないなと変な想像を募らせながら恐らく彼が居るであろう、父ともう一人の声が聞こえる部屋の戸を開けた。
『あ!君が……霖君?』
振り返りこちらに視線を向ける少年に思わず目を奪われる。
そこに居たのは透き通る
魔解忌譚 山川谷底 @yamakawatani
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