204 美少女に背を向ける


 理華は壁の方を、俺はテーブルの方を、それぞれ向いていた。


 当たり前だが、普段使っているベッドは寝心地がよかった。

 ただ、まくらは理華に渡してしまったので、頭が低いのだけは少し辛い。


 胸のあたりまで布団を着ると、体感温度もちょうどよかった。

 これなら、快適にぐっすり眠れるだろう。


 ……と、そんな訳はもちろんない。

 あるわけがない。


 そもそも、このベッドは一人用だ。

 二人で寝るには明らかに狭いうえに、俺は理華に身体がくっついてしまわないよう、ベッドからはみ出るギリギリのところに横たわっていた。

 これでは寝てる間にベッドから落ちるかもしれないが、背に腹は代えられない。


 はぁ……。


 どうしてハグはできるのに、一緒に寝るってなるとこんなに緊張して、罪悪感まであるんだろうか。

 いや、答えはなんとなくわかる。

 やっぱりベッドとか布団というのは、ハグやキスの、その先を連想させるのだろう。


 もちろん、俺にそんな気はない。

 一切ない。

 ……ほんのちょっとだけあるかもしれない。

 ……わりとあるかも。


 いや、しかし、少なくとも今はない。

 そんな度胸もないし、欲求も強くない。

 ……それに、必要な道具もない。


 ただ……。


「……廉さん?」


「なっ……なんだよ」


「ちゃんと、向こうを向いていますか……?」


「あ、当たり前だろっ」


「……そうですか」


 理華は、やっぱり可愛い。

 こうして顔や姿を見ていなくても、声や寝息が、目に焼きついた綺麗すぎる理華の顔と結びついてしまって、たまらなく愛しくなる。


 それ自体を悪いことだとは思わない。

 けれど、その愛しさが自分の欲に繋がってしまったとき、俺は自分がどうなるのかわからなくて、怖いんだ。

 今まで知らなかった自分を知るのも、それを理華に見せるのも。


 もっといえば、それを見た理華が、俺のことをどう思うか。

 そんなことを想像するのだって、俺は怖くて仕方がなかった。

 だからそうなってしまわないように、今は目をそらすしかないんだ。


 ……ああ、ダメだ。


 今はこんなこと、考えるのはやめておこう。

 眠るんだ。

 眠ればすぐに、朝がくる。

 そうしたらまたゆっくり、理華ともっと仲良くなって、それからいつかちゃんとこの話をしよう。


 理華にわかってもらえるように。

 そして理華がどう思っているのか、わかってやれるように。


「廉さん」


「……ん?」


「……」


 “ギュッ”


「っ……⁉︎」


 いつの間にか、俺の身体に理華の腕が回されていた。

 背中に柔らかい感触があって、首元にかすかに息がかかるのがわかる。


「ちょっ……理華っ! こら!」


「……」


「な、何やってんだよ……! ダメだって言ったろ……!」


 身体の向きも体勢もそのままで、俺は叫んだ。

 が、理華は微動だにせず、そのまま俺に抱きついていた。


 非常にまずいが、振りほどくわけにもいかない。

 俺は心を無にして、ただじっとしていることしかできなかった。


「廉さん」


「……」


「……ありがとうございます」


「……な、なにがだよ」


 泊めてやる礼は、もう言われたはずだが……。


「いろいろ、私のために考えてくれて」


「……」


 俺を抱きしめる理華の力が、少しだけ強くなる。


「私には、廉さんがなにを考えているのか、どうして私が泊まることを拒むのか、正確なところはわかりません」


 どこか震えているような声音で、理華が言った。


「それはもちろん、なんとなくはわかっているつもりです。でも、あくまで、なんとなくです」


「……」


「わかるはずはない。それに、わからなくたっていいと思います。わかった気になってしまっては……いけないと思います」


「……うん」


「だからこそ……私たちはきっといつか、今日のことをちゃんと、話すんだと思います。お互いの考えていることが、しっかりわかるように。伝わるように」


「……」


 俺は、心の中で頷くことしかできなかった。

 理華がそう思っていてくれたことが嬉しくて、嬉しすぎて。


「……私たちにはそれができるから。そうしていこうと、決めたから」


「……あぁ。そうだな」


「はい。……だから、今日のような不測の事態は、仕方ないんです。仕方ないから、こうして手探りで、乗り切るしかありません……。迷惑を掛けている私が、言うことではないかもしれませんが……」


「……いや、いいよ。それはもう」


 そんなことよりも、俺はその続きが聞きたかった。

 理華が考えてくれていることの、もっと深いところが知りたかった。


「……でも、私、嬉しくて」


「……」


「廉さんが私のために、いろいろ考えてくれているのがわかって……それがすごく嬉しくて、幸せで……」


「……そんなの、お互い様だろ」


「そうかもしれません……。でも、ちょっとだけこうさせてください。しばらく抱きついていれば、きっと落ち着きます……。今はなんだか……こうせずにはいられなくて」


 そこまで言って、理華は黙った。

 背中から伝わる理華の鼓動は、驚くほど早かった。


 お互いが、今なにを考えているのか。

 そんなことわからない。

 わかったとしても、それを確認するには、やっぱり話し合うしかないんだ。


 だけどわからなくたって。

 相手のことを思いやってることさえ、伝われば。


 こんなトラブルだって、ちゃんと二人で乗り越えていけるんだろうと、俺は思った。


「理華」


「はい」


「……大好きだ。本当に」


「ほあっ」


 また、抱きしめる力が強くなる。

 腰に回されていた理華の手を握ってから、俺は目を閉じた。


「おやすみ」


「……おやすみなさい、廉さん」

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