X01 美少女が再会する


 それは、ある日の放課後の出来事でした。


「あ、橘さん」


 私は昇降口で、廉さんを待っていました。

 一緒に帰ることになっていたのですが、少しだけ用事があるということで、ここで待ち合わせをしていたのです。


「……どうも」


 声を掛けてきたのは、見覚えのある方でした。

 彼は、確か。


「覚えてるかな? 一ノ瀬です」


 そう、一ノ瀬さんでした。

 一ノ瀬さんと言えば。


「この前はごめんね、いきなり」


「いえ。気にしていません」


 一ノ瀬さんは感じのいい笑顔で、少しだけ頭を下げました。

 私が否定の意味を込めて軽く首を振ると、彼はキョロキョロと辺りを見渡しているようでした。


「ひとり? 誰か待ってるの?」


「はい」


「そっか。じゃあ、ちょっとだけ話し相手になってくれない?」


 少しだけ、考えました。

 仮にも一ノ瀬さんは、以前私に告白をした人です。

 この誘いを受けるべきなのか、そうではないのか、わかりません。


 けれど正直、彼の印象はあの日からとても良かったので、無下にするのも申し訳ない気がしました。

 同じ学年の生徒なのですから、ただ話すのを断るのもどうなのだろうか、とも思いました。


 私が頷くと、一ノ瀬さんはまた爽やかな笑顔を浮かべました。

 立ち居振る舞いが自然で、余裕があって、落ち着いていて。

 きっと彼は、女の子たちにすごく人気があるのだろう、と思いました。


「どうやら、俺の知らないところで色々あったみたいだね」


「……えっと」


「ははは、覚えてないのか。さすが橘さん。須佐美さんに聞いたよ。なんでも俺のことが好きな女の子に、絡まれたって」


「ああ。そのことでしたか」


 本当になんのことかわからず、ずいぶん反応が遅れてしまいました。

 しかし今となってはあの出来事は、私にとってはその程度のことになっていたのでした。


「俺が謝るのもそれはそれで筋違いな気もするし、なんて言ったものかな」


「いえ、あなたもどちらかと言えば被害者でしょう」


「ははは。そうだね。困ったもんだ」


 一ノ瀬さんはどこまでも爽やかでした。

 嫌味なところを一つも感じさせないのは、きっと彼の持っている独特の雰囲気のせいなのでしょう。


「そう言えば、橘さんは最近どう?」


「どう、と言うと」


「いやぁ、好きな子とはどうなったのかと思ってさ」


「なっ……」


 思わぬ言葉に、私は固まってしまいました。

 きっと、焦った表情も浮かべてしまっていたと思います。

 私としたことが、不覚でした。

 しかし、無理もないことではないでしょうか……。


「俺をフるどころか、友達にもなってくれないなんて、そりゃあほかに好きな子がいるからでしょ。普通に考えれば」


「……」


 一ノ瀬さんは言葉とは裏腹に、心底愉快そうにクスクスと笑っていました。

 なんだか、私と廉さんがいかに恋愛ごとに対して鈍いのか、思い知らされるような気分でした。


「俺もやっと失恋から立ち直ったからさ。そうなると、今度は橘さんの恋路が気になり始めてね。橘さんがどんな男が好きなのか、興味もあるし」


「そ、それは……」


「いやごめんごめん。もちろん答えたくないなら、無理に答えなくていいんだけどね」


 私は、まるで千歳と話しているような感覚に陥っていました。

 こちらを嫌な気持ちにさせず、それでもススっと懐に入ってくるかのような。

 そんな掴み所のない、意地悪な時の彼女にそっくりな話し方でした。


「ただ、噂の真相も知りたかったしさ」


「噂……?」


「うん。橘さんが、ある男の子と付き合ってるっていう、そんな噂」


 自分の身体が、少しだけ冷たくなるのがわかりました。

 ですが、それも当然と言えば当然でした。


 少し前、私は廉さんのクラスで暴走をしてしまいました。

 見る人が見れば、ピンときてもおかしくはないのかもしれません。

 佐矢野さんの例もありますし。

 

 ただ、ここで認めてしまってもいいのでしょうか。

 私自身は、廉さんとの関係が広まることに、もはやなんの抵抗もありません。

 けれど、廉さんはどうなのでしょう。

 いや、きっと彼も私と同じ考えだとは思うのですが、廉さんのいないところで、勝手に暴露してしまっていいものか……。


 私が何も言えずにいると、一ノ瀬さんはニヤッと笑ってさらに言いました。


「噂では男の子の名前も出てるし、たぶん橘さんも心当たりあると思うんだけど、実際どうなの?」


「……あなた、このために声を掛けましたね」


「あはは。まあそれもあるね」


 ダメです。

 この人が千歳と似ているのだとしたら、絶対に逃げられません。

 こうなったらここはもう白状してしまって、後で廉さんに事情を話しましょう。

 噂が立っているなら、遅かれ早かれ広まるでしょうから。


「……その噂は」


 私がそう口を開いた直後、突然私の視界を、黒い影が遮りました。


 いつの間にか、廉さんが私と一ノ瀬さんの間に、私を隠すようにして立っていました。



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