第2話 誓約
「私が居ない間に、何があったか教えて下さい」
視線を向け、そう訊ねる。
哀惜に染まる表情を浮かべる彼等と目が合うと、何が一体こんな悪夢を見せたのか痛切に伝わってくる。
小さく震える母が、暫くして口を開いた。
「……外から、黒い靄が入って来て……あたしとお父さんは一瞬にしてその靄に壁まで弾き飛ばされて、そこで気を失っちゃったの」
「……ああ、そうだ!ワシは意識が無くなる前、翠が化け物と戦っているのが見えた」
母がゆっくりと述べると、そこに続き父が口を開いた。
やはり、翠よりも二人とも軽い擦り傷しか負っていない。
(黒い靄……一体何者なんだ?今まで私が見てきた鬼悪魔は全部人間の形、所謂ヒトガタったが……)
彼等の言う黒い靄に思考を巡らせる。
魔と言うのは人間を恐嚇するのに必ず
生命や身体を疵付け衰弱した所につけ込んで魂を呑み、己の生彩にし魔としての階級を上げる為の者や、生命を喰らい尽くしては己の糧として生きていく者も存在する。
(今回の様に、無差別に理由無く恐嚇する魔は聞いた事がない)
「何か魔に狙われる様な心当たりは無いですか?」
「無い………けど、最近周りで噂になってるって聞いた事があるわ。何を目的としてる訳でもない
――理由も無く、人間の生を弄ぶ事を快味する魔だと?
畜生だ、元々彼等の事を忌み嫌っていたが……ここまで泥臭いとは。
鬼悪魔と言う言葉の意味をようやく理解した気がする、結局は鬼なのだろう。
無意味に当たり前を壊され幸福を奪われた人々の事を考えると、胸の奥で確かな鬱憤が煮え返る音がした。
拳を強く握れば、目の前で震える両親へ視線を合わせる。
「父さん、母さん、落ち着いて聞いて下さい」
神妙な面持ちで声を掛けた、二人の肩へ軽く手を置く。
きっと私の手も小さく震えていただろう、伝わって無いだろうか。
「翠は、彼は自分を犠牲にしても貴方達を守ろうとしていました。両親や私を守れなかった、ごめんなさいと……言っていました。そしてこれを……」
譲り受けた勾玉を懐から取り出し、前へ差し出す。
「息絶える前、私が受け取った物ですが……ご家族が持っていた方が翠も喜ぶのではないでしょうか」
「そんな……嘘だ……翠!」
父が声を荒げた、同時に二人の瞳からは大粒の涙が流れた。
彼等の涙に、己の哀傷を抑える。
冷たい空気を裂く様な慟哭が、色を失くした部屋へ響いた。
惨状を目の前にし、言葉が出ず何も出来ない自分を酷く憎み唇を強く噛む。
確かにあった物が、全て泡沫として無かった事の様にすら思えた。
「……翠は、いつか霖にこれをあげたいってずっとあたし達に話してた」
哀しみとも何とも言えない表情で母がそう述べた。
「ああ、自分の宝物は全部霖にあげるんだと……楽しそうに話していたよ。だからこれは霖、君が持っていてくれ」
差し出した手を父が軽く押し返す。
そんな話は一度も聞いた事が無かった、翠は私が喜ぶと思いずっと渡す機会を伺っていたんだろうか?
