109 少年は息を飲む
ある金曜日の夜。
俺はミステリーの二時間ドラマを見ながら、久しぶりのカップ麺を食べていた。
ここ最近はほとんどが理華の手料理だったとは言え、やっぱりたまのカップ麺も悪くない。
ジャンキーなものが骨身に染みる時もあるってもんだ。
ちなみに理華は今日、放課後に雛田たちとどこかへ出かけている。
夕食も外で済ませてくるらしい。
時刻は現在、夜の八時。
そろそろ帰ってくる頃だろうか、と思っていたら、ちょうど理華からメッセージが入った。
『帰宅しました』
『おかえり』
『おもしろそうなドラマをやっていますね』
『見てるよ』
それだけ交わして、メッセージのやり取りは終わり。
俺はもちろんだが、理華もこの手の連絡手段はあまり好かないらしく、俺たちの会話はいつもこの程度だ。
カップ麺を食べ終わり、テレビがCMの間にゴミや箸を片付ける。
それからケトルで湯を沸かし、粉末ミルクティーを作った。
明日は土曜で予定も無いし、今日は多めに紅茶を飲んでも平気だろう。
まあ、予定はいつも無いんだが。
リビングでのんびりミルクティーを飲みながら、引き続きテレビを見た。
そしてドラマの中で二度目の殺人が起き、事件が複雑化してきた頃。
『そちらにお邪魔してもいいですか?』
みかんのアイコンの理華が、再びメッセージを送ってきた。
どうやら俺の部屋に来ようとしているらしい。
『どうかしたのか?』
大抵はいつも夕食を作りに来てくれるくらいだから、気になって聞いてみる。
もう時間も遅い。
大した用じゃなければ、電話かメッセージで済ませてもいいと思うんだが。
『なんでもないのですが』
なんでもないらしい。
しかし、なんだか煮え切らない雰囲気だ。
いつもはっきりしてる理華にしては、珍しい。
さて、なんと返信したものか。
そんなふうに考えている間に、俺の意識はまたドラマの方に引き戻されていた。
“ピロン”
数分後の通知音で集中が途切れ、俺は再びスマホを見た。
理華への返事を忘れていたことを思い出し、少し申し訳ない気持ちになる。
『ただ少し、会いたくなってしまって』
「……」
少しだった申し訳なさが、一気に膨らむのがわかった。
◆ ◆ ◆
部屋にやってきた理華は、パジャマに近い形の楽そうな部屋着を着ていた。
薄い緑色の上下で、俺もあまり見たことがない服だ。
スマホ以外には、特に何も持っていないらしい。
「……こんばんは」
「お、おう」
軽く挨拶を交わし、リビングへ招き入れた。
せっかくなので、ついでにミルクティーを淹れてやることにする。
「粉多めだよな」
「はい」
理華は飲み物の好みまで、俺とそっくりだった。
おかげで、覚えることが少なくて済む。
「ほら」
「ありがとうございます」
ベッドにもたれる位置に二人で並んで、紅茶を飲みながらテレビの続きを見た。
どうやら理華も向こうで途中まで見ていたらしく、話は理解しているようだった。
「……」
「……」
「……あの」
「な……なんだ?」
テレビの方を向いたままの理華の声に、俺もそのまま答える。
お互い、どこか緊張しているのがわかった。
「……すみません。なんだか、無理にお邪魔してしまって……」
「い、いや……無理じゃないよ。その、なんだ……。俺も、会いたかったし……」
言ってから、自分の顔が熱くなるのを感じた。
思えば今までの俺たちは、何か目的があって、そのついでに一緒にいる、というのばかりだった気がする。
夕飯を食べるため。
買い出しに行くため。
テレビを見るため。
人よりも物が好きな俺たちにとっては、それが普通だったのだろうと思う。
だから今日、理華が「会いたい」という理由でここへ来たがったのが、俺には意外だったのだ。
「……」
「……っ」
突然右腕に温かい感触がして、俺は身体が
右腕が緩い力で引っ張られ、何かに包み込まれている。
理華が、俺の腕を抱きしめていた。
「……」
「……」
テレビの中では、探偵役が何か重要なことに気がついたらしかった。
対して俺は、とっくにドラマの内容なんて頭に入ってきていない。
いつもなら、大抵この辺で俺にも犯人がわかるのに。
「……廉さん」
「なっ……なんだよ」
「……嫌ですか」
「い……! 嫌じゃ……ないけど」
けど、なんなんだろうか。
自分でもその続きがわからず、俺はただじっとしていることしかできなかった。
「……」
「……」
息が詰まるような空気だった。
けれど不思議と嫌な気分ではなく、俺はなぜか理華に告白した時のことを思い出していた。
ミルクティーを飲むために、身体を起こして手を伸ばす。
その動きに合わせて、理華が俺の腕から手を放した。
けれど飲み終わって元の位置に身体を戻すと、また理華は俺の腕を抱きしめてきた。
苦しくて、恥ずかしくて、愛おしかった。
理華が俺に会いたがったように、俺も本当は理華に会いたかったのだ。
そんなことを、今さらながらに思い知らされた気分だった。
「……廉さん」
「……なんだよ」
「……好き」
「っ……あ、ああ。知ってるよ……」
「むぅ……廉さんは?」
「えぇ……」
「廉さんは私のこと……どう思ってるんです?」
視線を感じていた。
ドラマはもう推理シーンまで進んでいるのに、理華はじっと俺の方を見ている。
横目で確認すると、理華は不機嫌そうに口を尖らせて、ねだるように少しだけ身体を揺らした。
目眩がするような気分だった。
「……好きだよ、そりゃあ。当たり前だろ」
「……んふふ」
俺が固まっていると、理華はそのまま頭を俺の肩に預けてくる。
艶のある髪の甘い匂いが鼻腔をついて、右半身が痺れるような感覚に陥った。
「……どうしたんだよ、今日は」
「べ、べつに……。いいじゃないですか、恋人なんですから」
「そりゃあまあ……そうだけど」
「……くっつきたい時だって、あるんですっ」
心拍数が跳ね上がるのがわかる。
ドラマはいつのまにか終わっていて、俺の紅茶はすっかり冷めていた。
「ち、ちょっと、悪い」
逃げるように立ち上がって、コップを持ってキッチンへ。
名残惜しそうに指先を掴んでくる理華の手もなんとかすり抜けて、ドアを閉めた。
今度はなにか、すっきりするものが飲みたい。
それからついでに、少しだけ心を落ち着けたかった。
ケトルの湯が沸くのを待つ間、俺は胸に手を当てて、何度か深呼吸をした。
思えば佐矢野との一件以来、理華はよく手を繋ぎたがった。
それから、無意味に名前を呼んできたりすることも増えていた気がする。
「くっつきたい時だってある」と、理華は言った。
そりゃそうだろ。
俺だってそうだ。
そうに決まってる。
「……ふぅ」
だけどやっぱり、気が引けるんだ。
いくら恋人だと言ったって、いったいどこまでそういう気持ちが許されるのか、わからないんだ。
嬉しかったけれど、俺はそれ以上に困っていた。
「廉さん」
突然ドアが開いて、理華がキッチンに入ってきた。
「な、なんだよ」
「なにしてるんですか」
「ま、また紅茶淹れるんだよ……」
「……早く戻ってきてください。さみしいです」
理華はそれだけ言うと、またゆっくりとリビングへ戻っていった。
可愛すぎて、頭がおかしくなりそうだった。
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