それが、こんな形になってしまうなんて誰も思いもしない。
その勾玉を強く握り、抜け殻となった彼に近付いた。
「……ごめん翠、ありがとう。貴方の優しさが私の心を強くしてくれた」
冷えた手へ体温を分ける様に掌を重ねる。
「今度は、貴方がしてくれた様に私が守る番だ」
――――この世から、絶対に腐れ切った災厄を繰り返す魔を殲滅させる。
幸ある処へ魔は現れる、壊され奪われ続けるのはもう見たくない。
いつかは、誰かがそれを祓わなければならないのだ。
――そう誓い、一番の友を失ってから一週間が経った。
あの日と同じ朝、一つだけ空いた席。
視界へ入る度に思い出す、きっとどれだけ時間が経とうと、目の前の現実を痛い程自覚する。
両親と共に朝ご飯を囲み、どこか上の空で考え事をしていた。
(君と共に食べていたご飯の味なんて、もう思い出せない)
それからと言うもの、周りで頻繁に起きていた災厄の話は一切聞かなくなっていた。
思い返せば、あの日は何故か魔の声が聞こえる
(鬼通は、どんなに力の弱い魔の声が聞こえる。ましてや人の命を奪える様な強い力を持った魔の声が聞こえないはずが無い……)
無意識に眉間に皺を寄せ、ひたむきに難しい表情を浮かべる。
「霖、どうしたの?」
そんな姿を見兼ねたのか、名前を呼ばれ顔を上げた。
すると、母は心配そうな顔をしていた。
隣に座る父からも、ご飯を手に付けながら母と同じ悩ましげな面持ちが見えた。
「何か悩みがあれば言っていいのよ、私達は貴方の親なんだから。それともご飯が足りない?」
「そうだぞ、一人で悩むなんてワシが許さん。」
二人は元気付ける様にそう言った。
(そうだ、苦しいのは私だけじゃない。父さんと母さんも同じだけの苦しみを持っているのに……)
二人の明るさを失っていない表情を見て、ずっと悩んでいるのはらしく無いだろうと頭を振った。
「父さん母さん、ありがとうございます。悩みはありません……ご飯のおかわりを頂けますか?」
空の茶碗を前へ出すと、二人は安心した笑顔を浮かべた。
「どんどん食べなさい!」
母がそう言いながらご飯をよそう。
沢山食べて強くならねばと差し出された茶碗を受け取ろうとした瞬間、頭へ鋭い痛みが走り思わず手から落としてしまった。
床へ落ちた茶碗が、鈍い音を立てて割れる。
突然の事で驚き、向かい側に座っていた父が急いで頭を抑える私の方へ駆け寄る。
「霖!?大丈夫か?」
「頭でも痛いの!?」
痛みで霞む視界に、心配する両親の姿が映る。
(一体何があった?普通の頭痛か?いや……それにしてもおかしい痛み方だ)
原因が分からず混乱する頭を落ち着かせる様に、一度深く深呼吸をした。
暫く頭を抑えていると次第に痛みが引く中で、誰かの声が脳に響く。
「――タリナイ、タリナイ」
禍々しい悪を含んだ声色が聞こえた、恐らく付近に居る魔の声だろう。
久しい感覚に過去の出来事が脳裏に流れる、全身から冷や汗が出る感覚に襲われ、思わず拳を強く握った。
また何処かで人々が襲われてしまうかもしれないと思うと黙っては居られなくなり、立ち上がる。
「……霖?」
気掛かりな表情を浮かべながらこちらを見つめる母と目が合った。
勿論この魔の声は自分にしか聞こえない、突然立ち上がったので吃驚したんだろう。
「……私は少し外へ出てきます。ご飯、残してしまってすみません」
あまり不安を抱える二人の顔を見たくなくて、視線を反らし振り返らずそのまま家を後にした。
外へ出ると、意外にも平和な空気が流れる街に返って不気味な雰囲気を感じた。
「先程まで嫌な感じがしていたのに……どうもおかしい」
強く声の聞こえる方へ足を早めていく、昨夜降った雨が土に吸われて足元が泥濘んだ。
汚れる靴すら気にせず進んでいると、一つの小さな社が見えてきた。
社は昔から神が居るとされている場所であり、ここを通る度に必ず一礼は忘れない。
(当たり前の幸せが、これ以上奪われません様に)
手を合わせ頭を下げ、いつも通り心願をする。
何度思った事か、本当はここに神が居ないのでは無いかと思うくらいに現状は願うほど悪くなっていくばかりだ。
「返事の一つくらい返してくれても良いじゃないか」
そんな独り言を小さく呟き本来の目的を思い出し立ち去ろうとすると、また先程の強い痛みが頭に響き、目の前が暗くなる。
(駄目だ、倒れてしまう)
頭を抑えていると、足元がぐらつきその場へ崩れ落ちそうになった時だった。
後ろから何者かに左腕を掴まれ、その瞬間霞む視界が鮮明になり頭へ響いてた痛みが消えていく。
(……誰だろうか、何故痛みが消えた?)
「おい、大丈夫かお前」
すると頭上から聞き覚えの無い声が聞こえてきた。
視線をそちらへ移すと、赤い衣を纏う金色の瞳の青年が眉に皺を寄せ私の顔を見つめていた。
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